第46話 絵合1 二人の女御
長和3年(1014年)、春。
「あれから七年。長かった。」
「いろんなことがあったな。」
「あの後本当に次の春に花山院が崩御されたし。」
「そのあと中宮様に皇子様が生まれて。」
「そのあと、急に先の御門が譲位して出家したら、あっというまに崩御されて、どうなることかと思ってたら、今の御門がまた左大臣と険悪な感じになってって。」
「火事もあったしな。」
「あのごたごたの中で、藤式部も物語どころではなかったのかな。」
「でも、こうして藤式部が帰って来たことだし、これから世の中が落ち着いてくると良いな。
「物語で泣いたり笑ったりして、そんな平和な時代が来てほしい。」
「式部が帰って来たのは、希望ね。」
「最初の頃みたいに、あれやろうか。」
「そうね。式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部」
「式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部」
藤式部
「久しぶりです。
風流の心があればこの世から暴力がなくなるなんて、そんな甘いことを言うつもりはありませんが、でもいつでも心に希望の炎を燃やし続けることはできると思います。」
先の
こまごまとした訪問や進物まで、これといった援助をする人がいない状態でしたが、
朱雀院はそのことに不満はあるものの、体裁を気にして手紙などもしてませんでしたが、入内の当日に並々ならない立派な装束や櫛の箱、化粧道具の箱、香壺の箱などは世に二つとないようなもので、様々な薫物、
櫛の箱を片方を見ると、これでもかと精巧で品もあり、素晴らしいものでした。
髪飾りにする櫛の箱の紐に括りつけられた葉のようなものに、
斎宮になる日の小櫛そのせいで
遥かな仲と神が決めたか
「あの伊勢へ下る時に既に恋心を抱いていて、こうして何年もたって帰って来たもんだから、いよいよその願いが叶うと思っていたのに、こんな運命のいたずらが待っていたなんて、どんな気持ちなんだか。
退位しちゃって、おとなしくしているしかないわけだから、何もかも嫌になっちゃうだろうな。
俺だったら頭がおかしくなっちゃうかもな。」
とつらつら考えていると、可哀想になり、
「何でこんな我がままなことを言いだして、罪の意識に悩むことになってしまったか。
辛い目に逢ったのも確かだけど、それでも院も俺のことを気遣って辛かったんだろうな。」
などとあれこれ考えながら、ぼんやりとその品々を眺めていました。
「この歌にどんな返しをするのかな。
それに手紙にも返事を書かなくてはいけないし。」
など言ってはみたが、傍目にも困った顔をしていて手紙の方は見せてもらえません。
「返事をしないなんて、そりゃあまりに失礼だし恥でしょ。」
と回りから急き立て、気を揉んでいるのを見て、
「ここで返歌をしないなんてありえないね。形だけでも何とかしないと。」
と言っても恥ずかしがるばかりですが、昔のことを思い出すと、あの上品で美しい皇子が大泣きしていた姿を、幼心に何となく可哀想に思っていたことがありありと蘇って来て、亡き母のことなども次々と思い出されて、唯このように、
別れ際遥か昔の一言も
かえって今は悲しいものです
とだけ書いたようです。
お使いの人たちはそれぞれ御祝儀を賜わりました。
「院はルックス的には女にしたいような色男だし、斎宮とも年齢的にも釣り合っていて、相手をするにはちょうどいいけど、今上天皇はまだまだ子供で不釣り合いだからな。表には出さないけどやっぱ不満なんだろうな。」
などと、やはり自分の所に置いとけばなんて魔が差すと、胸が締め付けられる思いでしたが、今更入内を止めるわけにもいかず、それ相応に取り繕ったことを言っておいて、仲の良い
父親づらして出しゃばっていると思われてもなと、院の前では遠慮してちょっと見に来ただけというふりをしました。
宮中には当然ながら良い女房達がたくさんいて、そこに
