第60話 玉鬘2 初瀬詣で
「九州編、早速書き写したわ。」
「なかなか人気で、うちでも読み聞かせ会をしたよ。」
「久しぶりにみんな筆が進んでる。」
「もう二十三十と写本が出来たんじゃない?」
「そのせいか、久しぶりにここも盛況ね。」
「昔の玉鬘に大分加筆され、新要素が加わってるので、昔のファンにも好評だし。」
藤式部
「今日はたくさん集まってくれて嬉しいけど、まだまだ御門があの状態だし、静かに聞いてね。
では始まり始まり。」
九条に昔知ってた人が今でも残っているというので尋ねて行くと、まず宿を確保します。
都の中とは言ってもそれなりの地位にある人の住んでるような所ではなく、よくわからない行商のおばちゃんや商人ばかりの所で悶々としながら秋にになってゆき、過去を思うも未来を思うも悲しいことばかりです。
今さら帰るのも気まずいし、あまり考えずに出て来てしまったことを後悔してか、一緒に着いてきた男達も一人また一人と逃げ出して、本国に帰って行きました。
安住の地もないまま、
「まあ、わたくしめのことはどうにでもなります。
あの方一人、身命を賭して、いつどこで死のうとも何ら支障はありません。
仮に地元で勢力を誇れたにしても、姫君をあんな連中の中に放り出していたなら、さぞ後悔してたことでしょう。」
そう慰めてから、さらに、
「神仏ならばあの大臣の所に導いてくれるかもしれません。
ここから近い所に八幡宮という、向こうでも参拝してた松浦、箱崎と同じ神社があります。
あちらを離れる時にも、いろいろ願を掛けてきました。
無事に都に帰れたのも、あの神社の霊験があってのことと、お礼をしなくてはいけません。」
そう言って、姫君を連れて石清水八幡宮に参拝に行きました。
その辺りに詳しい人に聞くと、そこに亡き父が昔親しくしていた高僧が
*
「この次は仏様ということでしたら、
それからすれば日本の中でご利益の無いはずはありません。
たとえ辺境の地に長く暮らしたにしても、姫君ならば恩恵のあることでしょう。」
ということで石清水の次は初瀬に向けて出発します。
順礼ということで、あえて歩いて行くことにしました。
長く歩くのに慣れてなくて、惨めで苦しいけど、言われるがままにただひたすら歩きました。
「どんな前世の深い罪があって、こんなふうにあちこちさすらっているのでしょうか。
私の親が既に亡くなっていたとしても、私のことを哀れに思うなら、いる所に連れてってください。
もし、世におはせば、御顔見せたまへ」
そう仏に祈ってはみても、親の姿の記憶すらありまえん。
ただ「生きているなら」とそれだけを願う悲しさに嘆き続けても、今現在の身の不条理に、あらためてその悲惨さを感るばかりです。
四日目の日も高く昇った頃、かろうじて
歩くともなく、何とか騙し騙しここまで来たけど、足を上げることもできないのが情けなく、仕方なく休むことにしました。
この時の一行は、一番頼りになる
出来るだけ目立たないようにしてました。
仏前のための
泊ろうとしてたら家の主人の法師が出てきて、
「ったく、今日は先約があるのにこんな大勢泊めようとして。
下っ端の女が勝手なことをするから。」
と怒ってるのを不愉快に思っているうちに、本当にその一行がやってきました。
この一行も歩いてきたようです。
品の良い女二人に下人も男女合わせてかなりの数です。
馬四、五頭に荷物を乗せて牽かせていて、身分の低い者のような恰好をしていても高貴な感じの男達もいました。
法師は、何とかここに泊まってもらおうと頭を掻いて歩きまわってます。
残念だけど、またほかの宿を探すのも無様だし面倒なので、姫君一行は宿の奥の方に行き、一部は外に隠れたりなどして、隅っこに固まりました。
布を垂らして仕切りにします。
この来た人達も先客に恥をかかせまいとしてるのか、随分と静かで、互いに遠慮し合ってました。
これがあの夜以来共に夕顔の君を恋て泣き暮してきた右近でした。
