第27話 葵4 亥の子餅
「何か源氏の君の悪事が暴かれてるけど、これは仏教説話じゃないんだし、悪を懲らしめて善を勧めるとかそういう物語じゃないのに、何か源氏ざまあ勢が正義を振りかざしてるのって腹立つ。」
「悪いけど右大臣がいい人には全然見えないしね。」
「まして皇太后なんて、元からやな奴だし。」
「現実の世界と同じで、普通に権力争いで、どっちが正しいなんてもんじゃないと思うし。」
「だから、現実と重ね合わせてんでしょ。」
「旧定子派の正義。」
「源氏の君はだんだん追い詰められていくけど、このままでは終わらないと思うけど。」
「どう見たって右大臣の方が悪役だし。」
「それが不満なんでしょ。」
藤式部
「はい、今日も始めます。」
崋山院の所に参上すれば、
「これはまた頬がげっそりと痩せこけたもんだ。
精進料理しか食べてないのか。」
と心配に思ったのか、食い物を持ってこさせていろいろと気遣うのも、何とも畏れ多いことです。
命部の君が出てきて、
「何とも申し上げられないことがたくさんありまして、あれから何日か経たにしてもまだいかがか、お気持ちを察します。」
と言伝を与ってきました。
「この世の無常はかねがね知識としては知ってましたが、いざ身近なこととなってみるともう世を捨ててしまおうかなどと心を乱しましたが、みんなからの弔問に励まされて今日まで‥‥。」
と答えて、こういう時でさえいい格好しようとするあたり、本当に心苦しい限りです。
紋のない
春宮(藤壺の子)にも長いこと会いに行くことができなくて気がかりだと女房達に話しながら、夜も更けてから退出しました。
*
二条院はというと、至るところ模様替えして新たに飾り立て、お付の男も女も待ち受けてました。
身分の高い女房たちも皆駆けつけてきて、少しでも目立とうと着飾って化粧しているのを見るにつけても、左大臣家での身を寄せ合い悲嘆に暮れていた様子を悲しく思い起こされます。
着替えをして、西の対へ行きました。
十月の衣更えに合わせた部屋の模様替えは一点の曇りもなく鮮やかなもので、若い衆や童女も服装や髪型をきちんと整えて、少納言の心遣いは一点の非もなく、心憎いばかりに思えました。
「しばらくみないうちにすっかり大人になって。」
と言って小さな御几帳を引き上げて覗き込むと、さっと目線をそらして恥ずかしがる様子など、見ていて飽きさせません。
灯に照らされた横顔や髪の毛の様子など、あのずっと思い続けている人に瓜二つで 寸分たがわぬ姿になってきたと思うと、嬉しくてしょうがないのでした。
近くに寄って、これまでなかなか戻れなかった事情などを説明し、
「これまであったことをゆっくり話して聞かせたいんだが、いろいろ忌むべきこともあって、ちょっとの間別室で休んでから来るよ。
これからはずっと一緒にいられるので、うざがられちゃうかもな。」
と調子のいいことを言っているのを、少納言は嬉しいと思う一方で不安は残ります。
「相変わらずいろんな所にこっそりと通っているので、またやっかいなことが入れ替り立ち替り起こるのではないのか。」
と思うのも、まったくよくわかってらっしゃるという所でしょうか。
自分の部屋のある東の対に行って、中将の君という官女に足のあたりなどを揉ませてお休みになりました。
翌朝には左大臣家の若君の所に手紙を遣りました。
情のこもったご返事を受け取ってご覧になるにつけても、言いようもないことばかりです。
相変わらずじっと物思いにふけりがちで、これといったものでもない外出も面倒臭く、そんな気分にはなれません。
何の進展もないままただ西の対に行っては碁を打ったり、
*
人の入れない所だから、見て何があったかはっきりとわかるようなことではありませんが、男は早く起き、女はなかなか起きてこない朝がありました。
女房達は、
「どうしたのかしら、いつまでも部屋にこもっていて。
ご気分がすぐれないのかしら。」
とあれこれ考えては溜息ついていると、源氏の君が自分の部屋に戻ると言って、硯の箱を御帳の中に差し入れていきました。
人がいない時にやっとのことで姫君が顔を上げると、引き結んだ手紙が枕元にありました。
何の気なしに開いてみると、
《理不尽に拒絶するのか幾夜経て
ようやく馴れた仲の衣を》
と捨て台詞のように書きなぐっていったように見えます。
こんな下心があったなんてこれまで全く思いもよらなかったので、何であんな気色悪い変態男を何も考えずに信頼してしてきたのかと思うとおぞましいばかりです。
昼ごろになった源氏の君は西の対へ行き、
「病気みたいに塞ぎこんだりして一体何考えてるんだ。
今日は碁も打てなくて張りあいがなくてしょうがない。」
と言って覗き込むと、ますます
女房達は部屋の外に下がって控えているので、姫君に近くに行き、
「なんだよ、そのふてくされた態度は。
そんな見下げ果てた女とは思わなかったな。
みんなも変だと思うだろっ。」
と言って布団を引き剥がすと、汗の匂いがもわっとして、額髪がぐっしょりと濡れていました。
うわっ、やばっ、これはまずいことになった、とばかりにあれこれ取り繕って声をかけてみても、本当に苦しそうで露ほどの返事もしません。
「よしよし、もう見ないことにしよう。
恥ずかしくなる。」
と不機嫌そうに言いながら硯箱を開けても今朝の歌の返歌はなく、まだまだ子供なんだなと可愛くも思えてきて、その日一日この部屋で慰めの言葉を囁き続けたけど、機嫌を直すことも出来ず途方に暮れてました。
夜になると、亥の子餅が献上されてきました。
