第73話 行幸2 裳着

 「ついに親子の対面。」

 「二月の中頃が彼岸の入りって、結構最近なかったっけ。」

 「あったような、なかったような。」

 「寛弘の終わり頃になかったっけ。」

 「寛弘九年、長和に変わった年。」

 「そうだったかな。よく覚えてない。」

 「まあ、源氏の所にいて、自分の娘でないと知ってたなら、当然疑うよな。」

 「で、結局寸止め状態なの?」

 「すんなり返すかな。怪しいな。」


 藤式部

 「まあまあ、いろいろ疑念はあると思うけど、さてどうなるか。

 始まり始まり。」






 こうしてその日になって三条の宮から密かに使いの者がありました。


 櫛を入れた箱を急遽設えて、その他の贈り物も綺麗に整え、手紙には、



 《本来こうした席では忌むべき尼の身なので、今日は表には出ることはありませんが、それでも手紙くらいは私の長寿にあやかって、目出度い席にも許されると思います。

 いろいろ悲しい事情があったこともお聞きしまして、私の孫であることが明かされたことをどう受け止めていいやら。

 あなたのお気持ちを考慮して、それに従いたいと思います。


 いずれにせよ私の孫の櫛の箱

    二重底でも離れることなく》



 古めかしい字体で震えるような文字は、源氏の大臣ミツアキラもそこにいて贈られてきた品々を確認してる時だったので、この手紙を見て、

 「時の重みを感じさせる立派な手紙なのに、それが思うように書けなくなったのはいたわしい。

 昔はもっと上手だったんだが、年を取れば、衰えていくのもんなんだな。

 やっとのことで書いたって感じだ。」

と何度も読み返し、

 「うまくこの立派な懸子かけごという二重底の櫛箱に掛けて詠んでいるな。

 みそひと文字をこんなに無駄なく使うというのは難しい。確かに俺も義理の息子だから俺の子だとしても孫には違いない。」

と、一人ほくそ笑むのでした。


 南西区画の中宮アマネイコの方からも白い裳や正装の唐衣からぎぬ、装束、髪飾りなどはどれも二つとないもので、それにいつもの壺には中国製の薫物の特に香ばしいものが贈られました。


 他の妻達も皆思い思いに女房達の装束を作ってやり、櫛や扇までいろんなものを支給されたその姿はどれも見劣りすることなく、何から何まで意匠の限りを尽くして競い合っている

のが面白いものです。


 二条院東院の人達の方もこうした急な連絡を受けてまして、空蝉キギコの方は尼なので目出度い席に尋ねて来る立場にもなく受け流すだけでしたが、常陸の宮の女君ナギコの方はなかなか律儀にこういう儀式を軽んじることのない昔気質な人なので、急な連絡にも他人事とは思わずに形式だけでも贈り物をしてきました。


 ただ、少々残念な心遣いでもあります。


 喪服みたいな青味のある暗い灰色の細長ほそながの一揃い、落ち栗色というのか、そうした色の昔の人が好んだあわせの袴が一揃い、色あせたような紫の霰模様の小袿こうちぎを立派な衣装箱に入れて、これまた立派な布で包んで送ってきました。