「そうだな、生きていたら、一番先頭を切ってお世話しただろうな」と今は亡き人の遺志を思い出し、
「世間的に見てももっと世に出てもいいような勿体ない人だったな。
なかなかあんな人はいなかった。
風流の方ではもっと優れていたし。」
とこういう儀式のあるたびに思い出すのでした。
年齢の割にはたいそう大人びた様子です。
「こんな勿体ないような人が来るのですから、しっかりと心遣いしてお会いになることよ。」
と言い聞かせます。
心の中で「大人の女は勿体ないということか」と思っていたところ、すっかり夜も更ける頃にやってきました。
大変慎ましく物腰も柔らかく、縮こまっていて弱々しい感じがなかなか良いなと思いました。
先に入内していた権中納言の娘の
父の
院はあの櫛の箱の返歌を見ても、あきらめきれないようです。
そんなときに、
そのついでに
そんなに凄いと思わせるような容姿っていったいどんなけなんだと、興味津々ではあるけど、まだ仄かにしか見たことのないのが妬ましくもあります。
もうちょっとお転婆なら自ずとその姿を見る機会もあるところを、いつも控えめで、とにかくどこまでも奥ゆかしく振舞おうという様子なので、ただ御簾の向こうの気配だけで理想的な女性だと思ってました。
今はほとんど隣り合わせの二つの部屋でお仕えしているので、兵部卿宮はもやもやした気分のまま、御門が大人になったら自分の娘も到底放ってはおかないだろうと、気長に待ってます。
この二つの部屋は御門にに気に入られようと、あの手この手を尽くしています。
*
御門はいろいろなものがある中でも、特に絵に興味がありました。
とにかく好きなものですから、描く方でも並ぶ人はいません。
女御となった
宮廷の他の若い人たちも、絵を学ぶ者には興味を持って、遊び相手に呼んだりしてたのですが、まして面白いだけでなく風流の情もあり、型通りではない大胆な筆遣いで、ちょっと色っぽく几帳に寄りかかって筆を止めているところなど、すっかりその可愛さに胸ずっきゅんで、何度も頻繁に通うようになり、ますます親密度を上げているのを
「絵物語なら趣向の良さもわかりやすくアピールもしやすい。」
ということで、面白く感動的な物語を選んで描かせました。
毎月恒例の季節の絵でも、見たことのないような、言葉書きを沢山つけた絵を御門に見せました。
特別な趣向を凝らしたとなれば、持ち帰ってじっくり見たいと思っても、出し惜しみしていて、簡単には見せないようにしていて、特に
「まったく権中納言は幾つになっても若いなあ、どうしようもない。」
と言って苦笑しました。
「そんなひた隠しにして簡単に見せてくれないのは困ったもんだし、そりゃ不愉快だよな。
昔の絵だったらあるけど、どうですか?」
そう言って、家にある古いのや新しいのやらいろいろな絵の入った戸棚を開けさせて、二条院の
『長恨歌』『王昭君』を描いたものは面白いけど、美人が悲しいことになる話はこの場には合わないなと、まずは除外しました。
あの旅の絵日記の箱も出すように言いましたが、このついでに
事情を知らない人が見ても、多少なりとも辛い体験のある人なら、涙を惜しまないくらい悲し気なものです。
まして、今でもトラウマになっていて忘れることのできない御当人たちは、改めてまざまざと悲しく思い出されます。
今まで見せてくれなかったことが不満に思えてきて、
「取残され悲しんでたのにあまの住む
あのかたを見たいときは、これを見て慰めてたのね。」
と、ぽつり‥‥。
ますます悲しくなってきて、
「辛い目にあった日よりも今日はまた
過去のあのかたにまた泣かされる」
文句のつけようのないものを一帖づつ、とにかく浦の様子がまざまざと浮かんでくるようなものを選び出す時も、あの入道の家が気になり、どうしようかと思わない時はありません。
このように
三月も十日頃になれば空も麗らかで、人の心も穏やかになり、心もうきうきしてくるもので、内裏の辺りも
*
あっちにもこっちにも、いろいろなものがあります。