年月も過ぎて不相応な源氏の家での付き合いにどうにも馴染めずにすっかり疲れ果てていて、初瀬の御堂にたびたびやって来ていました。
こうした順礼に慣れていたので、簡単に考えていたけど、さすがに徒歩の旅はきつく、物に寄っかかって休んでいると、
お盆を自分で持って、
「これを姫君に持ってってくれ。
献立が揃わなくて、ほんと申し訳ないんだけど。」
と言う声を聞き、右近はこの人が主人ではないなと思って、扇子の隙間から覗くと、この男の顔をどこかで見たような気がします。
誰かは思い出せません。
まだ若かったころしか知らないので、太って日焼けして老けてしまうと、長年会ってない目にはちょっとその人だとはわかりません。
「三条、こっち来て。」
と呼ばれてきた女を見れば、これも見たことがあります。
昔住んでたところに、下人だったけど長く仕えて親しくしていて、あの下町の家に隠れ住んだ時も一緒にいた人だとわかり、なんか凄い夢でも見ているようです。
主人と思われる人はとにかく気になるけど、見るすべもありません。
悩んだ末、
「この人に聞いてみよう。
さっきの男も
なら行方不明の姫君もいるのでは。」
そう思い当たると、いてもたってもいられず、この布の向こうの三条を呼ぼうとしたけど、食事に熱中していて出てこなくてイライラするのも困ったもんです。
ようやく三条がやってきました。
「どういうことでしょうか。
筑紫国に二十年ばかりいた卑しい身分の者で、都人に知り合いはございません。
人違いではないでしょうか。」
砧を打って柔らかくした田舎臭い服を着て、すっかり太ってしまってますが、間違いありません。
自分も年を取って人のことは言えず恥ずかしいけど、
「よく見てよ。
覚えてるでしょ。」
と言って顔を見せました。
三条は手をポンと打って、
「
どこから来たんですか。
女君もいらっしゃるんですか?」
と涙がぼろぼろ溢れ出てきてぐちゃぐちゃです。
いつも見馴れてた三条のまだ若かった頃を思い出すと、離れ離れだった年月がどれくらいだったかと、また悲しくなります。
「乳母殿はいらっしゃいますか?
姫君はあれからどうなって、あと、アテキという人は?」
そう尋ね返すだけで、女君のことは、亡くなってしまったことを思うとがっかりさせたくもないし、嘘を言うわけにもいかず言い出せません。
「みんないますよ。
姫君も大人になってます。
まず乳母にこのことを伝えなくては。」
と言って布の奥に入って行きます。
みなびっくりで、
「そんな夢ようなことが、まさか。」
「急に姿を消して、薄情としか言いようのなく思ってた人に、こんな所で逢うなんて。」
そう言って、隔ててる布の外に出てきました。
向こう側にある右近の前にあった屏風なども完全に取っ払い、どちらも言葉もなく泣きました。
老いた
「私の女君はどうなってしまったのです。
この長い間、夢でもいる所を知りたいと大願を立ててきましたが、はるか遠くの土地で風の噂にも聞くことができないのがとにかく悲しくて、こうして生きながらえてるのも憂鬱なことですが、置き去りにした女君のあの可愛くて素敵な姿が成仏の妨げになるのも悩みの種で、生きているのやら死んでいるのやら。」
そうとりとめもなく言うので、昔その時言えずにいたことよりも、どう答えて良いのかで悩みながら、
「それがその、知っても今さらだと思わるかもしれないけど、あのお方はとっくに亡くなられてます。」
そう言うと二、三人咽び泣いて、これで良かったのかどうか悩みつつも涙が溢れてきました。
日が暮れると、この夜の
「一緒に行かないか」と言おうにも、お互いお供に連れている人達同志は知らない間柄だし、
三条と右近もともに遠慮し合う間柄でもないので、皆それぞれ出発しました。
