第30話 榊3 出家
藤式部
「秋は寂しいものです。
みんなどうなって行ってしまうのか。
それでは今日も始まり。」
今は亡き母御息所(ヨシコ)の兄の
僧の位で、僧正、僧都の下が律師です、念のために。
あたりの木々は様々な色に紅葉して、秋の野の花の美しく咲き乱れるのを見ていると、自分の家のことも忘れてしまいそうです。
法師達の間でも優秀なものだけを集めて、問答形式で仏法を解説してくれます。
場所が場所だけにこの世の無常への思いがますます募っていくものの、「冷たいけどいい女だったな」とつい思い出してしまうような天の扉の押し明け方の月の光に、法師達が閼伽をお供えするといって水瓶や花皿をからからと鳴らしながら、菊の花や様々な紅葉を散りばめてゆくのもむなしく感じれれて、
「この方面で暮らしていれば、現世でも退屈しないし、来世も安泰といったところか。
辛い人生で悩んだりすることもないんだろうな。」
などといろいろ想像します。
律師の大変有り難い声でもって、
「
と朗々と経を読み上げるのがとてもうらやましくて、「何でできないんだろう」と思うとすぐに浮かんでくるのがあの対にいる
こうしたいつもと違う日々も、何か不安に思って手紙ばかり何通も贈ったりしていたのでしょう。
《この世を捨てて出家しちゃおうかと思ってはみたけど、ちいっとも心やすまらず心細くなるばかりでね。
説法を聞くのもちょっと今は一休みしているんだ。
そちらの様子はどうかな。》
などと高級な
《浅茅生に結んだ露の棲み処では
周囲の嵐不安でならない》
なんて気遣われたりすると、
ご返事は白い厚紙で、
《風吹けば浅茅も乱れ色を変え
私はそこの蜘蛛の巣の露》
とあるだけです。
「書の方はなかなかいい味が出てきたな」と独り言を言っては「見事だ」とにんまりしました。
いつも手紙を交わしているので、自分の書体とほとんどいっしょで、それにもう少し控えめな女らしさをが加わった感じです。
「すべてに関して、取り立てて欠点もなく育てあげることができたな」と思います。
雲林院のある
斎院の女房の中将の君に、
「こういう旅の空でも恋焦がれて心ここにあらずなのを、あの人は知るよしもないでしょうね。」
などと不平を言い、
《気にかけるも畏れ多いがあの頃の
秋を思い出すのが
今も昔のようにと思ってみてもしょうがなく、取り戻すことのできないものなのでしょう。》
とわかりきってるかのようなことを中国製の浅緑の紙に書いて、榊に結び付けて、お供えか何かのようにして送りました。
中将からの返事は、
《間違いなく、過去のことを単につらつらと思い出すぶんには思い当たることもたくさんあるようですが、いずれにせよ、もうどうでもいいことなのでしょう。》
と、多少は気にして多くのことを書いてきました。
《その過去はどんなもんだか
気にはかけても隠すくらいの
何を今さら。》
とあります。
書体は繊細とは言いがたいが、手馴れたような草書体が見事でした。
「これなら
あわれ去年も今頃だったか、
本当にどうにかならないかと思うのは、チャンスのあるときには何もせずに見過ごしていて、後になって悔しがるという奇妙な恋心なのではないでしょうか。
まあ、どうでもいいことですが。
天台六十巻という書を読み、よくわからないところを説明してもらったりしていると、
「こんな山寺ではもったいないほど光栄なことで、これも日ごろの修行の成果だ。」
だとか、
「これで仏様にも面目が立つ。」
だとか、怪しげな法師達までもが喜んでました。
しみじみとこの世の無常を思い続けていると、帰るのも憂鬱になりますが、一人の人のことが思い浮かぶとそれに引きずられて、そんな長くも滞在できず、誦経のお礼の品をこれでもかと用意しました。
ありとあらゆるものを、位の高い僧、低い僧、お寺の周辺の山の住民に至るまで施し物をし、これでもかと立派にふるまって帰ってゆきました。
お見送りにと、そこかしこから怪しげな柴を担いだ人たちまで集ってきて、涙を流しながら見送りました。
喪中なので黒い車に乗り、粗末な藤衣を着ているので、それほど目立ちはしないものの、それでも隠し切れない美貌をこの世のものとも思えずに崇めていました。
その西の対の
「風吹けば浅茅も乱れ色を変え」というあの歌がしおらしくて、いつもよりも激しく愛し合いました。
山寺のお土産に持って帰った紅葉は庭の紅葉とを見比べると、山の方がはるかに色が濃く染まっていて、こんなにも濃く染めた露の涙の心をごまかすこともできず、会いたい気持ちをみっともないくらい感じては、この紅葉をごく通常の土産のようにして
命部のところには、
