第48話 松風1 明石の上京
長和3年(1014年)、春の終わり頃。
藤式部の呟き
「前みたいな御門や院や中宮様の前で物語をするような緊張も華々しさもなくなったけど、その分気は楽になったわね。
今は太后様になられましたが、個人的に物語をお聞かせしてるし、皇子様もすくすく育って、そこは別に問題はない。
ただ、今の御門が目の病気になったことで、源氏の須磨隠棲の頃、朱雀の御門が目の病気だったことを思い出して、呪いをかけたなんて噂されるのは洒落にならない。
左大臣は眼病を理由に譲位を迫ろうとしてるようだし‥‥。」
藤式部
「いろいろなことがあるけど、この物語は祭りごととは全く関係なく、今日も始めます。」
二条院の東の院が完成し、
西の対との間に
東の対は明石の人を住ませようと思ってとってあります。
北の対は特に広い場所を取って造営させ、ほんの仮初にでも思いを寄せ、先々の面倒を見ようと約束した人たちを住ませるために、別々に住めるように設計したので、その細やかに配慮された建物の配置はなかなか興味深いものです。
中央の寝殿には誰も住まわせず、今の二条院から東の院に来る時の休息所にして、そのための設備を整えました。
明石との手紙のやり取りはあれからずっと続いていて、今は早く京に来るように言うのですが、
「皇族の人でさえ目を掛けておきながら、つれなく扱われていて悩んでるゆうし、私のような者が果たして覚えていてもらえるやら、わざわざその中に混ざろうなんてね。
この小さな子も隠しておかんと、身分の差が現れてしもうてもいややし。
たまにこっそりとやってきてくれるのを待つだけで、人に笑われて恥をかくんとちゃうか。」
とあれこれ悩んではいても、だからといって、生まれ育ったところで放置されてしまってももっと悲しんで、ひたすら文句も言わずに従うしかありません。
両親も、「まあ、それもそうやが」と頭を抱えて、なかなか悩みが尽きません。
昔、明石の母君の祖父に
「宮中とさよならしてこんな片田舎の住まいに身を沈めていたが、この歳になって思いがけないことがあって都の住処があったらと思ったんやが、いきなり都人の中にというのも気後れするし、すっかり田舎者になってしもうたし、穏やかに過ごしたいところなので、昔の所領なんてどうかと思った次第や。
それなりのものは与えよう。
修理などして形だけでも住めるように取り繕ってくれないかえ。」
と言います。
それを聞いて、
「最近はこの所領を治める者もなくて、とんでもないことになっているので、寝殿の後の
かなり荘厳な大伽藍を建てているので、大工や人足もたくさん動員されてます。
穏やかにとおっしゃるのならば、ちょっと違うと思いますが。」
すると母の尼君が、
「まあまあそれも、あのお殿様のおかげやし、当てにしていることもあるからねー。
家の中のことはそのうち何とかするから。
先ずは急いで大体の準備をしといてな。」
そう言うと、
「自分の所領ではありませんし、所領を受け継ぐ人もなかったので、ずっとひっそり暮らしてまして、長いこと人とも関わってません。
それで荘園の田畑はとにかく荒れ放題になってたので、今は亡き
などと、その既得権を没収されると思ったか、髭ぼうぼうのただでさえ不愛想な顔で鼻などを真っ赤にしながらぶつくさ言うので、
「そんな田んぼのことなんて知らん。
今まで通りやったらええ。
権利書はうちらが持っているけど、とっくに世を捨てた身なので、長いこと見に行ったこともないので、そのことを今詳しく聞くことにしましょう。」
ということで、内大臣とのつながりなども仄めかせば、嫌そうな顔をしながらも、その後それなりのものを受け取って、急いで造営しました。
そんなことがあったなんて全然知らずに、上京することを渋っている理由が理解できないまま、
「自分の小さな娘にずっと田舎暮らしを強いたのでは、後の世の人たちがこの頃を言い伝えて、それこそ俺が悪いことになっちゃうじゃないか。」
と思ってたところ、工事が終わって「ここに所領があったことを思い出しました」と連絡してきます。
「宮中に来るのをずっと渋ってたのは、これがあったからか」
と納得しました。
「なかなか隅に置けないもんだな」
と思いました。
惟光の朝臣は例によってこうした隠密行動に駆り出される人なので、桂川の新居に使いにやり、いろいろな準備をさせました。
