第22話 紅葉賀2 美しい赤ちゃん

 「これは確かに危険ね。」

 「この赤ちゃんがそのまま帝位につけば、源王朝になる。」

 「でも、元はと言えば天皇の子なんだから、血筋は一緒だから、在原業平の時ほどの問題ではないんじゃないか。」

 「でも、姓のある男系天皇というのはまずいっしょ。」

 「ある意味微妙なことろを上手く突いてるなってところかな。」


 藤式部

 「では今日も始まり始まり。

 ちょっと静かになってきたかな。」




 その赤ちゃんは四月に内裏へやってきました。


 三ヶ月にしては大きく育っていて、ようやく首も据わり、肘を突いて頭を起こしたりできるようになりました。


 驚くほどのごまかしようのない顔つきも、御門みかどからすればあずかり知らぬことで、高貴な人間というのはどこか似通った顔になるんだなと思いました。


 それはもう、これ以上ないくらいの猫かわいがりです。


 源氏の君ミツアキラを本当に大事に思っていながらも、世間が許さなくて春宮の坊に置くことができなかったことが不満で心残りで、臣下となって申し訳ないような姿に成長したのを見るにつけても心苦しくて、今このように王家の血筋からよく似た光輝く皇子を差し出されれば、疵のない玉のように大事にするのも当然で、藤壺の宮ヤスコは何かにつけて胸の痛まない日はなく、心安らぐことはありません。


 例によって源氏ミナモト中将の君ミツアキラが内裏で楽器を演奏していると、御門がこの新しい若宮様を抱いて登場し、

 「皇子はたくさんいるけど、おまえのことだけはこんな小さな頃から毎日見てきた。

 だからこんなことを思うのだろうか、本当によく似ているんだ。

 赤ちゃんの時というのはみんなこんなふうなものなのだろうか。」

と、大変な美形だと思っていました。


 源氏の中将ミツアキラ、顔から火が出るような思いで、恐ろしく、申し訳なく、嬉しく、悲しく、様々に心が揺れ動いて、涙が流れ落ちました。


 クーイングをして笑ったりする様子がひどく妖しいまでに美しく、これに似ていたと言うなら、我ながらどうにも放ってはおけないなと思うのも無理もないなと思うのでした。


 藤壺の宮ヤスコは罪の意識に耐えかねて冷や汗たらたらです。


 源氏の中将ミツアキラは、いろいろな気持ちがごちゃごちゃになってすっかり混乱したのか、退出しました。


 二条院に戻って横になるものの、心のもやもやを晴らすことができずに、しばらくしてから左大臣イエカネの所へと思いました。


 正面の植え込みが至って普通に青々としている中に、ナデシコが華やかに咲いているのを折らせて、王命婦のもとに手紙を結んで、本当は言いたいことがたくさんあったのでしょうけど‥‥。


 《我が身だと思えば心静まらず

     露ににじんだ撫でし子の花

 

 我が庭の花として咲いてほしいと思ってはみても、この世ではどうしようもないことですが。》


と書いてあります。


 誰もいないときを見計らって藤壺の君ヤスコに見せ、「ほんの砂粒ほどでもこの花びらにお返事を」と言うと、自分のことのように魂が引きちぎれるほど悲しくなって、


 《袖濡らす露の理由がわかるから

     そっとしておいて大和撫子》


とだけ、署名もなく書き記してあるのを、王命婦は喜んで源氏のもとに送りました。


 いつものように何の返事もないだろうと思って、力なくぼんやりと寝そべっていた所にこの手紙で胸がいっぱいになり、あまりの嬉しさに涙を流しました。


 うだうだとふて寝してもどうしようもないので、例によって癒しを求めて西のたいに行きました。


 ラフなうちぎ姿で、耳の上の辺りの結い上げた毛は寝癖が付いてふくらんだまま、笛を切なそうに吹きながら覗いてみると、若草の君のナデシコの露に色の映えたかのように 寄りかかるように寝そべっている様が、奇麗で可愛らしく思えました。


 嬉しさの隠しようもないのに、帰ってきたというのになかなか来なかったことがやや不満だったのか、今日に限ってぷいっと背を向けます。


 部屋の端の方に膝を着いて座り、

 「こっちへ。」

と言っても反応がなく、


 ♪潮満ちて海に隠れる海草の

     逢うは少なく恋しさ多く


坂上郎女さかのうえのいらつめの歌を今風に口ずさんでは、口を手で押さえる仕草が、なかなか悪戯っぽくて可愛いものです。

 

