第72話 行幸1 両大臣の会談
長和4年(1015年)、秋の中頃。
「あれからまた本当に台風が来て、今度は御所にも被害がでちゃったじゃないの。」
「あの門でしょ、倒れちゃったの。」
「嵐を呼ぶ女、藤式部。」
藤式部
「はい、その話はそこまでね。」
十二月に大原野の
夜明けの頃に御所を出て、朱雀大路を南に下り、五条大路の所で曲がって西へ向かいます。
桂川の辺りまでびっしりと見物の牛車が並んでます。
行幸といってもいつもこんなになるわけではありませんが、この日は親王や上達部もみんなそれぞれに馬の鞍を飾り立て、随身や馬引きにも背の高いかっこいいのを選んで立派な装束を着せて、希に見る素晴らしいものとなりました。
左大臣右大臣内大臣、その下の納言クラスの人達も残らず付き従います。
青い
雪がはらはらと降りだして道中の空も粋なことをします。
親王達や上達部などで鷹狩に係わる者は、普段と違う狩りの格好に着替えます。
まして
このまたとない素晴らしい行列を見ようと競うようにやって来た庶民のおんぼろ車などは、車輪が押しつぶされたりして悲惨なものもありました。
桂川の浮橋の辺りなどにも、良い場所を求めてうろうろしている立派な車がたくさんありました。
西の対の
たくさんのこれでもかと競い合ってる人たちの姿かたちを見る中に、
自分の父だという
臣下の頂点に立つ人ではありますが、神輿の中で見え隠れする以上に見てみたいとも思えません。
まして、美形だのイケメンだの若い宮中の女性達の死ぬほど憧れてる
御門以上と思うと、これに匹敵する人なんていそうもありません。
高貴な人は皆小綺麗で別格の者だと思ってましたが、
あの兵部の卿の宮もいました。
色黒であご髭が濃くて、どうにも好きになれません。
どう取り繕ったって女のようなきれいな肌にはなることはないでしょう。
理不尽な話ですが、若い
「源氏の大臣が思い付きで言ってたことをどうすればいいのか。
宮中への出仕なんて思ってないし、そんな育ちも良くないし。」
と心の中で思っていて、
「いきなり御門の寵愛なんてことを考えなくていいような普通の出仕だったら、まだやってみる価値はあるかもしれない。」
という期待もありました。
こうして御門が大原野に到着すると御輿を降ろし、上達部のテントに行き、装束を
この日一日お供するように要請されてたものの、物忌みで参上できない旨を奏上しました。
蔵人の左衛門尉を使いに出して、鷹狩で得た雉を長い木の枝に付けて下賜しました。
その時の御門の言葉が何でしたかは、公文書の漢文など学ぶことのない女としては、難しいのでわかりません。
《雪深い小塩山から飛び立った
雉も延喜の式に倣えば》
太政大臣がこうした野辺の行幸にお供した例などもあったのでしょう。
《小塩山深雪積もれる松原に
今日ばかりなる跡やなからむ》
その時聞いた歌はこんなだったか、雑な記憶なので間違ってるかも。
*
翌日、
《昨日御門の姿を拝見なさったことでしょう。
例の件、決心付きましたか?》
という手紙を送りました。
白い料紙にくだけた感じで書かれた手紙は、特に口説くような言葉もなかったのが変で、
「らしくないわね。」
と笑いながらも、「何か気持ちが見透かされて嫌なものね」と思いました。
返事には、
《昨日は、
霧が立ち朝曇りした行幸では
空の光ははっきり見えない
漠然とした不安を感じます。》
そう書いてあるのを
「内侍としての出仕のことを勧めたんだけど、中宮が既に出仕してるのにまた玉鬘を俺の娘として出して、中宮を差し置いて寵愛を受けてしまったりしたらまずいことになる。
あの内大臣に知らせてあっちの娘とするにしても、あちらも既に女御を出していると思うと悩むところだ。
若い娘が出仕する際に中宮を差し置くなんてことはあってはならないし、とはいえ御門を実際に少しでも見ることがあると、引き下がれなくなるのでは。」
「何言ってるの。
いくら立派な人でも自分から御門に愛されたいなんて、分不相応でしょう。」
「どうだか、あなただって出仕したら好きになるかもよ。」
などと言いながら
《旭日のような御門の輝きに
なんでみ雪に目を曇らせる》
と出仕を勧め続けました。
「とにかくまずは成人女性としての
どんな儀式でも、自分では意識してなくても自ずと大袈裟で荘厳なものになるもので、まして 「内大臣にもこの際見せつけてやろう」なんて下心もあれば、立派なものにならないはずもありません。
「年明けの二月にしよう」と思いました。
