第66話 蛍2 絵物語
藤式部
「そろそろ梅雨入りで鬱陶しい季節になるけど、物語にはちょうどいい季節ね。
今回はそんな話から。」
梅雨が例年になくひどく、晴れることもなく退屈なので、女房達も絵物語などを眺めては書き写したりして日々を過ごしてました。
明石の
まして、西の対の玉鬘の
絵を得意とするお付きの若い者もたくさんいます。
様々な珍奇な人々の身の上など、虚実入り混じった伝承の中にも、「私みたいなのはないわね」と思いました。
『住吉物語』の姫君も、自分の直面したことと照らし合わせて、初瀬の導きとかは似てるものの、今の状況が全然違ている一方、
「ああ、うざっ。
女ってのは本を読むのを面倒と思わず、作り話に騙されるために生れたようなもんなんだな。
この中に真実何てほとんどないのに、それを知ってて他愛のない物語に感情移入しては作者の罠にはまって、このくそ暑い五月雨の髪の乱れも構わずに書き写しているなんてな。」
そう言って笑って、また、
「まあ、こういう世に古くから伝わるものでもなければ、うっぷんを晴らすこともできない今の退屈凌ぎくらいにはなるか。
そうは言っても、この嘘ばかりの中に、まるで本当にあったかのような感情を呼び起こして、きちんと構築された筋書きで、現実の役に立たないと知りながらも感動させられて、美少女が曇らされてるのを見ると、何か気になっちゃうもんだ。
また、こんなこと絶対ないなんて思うような大袈裟に表現に目を奪われていても、冷静に読み返してみると、癪だけどその面白さになるほどと思うこともある。
この頃、幼い姫君に女房が読み聞かせしてるのを時々立ち聞きするんだけど、うまいこと言う人も世にあるもんだな。
嘘をつくことに慣れた人が、その調子で語っているのかと思ったが、そうなんだろう?」
そう言うと、
「確かに、息を吐くように嘘をつく人はそんなふうに思うのでしょうね。
ごめんなさい、本当のことを言っちゃった。」
と言って、筆を置きました。
「失礼、言いすぎちゃったかな。
物語は神代より実際に起きたことを記したものだ。
『日本書紀』などはその一つだな。
絵物語の方はそんな詳しくないのでわからない。」
と言って笑いました。
「誰のことを話すにしても、そのまんまということはない。
良いにつけ悪いにつけ、その人の生涯を、飽きさせないような面白い話や聞き捨てならないことなど、後世に伝えたいことだけを切り取って、心に秘めておくことができずに言い残そうというところから書き始めるものだ。
その人を讃えようとすれば、これでもかと良いことばかり切り取ったりして世評を気遣ったり、悪事を描く時は稀に見るようなことをばかり寄せ集めたり、どれもそれぞれその一点だけ見れば、嘘とは言い切れないだろう。
余所の国の王朝の話は書き方が違うし、同じ日本のでも昔は漢文で今は平仮名で絵まで付けて、表現方法もいろいろ違う。
深いか浅いかの違いはあっても、単純に嘘と片付けてしまうのも、趣旨を取り違えることになる。
仏典のような、とにかくご立派な心掛けを説いてる仏法にも方便というものがあって、悟ってない者からすればどれもこれも有り得ないことばかりで疑ったりするもんだ。
『方等経』という大乗仏教の経典は特にそういうのが多いが、結局のところ一つの主旨があって、悟りの理想と煩悩の現実のギャップについて、善人と悪人に喩えて述べてるだけのことだ。
良く言えば、物語はどれも無駄ではないということだな。」
と物語をわざとらしく持ち上げてそう言います。
「さて、こうした古い言葉の中に、俺のような愚直な者の物語はあるかな。
どうしようもなく愛想のない姫君で、あなたの心のようにつれなくていつも知らん顔をしているこんな男女の仲なんてないよな。
こういうことこそ、前代未聞の物語として後世に伝えて残さなくては。」
と顔が近いので、襟の中に顔を埋めて、
「そうでなくても、こんな珍事はすぐにでも、噂話になってしまいますよ。」
「なるほど、珍事とな。
道理でまたとない気分になるはずだ。」
と言って更に寄って来ては、戯れの歌を詠みます。
「恋しさに昔の例を探したが
子が親に背く例はなかった
親不孝は仏道でもきつく戒めてる。」
そう言うと顔を伏せたまま髪をかき上げて、いかにも怨念のこもったように絶え絶えに、
「昔の例探したけれどなかったの
こんなことする親心なんて」
そう言われれば、さすがに自分が恥ずかしくなって、このまま乱心ということもありませんでした。