「むかつくなー。

 どこでそんなこと覚えたんだ。

 よみ人しらずの歌の、伊勢の海人の朝夕潜って採るという海松みることあれば飽きるくらいに、と思っても、うまくいかないもんだな。」

と言って人を呼んで琴を持って来させて弾かせました。


 「筝の琴は一番細いきんの弦が切れやすくて扱いにくい。」


と言って壱越調いちこつちょうから平調ひょうじょうにダウンチューニングしました。


 ざっと掻き鳴らして弦が合っているのを確認してから若草の君の方に差し出すと、ふくれてばかりもいられず、奇麗な音色を奏でます。


 小さい体なので、押し手をして音を半音上げる時に身を乗り出して、手を目一杯伸ばす様子がとても可愛らしいので、もっと弾かせてみたくて笛を吹き鳴らして曲を教えました。


 なかなか筋がよく、難しいフレーズも一度聞いただけで耳コピします。


 なにをやらせても器用にこなすなかなかの才能に、夢がかなったような心地です。


 『保曾呂惧世利ほそろくせり』というわけのわからないタイトルの曲ですが、透き通るような奇麗な音色で吹くと、それに合わせて未熟ながらもリズムが完璧なので上手に聞こえます。


 大殿油おおとなぶらを灯してやり、絵やなんかも見ていると「出発の時間だ」というので、お付の人たちが改まった声で、

 「雨が降りそうですから早く。」

と言うと、姫君わかくさはいつものように不安になります。


 絵を見るのをやめてうつぶせになってすねるのも可愛らしく、髪の毛がまばゆいばかりにふわっと広がるので、掻き撫でてやりながら、

 「外に行っちゃうと寂しいかい?」

と言えば、コクンとうなづきます。


 「俺だって、一日でも逢えない日があれば気が狂いそうだ。

 だけど、おまえはまだ子供だから安心してられるけど、物事をいろいろ捻じ曲げて文句ばかり言う人の機嫌を損ねないようにと思って、面倒くさいけどしばらく行ってくる。

 おまえが大人だと思えるようになったなら、もう他へは行かない。

 人の恨みをかいたくないのも、長生きして心行くまでおまえと一緒にいたいからだ。」


などと長々と説明すると、さすがに圧倒されたのか何も言いません。


 すぐに膝に寄りかかって寝てしまったので、何か心苦しくて、

 「今夜は行かないよ。」

と言えば女房たちは皆立ち上がり、料理などを運んできました。


 姫君わかくさを起こして、

 「行かないことにしたよ。」

と言うと安心して起き上がりました。


 一緒に食事をしました。


 ほんのちょっとしか食べず、

 「じゃあ、ちゃんと寝てね。」

とまだ出かけるんじゃないかと不安げなので、どんな大事な用でもこんな子を見捨てて行くのは難しいなと思いました。


 こんなふうに足止めされることが度重なると、自然と噂が漏れて、それを聞きつけた人が左大臣家にちくったので、

 「一体誰なの、失礼しちゃうわね。」

 「今だかつて聞いたことのないような人だし、それでそんなふうに付きまとっていちゃいちゃしているなんて、品性も節操もない人だわ。」

 「内裏の下っ端の女を、それっぽく仕立て上げたものの、世間の非難を恐れて隠しているんだわ。

 がさつで子供っぽいというし。」

などと、仕えている女房たちも噂しあってました。


 内裏にもこの謎の妻の噂が流れ、御門も、

 「気の毒に。

 左大臣の落胆ぶりももっともなことだ。

 元服の前から多大な恩を受けておきながら、それくらいのことがわからない年でもないだろうに、どうしてそんなあだで返すようなことをするんだ。」

と諌めるので、源氏の君ミツアキラは恐縮して言葉もなく、

 「すっきりしないな。」

と哀れむような目で見ます。


 そして、

 「それにしても、宮中の女房はもとより、そこいらの屋敷にいる女たちですら、そんな特別スケベったらしく口説いて回ったりするようなことを見たことも聞いたこともないのに、一体どこの陰に隠れ歩いて、こんなにも人に恨まれているのやら。」

とも言います。


 御門もすっかりお歳を召されているものの、この方面では抜け目なく、采女、女蔵人などの直属の女官なども美女才女をことのほかもてはやし、目をかけていたので、この頃は二流の血筋でも才気あふれる人がたくさんいました。


