第56話 乙女2 若い二人
ちょうどその頃、皇后を決める時になり、
亡き
かつて兵部卿宮と呼ばれてた人は今は式部卿になり、今の
どうせ王家から選ぶのなら、御門の母の
不遇だった
国の政治のことは
とにかくしっかりした性格でキラキラ輝いていて、周囲への気配りなども如才なくできる人です。
あの
かつては女のことでも張り合ってた頭の中将もこうして内大臣になり、腹違いの子を含めて十余人の子供がいて、それが今や大人になり次々に殿上に送り込まれ、源氏の周辺に負けず劣らず繁栄を極めていました。
女児も弘徽殿女御の他にもう一人、モトコがいました。
皇統の血を引く者との間にできた娘なので、高貴な筋という点では劣ってはいませんが、その母がその
今や元服して
周囲の世話をする人たちも、
「何のかんの言って子供同士のことだし、今までずっと一緒だったのに、急に引き離したりしても困っちゃいますよね。」
と思っていると、女の方は何とも思ってないようですけど、男の方はまだ子供にみえてもませていてどんな仲になってしまったのでしょうか。
離れ離れにされてはそれこそ穏やかではありません。
まだ幼さの残る可愛らしい筆跡で書き交わした手紙も、そこはやはり子供でそこいらに放ったらかしになってる手紙に、女の方の女房たちは薄っすら気づいてはいましたが、何がどうなってるかは誰にも言わず、内緒にしてました。
*
源氏の太政大臣就任の
「琵琶は女には似合わないなんて言われてるけど、なかなか表現力の豊かな楽器なんだな。
今の時代に正しい奏法を受け継いでる人はあまりいない。
あの親王と、この源氏と。」
と数え上げ、
「女の中では太政大臣が山里に囲ってる人が上手だという。
昔の王家の奏法を伝授されていたけど、ずっと田舎で暮らしてたのに、何でそれを維持できたのか不思議だ。
あの太政大臣が何度もしみじみとそう言ってたからな。
他のことならともかく、音楽の才能というのはいろんな人とのセッションを通じて、互いの良い所を学び合って伸びるものなのに、ぼっちで上手くなるのは珍しい。」
そう言って
「琵琶の柱(フレット)を押さえるもの久しぶりになりますね。」
と言いながら多彩な音を奏でます。
「その御方は運が良いというだけでなく、それ以上に不思議な天の祝福を受けた方なのでしょうね。
源氏の君の三十にもなっても得られなかった女児を生んで、自分のもとで離さずに貧乏暮らしさせるより、やむごとなき人の養女に差し出すことを選ぶなんて、もう何も言うことのない人と聞いてます。」
「女は結局そういう空気が読めるのが世にもてはやされるんだな。
弘徽殿女御も悪くはなかったんだけどね。
全てに関して誰にも劣らないと思ってたんだけど、思わぬところに伏兵がいて、なかなか思い通りにならないもんだ。
もう一人の方は何とかうまいようにいかないかと思うんだが。
春宮の元服がすぐそこに迫ってるし、密かにそれを狙ってるんだけど、そういう持ってる女の産んだ子が后の候補になると、また出し抜かれそうだな。
あれが内裏にやってきたら、それと競える人なんているんだろうか。」
「そんなこともないと思いますよ。
この家からその筋へ嫁ぐ人が出ないはずがないと、今は亡き大臣も思ってらして、女御のことでもあれこれ手を尽して準備してました。
存命だったらごり押しされることもなかったでしょうね。」
この件では
チューニングのために軽く弾いたような感じで演奏を止め、箏を前に差し出しました。
前庭の梢の葉がはらはらと残らず散って行き、老いた女房達もみんなその辺の几帳の後にわれもわれもと集まってきました。
♪落葉俟微風以隕而風之力蓋寡
孟嘗遭雍門而泣而琴之感以未
(落葉は微風を待ってたように落ちて行くが、風の力はほんのわずか。
雍門周に出会った孟嘗君も琴を聞いて泣くが、琴自体の感慨は未だ。)
と口ずさみながら、
「琴があってもなくても、わけもなく物悲しい夕べじゃないか。だったら音楽を楽しもうよ。と言って盤渉調にチューニングし、雅楽の『秋風落』を口でメロディーを唱えながら演奏しました。
その名演奏に、
「こちらに来なさい」
と、几帳の外に通しました。
「なかなか会うこともままならないな。
何でまあそんな学問に夢中になってるんだ。
天才は早死にすると源氏の大臣もいつも言ってたのに。
こんな学問漬けにするのも意図があってのこととは思うが、いつも部屋に籠ってばかりいるのが気の毒でしょうがない。
たまには別のこともしなさい。
笛の音は礼楽を重んじる儒教の精神にかなうものだと、昔から言われている。」
と言って笛を渡しました。
その笛を若者らしく力強く吹きたてるのが新鮮で、
♪衣更えせんや さきんだちや
我がきぬは野原篠原
萩が花摺りや さきんだちや
と催馬楽の『更衣』を謡いました。
「源氏の殿もこういう遊び(音楽)が大好きで、忙しい政治のこととかをほっぽり出して逃げてたりしたな。
まあ、砂を噛むような宮中も、こういう気晴らしをしながら乗り切っていきたいものだ。」
そう言いながら
こうやって
「あの二人、何か困ったことが起きそうね。」
と
「何でも分かってるふうにしてても、やっぱ親バカね。
たまにこんなバカなことが起きたるするのよ。」
「親は子供のことを何でも知ってるなんて嘘よね。」
なんて言って、互いの肩をパンパン叩いてました。
「甘かったな。やっぱそうか。考えてなかったわけではないが、子供のことだからまさかとは思ってた。男女の仲って難しいもんだな。」
と大体の事情を呑み込んだところで、そのまま音を立てないようにして帰りました。
牛車を出す時の先導する人の声が大きかったので、
「えっ、殿は今出て行くの?」
「いったいどこに隠れていたの?」
「まだ浮気癖が治ってなかったなんて。」
噂してた人も、
「薫衣香の香ばしい匂いが漂って来たから、冠者がいるのかと思ってましたわ。」
「うわっ、きもっ。噂してたの聞いてたんだわ。もう病気ね。」
とあきれてました。
「そんな残念なことでもないし悪いことではないんだけど、姓の違う交叉従弟の結婚は珍しくもない辺り、世間はくっつける方向に動くだろうな。
源氏の大臣のごり押しで弘徽殿女御の后を阻止されたことも痛手だったが、春宮の後の后だったら勝てるかと思ってただけに、これは癪だな。」
「宮様もあの二人のことは薄々感づいているのだろうけど、どっちもかけがえのない可愛い孫なので、放置しているんだろうな。」
と思うと、女房達の噂は癪だし、動揺は隠せず、多少なりとも男としてここは勝負に出たいという気持ちを鎮めるのは無理なのでしょう。
*
二日ほど経った後、
頻繁に来訪するので
尼削ぎの前髪を奇麗に左右振り分けて、
「こうしてここにいるのもいたたまれないし、みんながどう思ってるかと思うと落ち着いてもいられない。
あまり人のことを言える身ではないけど、生きてる間は足しげくここへ来て、分け隔てなく話そうと思ってる。
不良娘のことで残念だけど言わなければならないことが出てきて、こんなこと言って良いものかと思ってはみたけど、やはり言わずにはいられなくて‥。」
そう言って涙をぬぐうと、宮様も化粧した顔で顔色を変えて、微笑んでた目も大きく見開きます。
「どういうことなんですか。
長く生きてる者にそんな遠慮したような遠回しなことを言って。」
あまり責めるのも気の毒になり、
「頼りになる人なのを良いことに自分の娘を預けて、自分ではほとんど世話をせずに放っておいて、先ずは上の娘を后にしようとやっきになって、あれこれ手を尽したけどうまくいかず、それでも下の娘は立派に育ててくれてると信じていたのに、こんな思ってもみなかったことになって、ほんと情けなくなる。
源氏の大臣は誰にも代えがたい有能な人ではあるけど、そんな近親者の息子との結婚ということになると、世間も何を考えてるんだと思うことになるし、王家にも他家との関係にも何ら寄与しない縁組では、源氏の御子息のためにも良くないに決まってる。
別の家系の、特に光り輝く最も高貴な筋と結婚して、皇統の将来をリードするようしてゆくのが最善だと思う。
近親者同士の閉鎖的な結婚となると、源氏の大臣を悩ませることにもなる。
まあ、そのことはともかくとしても、俺や源氏に一言教えてくれれば、盛大に婚姻の儀式をやって、もっともな理由も考えることができたのに。
若い二人の衝動に任せたまま見て見ぬふりをするなんてのは、あってはいけないことだと思う。」
それを聞いた宮様は寝耳に水でびっくりです。
「それが本当でしたら、そんなことを言うのももっともですわね。
あの二人にそんな感情があったなんてことは全く知りませんでした。
ここでこんなふうに教えられて知ったことの方が悔やまれてなりません。
子供達に罪を負わせるようなことはしたくありませんわ。
預かるようになってから特別に可愛がっていて、あなたの配慮が行き届かない所も、単にそれをカバーする以上のことをして、人知れず苦労してきました。
まだ物心つかないうちに、子煩悩に惑わされて慌てて結婚させるなんて、考えてもみませんでしたわ。
それにしても、誰がそのようなことを言ってたんでしょうね。
良からぬ人の言葉に振り回されて空騒ぎするのも意味のない虚しいことで、何よりも娘の名に傷がつきます。」
「何の根拠もなく言ってるのではない。
仕えている女房達がみんな陰口言って笑ってるじゃないか。
それが悔しくて面白くないんだ。」
そう言って立ち上がると出て行きました。
心当たりのある女房は、これはやばいと困った顔をします。
まして、あの夜噂してた二人はすっかり震えあがって、何であんな話をしちゃったんだと後悔しています。
「まだ若いのは分っていたが、ここまで子供だったとはな。もう一人前だと思ってた俺の方こそ、それ以上の馬鹿ってことか。」
などと乳母たちに当たり散らしても、きょとんとしてます。
「この程度のことはやんごとなき御門の御息女であっても、たまたま過ちを犯してしまう例は昔からよくあることでしょ。
内情を知ってる人が仲立ちして、わざとその隙を作ったりしたのではないかしら。」
「あの二人は幼い頃から朝から晩まで一緒にいたんで、何であんな子供を宮様の意向を差し置いてまで引き離そうなどとするでしょうか。
そういう了解のもとにお世話していたのですが、一昨年あたりからはっきり男女の別を付ける方向に変わりました。
まだ子供のようでもそっちの方に興味を持って、どうやって知ったか男女がそういうことをするのを知ってしまう人もいるとは聞きましたが、あの若君に限ってそんなそぶりもなかったものですから、まさかとは思っていたんですよ。」
そう言って困った顔しながら互いを見返します。
「まあいい。しばらくこのことは秘密にしておこう。
誤魔化しきれないにしても、とにかく何としてでもなかったことにするんだ。
今すぐ俺の家に連れて行こう。
宮様には任せておけない。
お前らだってこんなことになって良いなんて思わなかっただろ。」
そう言うと、
「それが一番ですわ。
義父の按察使大納言さえ同意していただければ、若君も悪くはないけど臣下の家なので、最善の結婚相手とは思えませんわね。」
何としてでも、この娘を無駄にせずにすむようにしなくては、と密かに乳母たちと相談して、
「そんなことしなくてもいいじゃない。
もともとそんな関心なかった娘で、放ったらかしにされてたのに、私がしっかり育てたもんだから、今度は春宮の所になんて欲を出して。
また失敗して臣下と結ばれる運命なら、源氏の若君に勝てる人なんていません。
顔といい姿かたちといい、比べるような人もいないでしょうに。
むしろ王家の娘の方がふさわしいくらいですわ。」
と
こんな心の内を
*
こんな騒ぎになってるとも知らずに、冠者の
二日前の夜は人も多く、
「娘のことで内大臣がたいそうお怒りで困ったことになってますよ。
望まれもしない恋をしてしまったようで、私も困ってしまってどうしていいやら。
言いたくはなかったんですが、そうなってることは知っておいた方が良いと思いまして。」
それを聞くと若君の
顔を真っ赤にして、
「何かあったんですか。
しばらく静かな所に籠ってたんで、人に会う機会もなくて、怒られるようなことなんて何もしてないと思ってたんだけど。」
と、とにかく恥ずかしくてしょうがない様子で可哀想になり、
「まあ、これからは気を付けてね。」
とだけ言うと話を変えました。
いよいよ手紙など届けることも難しくなったと思うと、すっかり塞ぎ込んでしまい、食べ物を勧めても手を付けることもなく、寝床に着いても心は上の空です。
家の人も寝静まって、
そのころ
「霧深くまるで私は雲の中を飛ぶ雁みたい。」
と一人呟くその様子も幼く可愛らしいものです。
居ても立ってもいられなくて、
「ここを開けてくれ。
小侍従はいないのか。」
と言っても物音もありません。小侍従は
独りごとを聞かれたのも恥ずかしくて、無粋にも顔を
乳母たちも近くで寝ていて身動きも取れないので、どちらも音も立てられません。
「真夜中に友を呼んでる雁の声
それにもまして荻の上風
どちらも身に染みる」
と思いながら
「さすが源氏の息子、手が早い。」
「血は争えない。」
「ばあちゃんっ子なのが違う。」
「親父は乳母しかいなかったからね。
甘える相手がいなくて、正妻にもよそよそしくされて、それでやさぐれてたけどね。」
「息子は、結構収まる所に収まって、真面目に育ったけど、浮気者の血は引いている。」
「まあ、相手としては悪くないんじゃない?
筒井筒だし。」
「じゃあ、そのうち商人の娘にくらっとなるかな。」
「あの身分で商人はなくても、誰かいそうね。」
「内大臣は十分金持ちだから、わざわざ余所に求めなくても。」
「従弟とはいっても源氏と藤原氏だから問題なさそうだし。」
「源氏と朝顔の君も従弟だけど。」
「ただ、あっちは源氏姓とはいえ元は王家で、王家同士というのもあるからね。
急に王家に引き戻されて次の御門にという線も消えたわけではないんでしょ?」
「ないとは言えないか。」
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