第49話 松風2 桂の院
「そういえば若い子少なくない?」
「確かに、作者とともにファンも年取っていくものなのかなあ。」
「男は何か増えてる。」
「この頃あの大臣は来てない。」
嵯峨野の御堂に来るという知らせがあると聞いて、近くの荘園の人たちが集まってきてたのですが、皆こちらの家の方を尋ねて来ました。
前庭の木の折れて倒れた所なども綺麗に作り直します。
「庭石の立ててあったものがそこらかしこ皆倒れているけど、うまくその味を生かすことができれば、なかなか面白い庭になりそうだな。
こんな所をきちっと直してしまうのもつまらない。
ここにずっといるわけでもないので、出て行く時に愛着が湧いて離れ難くなってもいけないし。」
などと先のことまでも心配しては泣いたり笑ったり、包み隠さず語るあたりは立派なものです。
その様子を見ていた母の尼君は、年取ったことも忘れて今までの悩みが晴れて行くような気分でにっこりしています。
東の
「尼君はここにいらしたか。みっともない姿を見せちゃったな。」
と言って
几帳の側に寄ってゆき、
「あの子が前世の罪業も軽く、健やかに育ってるのも、それもあなたが仏道に励んできたおかげだ。
ただ一心に仏様に祈って過ごしたあの棲家を捨てて、こうして世俗に復帰したお気持は並大抵とは思っていない。
それにあちらでは今どんな状態で何を思って暮らしているのか、いろいろ考えてしまうな。」
と親し気に話しかけます。
「世を捨てたのに今更帰ってきて、また悩み事を抱えてしまっているのがわかってくれるなら、長生きできたことも仏の加護の御印なのでしょう。」
と涙ぐんで、
「すさんだ磯辺でこの先どうなってしまうかもわからない二葉の松も、これからはこんなに立派な人にお世話されるという祝福を受けるとはいえ、まだ深く根を下ろしたわけでないために大丈夫かと、とにかく心配事は絶えません。」
などと言うのも理由のないことではないので、昔話にここに住んでいた親王のことなども話して聞かせると、改修されたばかりの水の音なども恨みがましく聞こえます。
「住み慣れた家に帰って戸惑えば
主人は俺だと清水が言ってる」
さりげなく言い放つ様子は、大宮人らしいなと思いました。
「遣り水は昔を忘れちゃいないけど
元の主人の顔は変わった
悲しいね。」
と遣り水の方を眺めて立ち上がる姿は、この世のものとも思えないオーラを放ってます。
お寺の御堂の方にも顔を出して、毎月十四日の普賢講、十五日の阿弥陀念仏、月末に行われる釈迦念仏の念仏三昧はもとより、さらに行るべきことなどを定めるように言いました。
堂の装飾、仏具などの配置も指示しました。
月の明るいうちに
明石での夜の事を思い出して、形見にあずかっていた七弦琴を差し出しました。
何となくエモい気分になって、抑えられない衝動のままに掻き鳴らしました。
あの時と同じ曲を繰り返すことで、今まさにそこにいるかのようです。
変わらない約束通りの琴の音に
変わらない心わかってほしい
変わらない約束だけを頼りにして
松風のこの音を添えます
と歌を交わしてもまったく不釣り合いでないのが、出来すぎのように思えます。
すっかり大人びた容姿や仕草は捨て難いものがあり、幼い子の方もいつまでも見守ってやりたいと思いました。
「どうすればいいんだい。
いつまでもここに隠しておいたままじゃ気の毒だし勿体ない。
二条院の方で引き取れば思うように育て上げることができるし、入内することになっても堂々としてられる。」
そうは思うものの、
幼心に少し人見知りしたりしながら、次第に慣れて来たので、話しかけたり笑い掛けたりしてすっかりなついてくるのを見ると、マジ天使ですね。
抱き上げられたりしている所は本当に見物で、よっぽど前世での行いがよかったのでしょうね。
*
次の日は京へ帰る予定でしたが、少しばかり寝過ごして、出ようと思うと桂の院にたくさんの人が集まって、殿上人も何人もいました。
装束を整えて、
「うわあ、これはまじ面目ない。
見つからないと思ったんだがな。」
と言って、この騒ぎに急き立てられるように出発します。
