第47話 絵合2 御門の御前
藤式部
「さあ、絵合わせもいよいよ紫宸殿での決勝戦ということで、今日も始まり始まり。」
こういうのも良いなとかねがね思ってたので、持っている絵の中でも特別なものをまだ出してませんでしたが、あの『須磨』『明石』の二巻をこの時だと思い、梅壺の方に集められた絵の中に加えました。
この頃宮中では、ただこうした面白い紙に描いた絵を集めることにみんな夢中になってました。
「今さら新たに何かを書かせようなんて思ってはいない。ただ持てるだけのもので勝負する。」
とは言うものの、
毎年行われている節会などの面白くて話題になったものを、昔の名人たちが様々な角度から描いたものに、延喜の頃の御門が自ら頌を添えたものや、また、朱雀院の時代のことを描かせた巻には、あの
沈香の薫りの染み込んだ優雅な透かし彫りの箱に、同じような意匠の金属製の花の枝を飾るところなど、流行の最先端です。朱雀院の殿上に使えている左近中将に運ばせ、手紙は特になく、言葉で明細を伝えるだけです。
あの太極殿に斎宮の御輿を寄せた場面が神々しくて、
「聖域の外にはいてもそのかみの
心の内は忘れはしない」
と院の歌が添えられています。
返歌をしないのも申し訳ないので、嫌だなとは思うものの昔の簪の端を少し折って、
「聖域の中はすっかり変わってて
神代のことも今は恋しい」
とまあ、中国製の空色の紙に包んで届けました。
お使いの者への褒美なども大変立派なものでした。
朱雀院の御門がその返歌を見て、限りなく心に染みるものがあって、あの頃に戻れたらなと思います。
まあ、因果応報かもしれませんね。
朱雀院の所持する絵は昔の
日にちを定めて、急ごしらえではありますが臨時の飾り立てたステージを用意し、左右の絵を公開しました。
清涼殿の西の台盤所(女房の詰め所)に御門の玉座を置いて、北に左方、南に右方と分かれて座ります。
清涼殿は東側に縁側があり、そこから見ると、まず東孫庇があり、次に昼の御座があり、ここが絵合わせの会場になります。
その奥に台盤所があり、ここに臨時の玉座が置かれ御門が座ると、御門から見て左が北になり、右が南になります。
殿上人は後涼殿の簀子に、各自好きなように座ります。
後涼殿は清涼殿の西側に隣接していて、その間に西簀子があり、そこが台盤所の後になって、ここに三位以上の者および四位、五位のうちで昇殿を許された者が座ります。
左の
右の
童は青に柳色を重ねた
双方の童たちが御門の前に運び込みます。御門の女房も右左に分かれてそれぞれの装束を着ていました。
やがて呼び出されて
この日は大宰府の
皇族の者でいて絵を好むとあれば、
正式な要請ではなく、殿上にたまたま来た時にそうした話があって、この会場にやってきました。
今回の審判を務めます。
それにしても非の打ちどころのない絵ばかりです。
とても判定などできません。
例の
昨今の表面をなぞったようなものであっても、その点では昔の絵に恥じるようなものではなく、きらびやかで「うわ、やばっ」と言わせる力は十分で、他の多くの絵の勝負も、この日は双方とも考えさせられることが沢山ありました。
台盤所の北にある
いろいろ事情をよく知っている人だと思えば、
決着つかずに夜になりました。
左(
右(
親王をはじめとして、皆涙を止めることができません。
あの当時お気の毒で悲しいと思ってた人でも、
須磨の景色、霞むような浦々、磯の様子など余すところなく描かれていました。
草書の漢文に所々仮名を交えて書いていて、公式な日記のスタイルではなく、悲し気な和歌なども交えていて、とにかく引き込まれてしまい言葉もありません。
今まで見てきた沢山の絵の魅力も、全部これに持ってかれた感じで、感動に浸ってました。
結局みんなこの絵に譲った形で、左(
*
夜も明方近くなると、何となく祭の後のような物悲しい雰囲気に、酒を酌み交わしながら昔話が始まりました。
「まだ物心もつかぬ頃から学問に興味を持って、少し何か分かってきた頃だったか、亡き崋山院がそれを見て言ったんだ。
『学才というのは世間でも大変重んじられているが、学問に専念した者に長生きして幸せになったものなどそうはいない。
最高の身分に生まれ、それだけで誰よりも有利に生きられるのだから、あまりそっちの道に深入りしない方が良いぞ。』
って。
そう諫められて、儀式に必要な音楽、舞、和歌、書などを学ぶようになったんだけど、下手ではないけど名人というほどにもなれなかったな。
絵だけはどうにも稚拙で見劣りするものばかりで、どうやったら満足するような絵が描けるのかといつも思ってたんだ。