絵物語は繊細で、より人を引き付ける力があり、梅壺の方のには古い物語の有名で由緒のあるものばかりで、
内裏の女房なども、絵の趣味のある人は「これは‥‥、あれは‥‥」など論じるが、近頃の日課になっているようです。
こうした人たちがいろいろ論じているのを聞いて、東と西に分けました。
東は源氏の推す梅壺の
紫宸殿には左近の桜、右近の橘がありますね。東側が左近の桜です。念のために。
梅壺の方からは
弘徽殿の方には、大弐の
どちらも皆今の時代の感性を代表するような有識者で、それぞれ自分の思うがままに言い争う様子が面白くて、まず物語の元祖とも言われる『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』の絵巻を持ってきて競わせます。
まず左方から『竹取の翁』。
「細くてしなやかな竹が時代とともに古くなって、面白いと思えるような節もないけど、かぐや姫がこの汚い世の中でも穢れることなく、そのプライドにふさわしい遥かなる高みに昇って行く宿命の妙、神代のことということもあって、今どきの軽薄な女にはわからないかもしれませんね。」
そう言うと、右方の人は、
「かぐや姫の昇って行った雲の上の世界のことは、確かに我々には及ばないことで、誰も知り得ないことですね。
でも、この世界での宿命が竹の中で生まれたということでしたら、落ちて来ちゃった人のことなんでしょ。
竹取の翁の家は栄えたかもしれませんが、広大な天下における御門の御威光のようなこの国の繁栄にはつながりません。
車持ちの
絵は
京の紙屋院で作られた官製紙を「
次は右方から『宇津保の俊蔭』。
「遣唐使の清原俊蔭は激しい波風に飲み込まれて知らない国に流れ着いたけど、外国の文化を学ぶという当初の目的を果たし、最終的に他所の朝廷にも日本の朝廷にも秘琴の技の類稀な才能を知らしめ、名を残すという昔の言い伝えで、画風も中国と日本とを合わせたような面白さがあって、他に並ぶものはありません。」
と言います。
白い色紙(正方形の厚紙)を繋ぎ合わせたものに、青い表紙、黄色い玉の軸でした。
絵は飛鳥部常則、書は小野道風なので、現代的な面白さもあり、圧倒されるような存在感があります。左方はだんまりです。
次に『伊勢物語』と『
これも右の『正三位』はエレガントにしてゴージャスで、宮中の話を始めとして今の世の様子が描かれていて、ウィットに富んだ傑作です。
梅壺(左方)の平の内侍は、
「伊勢の海の深い心を受け継がず
オールドウェーブで葬るつもり?
世間の凡庸な取るに足らないことを大袈裟に飾り立てただけのものに押しやられて、業平の名を汚していいものなの?」
と言い淀んでいると、右方の大弐の
「雲上に昇るくらいの心なら
千尋の底も見渡せるもの
『正三位』の兵衛の大君の気高さは誠に捨てがたいものですが、在原中将の名前を腐らせるつもりはありません。」
と応じます。
そこで
「
伊勢の漁師の名も廃るわね」
こうした女の言い争いは歯にきぬ着せぬものがあり、一つの巻を取って見ても埒が開きません。
ただ、浮ついた若い人たちは死ぬほど夢中になっているのはわかるのですが、御門や
「同じように御門の御前でこの勝負も決めましょう。」
と皆に言いました。
「これって源氏物語絵巻ライズの予告?」
「絵師は誰?」
「書は安定の行成でしょうね。」
「竹取物語が出たから、やはりあの伏線なんだろうな。」
「確かにあんな美人が家の中にいて、実の父親でもない竹取の翁が放っておくか、って話だな。」
「とっくに疵もんで、それをごまかすために求婚者に無理難題をふっかけるってわけね。」
「逃れられない義父の愛に曇らされる絶世の美女。」
「式部の得意パターン。」
「浅水姫以来のテーマね。」
「それ知らない。残ってないの?」
「長保の頃に大分燃やされたからな。」
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