手紙には、



 《わざわざ知らせてもらうほどの身分でもありませんが、ささやかながらこうした折に何もしないのも何でして。

 これはとにかくつまらないものですが女房達にでもやってください。》



とまあ、他意はないようです。


 源氏の大臣ミツアキラはそれを見て何ともトホホで、いつものことだと思いつつも顔から火が出そうです。


 「いつの時代の人なんだよ。

 ああいう人との接触がなくて今の常識のない人は、おとなしく引き籠っていれば良いのに。

 こっちが恥ずかしくなる。」

 そう思って、

 「礼はしなさい。

 向こうも格好がつかないからな。

 あれの父親は親王で、いろいろ悲しいことがあったことを思えば、そこいらの殿上人と同列というのも可哀そうだ。」

玉鬘ルリに言います。


 小袿こうちぎの袂にまた、一つ覚えのような唐衣の歌が添えられてました。


 《この私の身が辛いです唐衣

  君のたもとにないと思えば》


 字体は昔と変わらず、いかにも畏まったように止はねきっちりと、楷書のように四角四面に書いてあります。


 源氏の大臣ミツアキラは呆れるを通り越して笑ってしまいます。


 「どうやってこの歌を詠んだんだか。

 そうでなくても今は助言する人を置いておくような余裕もないだろうに。」

と気の毒にも思えます。


 「では、この返事は忙しくても私がしよう。」

と言って、相手が快く思わない言わなくても良いようなことですけど、鬱憤を晴らすかのように書きなぐって、



 《唐衣また唐衣唐衣

    返す返すも唐衣だな》



 「本人は大真面目で、唐衣から『たもと』『そで』といった言葉を導き出すのがあの人の好む歌風だから、お返ししてあげよう。」


 そう言って見せると玉鬘ルリは顔を真っ赤にして笑い、

 「可哀想でしょ。

 まるで私がいじってるみたいじゃないですか。」

と呆れてます。


 まあ、どうでもいいことではありますが。


   *


 内大臣ナガミチは別に急ぐ必要もないのに、あんなとんでもないことを聞いてしまったあとは早く会いたいと気がせくばかりで、かなり早めにやってきました。


 儀式なども通常あるべきことのほかに色々目新しいことを付け加えてました。


 「なるほど、わざわざそういう心を見せつけようというわけだな。」

と思うものの、それにしてはどこかよそよそしくもあり、違和感を覚えます。


 夜も遅い亥の刻に御簾の中に案内されます。


 儀式の準備は整えられていて、内大臣の席も二つとない立派なものに設えてあり、酒と肴も用意されてます。


 御殿油おおとなぶらは通例よりも少し光を強くして、しっかりと姿が見えるように配慮されてます。


 やっと会えて抱きしめてやりたい気持ちでも、今夜はあらたまった儀式なので衝動を抑えて腰紐を結ぶと、もはや気持ちを抑えられない様子です。


 「今宵の儀式では昔あった出来事のことを話してないので、来ている人達は何のことかもわからないことでしょう。

 事情を知らない人達の手前、いつもの作法で儀式を遂行してください。」

と申し上げました。


 「確かに。

 今申し上げることはございません。」


 土器かわらけに酒を頂くと、

 「大変恐縮ですが、今だかつてないほどの立派な裳着を行っていただきながらも、今まで娘のことを隠していたやるせない思いを言わないわけにもいかないでしょう。


 恨まれるは沖の玉藻の裳来もぐるまで

    磯に隠れてた海士の心よ」


と歌うと涙の潮を隠しきれません。


 姫君ルリはとにかく気後れするようなそうそうたる方々の集まる席で委縮してか、何も言えなければ源氏の大臣ミツアキラは、


 「寄る辺なく渚に打ち上げられてたら

    海士も見捨てた藻屑と思う


 隠れてたなんて何を根拠に。

 心外です。」

と返すと、

 「まあ、そういうだろうな。」

とそれ以上何も言わずに儀式の場を出ます。


 親王や殿上人達も皆次々と残るらずここに集まってきてました。


