第31話 榊4 凋落
藤式部
「今年の冬に、何か発表があるかもしれませんが、今は言えません。
この物語がいろいろな人に気に入ってもらえて感謝します。」
「えっ、何、やっぱあの噂は本当なの?」
「あのやんごとなき人はやはり‥‥。」
藤式部
「では始まり始まり。」
年が変わって内裏の中も華やかになり、
いつもお勤めを果たす
まるで年が変わってないみたいに屋敷の中は静かで人の気配もほとんどなく、
かつては所狭しとやってきて集ってた上達部なども門の前を素通りして、向いの
その客人もそのひどく寂れ果てた様子をさっと見回して、一瞬声も出ません。
がらりと様変わりした部屋の中は、御簾の端、御几帳も
「次第に解けてゆく池の薄氷や岸の柳を見ると、時間が冬のまま止まったわけではない。」
などといろいろ眺めて回り、
「なるほど、有名な松ヶ浦島ついに来た風流を知る海女の棲家か。」
と小声でふと口ずさむ様子もまた渋さの極みです。
「悩ましいアマの棲み家と見るからに
塩水垂れる松ヶ浦島」
と歌を捧げると、どこもかしこも仏の棲家となった部屋なので、それほど奥の方でもなく、いつもより近く感じられる所から、
「遠い世の面影もない浦島に
波が寄るのも珍しいですね」
と返歌をするのが微かに聞こえてくれば、こらえていた涙がほろほろとこぼれました。
この世のことをすっかり悟ってしまったような尼さんたちの注目を浴びているようで居心地が悪く、言葉少なに立ち去りました。
「ほんと立派な大人になったわね。」
「何不自由なく栄華を極め、時も味方してくれている時はいつでも自分が主役で、この世の苦しみなんてわかるはずもないだろうと思ってましたが、今は身をもって悟ったのか、些細なことでも悲しそうな顔をして、何かちょっと可愛そうだわ。」
などと、すっかり年老いた女房達は、涙を流し、
*
出家したからといって即座に
こうしたこともみんな捨ててしまったと思っては見るものの、自分に仕えていた人たちが何を頼っていいのかわからず悲嘆にくれている様子を見ると、出家の決意が揺らぐこともしばしばですが、自分のことはともかく春宮の即位がスムーズに行くことだけを考えて、仏道の修行をこれまでどおり続けました。
人には言えないようなうしろめたく気がかりなことがあるため、
「その罪は私が背負いますから、春宮の方の罪はどうか軽くし、お許しください。」
と仏様にお祈りしては、すべてのことに関して心を静めています。
源氏の周辺も全く同じで辛いことばかりなので、世の中の冷たさを肌で感じながら隠棲しています。
こうして
みんなの信望を集めていた
思い知れとばかりに今回の司召の除目からも漏れたものの、何の感情もありません。
昔はお互いにこれでもかと張り合ってたのを思い出して、今でもちょっとしたことで張り合ってみたりします。
春秋の
梅雨時の雨がしとしと降る退屈な季節に、
殿上人も大学寮の博士達もとにかくたくさん集り、左方と右方に組み分けして座らせました。
賞品も二つとないような凄いもので、真剣勝負です。
韻字を当てさせて行くうちに、難しい韻字がこれでもかとたくさん出てきて、博識を誇る博士でさえ考え込んでしまうような所でも
「うむ、こうも完璧なのは何でじゃろうな。」
「天性のものじゃろうかのう、万事人よりも抜きん出ているのは。」
と褒め称えます。
結局右方の負けとなりました。
二日ほど後に右方の主将だった
そんな大袈裟なものではなく、しっとりと落ち着いた檜の駕籠に盛り付けた料理やゲームの賞品などもいろいろと用意され、今日も例によってたくさんの人が招かれ、漢詩などを作らせました。
正面の階段の下にはイバラの花がわずかに咲いていて、春秋の花盛りに較べれば地味だけどなかなか面白い時期で、なごやかに楽器を演奏したりして楽しみました。
世間からの期待も大きく、特別大事に育てられてました。
鋭敏な性格で見た目も丹精で、音楽演奏の少々脱線してきた頃、催馬楽の『高砂』を謡いだして、これがまた見事な美声でした。
いつになく頬が緩んだその顔の色艶は、喩えようがありません。
薄物の
「今朝初めて咲いた百合の花を見たかったのに」という『高砂』の結びの部分で、
「これでもかと咲いたばかりの初花に
負けてないのは君の花の香」
この時勢花は咲いても夏の雨に
萎れるだけだ香ることなく
落ちぶれたもんだ。」
といかにも酔った勢いで乱雑に歌い上げるのを、まあまあと言いながら更に飲ませました。
こうしたエピソードは枚挙に暇がないほどあったのでしょうが、不幸自慢は酒の席だけにとどめるべきもので、つらつら書き連ねるようなものではないと紀貫之も苦言を呈しているように、うざいと思われる前にこの辺でやめておくことにしましょう。
列席者は皆こうした源氏のことを誉めそやす方向で、和歌や漢詩を作り続けました。
亡き院を文王に、今の御門を武王に例えるのでしたら、当然その次には成王の何ちゃらと言いたいのでしょう。
それはちょっと問題がないではなくて‥‥。
兵部卿宮もしょっちゅう源氏のもとを尋ねてきては、音楽なども大の得意の宮様なので、なかなか今風のお似合いのツーショットです。
*
その頃、
マラリアにずっと罹っていて、加持祈祷などを気兼ねなく行なうためでした。
験者の修法などをやって治ったので誰も彼もが喜んでいる時に、例によってまたとないチャンスとばかりに手紙で連絡取り合って、なりふりかまわず夜な夜な逢瀬を重ねました。
女ざかりの豊満なボディーもちいっとばかり病気になったせいか痩せ痩せになり、それがまた美しくもあります。
源氏と
二人ほどいた共犯の女房もうろたえるばかりです。
雷が止み、雨の少々収まってきた頃に
「大丈夫か?