「なかなかいい眺めの所で、明石の海辺にも似た所があります。」
と聞くと、何だかこんな住まいに縁があるんだろうなと思いました。
明石の屋敷は川に面した所で、なかなか立派な松の木の影に無造作に建てられたような簡素なもので、それが却って山里の物悲しげな雰囲気を漂わせています。
内部の設えは
親しい人たちを密かに明石へ迎えにやります。
何でまあ、こう、どれもこれも心配の種になってしまうのかと、なまじっかな情けの露なら、そういうののない人が羨ましく思えます。
入道も尼君もこうやってお迎えが来て上京してゆく幸運は、長年寝ても醒めても願い続けてきたことがかなったというので、大変うれしいことだったのですが、一緒に暮らせないことが気がかりでどうしようもなく悲しくて、夜も昼も気が抜けたみたいに、
「もうこの子の姿を見ることができなくなってしまう」
と何度も何度も言うのでした。
尼君もとても悲しそうです。
今までも入道とは同じ家に住まずに離れて暮らしていたので、これから誰を頼りに生きて行けばいいのか。
ただの浮気心で遊びの関係を結んだにしても、一度情が湧けば別れるのは簡単ではないというのに、まして夫は頭の中がすっかりねじ曲がっていて、心配ばかりかけて頼りないうえに、後生を願うばかりの、ここが
今までどうなってしまうのかとやきもきしていた若い乳母や女房達も、嬉しくはあるけど、この浜辺からは離れがたくて、二度と帰ることもないかもしれないと、寄せ来る波のような悲しみに、ひそかに袖を濡らしてました。
頃合いもちょうど秋で、物悲しい上に物悲しくて、当日の明方には秋風が涼しく虫の声に急き立てられて、とりあえず海の方を見ていると、入道はいつものようにまだ真っ暗なうちから起きて、鼻をすすりながら朝のお勤めをしてました。
別れに涙は禁物とは言うけど、みんな堪えることができません。
赤ちゃんはとにもかくにも可愛らしくて、中国の伝説の夜でも光る玉のようで、袖の上に抱いたまま手放すことができず、まあいつものこととは思ってはいても、出家の身を恨めしく思うほどの危険なまでの孫煩悩に、この子をもう見ることができないなんてどうやって生きて行けばいいのかと、その思いを隠すことができません。
「行き先ははるか遠くと別れるに
年寄りの涙はこらえきれない
おう、危ない危ない。」
と歌うと、涙を押し拭って隠します。
尼君も、
「一緒にと都を出たのに今一人
野中の道は不安ですわね」
夫婦の契りを交わして長年寄り添ってきたその年月を思えば、どうなるともわからない話に、捨てたはずの世間に戻っていくのも、それも思えば悲しいものですね。
生きてまためぐり合うのはいつの日か
いつ死んでしまうかわからない身です
都まで送ってくれても。」
とお願いをしてみるものの、何かにつけていろいろ理由を付けては断るのですが、さすがに道中のことを心配しないわけはありません。
「宮中での出世をあきらめて、こうした離れた国にわざわざやってきたことも、ただお前のためだったんじゃ。
思うがまま満足のいくような育て方ができるようにとそれだけに明け暮れて、そう思っただけだったんじゃ。
そんなうまくはいかないということを身に染みて思い知ることも多かったが、だからといって都に帰って受領崩れと言われるだけで、蓬や葎に埋もれた貧しい家を元通りにできるわけでもないし、宮中にも世間にも悪い評判を立てて、大臣だった今は亡き父の顔に泥を塗るだけだと思い、どうせ出世をあきらめて都を出たということはみんな知っていることだったから、これはこれでやり切らなくてはと思って、お前の成長した姿はとにかくうれしくてしょうがないんじゃ。
それで、こんな残念な場所に宝物を隠したままにしておくのかと思うととにかく憂鬱で、子煩悩の闇に落ちたんだと神仏にすがっていたんじゃ。
でも、こんな駄目なわしのせいでこんな片田舎の小屋に一緒にいさせるわけにはいかないと思う一念で祈っていたら、思い掛けない嬉しい事件が起きて、自分の身の程を思うとまたあれやこれや悩みが尽きなくて‥‥。
孫が生まれたことでこれは奇跡とも言えるもので、こんな侘しい海辺に長年暮してきたのも、すべてこのためのことじゃったと思えば、もう逢えないと思うと迷う心も抑えきれないが、とっくの昔に世を捨てたんだから、それでもいいと思う。