「あの女はなかなかの評判になって、これ以上隠しておくことはできないものの、今まで誰の娘ともわからず奥に隠していたため、本来の藤原氏の氏神にお参りすることもなく、表に出ることもなかったため長年誤魔化してこれた。
もし出仕させるというなら、藤原氏の春日大社の神に背くことになって、結局隠し続けることができなくなって、困ったことだが意図的に略奪して隠蔽してたということで後世まで噂を立てられて、もっと悪いことになる。
大した家柄でないなら、今どき姓を変えることも簡単なんだが。」
などとあれこれ考えて、
「親子の縁は尊重しなくてはならない。
だったら、正直に事情を話して知らせることにしよう。」
結局そう結論付けて、この
息子の
「世の中ままならぬものだ。
大宮が死んでしまうことがあれば、喪の期間があるし、それを無視して儀式をすればそれも罪深いことだ。
生きてるうちにこのことを伝えよう。」
と思って三条の
*
この身分となってはいくらお忍びでとは言っても、行幸の時みたいに立派な装いで、よりいっそう光輝いて見えます。
その姿はこの世のものとも思えないもので、それを有り難く拝見する
脇息に寄っかかって弱々しくはあるけど、言葉ははっきりとしています。
「見たところそう悪くなさそうですが、うちの中将の朝臣がすっかり動転して、大袈裟に騒ぎ立てていたので、どうなっているのかと心配してました。
内裏でさえ特別な用がない限り行くこともなく、太政大臣としての仕事も果たさずに引き籠っていたので、こうして会うのもどうも落ち着かないし、難儀に思えてしまいます。
年齢的にはもっと上の人で、腰が折れ曲がっても政務に勤めている例は昔も今もありますが、どうしようもない愚か者なんですっかりものぐさしてしまって。」
「年を重ねたことで病気は仕方のないことといえ、もう何ヶ月もこの状態で、年も改まったというのにもはやこの先長くないと思うと、もう二度とあなたには会えないと思って心細かったのですが、今日こうして会えてまた少し寿命が延びた気がします。
今さら惜しむような歳でもありませんが。
生きていかなくてはならなかった人が先に逝ってしまい、こうして取り残されて世の末までも生きながらえてるのを、自分で言うのも何ですが良いこととは思われません。
それで後生への旅立ちの準備を急ごうと思ってるというのに、あの中将がとにかく可哀想でいつも良くしてくれるのにあんなにも思い悩んで心休まることがないのを見るにつけても、それが心残りなもんで今でも死にきれずにいます。」
そうただ泣くばかりで声が震えているのもみっともないけど、事情を思えばとにかく気の毒なことです。
昔のことや今のことを含めていろんな話をしたついでに、
「内大臣は毎日殿上に登り忙しそうだけど、何かのついでに会うことができたら嬉しいんだが。
何とかして知らせなくてはと思うことがあるんだけど、何か別の口実がないと会うことが難しくて、どうしようかと思ってるんだ。」
「仕事の忙しさは私にはその方面のことがよくわからないんで、伝えたいことというのは何でしょうか。
中将のことを邪険に扱ってるということでしたら、
『最初はそうでもなかったんだが、今二人を引き離しているけど、一度立ってしまった噂は消すことができないばかりか、かえって馬鹿みたいに噂は広まるばかりだ』
なんておっしゃって、一度決めてしまうと後に引かない性格の人ですから、納得いかないのは無理もないと思います。」
中将のことだと思ってそう言うと、源氏は笑って、
「言ってもしょうがないけど、許してもらえることもあるかと聞いて、密かに頼んだことはあったけど、とにかく厳しい忠告を受けてしまって、もうこれ以上言っても関係がぎくしゃくするだけで言わない方が良かった。
どんな罪にでもみそぎというものがあるんで、何とかきれいさっぱり洗い流してくれるのかと思っていたけど、既に汚れてしまった水にいつかきれいな水が出てくるのを待っててもしょうがないのは世の常だ。
何事も後になればなるほどランクが落ちて行くもんで、結婚相手も同じだ。
内大臣も残念なことをしたもんだ。」
で、そう言ったあと本題を切り出します。
「そのことではなく、内大臣に知らせなくてはいけない人を、いささか手違いがあって、急に面倒見ることになって、その時は間違いを指摘する人もなかったから、身勝手にどういうことなのか調べてみもせず、自分に子供が少なかったもんだからこれ幸いと、まあつまり自分一人納得して、そんなに親しくもせずに年月が過ぎて、それをどこで聞いたか内裏から出仕の要請が来たんだ。