右近はお付きの人達にわからぬように三条の一行を見ると、中に可愛らしい後ろ姿があり、身分を隠すかのようなみすぼらしい格好で、四月の衣更えで着るような薄い一重の衣の内側に入れた髪の毛が透けて見えて、その晴らしい髪を見せられないのが残念です。
可哀想だけど愛しく思えます。
*
多少歩きなれた人は、すぐに初瀬の御堂に着きました。
姫君も動かない足に難儀しつつも、初夜の座禅をする場所まで登りました。
とにかく騒がしく、参詣の人でごった返してました。
初瀬の御堂は東向きで、右近の部屋はその御本尊近くの南側です。
姫君の祈祷のガイドをする御師はまだ駆け出しだったか、遙か西の遠い部屋でした。
「もっとこっちに来なさい。」
と右近の側で探しに来た人がいて、
「こんな変な格好をしていても、今の大臣に仕えているので、こんなお忍びの旅行でも雑な扱いは受けないのは間違いないのよ。
田舎から出てきたような人はこうした所では、良からぬ生臭坊主に軽く扱われるのも困ったもんね。」
もっといろいろな話をしたかったのですが、大勢の大きな読経の声にかき消され、騒然とする声に促されて仏様を拝みました。
右近は心の中で、
「この姫君を何とか探し出したいとお願いしてきましたが、ともあれこうして見つかりました。
今思うのは、大臣の君も一生懸命探してましたから、この旅のことを報告しますので、どうか幸せになりますように。」
と祈るのでした。
諸国から田舎の人達がたくさん参拝しました。
この国の
物々しくその勢力を誇示しているのが羨ましくて、三条は、
「大悲観音様、他のことは何も言いません。
我が姫君を大宰府大弐の奥方か、さもなくばこの大和の守の奥方にして下さい。
三条めもそれなりに豊かになりましたら、必ず寄進をします。」
と指の先が額に当たるほど深く頭を下げて祈りました。
右近は、
「今のは問題ね。
ほんと、すっかり田舎に染まっちゃって。
頭の中将様は昔だってそれ以上の地位にいたではないの。
まして今は天下を動かしてる内大臣様でこの上ない立派なお方だというのに、姫君が受領ごときの妻?
そんな下の身分確定でいいの?」
「ああうざっ、黙ってて。
大臣のことも待って。
大弐の舘の上の清水山の観世音寺に参拝した時の豪華さは、御門の御幸にも劣ってなかったわ。
ああ、うざっ。」
そう言って額に手を当ててまた一心に拝んでました。
筑紫から来た一行は初瀬に三日間籠もろうと考えてました。
右近はそこまでは思ってなかったけど、せっかくの機会だからゆっくり話をしようと籠もることにして、右近の馴染みの宿坊の主人の大徳を呼びました。
仏様に願文を書く理由など、ここの人は詳しく知っているので、
「いつもの通り例の藤原の
しっかり祈ってくださいね。
その人がつい今見つかったので、その先のことのお願いということになります。」
それを聞くと法師も、
「それは賢明なことだ。たゆみなく祈れば必ず結果は出る。」
と言います。
とにかく騒がしい読経がこの夜ずっと続きます。
夜が明ければ右近のよく知る大徳の宿坊まで降りてきました。
ここで心置きなく話ができます。
「思いがけなく高貴な人に仕えることになって、多くの人をあれこれ見てきたけど、殿の奥方に匹敵するだけの美貌の人はいないと長年思っていて、今再会して大人になった姫君の美貌も当然ながら素晴らしいわね。
よほど育て方が良かったのか、こういう貧相な格好をしてても全く見劣りがしないのはなかなかないのよ。
源氏の大臣は父の御門の時代から身近にいる女御、后、そのちょっと下くらい人は残らず手を出して妻にしてきたけど、その眼にも今の御門の母親に当る亡き后と言われてた人と、明石から来た姫君の容姿が、こういうのを美人というんだとおっしゃるの。
ただ、比べたくてもその后様の方は見たことがないし、姫君は可愛らしいけどまだ子供で、これから先が楽しみってとこかな。
奥方の容姿なら、誰とも比べようがないと思うの。
殿も誰よりも愛してる人なんだけど、口に出してはなぜか美人の数に入れてないわね。
