第51話 薄雲2 相次ぐ不幸
藤式部
「今日は悲しい話から入るから、静かにね。」
その頃、
重鎮と呼ばれる方だっただけに
かつて暫く政界を離れていた頃もみんな大騒ぎしましたが、それが亡くなったとなれば多くの人が悲しむのも当然です。
御門も歳のわりには大人っぽく貫禄もついてきて、政治の方もそんな心配をするようなことはないのですが、これと言った後見もなく、源氏もまだまだ政界から身を引いて出家してのんびりするわけにもいかず、残念な所です。
法要なども
その年は疫病の流行などで世間も騒然として、朝廷の風水の方にも凶兆が多くて不穏な空気に包まれました。
空の日月星辰にも異常があり、雲の動きにもいろいろ悪い兆候が見られ、世間の人も驚くことが多くて、そのつど
先代の院が亡くなられた頃はまだ幼くて、まだ死の意味がよくわかってなかったようでしたが、
「今年は厄年で不幸は遁れられないと思ってはいましたが、まだそんな深刻なことになるとも思わなかったし、死を悟ったような顔していても大袈裟に気を使われてしまうだけなので、特別仏事に励んで功徳を積むようなこともせず、普段通りにしてきました。
参内してのんびりと昔話でもしようと思いながら、病状がなかなか落ち着いてくれないので、残念ながら悶々と過ごしてましてよ。」
と、だいぶ気を落としている様子です。
まだ大変若々しく、それが残念で悲しいことだと思います。
「慎まなくてはならない年齢で、公に顔を出すこともないまま過ごされていたことも悔やまれるというのに、そんな周りの気遣いまでされて祈祷などもしなかったとはのう。」
と、とんでもないことになってしまったと思いました。
ようやく最近になっていろいろな祈祷などをさせていました。
いつもの持病と思って油断しているのを、
心の中で思っているのは、高貴な生まれで常に頂点にいて、抱えているものも人一倍あったんだということでした。
あのことを今の院には夢でさえ知らせることのできないのはさすがに心苦しく、これだけが後ろめたく心の中に絡みついていて、死後に怨霊として残ってしまうのではないかと思いました。
秘密にしているあの日のことも悲しくて、祈らない日はありません。
相手が出家の身となったためにその種の気持ちを伝えることができず、このままもう二度とそのことを言えなくなるのだと思うと絶望的な気持ちになりつつ、
「ここんところずっと病気で苦しんでいたのに、仏様へのお勤めなどは絶やすことなかったため、ますます衰弱がひどくなるばかりで、この頃はミカンすら喉を通らなくなって、施しようがないのです。」
と言うと、みんな泣いて悲しむばかりでした。
「亡き院の御遺言で御門の後見になっていただいたことは‥‥、本当によくわかっていたの‥‥、何かの機会にその感謝の心をお伝えできるかと思ってそのままになってしまっていて‥‥、そのことが悲しくてとても残念に思います‥‥。」
と、かすれるような声で幽かに聞こえてくると、答えることもできずに
こんなに弱気になってどうするんだと人目のあることを思い出すものの、若かった頃の美貌や今の出家した勿体ないお姿も、どうしようもない運命にあらがうすべもなく、今さら何が言えたもんかと悩むばかりです。
「大したこともできない身でも、亡き院の遺言で御門の後見を仕り、精いっぱい手を抜くことなくやってきたものの、太政大臣も亡くなり、その悲しみもまだ癒えぬうちにまたこんなことになって、とにかくどうすればいいのか途方に暮れて、もう自分も長くないのではないかと思います。」
などと言っているうちに大殿油の火がふっと消えるように
高貴な上に高貴な身分とされている中でも、世のためにみんなのために繊細な気配りを見せる人で、家柄が良いからって逆らえず、人々の憂鬱の種になることなんか普通はあるものの、そういう所がまったくなく、下々の無駄な気遣いも負担になるということが分かってて、やめさせるような人でした。