 それは源氏の君ミツアキラにとって、他愛のない話をする分には遠慮会釈のない間柄でも、単にいつも見慣れているせいなのでしょうか、

 「本当に変な気を起こすことがないようね。」

と冗談にも鎌かけてきたりすることがあっても、適当に相槌打って、本気で心を動かすことはなく、

 「真面目すぎてつまらなーい。」

なんてこぼす人もいました。


   *


 年のかなりいった典侍ないしのすけのマチコは、なかなか人間的にもできていて機転も利き、高貴な家柄で世間の評価も高いのですが、これがとんでもなく多情で、その方面ではチャラいところがあるのを、何でこう五十過ぎてまでスキャンダルが絶えないのかと興味を持ったのか、試しに冗談に口説いてみた所、特に意外とも思わずに乗ってきました。


 我ながらあさましいなとは思いながらも、結構熟女にも興味があって、ついつい関係を作ってしまったけれど、あまりに年がいってるため、人に知られたくなかったのか、それっきりで放っておいたので、典侍マチコは辛い思いをしてました。


 御門の整髪を典侍マチコが担当し、終ったあと着替えのための人を呼び、着替えのために退出している間、源氏の君ミツアキラ典侍マチコと二人っきりになり、典侍マチコはいつもより着飾っていて、体型も顔かたちも何となく色っぽく、着ているものも華やかで男心をそそるようなもので、

 「随分若作りだね。」

と今一つな感じに見るものの、

 「何を考えているのか。」

と無視することもできず、裳の裾を引っ張って気を惹こうとすると、ありえないような絵の描いてある蝙蝠扇かわほりおうぎで顔を半分隠して振り返る眼差しは遠くを見ているものの、瞼はひどく黒ずんで落ち窪み、外に垂れ下がって皺々です。


 「それにしてもこの扇、似合ってないなあ。」

と言って自分の持っている扇と取り替えると、赤い紙は反射して自分の顔までが赤くなりそうなくらいどぎつい色で、森の木の茂る様子が金泥で描かれてます。


 裏側には、書体はすっかり時代遅れだけど見事な筆致で、『古今集』詠み人知らずの「大荒木の森の下草老いたので馬も食わない人も刈らない」などとさらさらっと書いてあって、

 「わざわざこんなことを、自虐ネタか。」

と笑いながら、


 「びっしりと茂り茂った大荒木

     夏はやっぱり森の影だね。」


と古歌を引用して答えるものの、こんならしからぬ会話をしていて人に見つかるとまずいなと思うものの、女の方はどこ吹く風で、


 「あなたなら飼い馬にして食わせたい

     盛りを過ぎた草叢だけど」


という様子がやけに色っぽい。


 「割り込めば叱られちゃうよいつだって

     馬のいちゃつく森の茂みは


 やっかいごとは勘弁してよ。」

と言って立ち上がろうとすると、それを引き止めて、

 「こんな苦しい思いは初めてなの。

 この歳になって恥をかかさないで‥‥。」

と泣き出すあたり、まじにやばそうです。


 「わかったけど今はちょっと‥‥。

 愛していながらも、なかなか。」

と言いながらも振り切って出て行くと、何とかすがり付こうと身を伸ばし、

 「『ながらながら』って、長柄の橋柱じゃあるまいし、このまま朽ち果てろと言うのおおおお!」

と哀願すると、御門の着替えが終り、障子の影からそれを見ていました。


 「とてもお似合いとはいえぬカップルだな。」

と結構面白がっていて、

 「女っけがないもんだから、常々どうすればいいか悩んでたけど、だからといって見過ごすわけにはいかないな。」

と言いながらも笑ってたので、典侍マチコは何だか気恥ずかしくて御門のことを直視できません。


 それでも好きな人とだったら濡れぎぬでも着てみたいというところもあって、特に反論もしません。


 周りの女房たちも、「うそっ、思っても見なかったー!」と噂し合っているのを頭の中将ナガミチが聞きつけて、

 「おれもこの道にかけてはすべてに精通しているつもりだったが、熟女とは思いもよらなかったな。」

と思い、年取っても衰えぬ典侍マチコのスケベ心を見てみたくなり、言い寄ってみました。


 この君も人並みはずれた好色漢で、あのつれない人の代わりに慰めてやろうと思ったものの、「逢えれば誰でもいいってもんじゃないわよ」とのこと。


 何て贅沢な。


   *


 頭の中将ナガミチもこっそりと逢っていたので、源氏の君ミツアキラはこのことを知りません。


 宮中で典侍マチコの姿を見つけても、愚痴を聞かされるだけなので、相手の年齢からして気の毒なことをしたから慰めてやろうとは思っても、なかなか思うように時間も作れず面倒になって、また何日も時が経過してしまったそんなある日のことでした。


 夕立が来て、そのあとの涼しくなった宵の暗がりに紛れて、内侍所ないしどころのある温明殿うんめいでんの辺りをうろうろとしていると、あの典侍マチコの琵琶がなかなか面白い音を立ててました。


 御門の御前でも男方の演奏に混じったりして、琵琶に関しては右に出るものもないくらい上手いうえに、苦しい恋の思いが込められているせいか、とても悲しげに聞こえます。


 ただ、『山城』という催馬楽の


 ♪瓜作りが嫁にほしいという、

  どうしよう、

  瓜作りなったなら、

  瓜が育つまでに


と楽しそうに歌っているのが、ちょっとがっかりです。


 鄂州がくしゅうでとなりの船から聞こえてくる女の歌う声に涙した白楽天も、実際に歌の主を覗いてみて十七八の若い女性でなかったなら面白いだろうなと、しばし聞きほれてました。


 弾き止むと、ひどく悩んで苦しそうな様子でした。


 源氏の君は


 ♪東屋の真屋の軒先、

  雨だれで、

  びしょぬれになった、

  戸をあけてくれ


という催馬楽『東屋あづまや』をひそひそ声で歌いながら部屋に近づいてゆくと、


 ♪押し開けてきて


と続きを歌うあたり、いつもと様子が違う気がします。


 「外で濡れる人も見えない東屋に

    どうしようもなく雨だればかり」


と深く溜息をつくのを聞いたことのあるのは、自分一人ではないだろうなとわかってはいても、それにしてもうざい、何でこんなことまでと思います。


 「人妻は面倒くさい東屋の

     真屋の隅にも居場所がなくて」


と言って通りすぎようとしたけど、それではあまりに冷たすぎるかなと思い返して、相手に合わせて軽い調子で冗談を言い合い、こういうのもなかなかないことだなと思いました。


 頭の中将ナガミチ源氏の君ミツアキラがやけに真面目ぶった顔して、いつもおまえとは違うんだという顔をしているのが癪で、自分に黙ってこっそりとあちこちに通っているのをいつか暴いてやろうと思っていたので、これを見つけてにんまりしました。


 このチャンスにちょっと脅かしてやって、うろたえてるところで「懲りたか」とでも言ってやろうと思って、泳がせてました。


 俄かに風が冷ややかに吹いてきて、夜もやや更けゆく頃、ちょっとばかりうとうとしてるかなという状態なので、静かに部屋に入ると、源氏の君ミツアキラはとてもおちおち寝てられない気分で誰か入って来た物音を聞きつけて、まさか頭の中将ナガミチとは思わず、典侍マチコに未練を抱いた修理大夫すりのかみに違いないと思って、あんないいオヤジにこんならしくもないことをしているのを見られるのは恥ずかしいので、

 「どうぞお構いなく。

 今出てゆくから。

 蜘蛛が巣を作ると夫が帰ってくるというのは本当だったんだ。

 これはまいった、はめられた。」

と言って直衣を引っつかむと、屏風の後に入ってゆきました。


 頭の中将ナガミチは笑いをこらえて、源氏の退散していった屏風の方に近づき、ばたばたと屏風を畳んで大げさに物音を立てると、典侍マチコは歳はとっても品があり、頑なな所がなく、以前にもこんな幾多の修羅場をかいくぐってきたので慣れているのか、ひどく急であわただしいこの状況にも、源氏の君ミツアキラをどうしようというのか心配で、震えながらもしっかりと頭の中将ナガミチの袖を掴んで引き止めました。


 源氏の君ミツアキラは、正体がばれる前に出て行こうと思うものの、着の身着のままで冠も曲がったまま走って行く後姿を想像すると、いかにも間抜けなので躊躇しました。


 頭の中将ナガミチは、何とか自分だということを悟られないように思って言葉を発せず、ただ、いかにも怒り狂ってるふうに太刀を引き抜けば、典侍マチコが、

 「やめてぇ!あなたぁ!あなたぁ!」

と立ちふさがって手を擦るので、ついつい吹き出しそうになります。


 うわべでは男の好みに合わせて若々しく取り繕ってはいるものの、五十七八にもなる人が着ているものも乱れて不安そうな顔をして、それこそありえないような二十歳そこそこの男たちの間でびくびくしているのは、何か変な感じです。