これからどうなって行くのでしょうか。
*
『
明石の小さな姫君が何の愁いもなく昼寝している所など、ついつい昔の自分を重ねて見てしまいます。
「物語ではこんな子供だって、すぐに悪い遊びを覚えたりしてた。
俺なんか、模範的な育て方で、君なんぞも他の人とは違って何の心配もなかっただろ。」
そんなことを言いだします。
なるほど、滅多にないくらい娘に手を出してきたものです。
「幼い姫君の前なんだから、こんな色恋の物語など読み聞かせては駄目だ。
密かにそういうことを覚えた娘の物語など、そんな面白いもんでもないが、その手のことが世間で普通にあると、当たり前のように思われてしまうのは危険だ。」
と実の娘は特別扱いでそう言うのも、
「物語の浅はかな女の真似なんて、見てて痛いだけですが、『宇津保物語』の『藤原の君』に出てくる
「現実の人もそんなんじゃないかな。
人それぞれみんな考え方とか違うんだし、適当な所で妥協しないとな。
それなりに親が手塩にかけて育てた娘が、天真爛漫なだけが取り柄の弱点だらけだと、どんな教え方したんだと、親の所業まで疑われるのは残念だ。
まあ、そうはいってもその人の品格が現れていれば、育てた甲斐もあり、自慢もできる。
言葉の限りこれでもかと褒めちぎっておいても、やることも言うこともこれといったそれ相応のものがないなら、期待外れになる。
大体人を褒めたりするには、褒める側もそれなりの人だから褒めることができるんだ。」
などと、ただ姫君の弱点を作らないようにと、いろいろ考えてます。
意地悪な継母の物語はたくさんありますが、それを読んで心を見透かされてもいけないと思い、姫君に見せる絵物語は厳選し、清書させて絵を描かせました。
*
息子の
「生きている間はどっちも我が子で面倒見れるが、死んだ後のことを思うと、やはり一緒にいて兄妹力を合わせていってほしいので、特別扱いで認めてる。」
そう言って南面の御簾の内に入ることは許してました。
台所など、女房達のいる所には許してません。
数少ない自分の実子同士の仲なので、特別大事に育ててました。
姫君の方がまだ子供のように雛遊びなどをしてる様子を見ると、
そこそこの身分の女性には、軽い気持ちで言い寄ったりすることはしょっちゅうですが、本気で受け止められることもありません。
本妻ではなくても妻の一人にはと気に留めても、すぐになおざりにしてしまって、いつまでも緑の袖と馬鹿にされたのを見返してやりたいという気持ちばかりで、あの
無理にでもしつこく結婚の意を
その一人の
「こっちは駄目でそっちは良いのかよ。不愉快だな。」
と取り合おうともしません。
何か昔の
ただ女の子の方はそうたくさんもいなくて、
あの
「どうなってしまったのだろうか。
女の子はどんな場合であれ、絶対目を離してはいけなかった。
誰かが勝手に自分の子だと言い張って、怪しげなやり方で触れ回ってやしないか。
どうであれ風の噂にでも聞こえてくれればな。」
としみじみ思います。
息子たちにも、
「もしそうやって人の娘を自分の子だと名乗ってるような人がいたら、見逃すな。
浮気心に任せて、悪いこともずいぶんやって来たが、これは違って、他の遊んできただけの女ではなく、圧力があってうまくいかず足が遠のいたところ、こんな滅多にない宝物を失くしてしまって、とにかく悔しいんだ。」
と、いつも言ってました。
しばらくはそれほどでもなくついつい忘れていた頃もありましたが、誰かが色々なことに付けても女の子の世話をしてるのを見て、自分にはそんなことができないのがとにかく情けなく、残念に思ってました。
ある時見た夢に、良く当たる夢占いの者を呼んで、聞いてみると、
「もしや、最近全く知らなかった子が、誰かの子として聞くようになったなんてことはありますまいか。」
と言われて、
「女の子が他人の子になることは、そうそうないことだ。
どういうことなんだろう。」
などと、今になって思うようになってのでしょうね。
「『住吉物語』の影響、自分で認めちゃったかな?」
「まあ、似てるところもあれば違う所もある。」
「まあ、全体の元ネタが『竹取物語』だし。」
「それにしてもナガミチ気付けよ。」
「自分の子だと言い張って触れ回ってる奴、すぐそこにいるじゃん。」
「まあ、我が子となると間抜けになるもんかも。」
「ナガミチ気付け。」
「鈍感男。」
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