そしたらいきなり田舎暮らしになって、海辺の物悲しい風景にすっかり心を奪われ、しかも思いもよらなかったほど絵を描く時間もたくさんあって、まあ筆力には限界があって思うようには描けなかったけど、人に見せる機会もなかったので、こういう所に出してしまったのはやはり軽率だったか、後々何と言われることか。」
と
「どんな芸事でもしっかりとそれに集中できないなら身に付くものではないが、どんな道でも師匠がいて、いろいろ学ばなくてはならないものがあるから、その極意に至るかどうかは別としても、それなりに身には着くものだ。
絵だとか囲碁だとかは、不思議と天性のものがあるのか、まともな修行もしなかったような異端児でも、当たり前のように凄い絵を描いたり、とんでもない碁を打ったりするのもいるが、それなりの家の子弟にはやはり抜きんでた人がいて、何をやって上手かったりする。
亡き院の時には親王たちも内親王もみんな、いろいろな芸事をやらされたものです。
その中でもそなたは特別なご贔屓を受けて伝授されたその甲斐あって、
『文才もさることながら、特に七弦琴を弾かせたら一番で、横笛、琵琶、箏なども次々習得していった』
と、亡き院も言ってたもんだ。
このことは宮中ではみんな知ったけど、絵の方は書を習うついでの遊びくらいに思っていて、それがまあ常軌を逸していたというか、昔の絵の名人たちもどこかへすっ飛んでいくような絵を描くなんて、いくら何でもけしからんぞ。」
とだんだん酔いが回って興奮してくると、周りも酒に酔ったせいなのか、亡き崋山院の話が出て来るとみんな涙ぐんでました。
*
三月も二十日過ぎのことです。夜も遅く月が昇りはじめ、近くはまだ真っ暗だけど空の色は明るくなってきたので、
この人もまた、誰にも負けないくらいの演奏を聞かせてくれます。
殿上人の中の上手な人を呼んで
これはもう、やばいなんてもんではありません。
夜が明けてくると、花の色も人の姿も仄かに見えてきて、鳥が囀り出すと心も晴れ晴れの最高の朝を迎えます。
絵合わせ褒美の方は中宮より下賜されます。
判者の親王はさらに
この頃のことですが、あの画巻をどうするか話し合いました。
「あの須磨明石の画巻は中宮に持っていてほしいな。」
と言うと、この前の物や後のいくつかの巻も心惹かれていたようで、
「あとは、追々。」
と言いました。
御門も興味を示されたのをの嬉しそうに見てました。
些細なことだとはいっても、
御門の気持ちは最初から自分の娘の方にすっかり馴染んでいて、こまやかな気遣いをしてることを密かに気付いているだけに、それを頼りに「まあ大丈夫だろう」と思いました。
宮中恒例の節会でも、あの天皇の御代から始まったと後の人が言うような前例を作っていこうとしている時代だけに、今回の非公式な一回限りの遊びもいろいろと新しい趣向を取り入れ、繁栄の絶頂を迎えていました。
「昔の例を見聞きするにつけても、若くして高い官位を得て並外れた栄華を得た人って、長続きしないものだ。
今のご時世では実力以上に持ち上げられすぎている。
途中一度宮中に居られなくなって田舎に沈んでいたけど、その分だけ今はまだ長らえているだけだ。
これから先も栄華が続いても、寿命が持つかどうかわからない。
静かに隠居して来世のためのお勤めをしていた方が長生きもできる。」
と思って、山里の長閑な所の土地を得て御堂を造らせ、仏像やお経を安置させるようにしたのはいいが、幼い子供たちを思い通りに育てようと思うあたり、まだまだ世を捨てるのは難しそうです。
何を考えているのか、本当わかりませんね。
「そういえば寛弘の頃はこの絵合のように御門や中宮の前で物語をしてたっけ。」
「だんだん聞く人が多くなって、小さな
「いまは元通りの
「大殿油の灯りだけで、周りが誰かもよくわからないし、女房達に交じるのも気が引けるから、こうした縁側の方が気が楽だしな。」
「何か今の世の中だと仏道に入りたくなるけど、源氏物語が完結するまでは無理かな。」
「何か明日も仕事だと思うと憂鬱だし、隠棲するか出家するか、でも物語は最後まで聞きたいし。」
「何か今は物騒だからな。矢が飛んでこないまでも、上げ足の取りあいで、いつ足もとを掬われるかわからないし。」
「須磨明石の絵って誰か描いてるのかな。見てみたい。」
「これから絵師たちが競って描くんじゃない?」
「昔から人麿の明石の霧隠れゆく船や、行平の物語もあるし、名所だから何度となく絵には描かれてきたと思う。」
「わりかし男には人気のある所なんだけど、女房達の関心はどうなのかな。」
「明石は遠いし、芦屋辺りでもいいな。」
「芦屋か。伊勢物語にも出てくるし。今人気急上昇。」
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