それで家柄も高く宮中での評価もそれなりにあって、家の外へ出ても問題なさそうな人が昔からこうした役に付いている。
頭が良くて仕事ができる人を選ぶなら、そんな高貴な人でなくても長年キャリアを積んだ人もいいんだけど、それすら見当たらないとなれば、世間で評判のいい人を選ぼうということで、私の方に打診があって、まあ、不相応というわけでもないし、断る理由もないとは思うんだ。
女の宮廷への出仕は女御更衣など然るべき地位に着いて、出自が良くても悪くても御門の寵愛を得る所に意味がある。
ただ公務として宮中の仕事をし、行事などを趣向を凝らすだけというわけでもないなら、軽い扱いのようにも見えても、そうでもないなと思えてね。
ただどうなるかは結局その人次第なんだと、ちょっとばかり弱気になってしまってな。
年齢などを尋ねると、あの大臣が探していた人だということがわかったんで、どうするべきかと内大臣にきちんと説明したい。
何かのついででなければなかなか会うこともできない。
すぐにでもこういう事情なんだとはっきり言わなくてはと思って、手紙を差し上げたんだけど、母の病気のことを理由に面倒くさがって断られたんだ。
確かにタイミングが悪かったと思ってたけど、御病気の方が良くなられたんなら、せっかっく思い立ったんだからこの機会にと思います。
そのように伝えて下さい。」
「どういうこと?どういうことなんですか?
あちらでは娘だといろいろ名乗ってくる人を片っ端から拾い集めてるというのに、どうして本当の子がそんなふうに間違ってあなたの子になったんですか。
最近になってからのことでしょうか。」
「これにはわけがあるんだ。
詳しい理由はあの大臣が自分から聞いて来るでしょう。
下級貴族との複雑な関係のようなもんで、明らかにしようにもそれが雑に人に伝わっても困るので、中将の朝臣にすらまだ知らせてはいない。
絶対人には言わないでくれ。」
と固く口留めしました。
*
「あんな寂しげな所で、どうやってあんな最高の位にある人を待たせてるというんだ。
車を誘導する人達を大勢でお出迎えしたり、大臣に相応しい席をきちんと用意できる人もいないだろうに。
息子の中将だって一緒に来ているはずだ。」
と、とにかく大慌てで息子の殿上人は、側近の殿上人などを向かわせました。
「酒やおつまみになるナッツ類など大臣に相応しいものを見繕って持って行かせろ。
俺もすぐ行かなくてはならないが、一緒に行くと大騒ぎになる。」
などと言ってる時に
《六条の大臣がお見舞いにいらしてます。
寂しそうにしてますが、人目に付くのも望まず、歓待にも及ばぬことで、大袈裟にではなく、ここにいるのを知らずに来たかのように来てください。
会って話したいことがあるそうです。》
とありました。
「何の話だろう。
あの姫君のことで中将がなんかやったのか。」
と思うに、
「宮も先行き長くないし、結婚を切に望んでいて、源氏の大臣もそんな高圧的でなく一言丁重にお願いしてくれれば、そんな拒む理由もない。
あの息子の方も気のない素振りで冷たく振る舞われてしまっても面白くない。
源氏の大臣の頼みとあらば、それを受け入れる形で許してやろう。」
と思います。
「源氏と宮が示し合わせて頼むんだな」と想像が付くものの、「ならますます断りにくいが、だからといって言いなりになるのも」と迷うあたりは、意地悪な気持ちも抑えられず困ったことです。
「それにしても、宮が言うには、大臣も会って話したくて待っているというのも、お互い気まずいな。
とにかく行ってみて、相手の出方を見て決めよう。」
そう思って、装束を特別立派に整えて、車の先導などもそんな大げさにせずに三条へ行きました。
息子や使用人の公達をたくさん引き連れて入って行く様は物々しく、堂々たるものです。
背丈は聳えるかのように高く、貫禄もあって、とにかく威厳があって面構え、歩く姿、いかにも大臣然としてます。
ただ、光り輝いてはいるものの、こうしっかりと身なりを整えた
公達が次々にやって来て、どれもいかにも立派そうな一族家臣が勢ぞろいしました。
弟の
何気にさりげなく、名高い高貴な殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将・少将、弁官などそれ相応の地位についた華やかな者たちが十人以上も集まれば壮観で、それに従う下級貴族もたくさんいて、たくさんの杯が次々と配られれば皆酔いが回って来て、口々に