二人とも皇統の御代を背負ってゆく希望の光なんじゃから、こんなちっぽけな田舎もんの心を乱すのもこれもまた運命じゃったんだろう。
天に生まれるべき人が、一時的に地獄道・餓鬼道・畜生道の三途の悪道に落ちていたのが本来の場所に帰るのだと思って、今日ここで永の別れとするつもりじゃ。
この先訃報があったとしても、来世のことは心配するな。
もう逢えないからと言って、迷ったりするな。」
と勇ましく言い放ったそばから、
「この身が煙となる夕べまで、この子のことを一日六回のお勤めの時には‥‥、これも煩悩だが、密かに祈っている。」
などと言って、今にも泣きそうになってます。
牛車を連ねて陸路で山陽道を行くにも道が狭く、半分づつ分けていくのも面倒で、お供の人たちもあまり目立ちたくないということで、船で密かに移動することにしました。
辰の刻(午前八時ごろ)、船出しました。
昔の人も悲し気に歌った明石の浦の朝霧に船が遠ざかって行くと、一気に悲しみが込み上げてきたのか、入道は気が晴れることもなく放心状態で眺めるばかりです。
一方、長い年月を経て、今更都に帰るにも、心残りなことも多く、尼君の方も泣いてました。
彼岸へと行くはずだった海人の舟が
反対側に漕ぎ帰るとは
秋は来て何度も秋は去ったけど
今流木に乗って帰るのね
思い通りの風が吹いて、予定した日に一日と違わず京に入りました。
人に怪しまれたくないというにもあって、船を上がってからも身分を隠して移動しました。
*
家の造りも面白くて、今までずっと住んできた海辺の家を思わせるもので、引っ越してきたという気もしません。
ただ、この所領の昔のことを知っている尼君は、しみじみとなることも多いようです。
急遽造られた廊下にも趣向が凝らされていて、人工的な川なども面白く造られています。
まだ一部完成してない所があるものの、住む分には申し分ありません。
ただ、直接来るのはいかがなものかと思っているうちに、何日も過ぎてゆきました。
そんなわけで、まだまだすっきりしない日々が続き、捨ててきた明石の家も恋しく、
尼君も物悲し気に物に寄りかかっていましたが、身を起こして、
尼となり一人帰った山里に
勝手知ったる松風が吹く
故郷と思った土地の友を思い
囀る「こと」を誰が知るでしょうか
こんなふうに頼りなげに明かし暮らしているので、
「桂川の方に用事があったんで、行こうと思ってたんだがついつい遅くなってしまったんだ。
訪ねて行くといった人の所が、その辺りまで来ていて待っているということで、悪いことしたなと思ってね。
嵯峨野の御堂には、まだ飾りつけの終わっていない仏像があって、そこに行かなくてはならないので、二三日そこにいることになる。」
と説明します。
急に桂川の辺りに桂の院という別邸作らせたというから何かと思ったら、そこに誰か住まわせてるのねと思い、それで合点がいったのか、
「斧の柄が朽ちてもまた挿げ替えればというとこですね。待ち遠しいです。」
と、もやもやした様子です。
「いつもながら、調子狂うな。
昔は散々遊び歩いてたけど今は見る影もないと世間でも噂しているというのに。」
こっそりと、事情を知らなそうな人は交えずに、細心の注意を払って出かけてゆきました。
黄昏時に到着しました。
初めて見る可愛らしい若君を見れば、どうして冷たくなどできるでしょうか。
これまでずっと逢わずにいたことで、ひどいことをしたと後悔しきりです。
「
と言ってる傍から、ふわっと笑ったときの邪心のない顔が可愛くて花が咲いたようなのがいじらしくて、やばいと思います。
乳母が明石に行ったときは見るからにふけたような感じがしたが、すっかり大人の美しさへと変わり、滞在中のいろんな話を友達のように話してくれますが、あの悲し気な藻塩焼く小屋の近くで過ごした頃のことをしみじみと思い出し、
「ここもかなり人里から離れていて、なかなか通うこともできないので、もっとふさわしい所に引っ越してくれ。」
と言ってはみるものの、
「もうちょっとこちらに慣れてから。」
と答えるのもわかります。
その日は夜を徹して語り交わし、夜を明かしました。
「『語り交わす』って、お約束のアレね。」
「『足を揉んだり』とか。」
「まあ、それ以上は書けませんってことで。」
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