《内裏へお入りになられたということで私もこの時を待ってまして、中宮・春宮のことに関してなかなか情報もない中で居ても立ってもいられないのですが、仏道の修行を思い立って数日間無駄に過ごしてしまい、今ようやく知った所です。
紅葉の美しさも一人で見ていると夜の真っ暗な中で錦を見ているようです。
よかったら中宮にも見せてやってください。》
という手紙を送ってます。
みんなが見ている前なので、ぱっと赤面し、
「まだあきらめてないなんて、ほんとうにうざいわ。
なまじっか人の心を読むのがうまい人だけに、こんな意表をついたことををちょくちょく織り交ぜてくるので、周りも変に思うじゃない。」
と不愉快になり、その紅葉の枝を甕に生けさせて、
*
通り一遍のことや春宮に関することなど、さもお世話を当てにしているかのような形式ばった返事ばかり来るので、さぞかし変わらないよそよそしさを不満に思ったことでしょうけど、今までずっと春宮の後見人としてふるまってきたので、続けなければ人からも怪しまれるし、何言われるかわからないと思って、
まず
姿形も崋山院そっくりになってきて、何となく品格も具わり、親し気で穏やか感じがします。
その姿に昔のことなどしみじみ思い出します。
話は尽きることなく、漢籍のことでわからないことなどを聞いてきたり、またちょっとエッチな歌物語なども互いに披露しあうついでに、あの
二十日の月の光がようやく差し込んできてあたりを奇麗に照らし出したので、
「ここいらで音楽などもほしいものだのう。」
とのたまいます。
「中宮が今夜退出するというので顔を出そうと思うのですが。
院の遺言で春宮の後見人が他にいないということで、その母のことも気の毒にお思いになってらしたので。」
と御門に願い出ました。
「遺言で春宮を私の養子にするようにとあったので、十分好意を以て接してはいるものの、あまり特別扱いするのもなんだしな。
歳のわりには書の方が天才的なのでそれは評価してるよ。
何をやっても凡庸な私の名誉を挽回してくれるんじゃないか。」
とおっしゃるので、
「まあ、大体やっていることはなかなか賢く大人っぽくなってきてはいるものの、まだまだ子供でして‥‥。」
と春宮の有様をお伝えすると、退出しようとすると、妹の
「白い虹が太陽を包囲して吉兆はあったけど、燕の太子はおじけづいて、始皇帝の暗殺は失敗したとさ。」
などという『史記』の一節を口ずさんでいるのを、
「御門の御前に顔を出して、話をしていたらすっかり夜も更けてしまった。」
と言います。
月の光も華やかで、以前ならこういう夜は楽器を演奏して賑やかに過ごしたなと思い出すにつけても、その同じ内裏の中なのにすっかり変わってしまって悲しいことです。
「
月の遠さを思うのみです」
と命婦を通じて中宮の返事がありました。
こうした間接的な会話でも聞けるだけ嬉しくて、さっきの辛いことも忘れ、すぐに涙が出てきます。
「昔見た月は今でも変わらない
隔てる霧が辛いばかりで
霞みも人の心からと、昔の歌にもあります。」
と歌を返します。
いつもなら早くお休みになる春宮も、出発までずっと起きているつもりです。
恨めしそうに見ながらも引き止めることができないのが、とても可哀想です。
初時雨にそろそろ冬が来ようとしていた頃、すっかり心配になったのか、
《木枯しに言の葉までも枯れたのね
あなたに会えるの待っていたけど》
と書いてきました。
この悲しげな季節に待ちきれずにこっそりと手紙を送ってくる気持ちを思うと、満更でもなく、手紙を持ってきたものを待たせて、中国製の紙をしまっておいてある
《手紙を書こうにも、この前のことですっかり懲りていて、すっかり心が折れてました。
今の自分が情けなくて、
逢えなくて一人ひそかに流す涙
いわゆる秋の時雨でしょうか
わかっていただければ、どんな憂鬱な空も忘れることができましょう。》
などと、ついつい長くなりました。
こんなふうに予期せぬ手紙を送ってくる女はたくさんいるので、期待を持たせるような返事は書いたとしても、そんなに深い意味はないのでしょう。
十一月の初めの
《あの人と今日は別れた日ですけど
ゆき逢う時はいつになるかな》
どっちにしても今日は悲しい日なので返歌がありました。
《残された身は悲しくてもゆき廻り
今日がその日と心得てます》
特に飾ったふうでもない書き方ですが、よそよそしいまでの品の良さは決意の表れなのでしょう。
今風の書体とは一線を画した一風変わった書体ですが、誰にも真似できない書き方です。
*
十二月の上旬に
これでもかというくらい荘厳です。
この日々に用いられる経典からして翡翠の軸、羅(透き通った薄絹)の表紙、経典を包む
普段の時でも皇族にふさわしい気品を具えて、他の者とは一線を画しているお方なので、こういう出家の時でも当然といえば当然なのでしょう。