酒なども勧めます。
「見舞いに行かなくてはいけなかったんだが、呼ばれてもいないのに行くのはどうかと思ってな。
後れて参ったのは勘気蒙る所だな。」
「叱責を受けるのは私の方で、勘気に値することが多々あります。」
などと、罪科を仄めかすと、
「昔から公私にわたって分け隔てなく大きなことも小さなことも相談してきたし、二枚の羽を並べるように朝廷の補佐を務めてきた仲だと存じてます。
今となっては昔の残念な出来事を時折思い出し、大変プライベートなことなんですが、この昔からの仲を損なわないことを願います。
こうして年を重ねて行くと昔のことが懐かしく思い出されますが、なかなかこうして会って話すことも滅多になくなり、こうした限られた機会に大儀とは思われますが、親しい仲なので格式張らない形で訪ねて来てほしかったのにと、残念に思うこともあります。」
「昔は確かに馴れ馴れしく、かなり失礼なことでも気にせず、分け隔てなく会うことができました
ですが、最初に朝廷に仕える時は羽を並べるなんてとんでもない、物の数でもないと思ってまして、有り難いお引き立てがあってこそ非才なこの身もこのような位にまで登り、今なお朝廷に仕えるにあたってもその御恩を忘れたことはございません。
こう年を取ってまいりますとなかなか怠惰になることも多いので、今日は気を引き締めてと思った次第です。」
この隙に何とかと、
「それはそれは、とにかく感慨深い奇跡とも言うべきことですな。」
とまずは涙ぐんで、
「昔からどうなってしまったのかと心配して探してたもので、悲しみに耐えきれず、何かのついてに、愚痴って聞かせたこともあったと存じます。
今はこの通り、少しは私めも大人になりまして、娘だと称する何かパッとしない人もあれこれ現れては来て、いかにも見苦しくお恥ずかしい所ですが、まあそうした娘でもたくさんの子供達の一人と思うとかけがえのないものと思うにつけても、探してたその子のことがまっ先に思い出されます。」
そのあと、昔の雨の夜に語ったいろんなことを思い出しては、泣いたり笑ったり、すっかり礼儀も忘れて昔のように語り合いました。
すっかり夜が更けた頃、散会となりました。
「こうして訪ねて来てせっかく会えたのだから、このまま帰りたくないという気持ちにもなります。」
そうそう滅多に弱気にはならない
さめざめと涙を流す尼姿はまた全く別のものです。
なかなかない機会ですが、
何の気遣いもなかったと思うと、そこに口をはさむことも良くないと思い、黙ってましたが、
「夜なので送っていくべき所だが、いきなり大騒ぎになったとしてもいけない。
今日のお礼はまた別の機会にしたい。」
「ならば、宮様の病気も小康状態のようなので、
と約束しました。
双方とも上機嫌で、それぞれ帰って行く物音が響き渡り、なかなか壮観です。
「何があったんだ。
滅多にない御対面で、なんかいいことあったんだろうか。」
「何か取引でもあったのかな。」
など勘繰る程度で、あの女のこととは思いもよりませんでした。
「言われるがままに受け取って親となるのも面白くない。
あの娘を探し出したその動機を考えると、まともに親として純潔を守るようなことはすまい。
立派な妻達が既にいるから、それを考えると勝手にその妻達の中に加えることもできないし、 それなりに悩んだ末に外聞も考慮して、こうやって打ち明けてきたんだろう。」
そう思うと悔しいものの、
「だからといって娘に罪があるわけではない。
このまま源氏との関係を続けさせても、こちらが非難されることはないだろうし、
宮中に出仕してくることになると、うちの女御やその母方の方が面白く思わない。」
とは思うものの、
「とりあえず、あちらの決定通りに裳着の儀をするしかないだろう。」
と結論付けるのでした。
そう言っていたのも二月の初め頃のことでした。
二月十六日が彼岸の入りで、これが一番の吉日でした。
その前後に特に吉日がないと陰陽師にも言われて、
「暖かい心遣いは実の父がいるとはいってもありがたいこと」
と思ってはみるものの、実父に会えるのがうれしくないはずもありません。
そのあと息子の
「変だと思ってたけど、実の親ではなかったならなるほど。」
と納得しつつ、あれから音沙汰ない
まあそれでも、「そんなこと考えちゃいけない、そんな浮気なことではいけない」と反省する辺りは稀に見る真面目な人です。
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