俺と張り合おうなんて君は何て我儘なんだ、なんて冗談で言ってたりして。
見てるだけで寿命が延びるような二人の姿に、他にそんな人いないんじゃないかと思ってけど、この娘はどこが劣ってるというの。
物には限度があるってもので、どんな美人でも頭から後光を放つわけではないけど、ただ、この娘は美人と言って良いと思う。」
とニコニコしながら眺めているので、老いた
「このようなお方を危うく卑しい所に閉じ込めてしまう所で、そんな勿体ないことをするのも悲しく、家も竈も捨てて少弐の娘息子たちとも離れ離れになり、今となっては未知の世界に思えるような京まできました。
どうかあなた様が早く良い所に連れてってください。
宮中で最高の地位にある人に仕えているのでしたら、自然といろいろな頼れる伝手もあることでしょう。
大臣になられたお父様にお知らせして、そこで暮らせるようどうかお願いします。」
当の
「いやまあ、私はそんなたいそうな身分ではないけど、ただ殿の近い所にいるだけのことで、何かの折に姫君をどうするのか聞いてみたのを覚えていてくれて、俺も探してるんだが何かわかったら教えてくれとおっしゃってたので。」
「そちらの大臣はたぐい稀なお方ではありますが、高貴な妻たちが何人もいると聞いてます。
まずは実の親の方の大臣に知らせて下さい。」
そう言うので、右近はあの日あの夜のことなど話して聞かせました。
「本当に忘れられない悲しい出来事だったので、あの方の代りに育ててあげたい。
子供が少なくて寂しいんで、自分の子を探し出したと余所の人には伝えてくれと、その頃からいった。
あの頃は深く考えることができず、いろいろ隠しておかなくてはならないことが多くて尋ねてもいけなくて、そのまま時が過ぎて少弐と呼ばれるようになったときも、名前だけしか聞いてなくて。
大宰府へ向かう折に殿に挨拶に来た日も、姿をちらっと見えただけで声もかけられなかったの。
その時も
それがまさか、そんな田舎で育つことになるなんて。」
このようにいろいろ語り合いながら、日がな一日、思い出話をしたりお経を唱えたりして過ごしました。
僧坊は参詣に集まる人の様子が見下ろせる場所にありました。
前を流れてる川は初瀬川といいます。
右近、
ふた本の杉の根元に来ないなら
布留の野原で出会えなかった
初瀬川早い時代は知りません
うれし涙に体まで流れそう
そう言って泣き出す姿も悪くはありません。
見た目はほんと見事なくらい清楚な美人だけど、田舎臭い武骨な所あったら玉に瑕となるけど、そんなこともなくこんなに立派に育てられて、と乳母には感謝の心でいっぱいです。
娘のほうは気高く、仕草などもこちらが恥ずかしくなるような高貴な感じがします。
筑紫も捨てたもんじゃないと見直してはみても、それだと今まで見た人がすっかり田舎に染まってたのが理解できません。
日が暮れるとお堂に行ってお経を唱え、その次の日もそうしました。
秋風が谷底から吹き上がり、とにかく肌寒くて、辛い人生を送ってる人たちの悩みは尽きないもので、そんな奇跡なんて起こるはずもないと思い悩んでたところに、右近の話の中で
初瀬を出る時も互いに泊まる宿の場所を確認し合いました。
再び互いを見失ったりしたら大変ですからね。
「そうだった。瑠璃姫。」
「玉鬘の瑠璃姫。懐かしいわ。」
「十年前くらい前に一部では結構受けてた。」
「源氏版かぐや姫。」
「竹から生まれたのを『落ちてきちゃった人』と言ってたもんね。」
「高貴な父を持つけど、筑紫や肥後へ流浪したという設定にして。」
「竹薮が九州。」
「月は宮中?」
「浄土のことでしょ。月の都というし。」
「浄土の瑠璃姫か。」
「略して浄瑠璃。」
「略さないでよ。」
「オモトって九州に残ったけど、右近もオモトなの?」
「
「
「
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