仏壇の装飾から仏具・経文を置く花机にかぶせる布までが、現世の極楽浄土かという感じです。
初めの日は父である先帝のために、次の日は母である先帝の后のために、その次の日は院のために、この日は五巻の日なので上達部なども皇太后の目も憚らずに随分とたくさんの人がやってきました。
この日の講師は特に最高の人を選び、行基菩薩の「法華経をわが得しことは薪こり‥‥」の歌を唱えながらお堂の中を廻ることから始めるものですから、これまでと同じようなことを言っていても妙に尊く聞こえるものです。
皇族の方達も様々な金銀の打ち枝に吊るした捧げ物を持って廻るのですが、
取り立てて特別なことをやっているわけではなくても、そのつど人目を引いてしまうのはどうしようもないことです。
最終日に自分自身の願を掛けて終らせるさいに、出家をすると趣旨のことを書いた願文を仏様に捧げたので、出席者は一様にびっくりしました。
兵部卿の宮も
兵部卿の宮は途中で立ち上がって
それでも確固たる決意のことを述べて、法事が終ったあとで比叡山の天台座主を呼んで受戒をすることを伝えました。
そこいらのよぼよぼの老人が、もう思い残すことはないと言って出家する時ですら、その悲しみは並々ならぬものを、まして日頃そんなそぶりだにしなかったので、兵部卿の宮も大泣きです。
他の列席者もこの尋常ではない雰囲気に、悲しくも立派に思い、皆袖を濡らして帰りました。
今は亡き崋山院の皇女たちは、昔の院の御寵愛などをいろいろと思い出してはますます悲しくやるせない気分になり、
ようやく静かになって女房達は鼻をかみながらそこかしこに身を寄せ合ってました。
月は煌々と照り、その光が雪に反射している様子も昔のことをいろいろ思い出しては耐え難い気分になるのですが、そこは何とか気持ちを静めて、
「どうして出家しようなんて思ったんだ?
こんなに急に。」
と切り出しました。
今初めて決意したわけではなく、何かあって騒ぎになれば心がどうにかなっちゃいそうなので、というようなことを例の命婦を通じて伝えてきました。
御簾の内の様子はというと、そこらかしこで身を寄せ合っている女房たちの
風が激しく吹いて雪を散らし、御簾の内から大変深みのある
春宮からの御使いの者もやって来ました。
そのときの様子を今振り返ってみると、
誰も彼もみんな、自分の気持ちを落ち着かせることができない状態だったので、
「雲の裏に澄んでる月を求めても
子の世の闇に迷ってませんか
あなたがまだそんなふうに思ってらっしゃるようなのが心残りですが、それでも決心できるというのはうらやましい限りです。」
とだけ言い放って、他にたくさん人がいるのでぐちゃぐちゃになった心の内をぶちまけることもできず、欲求不満が残ります。
「たいがいの煩わしさは遁れても
子の世はいつになれば捨てられる
煩悩は尽きません。」
というお返事は、半分は春宮のお使いの者へのねぎらいなのでしょう。
悲しみだけが消えることなく胸が苦しくなるばかりなので、
二条院でも自分の部屋に一人床に伏し、眠れないままこの世の無常を思うにも、春宮のことを思うと心が痛みます。
「母である中宮を公式の後見人にしようと亡き院も考えていたのに、世の理不尽に耐え切れずこんななってしまっては、もう元の地位に戻ることはできない。
この上俺まで見捨ててしまったら‥‥。」
などと次から次へといろんなことを考えてしまうのです。
今は出家した尼さんが使うような調度品をと思い、年内に届けるべく急いで調達させました。
王命婦の君も一緒に出家したので、そちらにも心を込めて贈り物をしました。
その内容など詳しく語るにも、あまりに仰々しい内容なので、省略しておきましょう。
本来ならこういう贈答の折にこそ面白い歌なんかが飛び出してきそうなものですが、ちょっと残念。
尋ねていくにしても、今では遠慮する気持ちも薄らぎ、自ら直接伝えることもありました。
長年思い続けてきた心は未だに変わってはいないのですが、当然表に出すことはできませんよね。
「『白い虹が太陽を包囲して』って何?」
「御門に訴えても無駄ってことでしょ。」
「朱雀の御門が臆病ってこと。」
「そこは遠回しに言わないとやばいってこと。」
「俺たちは倒せないって。」
「右大臣が始皇帝?」
「皇太后のほうでしょ。」
「大臣クラスに皇帝はない。」
「女帝。」
「まあ、『史記』はこっそり読んでるの多いし、仮名に起こした物語もあるにはある。」
「そっちを読んだことにした方が良い。」
「漢文検非違使が来る。」
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