 玉鬘ルリに思いを寄せる人も何人も混じっていたので、内大臣ナガミチが御簾の内に入ったままいつまでたっても出て来ないのを不審に思ってました。


 内大臣家の頭の中将ミチヨリ弁の少将ムネヨリだけは、何となく事情が分かってたようです。


 密かに思いを寄せてたので、兄弟だと知るのは残念でもありますが、嬉しい気もします。


 弁の少将ムネヨリが、

 「求婚しなくて助かったじゃないか。

 あの大臣にいいように弄ばれる所だった。

 中宮と同じように宮中へ送るんだろうな。」

などと囁いてるのが源氏の耳に止まり、

 「なおしばらくは用心して、世間の誹りをうけないように扱ってくれ。

 どんなことでも口の軽い奴がいて、べらべら言いふらしたりして噂が広まるもんだ。

 俺もあなたもそれで人に何やかや言われてたりすれば普通の人とは違って足を掬われかねないからな。

 波風立たないように少しずつ人に慣れさせてゆくのが良いと思う。」

内大臣ナガミチに言うと、

 「ほんと、その通りにしたいものだ。

 これまできちんと見守って、人目に触れないようにしながら立派に育て上げてくれたのも、前世の深い縁でもあったのでしょう。」

と答えます。


 返礼の贈り物なども言うまでもなく、引き出物や禄は皆列席者の身分に応じて、慣例で一定の範囲は決まってるものの、それよりやや上を行く通常以上のものを振る舞いました。


 大宮ムネコの病気への配慮もあったことから、盛大な音楽などの宴は行いませんでした。


 兵部の卿の宮は、

 「成人が済んだのでいまは断る口実もないかと思います。」

と結婚の話を迫りましたが、

 「内裏の方から出仕の要請があるので、それを辞退するにしても、重ねて仰せがあったならそれに従うしかない。

 その上でまた改めて考えなくてはな。」

との返事です。


 実父の内大臣ナガミチは、

 「ほんの少ししか見ることができなかったが、改めてまた会いたいものだ。

 何か難でもない限り、ここまでずっと勿体付けて隠しておく必要もなかっただろうに。」

などと、どうにも気が気でなく、もう一度じっくり会いたくてしょうがないようです。


 今になって、かつて見た夢に占い師が言ってた、「全く知らなかった子が、誰かの子だった」というのが現実になったと思いました。


   *


 弘徽殿の女御ツヤコだけはこの事情をはっきり聞かされてました。


 世間で噂にならないように、しばらくは黙っているようにきつく口留めはしていたものの、必ず漏れるのは人の世の常です。


 どこからか自ずと情報が洩れて次第に広まって行くと、あの早口な姫君タカヒメコも知るところとなり、弘徽殿女御ツヤコ頭の中将ミチヨリ弁の少将ムネヨリの揃ってるところにやってきて、

 「大臣殿は娘を見つけ出したという話ですね。あーーほんとお目出度い。凄いじゃないの太政大臣と内大臣両方が後ろに付いてて。聞く所によるとあっちも身分の低い女から生まれたっていうし。」

と誰憚ることなくまくしたてれば、女御ツヤコもこれは痛いなと思って何も言い返しません。


 頭の中将ミチヨリは、

 「そりゃあ、大事にされるだけの理由があるからそうしてるんでしょう。

 それにしても誰がそんなこと言ったのか、いきなり言われてもな。

 口の軽い女房などに聞こえちまうだろ。」

と言えば、

 「お黙り。

 みんな言ってることでしょ。尚侍ないしのかみになるんだってね。宮使いに出すから急いで準備しろっておっしゃってたのであたしのことばかりだと思ってましたのに他の女房達のしないようなことまで一生懸命やって来たというのに姫君様はひどいではないですか。」

と文句を言ってるのを、みんな苦笑しながら、

 「尚侍ないしのかみといったら従三位。

 そんなポストが空いてたら俺だってなりたいところだ。(弁少将は五位、頭中将は四位です。)

無茶言うなよ。」

と言われると腹が立ったのか、

 「立派な御兄弟方の中にあたしなんぞの下賤の者は混じるなってことなのね。中将もひどいですわ。勝手に迎えに来ておいてそう言って人を小馬鹿にして。少将の方も、この家柄がなかったら昇殿なんて到底無理だってでしょ。あなかしこ、あなかしこ)」