仏道の方でも、要求されるままに金をつぎ込んで、無駄に荘厳にしたり奇抜なことをしたりする人なども昔の賢帝の御代にはあったことですが、この中宮入道はそのようなこともなく、元からある宝物や分相応の職や官位や俸禄をあたえるだけで、本当に思慮深く節度をわきまえた人でしたので、得体の知れぬ山伏までもがその死を惜しんでました。
埋葬の際もその徳は天下に響き渡り、悲しいと思わない人はいません。
宮中の人達はみんな黒い喪服を着て、本来の華やかさには程遠い春の暮でした。
二条院の庭前の桜を見ても、いつもなら花の宴をしていたことを思い出します。
「今年ばかりは墨染に咲け」という古歌を思い出しては頷いていると、なにやら疑いを掛けられそうな気配もあって、持仏堂に籠って一日泣きました。
夕日が辺りを赤く染め、山際の梢がシルエットになると、薄くたなびく雲が濃灰色になり、周りの何事も見えてなかった心に刺さるものもあります。
夕焼けの峯にたなびく薄雲は
喪服の袖の色かと思う
誰にも聞こえない所で残念。
*
四十九日も過ぎてようやく平静を取り戻した頃、御門はなんとも心細そうです。
歳は七十かそこらですが、今は自分の来世を祈るためにお籠りをしてましたが、
こういう時だから、以前のように御門に仕えてくれるよう
「昨今、夜勤など到底耐えられる自信はあらぬが、仰せの御言葉有り難きにして、こは昔からの縁とも言わん。」
と言ってお仕えしたものの、静かな明方、訪ねてくる人もなく側近たちも退出してしまっている時、古風に咳ばらいをして様々な報告のついでに、
「これは甚だ申し上げるのもためらわれることで、罪過を負う懸念もあってか憚る者も多いことではありまするが、御謹告しないのも罪重く、お天道様の眼を欺きとおすのも恐ろしいことで胸の痞えにもなっていることでして、我が命の果なばすべて無に帰すことでもありまする。
仏様も下衆なと思うやもしれませぬ。」
などと御門に申し出て、言うに言えないことを仄めかします。
御門は何を言い出すんだ、この世に執着する恨みでもあるのか、
法師というのはは
「幼いころから何隔てなく隠し事などないと思ってたのに、そちの腹にしまっておったことがあったとは辛いことだ。」
と言えば、
「何とも恐縮。
たとえ仏の他言を禁じたる秘密の真言の深き道であっても、隠すことなく広めて参ったものです。
まして心にやましいことなど何一つありませぬ。
これは前世来世も含めた一大事でして、崩御なされた先の院、中宮様、ひいては源氏の大臣にとってすべて良からぬ噂として漏洩するやもしてませぬ。
このような老いぼれ法師の身には、たとえ難を受けようとも何の悔いがありましょうか。
天の仏さまのお告げがあって御謹告申し上げまする。
陛下のご懐妊となった時より、亡き中宮様の深くお嘆きになることがありまして、祈祷の役を仕るにも深い事情がありました。
詳細は法師めの心には察するに余りありまする。
諸事の行き違いがありまして、源の大臣の不当な罪に問われましたる時、いよいよ恐ろしくなりまして重ね重ねお祈りを承りましたが、源氏の大臣もそれを知っては、更なる御祈祷を加えるよう申し使い、貴殿の即位の時まで努めてまいりました。
して、その内容とは‥‥。」
などと長々と話すのを聞いているうちに、とにかく奇々怪々、恐ろしくもあり悲しくもあり、とにかく動揺は隠しきれません。
しばらく御門がお答えできずにいると、僧都は、
「出過ぎたことを申し上げたでしょうか。」
と面倒なことになりそうなので俄かに姿勢を正し、退出しようとするところを引き留めて、
「知らないでいたなら後の世に罰を受けるところだった。
今まで隠してきたというのは、朕の至らなさからだったか。
ところで、このことを知ってそれを言いふらしている奴はいるのか?」
「いえ、私めと
だからこそ、すこぶる恐ろしのです。