このまま別れるのは心苦しいので、大したことでもないふうに適当にごまかして戸口に立ち止まれば、乳母が若君を抱いて出て来ました。
気の毒に思えて、その赤子を撫でて、
「会えなくなるのはまじ辛くて、まじ酷いことだ。
どうすりゃいいんだ、こんな人里離れた所に。」
と言えば、
「遥か遠い所で放ったらかしにされたこれまでよりも、今後一体どうしたいのかはっきりしないのが、一番苦しいことです。」
と返します。
若君も手を伸ばして、源氏の立っている方へ行こうとしたので、膝をついて、
「どうしたって悩みは尽きないもんだね。
少しの間でも別れは辛い。
おーい、どこだーー。
どうして一緒に出てきて、引き留めてくれないんだ。
そうすれば腹も座るというのに。」
そういうと急に笑って乳母は
すっかり心を取り乱して臥せっていたので、すぐに動くこともできません。
プライドが高くて平気なふりをしてたんだな、と思いました。
周りの人も痛いと思っていたので、しかたなく膝で歩いて出てきて、几帳に半分顔を隠しながらこちらを見る目がいわくありげに輝いてます。
張りつめていたものが解けたような様子は皇女のような自信に満ちた気高さをたたえています。
几帳の布を横に引いて、少しの間でも抱きしめたいと思いながらも、すぐに思い直して気持ちを静めて、見送るように言いました。
ただでさえひときわ背が高かったところに、大人としての骨格の整った姿は大臣にふさわしい貫禄も身についていて、指貫の裾まで少しもがさつな所がない優美なところは可愛らしくもあり、本当に我儘なものです。
須磨にいた頃は解任されてた蔵人のチカノブも元の官位に戻ってました。
いまは
昔と違って、すっきりした顔で
几帳の向こうの人影を見つけて、
「あの頃のことを忘れてはいませんが、畏れ多く、失礼します。
浦風を思い出すような暁の寝覚めに、驚かせるようなことを言うすべもありません。」
と何かを仄めかそうとしているのを、
「幾重にも霧のかかった深山は明石の島隠れの船にも劣りはしないけど、松も昔の友と言うわな。
わざわざ訪ねてきて忘れられない人に会えたことも、頼もしい限りや。」
などと言います。
立派になったもんだ、俺だってその気がないわけではなかったのになどと、しょうもないことを思いながらも、
「それではまた改めて。」
とすぐに気を取り直して出て行きました。
いかにも何事もなかったかのように悠々と歩いて外に出ると、お付の誰かが大声で道を開けさせて、車に乗り込むと後ろの席には頭の中将と
「この隠れ家がこんな簡単に見つかっちゃって、悔しいな。」
と困ったような顔をしています。
「昨夜の月には、お供に居合わせることができなくて申し訳ないことをしたと思い、今朝は霧の中、すっとんでやって来た次第です。
嵐山の錦にはまだ早く、野辺の花がいま盛りというところで、どこかの朝臣の小鷹狩にかかずらわっていたので、出発に間に合わなくて‥‥、どうなってしまうんでしょうか。」
などと言います。
「どうなってって、今日はまだ桂の院に留まるさ。」
と言って、ふたたびそちらの方に向かいました。
*
急に宴会をやるというので大騒ぎになり、鵜匠たちを呼び寄せると、須磨明石の浜辺の漁師の騒いでた頃を思い出します。
前夜から野で夜を明かしていた公達は、小鷹狩で得た小鳥を萩の枝に吊るしてお土産に持ってきました。
盃が次々と流れてきて、川の辺りはなかなか危険な状態になりながらも、酔っ払ってればそんなの関係ないとばかりその日を過ごしました。
短い漢詩などを作って盛り上がるうちに月の光も華やかに差し込んできて、音楽が始まりまり、いかにも今風です。
弾き物は琵琶や和琴が少々と、笛は名人のだけにして、この季節に合った調子のものを吹きたてると、川風の音に調和して面白く、月が高く昇れば何もかもが澄み切った夜もやや更けてきた頃、殿上人が四五人連れ立ってやってきました。
殿上に仕えていたのを、音楽の宴があったそのついでに
「今日は六日間の物忌みの終わる日だから、必ず来ると思っていたのに、どうしたんだ。」
とのたまったということで、ここに宿泊していることを聞いてそのことを伝えに来たのでした。
使いの者は蔵人の弁でした。
「月のすむ遠くの川の里だって?
