第58話 乙女4 六条院

 藤式部

 「今年最後の物語で、来年の玉鬘物語のための舞台となる六条院を完成させ、源氏の君の繁栄の頂点を演出しなくてはと思います。

 ではごゆるりと。」






 元旦は源氏の大臣ミツアキラも参内せず、長閑に過ごしました。


 良房の大臣が行ったという古事になぞらえて、七日の白馬あおうま引きの節会の日に宮中の儀礼を真似て、古事を基にいろいろ付け加えて厳かに行いました。


 二月の二十日過ぎ、朱雀院の上皇の御幸みゆきがありました。花の盛りには少し早いものの、三月は亡き入道の宮ヤスコの忌月なので早めに行いました。


 咲き始めた桜の色もなかなか風情があり、院の衣裳なども特別に美しく飾り立て、御幸に随行する上達部や親王以下が入念な配慮を行いました。


 お付きの者たちは青に桜襲さくらがさねの衣裳を身に着けます。


 御門は赤色の御衣おんぞを着ます。


 源氏の太政大臣も召集され、同じ赤色を着たので、御門みかどがもう一人いるのかと見まがうほどの輝きでした。


 お付きの装束やその他の用意もいつものものではない特別なものです。


 朱雀院も年を重ねて大変高貴な風格が備わり、姿といい仕草といい、その気品に磨きがかかってました。


 この日はあえて文人を招待せず、ただ才能のあると言われる学生十人を招待しました。


 式部省の試験になぞらえて、御門の御前で勅題を発表します。


 源氏の大臣ミツアキラの長男のカタトシがその試験を受けるという形になります。


 小心者の学生たちはどうしていいかわからず、取りあえず繋がれてない船に乗って池を漂いながら、詩想も浮かんできません。


 日も傾いてきて、音楽を奏でるたくさんの船が漕ぎまわり、同じメロディーを追いかけるようにヘテロフォニックを奏で、それが山風の響きと相まって、冠者の君カタトシは、


 「こんな試験がなかったなら、一緒に笛でも吹いて楽しめたというのに。」

と自らの立ち位置が嫌になります。


 鶯の声を真似たという『春鴬囀しゅんおうてん』の舞が始まると、まだ春宮だった頃の南殿の桜の宴で見た若き日の源氏ミツアキラの舞を思い出したか、朱雀院の上皇も、


 「もう一度あれが見られたらのう。」

と言うと、今や大臣となった源氏もその頃のことをしみじみと思い興しました。


 舞が終わると、朱雀院と源氏の大臣ミツアキラ土器かわらけの酒を持ってきました。


 「鶯の囀る声は昔ながら

     花に集まる人は変わった」


 この源氏の歌に院も答えます。


 「九重の霞みも遠い棲家朱雀院にも

     春は来てると告げる鶯」


 かつてのそちの宮は今は兵部卿になり、今上の御門の土器の酒を渡します。


 「春鴬の昔の曲を吹き伝えた

     囀る鳥の音はかわらない」


 そう力強く賀歌を捧げる心遣いはお見事です。


 「鶯が昔を偲び囀るは

     飛び回る花が色褪せてるのか」


と答える御門の姿も、この上なく風格を感じさせます。


 こうした歌は、この方々の内輪だけでの話だったのか、世間に広く知られることもなく、記録されることはありませんでした。


 船の上での笛の演奏だけでは楽所が遠く、音が薄いため、院や御門の御前に弦楽器を持ち込みました。


 兵部卿の宮は琵琶、内大臣ナガミチは和琴、箏は朱雀院のほうに配置され、七弦琴は当然ながら源氏の太政大臣ミツアキラに渡りました。


 演奏を促します。


 これだけのやばい名人の最高のテクニックを駆使した演奏は、喩えようもありません。


 その複雑なヘテロフォニックに合わせて歌を謡う殿上人もたくさん集められました。


 催馬楽の『安名尊あなとうと』を謡い上げ、次は『桜人さくらびと』です。


 空に朧月が浮かんで景色も面白くなったころ、中島の辺りのあちこちに篝火の灯る頃、この院や御門の演奏は終わりました。


 夜も更けてしまったが、こうして集まったついでに、朱雀院の母親である太后おほぎさいの宮のリューコの所へ素通りするのも忍びないので、帰りがけに訪ねて行きました。


 源氏の大臣ミツアキラも一緒です。


 太后リューコは待ってたかのように喜んで対面を許しました。


 もうすっかり年を取ってしまった様子でしたが、御門は自分の母の入道の宮ヤスコを思い出しては、 一方はこんなに長生きしてるのにと不条理に思います。


 「今ではこんなに年を取ってしまい、いろいろあったことも忘れてしまいましたが、こうして訪ねて来てくださったのも何とも恐縮で、今さらのように亡き院の時代のことを思い出します。」