亥の子餅はアズキを混ぜた赤い餅で、十月の最初の亥の日に食べる縁起物で、様々な色をつけて趣向を凝らしたものが作られてました。
「今回の餅は、こんな公式の儀式に用いるような色とりどりの華やかのものではない。
明日の暮れに別のを持ってきてくれ。
今日は忌日だった。」
と意味ありげに笑いながら話す様子を、察しの良い惟光はすぐ理解しました。
惟光はそれ以上何も聞かずに、
「御意。
愛の始まりは日を選んで公表しなくてはなりません。
それで、その亥の子ならぬ『ねの子餅』はいくつくらい用意しましょうか。」
と真顔で言うので、
「三つか一つかあればいい。」
と答えると、すべて理解して下がりました。
婚姻の三日目のお祝いに一つ、という意味ですので、老婆心ながら。
「世慣れた奴だな。」
と源氏の君は思いました。
惟光は誰にも言わず、自前でということで実家で作りました。
喪中だというのに人の恋心というのはどうしようもないもので、今となっては一晩すらも離れていることに耐えられないと思うほどです。
頼んでおいた餅は密かにすっかり真夜中になってから届けられました。
少納言は大人だから、こんなの恥ずかしくて渡せないと思うのではないかと思い、そこは気を使って娘の弁という者を呼び出して、
「これ、こっそり渡してくれ。」
と言って
間違いなく枕元にお届けしなければならない祝いの品です。
お願いします。
決して浮ついたものでは‥‥。」
と言えば、変なのとは思っても、
「浮ついたことなんてまだ無理よ。」
と言って受け取ったので、
「確かに今はこの言葉はタブーでした。決してそのようなものは混じってません。」
と言い替えます。
若い娘だったので何のことなのか深く考えることもなく持って行って、枕のある側の御几帳より差し入れたのを、
ほとんどの人は何があったか知る由もなかったが、翌朝この箱を引き上げるときに一部の側近の女房はぴんと来ることもあったようです。
お皿などもいつの間にか用意したのか、
少納言は、
「本当にこんなにまでして‥‥。」
とついついそんな言葉を漏らしてしまうほど、そこまで愛情を込めて細かく気遣ってくれていることに涙しました。
「だったら私達にも知らせてよね。
あの人だって一体何でだか不思議に思ったんじゃないの?」
と女房達も囁きあってました。
*
これ以降というものの、
いつも通っているあちこちの女からは不満の声も上がっているので困惑気味ではあるものの、あの
「何もかもが鬱陶しく思える今の状態が治ったならお会いしましょう。」
とだけ答えて日々を過ごすのでした。
「まさにこの、あの左大臣殿の娘もお亡くなりになったことでチャンス到来というのに、何とも残念なことだ。」
などというのを、
「あらまあ何て憎らたらしいこと。」
と思い、
「内裏への出仕も、御門のお目に止まるようにさえできればそのほうがいいじゃないの。」
としきりに宮廷入りを勧めます。
「とにかく人生は短いのだから、こうして一人の人に決めておけば人の恨みを買うこともない。」
とすっかり懲りたのか、ますます途方に暮れながらそう思うのでした。
「あの御息所には本当に気の毒だけど、真の伴侶として手を取り合って行くには嫉妬深すぎる。
時おり通うだけで、その辺のことに目をつぶれるなら、その季節の行事などに洒落た会話の出来る人なんだけど‥‥」
など、やはり見限ろうとはしません。
この
冗談を言ってもリアクションに苦しんで固まってしまい、すっかり人が変わったようになった様子も、
「今までずっと思ってきたのに心を開いてくれないなんて残念だなあ。」
と不平を漏らしているうちに、新たな年となりました。
*
元日には例によって崋山院の所に年始参りに行き、内裏や
そして退出してから左大臣家へ行きました。
部屋を出てかつての
赤ちゃんに対面すると、すくすくと成長していて、盛んに笑うようになっていたのもかえって悲しげです。
ただ、目元や口元の辺りが春宮様と一緒なので、人が見て怪しまれやしないかと思います。
調度やなんかもそのままで、
母宮様からの言づてで、
「今日は目出度い日なので我慢していたのですが、あなた様がやってきたことでついつい‥‥。」
とのことで、
「新年のご装束は昔からこちらでご用意することになってましたものの、ここ何ヶ月、涙で目が見えなくなるばかりで、出来が悪いなと思いになるかと思いますが、今日だけでもこの粗末な衣装を着ていただければ。」
と、そのほかにも目出度い趣向を凝らしたものをたくさんいただきました。
これは絶対に元日専用だなと思われる
ここに来なかったなら無駄になってたと思うと、心苦しいばかりです。
母宮様への返礼として、
「新春の挨拶に、まず第一にお目にかかろうと参りましたが、あまりに思い出すことがたくさんありまして、まともな挨拶もできません。
長かった年月今日であらたまり
晴れ着も涙降るかのようだ
心を静めかねまして。」
と申し上げました。
母宮様のお返事です。
「あたらしい年だというのに降るものは
古びた人の涙なのです」
このような涙を愚かだと笑うことができるでしょうか。
「やっちゃった。」
「わかるわかる。」
「それも父親だと思ってた人にでしょ。」
「むくつけっ。」
「ゆゆっ。」
「悪い方のいみじ。」
「一日目はあれで、二日目が亥の子餅。」
「で三日目は子の子餅。」
「猪は子を十二匹生むと言われてる。」
「去年は十三匹。九月閏があったから。」
「源氏の子は今のところ二人だけど、公式には一人。」
「たくさん生まれるのかな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます