第57話 乙女3 五節の舞
上手くいかず嫌になってか、朝早く出て手紙を書いたものの、
こんな騒がれるようになるなんて思ってなかったのに、お世話をしてくれる人たちにひどく蔑むようなことを言われれば、手紙なども書けそうにもありません。
もう少し大人だったら、何とか隙を見つけ出したりするのでしょう。
正妻の
「今度の中宮があんな派手な衣装を着て参内してるというのに、うちの女御は失意のどん底なのが可哀想で見てて苦しくなる。
宮中から引き揚げてゆっくりと休ませてあげようと思う。
正妻が決まったとはいえ御門は今まで通り傍において夜昼を伴にしてるから、世話をしてる人たちも気が抜けず、困り果てていることだろうよ。」
と言っては急に宮廷から退出させようとします。
なかなかこういう休暇は取れないものですが、
「退屈するようだったら、もう一人の姫君をそちらにやって一緒に音楽などをすると良い。
宮様に預けていたので不安はないと思うけど、小賢しいこましゃくれたガキと一緒だったから、そんなのに影響されて、このままじゃ駄目になるからな。」
と言っては、急いで呼び寄せました。
「たった一人の娘を失くして以来、とにかく寂しくて不安だったところにこの娘が来て嬉しくて、この命のある限りお世話しようと思って日々を過ごせば、年老いて行く憂鬱も紛れてちょうど良いと思ってたのに、いきなり引き裂こうだなんて、そんなむごい‥。」
と言うと
「物足りなく思うのはもっともだとでも言っておこうか。あなたとの間柄が深く引き裂かれるなんて思ってもないことだし。
宮中に仕えている方の娘が、このたび后から漏れて失意のうちにあって、今では家に戻って来て大変退屈しているようなので、一緒に音楽をしたりして暇つぶしにでもと思ってるだけで、長くなることではない。
ここまで立派に育ててくれたことを愚かだったなんて思ってはいない。」
それを聞くと、こうまで言うのなら止めた所で考えを変えることもないと思うと、悔しくてむしゃくしゃするので、
「人の情なんて悲しいものですね。
あの子たちもこの私に隠し事をしてて不愉快ですし。
それはそうとして、大臣もそうした男と女の情を熟知している方でありながら、この私を逆恨みして、あの娘を連れ去ってしまうだなんて。
そちらに行ったところで、ここより安全なんてことはないですよ。」
と泣きながらそう言いました。
ちょうどその時、
何かちょっとでも会える隙がないかと、この頃は頻繁に現れるようになりました。
内大臣の息子たちの左少将、少納言、
今はなき大臣の腹違いの息子である
「その前に内裏に参上して、夕方に迎えに来ることにしよう。」
と言って出て行きました。
言っても聞かないなら穏便に済ますために放置するのも有りか、とは思っても、それもまた癪で、あの
今はやめさせたり禁じたりしても、同じ所に住んでては、若気の至りで過ちを犯すものだ。
《大臣はお怒りですけど、あなたは私がどうしたいか知ってるはずです。
こちらの方へ会いに来てください。》
と書いてあったので、身奇麗に支度を整えて
まだ十四歳。
未熟な体でいかにも子供っぽく、しおらしくも可愛らしく見えます。
「一時も傍を離れず、毎日一緒にいてそれに励まされて生きて来たのに、ほんと淋しいことです。
人生もう残り少なくて、あなたのこれから先を見届けることができないのはどうすることもできないことですが、こんな今日の今捨てられたように別れさせられるなんて、一体どんな所なのかと思えばとにかく悲しくて‥。」
と
「同じご主人様にお仕えする身としても、行ってしまわれることは残念に思います。
内大臣はいろいろ思う所があるとは思うのですが、それに従う必要はありません。」
そう小声で言うと、ますます恥ずかしくなって何も言えません。
「そんな余計なこと言うものではありません。
前世からの縁で結ばれる人が誰なのかなんて、誰も分りません。」
「いえいえ、若君を頼りないと馬鹿にしてるのでしょう。
今はともかく、若君は本当に結婚相手に相応しくないかどうか、他の人にでも聞いてみるといいですよ。」
そう不快感をあらわにします。
お互い恥ずかしくて胸が締め付けられるようで、何も言わず泣きました。
「内大臣の仕打ちはまじきついし、だったら終わりにしようかなって思うけど、好きなんだからどうしようもないよ。
こんなことなら会えるチャンスがあった頃に、籠ったりしなかったのに。」
そういう様子もいかにも若くて悲しそうで、
「麿も会いたかったわ。」
「そういうふうに思っててくれたんなら。」
と言って少し頷く幼い二人でした。
対面が終わり
姫君の乳母がやって来て連れて行こうとすると、そんな様子に、
「あら憎たらしい、やはり宮様が知らないはずなかったじゃない。」
と思い顔をしかめて、
「何だか、恋なんて悲しいものね。
内大臣が言ってた通りですわ。按察使大納言にも何て言っていいやら。目出度い結婚のはずが、運命の人が六位風情だなんて。」
とぶつぶつ言ってるのが聞こえてきます。
それも二人のいる屏風のすぐ後ろに来て、聞こえよがしに嘆くのでした。
「今の聞いたか?
血涙に赤く染まった袖の色を
浅緑だと貶めるとは
屈辱だ。」
そう言うと、
「色々の身分の壁は知ってます
なかの衣は染めようもない」
と言い終わるかどうかという所で
取り残されてしまった
牛車が三台ほど、闇に隠れるように急いで出発してゆく音を聞いても、心は落ち着かず、
どうにも涙が止まらなくて、悶々として夜を明かし、霜が真っ白に降りた朝に急いで出てゆきました。
泣き腫らした瞼も人に見られると恥ずかしくて、
道の途中、誰のせいということもなく不安な気持ちに駆られ続け、空の景色もどんより曇っていて、いつまでも真っ暗です。
霜氷いずれもひどい明け方の
空かき曇り涙雨降る
*
それほど急いでということでもありませんが、
二条院東の院では参内の夜の付き人の装束を準備します。
大方のことは二条院で行われ、后となった
去年は喪中で
公卿分の二名は
みな宮中に留まり、お仕えするように命じられた年なので、そこから舞姫となる女を奉納することになります。
惟光はいい迷惑と思ってましたが、
「按察使大納言が本妻との間でない娘を奉納するくらいだし、朝臣の娘は正真正銘の娘なんだから恥ずかしいことないじゃないか。」
と責め立てられて悩みつつも、いずれは宮廷に出仕させるのだからと決意しました。
舞いの練習は実家で十分行い、付き人などは馴染みある従順な者をしっかりと選定し、当日の夕刻に参上させました。
どれを落としていいのか迷う所で、皆それぞれ可愛らしい童女の姿かたちに考え込んでしまい、
「もう一人くらい舞姫を出さなきゃな。」
などと言って笑ってました。
結局、態度の良し悪しや気配りができるかどうかといったところで選ぶことにしました。
大学寮の
その姿は美しくて趣味も良く、その抑えられた色気が若い女房の心をくすぐります。
義母になる源氏の女君のサキコには御簾の前にすら近寄らせてもらえません。
源氏自身の昔の経験からして思うことがあるのでしょう。同じ間違いを犯さないように遠ざけていて、御付の女房達とも疎遠でしたが、今日は周囲の慌ただしさをいいことに、室内に入りました。
到着した
あの
暗くてはっきりとは見えないせいか、却ってまざまざとあの
「天にます豊岡姫の女官でも
私の愛の領域と知れ
聖処女の愛を振りまく神域を随分前から思ってきたんだからな。」
摂津の守の娘というとこで住吉大社の豊岡姫に喩えた歌ですが、若々しく澄んだ声だけど誰なのか思い当たるふしもなく、さすがにきもいし、化粧がまだ終わってないと急き立てる付き人たちがわらわらと寄って来て、
浅葱の衣に劣等感を抱いて内裏に行くこともせずに塞ぎ込んでましたが、五節の際には色の自由な普段着である
純粋無垢な子供のようでいながら、年の割にませていて、宮中を粋がって歩きまわります。
御門を始めとしてみんなから可愛がられ、普通の六位では考えられない待遇です。
十一月丑の日に五節の舞姫の参内の儀式があり、どの舞姫も他に比類のない素晴らしさですが、見た目は
確かにどちらも素晴らしいけど、子供らしい美しさという点では
押しつけがましくない美しさが今風で、同じ人とは思えないような姿かたちで、なかなかないような趣向だというのが、絶賛されるポイントなのでしょう。
今までの舞姫よりは皆少し大人な感じで、時代が変わった感があります。
五節の日程は、丑の日の舞姫の参内、寅の日の天覧リハーサル、卯の日の舞姫の宮中お披露目、辰の日に本番の奉納舞となってました。
卯の日には
奉納舞の当日の辰の日の暮に、その時の少女だった
手紙の内容は大体想像がつきますね。
《舞姫も年経て濡らす羽衣に
あなたの
長い年月放ったらかされて、急にこんな気まぐれに気遣いされて、その臆面のなさに笑ってしまうのも残念なことです。
《光る君に日影
溶けて濡れたの今日のことかな》
藍で模様を摺った紙に散らし書きで書かれた歌は、墨の濃淡を生かして草書体を多く混ぜたもので、受領クラスにしては良く書けていると眺めてました。
あの美しい姿が心に焼き付いて、あの
*
舞姫たちは皆宮中に留め置かれて、今後宮中で奉公するようにとのお達しがありましたが、ひとまずは退出して、近江の守の娘は唐崎へ、摂津の守の娘は難波で神事を解くお祓いをしました。
按察使大納言も何とか同様に宮中に出仕させようと働きかけてました。
左衛門督は実子ではない娘を奉納したことでお咎めがありましたが、それでも何とか宮中に留めることができました。
摂津の守惟光は
「俺の年齢や官位がこんな取るに足らないものでなかったなら、頼んでみようと思ってたのに。
思っていることを伝えることもできないまま終了かよ。」
別にどうしてもということではないのですが、内大臣の
その
「五節のあの舞姫はいつ宮中に参内するんだ?」
「年内にとのことです。」
「顔みたけど超可愛いし、何だか恋しちゃったみたいなんだ。
お前いつも傍で見れるなんてうらやましいぞ。
会わせてくれないか。」
「無茶言わないでください。
私だってそんな見たい時に見れるわけじゃないですし。
男兄弟だからって近寄らせてもくれないんだから、君に会わせるなんて無理ですよ。」
「なら、手紙ならどうだ。」
「そうしたことは前々からするなって言われてるんですよ。」
と難色を示したのですが、強引に押し付けて、仕方なく持って行きました。
緑の薄紙のお洒落な重ね継ぎに、字体はまだ稚拙だけど先行きが楽しみで、とても興味深いものです。
《日陰にある草知ってますか舞い乙女
天の羽袖に惚れた心を》
兄妹でそれを見てると、惟光が急に入ってきました。
びくっと身がすくんで、手紙を隠す間もありません。
「何の手紙だ?」
と言って取り上げると、顔を真っ赤にしました。
「何てことをしたんだ。」
と𠮟ると、弟が逃げ出すのを捕まえて、
「誰からだ。」
と問い詰めます。
「源氏の大臣の所の冠者の君に、こうこうこういうわけで頼まれてしまって。」
それを聞くと、惟光は怒ってたのが噓のようにニッと笑って、
「なるほど親譲りの美しい人に遊ばれてるな。お前はあの若君とはタメだけど、まだまだ子供でよくわかってないようだな。」
そう言って
「こうした身分の高い人が少しでも本気で結婚を考えてくれるなら、宮廷に出仕などせず、差し出したいくらいだ。
源氏の殿の性格からすると、一度目を着けた人は絶対に忘れないものだ。そこは保証できる。明石の入道の娘だってそうだ。」
などと言うものの、まずは皆宮廷入りの支度をしました。
*
結局五節の
そこにある自分の部屋は子供のころからずっと遊んできた場所なので、いろいろな思い出があるだけに、さながら帰れない故郷の憂鬱のようなもので、二条院東院の部屋に引き籠ってました。
「宮様も高齢でいつ果てるともわからないし、それから後のことを考えると、今から慣れておいた方がいいので、お世話してほしい。」
そう言うと、頼まれたら断れない性格なので、すぐに我が子同様に可愛がって面倒を見ました。
「ぶっ細工だな。
こんな女でも、おとんはずっと囲ってたんだな。
俺は単純にあんな冷たい人でも顔が良いからってずっと頭から離れず恋してきたから、それでうまくいかないのかな。
もっと心優しい人を好きになれば相思相愛になれたのか。
顔を見てこれといったほどでなくても、可愛い人はいる。
こうやって年取って来ても、おとんが容姿と性格をひっくるめて愛して、ハマユウの葉の幾重にも重なり合うように、こうやって目につかない所に隠しながらも、ひそかに手厚く世話をしてきたというのも、そういうことなんだな。」
心の中でそう思うと、やはり圧倒されます。
育ててくれた
年末には、
上品なものを幾揃いも仕立てたのを見ても、所詮は六位の装束だと思うと
「元旦だからといって、参内するかどうかもわからないというのに、何でそんなに急いでるんだよ。」
「何でそんなふうに。そんなジジ臭いこと言ってはいけませんよ。」
そう言われると、「ジジイではないけど臭いんだろ」と独り呟いて泣きそうになります。
「男というもの、襤褸は着てても心は錦と言うではありませんか。
そんな塞ぎ込んでいじけるようなことではありません。
何でそんな一人殻に籠って悩んでいるの、変ですわ。」
「何でって、六位なんて人から蔑まれるばかりで、しばらくは我慢とは思っても、内裏に行くのも憂鬱で。
大臣だった爺さんがまだ生きていたなら、間違っても人から蔑まれることはなかったのに。
おとんは良い人だけど、何か他人行儀で突き放されたような感じで、なかなか近寄り難くて、気軽に訪ねていける人でもないし。
二条院の東院に来た時しか会うことができないんだ。
西に対の女は優しくしてくれるけど、おかんが生きていたなら親と一緒に暮らして、何の心配もなかったはずなのに。」
そう言って涙がこぼれ落ちるのを隠している様子がとにかく可哀想で、
「母に先立たれたりすると、身分が高かろうと低かろうと可哀想なのは一緒だけど、いつかはそれぞれ前世の運命で、宮廷でそれなりの地位に着けば馬鹿にする人もないので、思い詰めないでください。
亡き大臣がもう少し長生きしてくれたらとは思います。
この上なく頼れるという点ではあなたのお父さんも同じなんですが、思うようにならないことも多いものね。
内大臣も器という点では並大抵の人ではなくて、宮中でももてはやされているけど、昔とはずいぶん変わってしまって長生きするのも辛いもので、まだまだこれから長く生きてかなくてはいけない人が、こんな些細なことで世をはかなんでしまったら、世の中何もかもが嫌になってしまいますわ。」
そう言って
「今は六位と言っても、将来の大臣候補だから引く手あまただし、いくらでも選べそうなのにね。」
「受領の娘なら、まあ玉の輿かな。」
「
そっちに賭けてみたくなるのもわかる。」
「それに引き換え、内大臣の娘ともなるとさすがに末は后にという腹があるから難しいけど。」
「それにしても、親父は息子に冷たくない?」
「正妻とは言えトーコとはうまくいってなかったからね。」
「事実上サキコにべったりだから、前妻の息子はよそよそしく遠ざけられるってわけね。」
「生真面目な所はトーコに似ちゃったし。」
「でも浮気な所は親父そっくり。」
「男ってみんなそんなもんじゃない?」
「親父は見境なかったけど、息子は結構面食いなのが違うかな。」
「そっちが普通。
親父の方が異常。」
「親父の方は珍獣ハンターだしね。」
「究極の珍獣、普賢菩薩の乗物。」
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