と言うと後ろへ膝で歩いて行ってまっすぐ見つめます。


 不機嫌に目を吊り上げていても、何か憎めない感じです。


 頭の中将ミチヨリはこんなこと言われるたびに失敗したなと思うものの、真面目に聞いてます。


 弁の少将ムネヨリの方は、

 「そういうところなど、なかなか堂々と立派にふるまうあたりは、女御様も悪く思うことはない。

 どうか気をお静めなさい。

 堅い岩でも淡雪になって溶けて行くようにふるまえば、必ず望み通りの地位は得られます。」

とにっこり笑って言いました。


 頭の中将ミチヨリも、

 「堅い岩なら天の岩戸に籠っててくれた方が安心だがな。」

と言って立ち去ったので、近江の姫君タカヒメコはほろほろ涙を流し、

 「この公達さえもが皆素っ気なくしてただ姫君様の優しいお心遣いがあればこそこうしていられます。」


 そう言って気軽にいそいそと、身分の低い童女でもしたがらないような雑用に奔走し、何も考えずに飛び回るかのように精一杯奮闘して宮仕えをしては、

 「どうかこのあたしを尚侍ないしのかみにするよう頼んでください。」

と催促するのも見苦しく、何考えているのやらと思うものの何も言いませんでした。


 内大臣ナガミチがこの要望を聞くと、もう大笑いして女御ツヤコの所に来たついでに、

 「どれ、近江の君よ、こっちに。」

と呼び寄せると、「はい」と元気よく返事して出てきました。


 「よくやってくれてるようだから、宮仕えしてもばっちりだな。

 尚侍ないしのかみのこと、何でもっと早く俺に言わなかったんだ。」

などと真顔で言うとすっかり喜んで、

 「そう言おうと思ってたのですけどこの姫君殿がそのうち伝えてくれると内心期待してたのですが他の人がなるようなことを聞きまして大金持ちになった夢から覚めたみたいに胸に手を当てて動悸を抑えている状態です。」

と言います。


 その口ぶりはいかにもはきはきとしています。


 内大臣ナガミチは笑いをこらえながら、

 「そうやって他人に期待するのはお前の欠点だな。

 思うことがあるなら、まず誰よりも先に俺に言うと良い。

 太政大臣の所の女は一見安泰なようだが、俺が誠心誠意お前のことをお願いすれば御門も聞いてくれないわけではない。

 今すぐにも上申書を作成して、自分がいかに相応しいかビシッとアピールすると良い。

 女は漢文はNGだから、長歌の形を取って仕官の意思を見せれば、きっと読んでくださる。

 御門は人の心のわかるお方でおられる。」

などとうまいことなだめすかします。


 適当にあしらうあたり、これでも親なんでしょうか。


 「和歌の方は下手ながらも何とか連ねることはできるので本旨の方は父上殿より進言してくだされば所々に歌を添えることで父上のお力を借りることができればと思います。」

 そう言って、手を擦り合わせて懇願します。


 几帳の後で聞いてる女房達はもう死にそうです。


 笑いをこらえられなくなっては、部屋の外に出て、何とか凌いでます。


 弘徽殿女御ツヤコも顔を真っ赤にして見苦しいことになって、困り果ててます。


 内大臣ナガミチも、

 「むしゃくしゃする時は近江の君をみると気が紛れるな。」

と言ってただ笑い話のネタにしてますが、宮中では「娘の恥は親の恥なのに、娘だけを笑い者にしてごまかそうとして」など、いろいろ言われてます。






 「『干しがてに濡れぬべきかな唐衣乾くたもとの世々になければ』よみ人知らず、でしたっけ。」

 「前は唐衣に袖を濡らすで、今度はたもと。」

 「まあ、こういう型を覚えとくと、急に即興で歌を求められたときに便利と言えば便利ね。」

 「宮中の歌合わせとか、結構これで通るというか。」

 「自分の情ではなく、あくまで題詠で作り物ならこれでいいのかもね。」

 「こういうのって和歌の家系では親から学ぶものなの?」

 「多分ね。」

 「パターンだけ羅列して作るとさざなみ姫になる。」

 「なにげに和歌をちゃんと勉強してそうね。」

 「勉強し過ぎるとああなるって感じ。」

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