第54話 朝顔2 雪まろげ
桃園宮の北側の門は人が多く、こんな所にうっかり入れないので、西側の厳重に閉ざされた門(寝殿造りの家は南に門がなくて東西の門が正門だった)へ行って、開けてくれるよう使いの者を走らせ
門番は寒そうにしながらそそくさと出てきましたが、すぐには開けることができません。
他に男がいないようです。
ガチャガチャ音を立てて戸を開けようとするものの、
「錠帖がすっかり錆びちまって、駄目じゃん。」
と悪戦苦闘してるのを見て、時の哀れを感じ、
「人生三十年なんてあっという間とよく聞くが、錠もやがては錆びてゆくというのに、人生というこのかりそめの宿は捨てることはできなくて、草木の花の色に迷うばかりだな」
としみじみと思うのでした。
ふと、歌を一首思いつきます。
いつのまに蓬の家は閉ざされて
雪ふる里の垣も荒れ果て
時間はかかったものの、何とかこじ開けることができて入りました。
「この頃はすぐに眠くなるものですから、最後まで話せなくて。」
と言ってる傍から鼾のような音が聞こえだして、これ幸いとばかりに立ち上がろうとすると、そこにまたいかにも年寄りというような咳払いをしながら来る人がいました。
「恐れながら、覚えてらっしゃるかなと思ってたのですが、まだ生きてたのですよ。
院様は
などと名乗り出たので、若い頃の
「あの頃のことはみんな昔話になってしまって、今さら思い出すのも空しいけど、その声がまた聞けて何か嬉しいな。
親もなく腹をすかして倒れてる旅人と思って、どうか暖かい愛で包んでくれ。」
と言って物に寄りかかっている様子に、ますます昔のこと思い出したのか、昔みたいに色っぽい仕草ですが、歯が抜けて口元がしわしわになってしまってるのが想像できるような発音で、それでも舌っ足らずな声で誘おうとしてるようです。
「『あたしも年を取ったがそれはあなたも同じね』なんて言うあたりは相変わらず立派なものだな。
まるで今急に年を取ったみたいに言うじゃないか。」などと思いながらもニヤニヤしてこれはこれで面白いとも思いました。
それに引き換え、
こんな情け容赦ない宮中にあって、年齢からすればいつ逝ってもおかしくなく、上臈としての才覚なども大したことなかった人が生き残り、こうして仏に仕えて長閑な日々を送っているんだから、ほんと人生というのは分らないもんだな、と思いつつ人生の悲哀をかんがみていると、
「年とってもこの契りだけは忘れない
親の親だと言ってくれたから」
と歌を詠まれてもきしょいだけで、
「転生をしたのち会おう今生の
親を忘れる子なんていない
楽しみな約束だな。話はいずれどこかでゆっくりと。」
と言って立ち去るのでした。
西側の
月の光が差し込んでうっすらと積った庭を照らし、なかなか眺めの良い夜でした。
さっきの
そういうわけで今夜はいかにも真面目そうに真顔で言い寄ります。
「嫌いなら嫌いと一言でいいから、人づてでなく直接言ってくれ。その方が諦めもつくから。」
さすがに冷淡に突き放すわけにもいかず、人づてにそれを伝えるのもためらわれます。
夜も刻々と更けて行き、風の様子も激しさを増し、本当にどうしていいかわからず弱気になり、
「嫌われても未だに懲りないこの心
あなたの辛さと二重に辛い
自分ではどうしようもないんだ。」
女房達は、
「確かに。」
「痛いわね。」
と言います。
「どうすれば変われるのかしらこの心
他の人ならわかりませんが
今も昔も私は変わりません。」
それが答えでした。
けんもほろろで引きつったように顔をこわばらせて、ぶつぶつ恨みつらみを言いながら帰って行くあたりは、まだまだ若いなという感じで、
「こんなんじゃ世間の笑い者になるだけだし、絶対に言うなよ。
『いさや川』の歌の『わが名もらすな』はうまく行った時の話でまだましだ。」
と女房達に必死に釘を刺そうとしますが、何のことかとぽかんとしてます。
その女房達も、
「うわあ、もったいない。あんなきっぱりと突き放して帰してしまうなんて。
「浮気心で無理難題吹っ掛けてるとは思えなかったし、可哀想。」
などと言ってます。
*
何となくそれは理解しているものの、世の女性たちのように賞賛しているというわけでもありません。
一方、浮気者だということもわかっているから、下手に靡くと恥をかいてしまうだけだと思い、昔から好きだったなんて言われても空しいだけ。
普通の手紙のやり取りは続けて、あまり疎遠にならないようにしないといけないけど、あの女官を介しての手紙は体面を害さない程度にやり過ごそう。
長年神社に仕えていてできなかった仏道のお勤めも、これからはしてみようかと思い立ったけど、にわかにそんなことをしても、いかにも避けてるようであてつけがましいし、誤解を招きかねない、そう思うのでした。
確かに世間の人があることないこと無責任に言い放つのはもう懲りていたのでしょう。
仕えてる女房達も信用できず、仏様に祈るようになってゆきました。
兄弟はたくさんいるものの、腹違いのものが多くてほとんど交流がないし、宮中とも疎遠になっているので、あのような大物が好意を示して求愛を迫って来れば、人は皆それに乗っかろうとするに決まってるから問題なのでした。
確かに
「それでいてふられたとなればそれこそいい笑い者だ。どうしたもんか。」
という焦りもあってか、二条院の夜を空けることが度重なり、
涙がこぼれるのを堪えられるはずもありません。
「何だかいつもと違って変だぞ。理由がわからない。」
と言って髪をわしゃわしゃしながら可愛いと思っているあたり、一見すると絵に書いたような円満夫婦です。
「入道の宮様が亡くなったあと、御門もとにかく寂しそうで世の中のことを歎いてるのも痛々しいし、太政大臣の職も空席のまま後継者が決まらなくて忙しいんだ。
ここのところ家に帰らなかったを普通じゃないと思うのもわかるし、可哀想だけど、今はとにかく気長に待っててくれ。
大人のように見えても、まだまだ何もわかってないし人の気持ちを察することもできなくて、赤ちゃんだな。」
などぐしゃぐしゃになった前髪を元通りに直しはするけど、顔を背けるばかりで何も聞こうとはしません。
「こんな子供じみた女に誰が育てたんだ。」
と言いつつ、儚いこの世に何でこんな煩悩が絶えないのか不条理なもんだと思いながらも、放ってはおけずに
「斎院に取るに足らない手紙を出してることを勘繰ってるのか。
それは大きな勘違いだ。わかるだろっ。
むかしからあいつは人を遠ざけていて、淋しがってるところに意味ありげな手紙を書いて困らせてしまったが、向こうも隙をもてあましてるのか、時折返事など来たけど、そんな本気でつきあってたわけでもなく、取るに足らないことなので、わざわざ説明する程の事でもないと思って‥
後ろめたいことは何もないんだ、わかってくれよ。」
などと言いながら、その日一日慰めてあげたのでした。
*
折からの大雪になり、今もまだ降っていて、姿を変えぬ松としなだれた竹のコントラストの面白い夕暮れに、源氏と
「その時々の季節でいうなら、俺は人を感動させる桜や紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄み切った月に、雪の反射する光が加わった明るい空が、不思議と色もないのに身に染みて、この世だけでなく浄土のことを思わせて、苦楽を忘れさせてくれる。
これを殺風景だという人の気が知れない。」
と言って、香炉峯の雪を見るかのように御簾を巻き上げさせます。
月は隈なく照らして辺りを一色に染め、萎れた前庭の植物の陰が項垂れたように見え、遣り水も半ば凍ってむせぶような音を立て、池の水も白く寒々として、童女を呼んで庭に雪まろげを作らせます。
可愛らしい姿や髪型なども月に映えて、発育のいい童女たちが
小さい童女ははしゃいで走り回り、扇子なども落したりして屈託のない顔が可愛いですね。
もっと大きな雪玉をつくろうと欲張ると、雪がいくら押しても動かなくなります。
別の童女たちは東の妻に出て来ていて苦笑してます。
「去年は入道の宮の庭前に雪の山を作ったな。古くからよくあることだけどそこにちょっとした面白い工夫をしてたな。
これからこうした行事や遊びなどにあの人がいないのは残念で物足りない。
俺をなるたけ近寄せないようにしてて、詳しい様子を目にすることはなかったけど、内裏にいる時は屈託のない人だった。
信頼できる人で、何かあった時には何でも相談できたし、表向きはいかにも才気に富んでるふうではないけど、話は面白く物事に囚われずにちょっとした面白いことをしたりした。
やさしくて癒される所もあれば、きりっとした気品もあって、またとない人だったけど、君はまた家系的にも藤壺にいた亡き入道の宮の藤の色、紫の縁があってそっくりだと思うんだけど、ちょっとばかり焼き餅焼きで、グサッとくるようなところがあって、それがちょっとね。
あの斎院はまた違ったキャラでね。
大人しい人で、何となく手紙のやり取りをして、俺も意識はしてたんだけど、でも君だけがいつもずっと一緒に過ごしてくれた。」
「
遊んだりするようなことなどないと思ってた人なのに、なんであんなおかしなことになっちゃったのかな?」
「まあな。美人で色っぽいタイプという意味で引き合いに出される人だ。
そう思うと可哀想なことをしたと後悔するばかりだ。
まして浮気なあの人も年を重ねて、今ではさぞ後悔してるんじゃないかな。
誰よりも真面目な俺でもそうなんだから。」
そういいながら、
「あの山里の人は君はどうでもいいくらい下に見ているけど、身分の割にはなかなかの人で、ものごとをよくわかってるけど、受領クラスで我々とは身分の違う人だから、無理に上流の暮らしをさせないようにしてる。
もっと下の階層の人はまだ付き合ったことない。なかなか目に留まるような人はいないもんだ。
東の院で過ごしている人の気質というのは昔ながらのもので守ってあげたい。
あれは貴重なもので、昔ながらの趣味趣向はお世話を始めた頃から変わらず、節度を持ってこれからも保護して行く。
今さら離れ離れになる必要もないし、本当に良い人だと思う。」
こうやってとりとめもなく話しているうちに夜も更けていきました。
月はさらに澄んだ光を放ち、美しい静寂に包まれます。
「凍りつく岩間の水はとどこおり
空にすむ月が流れていくわ」
外を見ようと身を少し乗り出すさまが、他に比べようもなく綺麗です。
豊かな髪、顔の輪郭が今は亡き愛しい人のように見えてドキッとすれば、目移りしてた心もここに戻って来て重なり合うかのようです。
オシドリが鳴いたので、
「昔からの恋を搔き集めた雪のよに
ひと時の愛添えるオシドリ」
寝床に入っても亡き
「秘密にしてと言っておきましたが、浮名は隠すことも出来なくて、恥ずかい苦しい目に合うばかりで辛いですわね。」
と告げました。
何か言おうとしたけど、襲ってくるような恐怖に感じ、
「え?何?どうしたの?」
という声がして驚いて目が覚めると、ひどい自己嫌悪に陥り、心臓が激しい鼓動を打って騒ぐのを何とか抑えると、涙が溢れ出ました。
泣き止むこともできずに袖を濡らし続けていると、
「ゆっくりと寝れない冬の夜は淋しく
心に凍る夢は短い」
悲しみの止まらないまま早く起きて、誰のためとは言わずに方々の寺に
「『苦しい目に合うばかりで』と恨むのももっともなことだ。
仏道に入って勤行に勤めて大方の罪は軽くなったにしても、この一つのことで
深く考え、そう結論付けるととにかく悲しくて、
「どんなことをしてでもあの人の魂の一人迷う世界に行って、罪を代わってあげたい。」
と心の底で願うのでした。
「あの人のために特別な法要をしたんでは、噂は本当だったのかと非難囂々だろうな。
御門も自分の出生のことで悩んでるのを、また蒸し返すことになる。」
そう思いながら、阿弥陀仏にただ一心に祈りました。
一蓮托生というように、ともに極楽浄土に行きたいものの、
亡き人を追って行っても影すらも
見えない三途の川に迷うか
そう思うと、悩みは尽きないのでしょうね。
「一応これで仲直り?」
「アサコ回収失敗?」
「中宮様に続いて二連敗。」
「もうすっかりおっさんだからね。」
「みんな年を取るんだ。」
「あーやだやだ。」
「マチコ回収しないの?」
「前見ればアサコ、振り向けばマチコ。」
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