今夜は随分ひどい天気だったから、心配になってすっ飛んできたんだぞ。
中将や宮の
などと言う声の調子が、早口で上ずっているを
ちゃんと御簾の内に入ってから言えばいいものを‥‥。
「何だ、顔色が尋常じゃないな。
物の怪の病だったらやっかいなことになるから験者の修法を引き伸ばしてもらわにゃな。」
と言いながらも、
これは一体何だとびっくりして、
「これは誰のだ!
家にいるもんのじゃないな!
よこせ!
持ってって誰のかつきとめてやる!」
と言い出すので、慌てて振り返ると確かにそんなものがありました。
誤魔化しようがないし、何て返事すればいいのか‥‥。
しどろもどろになっている娘に、大抵の親なら恥ずかしい思いをさせてはいけないなと思って遠慮する所でしょう。
それなのに、せっかちで落ち着きのない
今さらながらさっと顔を隠し何とかごまかそうとします。
すっかり頭に血が上った状態で
「とにかくこういうことがあって、この畳紙はあの
最初っからつきあうことなど許可した覚えのないのに、先帝の子だからということで黙認され、ならばあやつを婿にしようかと一度は言ってみたけど、そん時は気のないそぶりで放ったらかしにされていて穏やかでないと思っていたけど、それならと疵ものにされたとはいえ御門に無理を通して頼んで
浮気は男の甲斐性とは言うものの、それにしてもあの大将はけしからん。
加茂の
などとまくし立てると、
「御門とはいっても、昔からみんな密かに見下していて、この前やめた
みんな源氏の方に味方して、今の御門に仕えてはいても本心からではなく、可愛そうに。
そんな御門の下でも誰にも負けないように気配りしてあの妬ましい人を見返してやろうと思ってたというのに、あの子までも結局源氏の方になびいてしまったのね。
斎院とのことも、いかにもありそうなことね。
今の御門の治世を何かにつけて快く思わないというのも、あの春宮の
と歯に衣着せぬようなこと話し続けるので、さすがに困り果て、知らせない方が良かったかと思い、
「ともあれしばらくはこのことを内緒にしておきましょう。
御門にも言わない方がいい。
あんなふうに悪さばかりしていても御門に許してもらえると思って甘えてるだけなのでしょう。
娘にはもうあやつと付き合わぬように言っておく。
それで治らないようなら責任は私が取ろう。」
などと言い直したものの、
こんなふうに一緒に住んでいて隠しようもないのに、堂々とそんなことをするということ自体、軽く見られたもんだと思い、機嫌がますます悪くなるばかりで、こういう次第なら例の計画を実行に移す絶好のチャンスだと、思いを巡らしていたのでしょう。
「ついにバレた。」
「源氏ざまあ。」
「これでみちのく行き。」
「みちのく一人旅よろしく。」
「みちのくで落馬して死んだりして。」
「それこそ天罰。」
「みちのくでもどうせ女作るんでしょ。」
「くたかけ《糞ニワトリ》女、草萌ゆる。」
「だったら安達ケ原で鬼一口がいいんじゃない?」
「源氏物語これで終了。」
「清原の少納言の復活ね。」
「源氏推し
「源氏推しだも。」
「源氏推し、だも
「あくまでこれは物語なのにね。」
「何盛り上がってるんでしょう。」
「主人公がそんな簡単に死ぬわけないでしょ。」
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