天変地異が重なり世間が騒然としているのも、兆候と言えましょう。
幼くて物心つかなかった頃には何でもなくても、今は十分な年齢に達し、物の分別のつくようになったということで、天罰が下ったのです。
万事先代の御代より始まったことでありまする。
何の罪とも承知せぬことが恐ろしいことで、心の中で忘れようとしてきたことですが、あえてそれを申し上げた次第です。」
と泣き顔になって申し上げるうちに夜も明け、退出しました。
御門は悪夢とも言えるやばいことを聞いてしまって、あれこれ煩悶しました。
亡き崋山院にも申し訳ない気がしてきて、
「何があったんだ。」
とばかりにびっくりしてやって来た
「そうか。
母君が亡くなったことを涙の枯れることなく悲しみ続けてきたんだな。」
と思いやりました。
その日、今度は式部の卿の親王が亡くなったという報告があり、追い打ちをかける様に御門は世間の混乱を嘆き悲しみました。
そんな状態なので
しんみりとこのたびの訃報のことを語ると、
「朕の世も終わるのだろうか。
何とも不安で尋常のことではない気がするし、天下もこんな穏やかならぬことになっていて、あれこれ騒然としている。
亡き中宮の意向もあったし、世間のことを思ってもここで投げ出すわけにもいかないとは思ってたが、正直今は楽になりたい。」
と話し始めるのでした。
「それは言うべきことではありません。
今回の一連の出来事は必ずしも政治の良し悪しによるものとは限りません。
栄えている治世であっても、人の死や災害など普通にあることです。
中国の先王の治世でも、国の乱れるようなことはありました。
我が国でも同じことです。
まして寿命は天命です。天寿を全うした者にそんな自責の念にかられる必要はありません。」
などとあれこれ知識を引き出しては説得しました。それを私なんぞが真似して言っても痛いだけですね。
通常の喪服よりもさらに黒い喪服を着てやつれ果てた御門の姿は、
御門もいつも鏡を見て思っていたことでしたが、あの話を聞いた後となるといつもよりも源氏の顔をまじまじと見つめると、悲しくなってきて、何とかこのことをそれとなく伝えることができないかと思ってはみるものの、さすがにはしたないと思い、若者らしく身を慎んで、今は言い出すこともできないまま、ただ当たり障りのない話題を、いつも以上に親し気に話すのでした。
何か急によそよそしくなったみたいでいつもと様子が違うことは、
御門は王命婦に詳しいことを聞こうと思いましたが、今更そのような秘密にしてきたことを知ったなんて思われたくないだろうし、ただ、
様々な書物を読んでみると、中国では王朝の交替は多いし、密通によって密かに入れ替わった例も結構あるようです。
これに対し、日本にはそうした例はありません。
「たとえあったとしても、自分のような隠されていた真実を果たして後世に伝え残そうとするだろうか。
天皇の子でありながら源氏の姓をを賜り臣下に下った者が、納言になり大臣になり、更に親王にもどり皇位に就いた例もいくつもある。
人柄の優れているこのもあるし、源氏の大臣に譲位するという手もある」
などと、いろいろ考えました。
「源王朝爆誕?」
「元々皇子なんだから皇籍に戻るだけで、易姓革命にはならないでしょ。」
「王朝の入れ替わりはなくても源氏が皇籍に復帰する例はあったって言ってたね。」
「それはよくわからないわね。日本紀読んでないし。」
「まあ、バレなきゃ革命ではないって誰か言ってなかった?」
「まあ、とにかく不穏ね。現実の方もそうだけど。」
「星の異常というと、寛弘の頃に急に明るい星が出現したことってあったね。」
「あの頃は特に凶兆でもなかったから、そんなに騒がなかったけど。」
「彗星も子供の頃にあったかも。」
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