 そう言って涙ぐみました。


 御門も、

 「あのころの人達は亡くなってしまった人も多く、未だに春になったという実感もわかなかった所を、今日は気がまぎれた思いだ。またこれからも。」

というと、源氏の大臣ミツアキラも、

 「改めて参上します。」

と言い足しました。


 すぐにでも帰りたがってるような様子に太后リューコは動揺を隠せず、

 「はっきり覚えてるわ。この世を支配する運命というのは消えないものなのね。」

と昔のことを悔やんでます。


 尚侍ないしのかみのハルコもそのことを静かに思い出しては思うこともたくさんあります。


 今でも何かの折につけては、わずかな伝手を頼って、ささやかながらも手紙を絶やすことはありません。


 太后リューコは朝廷に意見することが時々あって、官職や官位を決める際にその任命権のことであれこれ口を出しては、思うようにならないと「長生きしたばっかりに末法の世を見るとは」と昔の栄華が忘れられず、不満をぶちまけてます。


 年を取るにつれてますます意固地になり、朱雀院もやりにくく、辛い思いをしているようです。


 さて一方、冠者の君カタトシはその日見事な詩賦を作り、進士合格で擬文章生ぎもんじょうしょうから文章生もんじょうしょうになりました。


 長年勉強してきた人たちもたくさんいる中で、合格者は僅か三人でした。


 秋の司召つかさめしの徐目では五位の冠を得て、侍従になりました。


 あの姫君モトコのことを忘れたことはないけど、内大臣ナガミチにびしっとガードされていて冷たくあしらわれ、会うことままなりません。


 季節の挨拶程度の手紙を書くだけでお互いにやりきれない様子です。


   *


 源氏の大臣ミツアキラは落ち着いて暮らせる住まいをと考え、先のことを考えるならいっそこのと、辺鄙な嵯峨の山里に住んでるあの人ナミコなども一緒に住めるようにと、かつての御息所タカキコの住んでた六条京極辺りの四区画を全部使って造営することにしました。


 式部の卿前の兵部卿が年が明けると数え五十になるそのお祝いのことを二条院の女君サキコも考えていて、源氏の大臣ミツアキラも「それを逃す手はない」と思い、だったらその準備という意味でも、真新しい家で行えるよう、急ぐように言いました。


 年が改まってからは祝賀奉納の準備、奉納明けの精進落しの饗宴、そのための楽師や舞い手の選定など、心を込めて行いました。


 奉納する経典や仏像、それに法事の日の装束や僧侶への禄などは、女君サキコが準備しました。


 東院の方にも準備の分担がありました。


 両姫君の仲は今まで以上に優雅に手紙などを交わして過ごしてます。


 宮中でもその噂が知れる程の大掛かりな準備なので、式部の卿の耳にも入り、


 「源氏は宮中へは如才なく愛想振りまいてるが、俺には意地悪で薄情で、何かにつけて辛く当たり、俺に仕える者にも何もしてくれないし、惨めな思いばかりしてきたあの頃のことがあって、その時のことを恨んでるのだろうか。」

と、本当に気の毒でむごいことになってましたが、自分の娘が源氏の思いを掛けた人の数ある中で、とりわけ一番に思ってくれてるのは、なかなか憎いというか願ってもないことで、このように大切にされている前世の縁は、我が家にまでは及ばなくても名誉なことだと思います。


 一方、

 「こんな宮中どこもかしこも騒ぐほどの準備をしてるなんて、この年になって思いもよらない栄誉もあるもんだ。」

と喜んでいるのを、女君の義母である奥方の方は「何かむしゃくしゃするし不愉快だわ。」としか思えません。


 式部の卿の二番目の娘が女御として入内する時も、源氏の大臣ミツアキラが何もしてくれなかったことでも、恨みつらみの積もり積もってゆくことになったのでしょう。


   *


 八月に六条院が完成し、引っ越すことになります。


 四区画が田の字型に並び、その南西区画は元々六条御息所の娘の今の中宮アマネイコが住んでいたところなので、そのままそこにいます。


 南東は源氏の大臣ミツアキラの住む所になります。


 北東は今まで東院に住んでいた人たちが暮らし、北西の区画は明石の女君ナミコを呼ぼうと思ってます。


 元からあった池や築山も、新しい住まいに合わせて作り変えて、水の趣き、山の配置などを手直しし、それぞれ住む人の望むような風情になるように作らせました。


 南東の区画は山を高くして、そこに春の花咲く木をこれでもかと植えて、池もそれを映すように配置し、寝殿前の前栽には五葉松、紅梅、桜、藤、山吹、岩ツツジなどの春の景物ばかりにはせずに、秋の前栽を所々混ぜたりしました。


 中宮アマネイコの区画は元からあった山に紅葉すると奇麗な植木を何本も添えて、澄んだ泉の水が上の方から流れるようにして、水のせせらぎの音のよく聞こえるように岩を並べ加えて、滝を作り、その手前に広々とした秋の野原を再現し、その頃になれば盛大に咲き乱れるようにします。


 嵯峨野の大井川の辺りの野山などもみすぼらしく見える程の秋の景色になります。


 北東は涼し気な泉があり、夏の木陰をイメージしてます。


 寝殿前の前栽には呉竹の下風が涼しく吹いて来るようにして、木高き森のようになるようにたくさんの木を深く茂るように植えて山里のようにして、卯の花の垣根を端から端まで張り巡らし、昔の人の香がするという花橘、それに撫子、庚申薔薇、牡丹などの花をいろいろ植えて、春秋の木や草もその中に混ぜています。