月の桂ものどかでしょうな
うらやましいじゃないか。」
とのことで、畏れ多く拝聴します。
こうした場所での音楽は殿上で聞くものよりもぞくぞくするようなもので、それを楽しみながら、さらに酔いが回ってきます。
ここには褒美として与えるものも用意してなかったので、桂の院の方に「何か出来合いのもので適当なものを」と言って、そちらへ行かせました。
その場にいた人にに案内させました。
「久方の光りに似てる川の名も
霧がかかってばかりの里です」
御門がわざわざ来るような所ではありません、という意味なのでしょう。
月の中には桂の木が生えているという言い伝えから、桂の院を「久方の中に生ひたる」という古歌を思い起こしてこの歌を詠んだのですが、河辺海辺の違いはある者のやはり須磨明石の浜でみた淡路島を思い出して、凡河内躬恒が「所がらかも」「あは!」と感動して詠んだ歌なども思われて、物悲しい気分になって酔いながら泣き出す人もいました。
ここに帰り手に取るばかり清々しい
淡路島では「あは!」と見た月
頭の中将も、
浮雲に時々隠れる月影
すっかり澄んで長閑な夜です
左大弁はやや年長の部類に入り、今は亡き院の時代から親しく仕えていた人で、
雲の上の住処を捨てた夜半の月
一体どこの谷に隠れた
それぞれの思いで詠んだ歌が沢山ありましたが、面倒なので割愛します。
親しい者同士のはめを外したひそひそ話など、千年でも立ち聞きしてこっそり眺めていたいですが、斧の柄が朽ちてきたところで継ぎ足すこともなく、さすがに今日こそはと急いで帰って行きました。
頂いた装束などを肩にかけて、霧の絶え間に朧げに見える姿など、前庭に咲く花とも見間違うほどの華やかな色合いです。
♪その駒ぞや、我に、我に草請ふ
という『
大声で騒ぎながら帰ってゆく声も、明石の人たちは離れた所で聞いていて、遠ざかって行くのを淋しく眺めています。
「手紙をやんなきゃな」と
*
二条院に帰るとすぐに床で休みます。
山里であったことなども話します。
「予定よりだいぶ長くなってしまって、申し訳ない。
遊び好きな連中が訪ねてきて、もっと泊っていけなんて言われちゃって、ついつい。
今朝は二日酔いか。」
当然疑っているようでしたが、相手にせずに、
「格下の女と自分を比べるのは良いことではない。自分は自分だと思いなさい。」
と諭しました。
夕暮れになって内裏へ行くときに、隠すようにして急いで書いた手紙は、例の所へでした。
何ともまめなことですが、小声で使いを出すところなど、女房達の憎まれ口が聞こえて来そうですね。
その夜は内裏に宿まる予定でしたが、ますます疑惑が深まったような様子だったので、夜も更けてからですが、戻りました。あちらからの返事が来ていました。
隠すこともできずに読みます。
特に不都合なことも書いてなかったので、
「これは破って捨ててくれ。面倒くさい。
こうしたものを集めるなんて、もうこの年で卒業した。」
そう言って脇息に寄りかかってはいるものの、心の中では悲しくも恋しく思っていたので、灯りの炎を見つめながらそれ以上何も言いません。
手紙は広げたままになってますが、女君は見ようともしないので、
「そういう見て見ぬふりをするその目つきがやなんだよな。」
と言って苦笑いするその可愛らしいこと、もうこれ以上という所まで溢れさせてほしいものですね。
すっと近寄って、
「そのーー、実を言うと、とにかく可愛らしいものを見ちゃって、前世の因縁も浅くない、これも運命と思って、かといってきちんとうちで世話をするのも、いろいろうしろめたいこともあって、それで悩んでいるんだ。
俺の身になったと思って一緒に考えて、どうするか決めてくれ。
どうしたらいいのか。ここで育ててくれるか。
まだ幼く、これから
と遠回しに言います。
「私が思ってもないことを勝手に決めつけて心に壁を作ったりして、せめてわかったふりしないで、心を開いてほしいわね。
その幼い人の気持ちは私にはよーーくわかるわ。
ほんと痛いくらいにね。」
と言ってふっと笑いました。
その子供をとにかく可愛がってやりたいというお気持なので、早く連れてきてもらって抱きしめてやらなくてはと思います。
源氏の方は「どうしたらいいんだ。本当に迎えちゃって良いのか」とまだ思い悩んでいます。
簡単には会いに行けません。
嵯峨野の御堂の阿弥陀念仏、釈迦念仏の日を待っての月に二回の密会です。
年に一度の七夕よりはましでしょうけど、どうしようもないと思ってはみても、いつになっても悩みは尽きないものです。
「紫の上も兵部卿に見放されてたしね。」
「あのまま源氏に拾われなかったら、継母にいじめられてただろうし。」
「王族の血でも、妻が沢山いると、見放された子も多いし、源氏のハーレムもそれをかき集めてるようなもんでしょ。」
「源氏自身が更衣の子で似たような境遇だしね。」
「母親の愛を知らないしね。」
「家族が欲しくても、本当の肉親は院だけで、それ以外は自分の肉体の魅力で何とかするしかなかったってわけか。」
「本当の所は妻達を信じてないし、心を開こうとしない。」
「息子は大臣の家に取られてるし、娘は御門だけど大きな声で言えないし。」
「明石の姫君も継母に所に来るってわけね。」
「栄華を極めてるようで、悲しい人たち。」
「だからいいんでしょ。これで家族まで仲睦まじくて自慢されたら、○したくなる。」
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