 正門のある東面は馬弓などを楽しむための馬場殿を作り、柵を廻らし、端午の節句の遊び場にし、水のほとりには菖蒲を植えて茂らせ、その向かい側を馬屋にして、最高の名馬を飼育します。


 西北の区画は北側を区切って倉庫の並ぶ区画にしています。


 その境界の垣根には松の木が茂り、雪が積もった時に綺麗になるようにします。


 初冬の朝には霜の降りる菊のまがき、時雨に我が物顔の柞原ははそはら、それに大原の里のように名も知らぬ深山の木々を鬱蒼と茂らします。


 ちょうど彼岸の頃、引越しになりました。


 一遍にやろうと思ってたけど、騒がしくなりそうだからと言って、中宮アマネイコは少し後からになりました。


 例のおっとりしている気弱な花散里ノブコは、当日の夜一緒に引越しします。


 女君サキコの住む所の春の調度装飾は季節外れだけど、それでも並大抵ではありません。


 牛車十五台、先導役は四位五位の人が中心になり、六位殿上人などは相応の人だけを選びました。


 過分なことは慎み、世間の批判もあるかと大分質素にして、何事にも大騒ぎしたりこれ見よがしになったりするようなことはありません。


 次いで、もうひと方の引っ越しもそれに負けないくらいで、今や冠者ではなく五位侍従になった若君カタトシも一緒で、こちらの方も大切に扱われていて、収まるべき所に収まった感じです。


 女房達のつぼねを集めた曹司町もそれぞれに細かく分けて部屋を与えられ、世間のどこの局よりも使いやすくなってます。


 五、六日過ぎて、中宮アマネイコが御所から引っ越してきました。


 その様子は大分抑えてはいるものの、多くの車や人で溢れかえりました。


 御門の妻となるまたとない幸運もさることながら、その見た目のその堂々たる気品をみても、朝廷でもこの上なく大事にされていることがわかります。


 これらの四つの区画の境界には、塀や回廊などで盛んに行き来できるようにして、仲良く楽しい「間」にしました。


   *


 九月になると紅葉は斑に色づき、中宮アマネイコの庭もえも言えぬ風情になりました。


 風の吹きしく夕暮れに、箱の蓋に色とりどりの花のような紅葉をごちゃ混ぜにして、南東区画の女君サキコの所に献上しました。


 童女わらわにしては大柄で、濃い紫の中着あこめに秋の紫苑の薄紫と緑のの織物を かさね、赤朽葉の薄物の汗衫かざみを着古したように着こなし、廊下や渡殿の反橋を渡ってきます。


 きちんと礼に則ってはいても、童女の可愛らしさは捨てがたいものです。


 中宮アマネイコの傍にいて御門への対応にも慣れていたので、姿といい態度といい余所の童女とは違い輝いてます。


 手紙もあって、



 《春が好きで待ち望んでるこの庭に

     紅葉の風の便りはいかが》



 若い女房たちがこの可愛いお使いに歓喜の声を上げもてはやしてるのが笑えます。


 返歌の方は、この箱の蓋に苔を敷いて岩に見立てて、五葉松の枝に結び付けて、



 《風に散る紅葉じゃ軽い春の色を

     岩に根を張る松に見なさい》



 この岩根の松はよくよく見ると、精巧に作られた造花でした。


 即興で思いついた才気あふれる蓋の返答を中宮アマネイコも楽しそうに眺めます。


 その取り巻きの人達もみんな褒めてました。


 源氏の大臣ミツアキラは、


 「この紅葉の献上は完全にやられたな。

 春の桜の盛りに逆にやり返してやるといい。

 ここで紅葉を貶めて言うのは龍田姫に失礼だし、今は一歩譲って、花の美しさを利用してやり返してやるといい。」

とはいうものの、こんなふうに張り合おうとするあたりまだまだ若さを失ってなく、面白いエピソードがたくさんあって、思い通りの御殿を作ったものですからますます盛んに手紙のやり取りをします。


 大井川の方の女君ナミコは、「みんな住む所が決まったし、わたしは物の数にも入らないから、いつ来たかわからないふうにこそっと行きましょか」と思って、十月になってから来ました。


 調度や荷物の量なども他に劣ることなく引越しが行われました。


 娘のことを思うと、接し方や何かも差別にならないように、とにかく丁重に迎えるようにしました。






 「六条院すげーーー。」

 「80丈四方ということか。」

 「内裏にも負けない。」

 「大内裏の方は80区画分だからそれに比べれば十分の一だけど。」

 「でも、繁栄の頂点ってことは衰退の始まり?」

 「もう女は増えないのかな。」

 「今何人だっけ。サキコ、アマネイコ、ノブコ、ナミコが東西南北で、それに玉鬘だから五人。それに二条院東院にナギコとキギコ。」

 「玉鬘は月に帰っちゃうんだっけ。」

 「多分今度のは源氏の一代記だから、それ以降の話に繋げなくてはいけないし、別エンディングになるんじゃない?」

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