 結局、こんなふうに柄にもない演技で恐そうに見せても、かえってバレバレで、俺だとわかってわざとやってるのだなと思うと馬鹿らしくなります。


 典侍マチコも誰だかわかるとひどく可笑しくなって、太刀を握っている腕を掴まえると、ぎゅっとつねり上げたので、頭の中将ナガミチは悔しいけど笑ってしまいました。


 「実は芝居だったって落ちかよ。

 冗談きついな。

 さあ、この直衣を着ないと。」

と言っては見たものの、まだまだ腹の虫は収まらず、いきなり頭の中将ナガミチのことをひっ捕まえて、

 「だったらおまえも同罪だろっ。」

と、帯を引き解いて脱がせようとし、頭の中将ナガミチの方も脱がされまいぞと抵抗して引っ張り合ってるうちに縫い目がほつれて、はらはらと下に落ちました。


 頭の中将ナガミチ


 隠しても名は出てしまう掴み合い

     破れてしまったなかの衣に


 この破れた中衣なかのころもを直衣の上に羽織っておけば一目瞭然だ。」


と言うと、源氏の君、


 「隠せないことと知りつつ夏衣

     着るのは情が薄い証拠だ」


と言い返して、どっちもどっちの無残な姿に成り果てて、一同退出しました。


 源氏の君ミツアキラ頭の中将ナガミチに見つけられてしまったのが悔しくて、床に臥しました。


 典侍マチコは一部始終を浅ましく思って、落っこちていた指貫さしぬきや帯止めなどを早朝に届けさせました。


 《浦見ても言う櫂もない鉢合わせ

     怒涛のように去ったそのあと

 

 海の底まであらわになってました。》


 つれないことを言ってくるなと思うと癪だけど、さすがに仕方ないなと思って、


 《荒れ狂う波はどうでもいいけれど

     招いた磯はどうしたものか》


とだけ手紙に書きました。


 帯は頭の中将ナガミチのでした。


 直衣と同じ布を使うのに、自分の直衣よりは色が濃いと思ったら、その袖がなくなってました。


 「何を言われてもしょうがないな。

 色事にのめりこんでしまうと、結局何かと馬鹿をさらけ出すことになるんだな。」

と反省しきりです。


 頭の中将ナガミチが宿直所から、

 「これをすぐに付けてください。」

といって、取れた袖の入った包みをよこしたのを見て、いつどうやって袖を取ったんだと思うと、やられたなという感じでした。


 「この帯を他の人に見つけられてたら大変なことになっていた。」

と思いました。


 帯と同じ色の紙に包んで、


 《恋仲を裂いたと恨まれても困る

     はなだの帯は見なかったことに》


と、手紙を送りました。


 その返事に、


 《君にこんな引き裂かれちゃった帯だから

     仲が裂かれたのもそのせいにしよう

 

 逃げられると思うなよ。》


とありました。


 日が高くなってから、それぞれ宮中に上がりました。


 源氏の君ミツアキラが何ごともなかったかのように神妙にしているのが頭の中将ナガミチには可笑しかったけど、様々な案件が奏上されたり下されたりした多忙な一日だったので、妙に堅苦しくしゃちこばっている互いの様子を見ては笑い(草)です。


 人のいないときを見計らって、

 「隠し事は懲りたろう。」

と言って、いかにも不遜な感じに睥睨へいげいしてみせます。


 「なぜっ。

 何のことかな。

 それより来て何もせずに帰っちゃった人の方が可哀想だな。

 男と女というのは本当に悲しいものだな。」

と言い返し、

 「淡海路の鳥籠とこの山にある川の名は?」

 「不知哉いさや川。」

そういって互いに口をつぐみました。


 さてその後、ともすればことのついでのあるたびに頭の中将ナガミチがこのことをネタにしてからんでくるもんだから、ますます面倒な女に関わってしまったなと身にしみることになりました。


 その典侍マチコはというと、何かと未練ありげに恨みごとを言うので、悩みは尽きません。


 頭の中将ナガミチは、妹である源氏の正妻トーコには内緒にしておけば、何かのときには「ばらすぞ」と脅しの材料になると思いました。


 皇族の血を引く皇子たちさえ、御門の源氏の君ミツアキラへの並々ならない思い入れはやっかいで、遠慮がちにしか物を言わないというのに、この中将だけは負けず嫌いで、ささいなことでも張り合おうとします。


 頭の中将ナガミチだけが源氏の正妻トーコの本当の兄弟でした。


 そのため、

 「源氏は御門の子というだけで、自分もまた同じ大臣の中でも格別な父を持ち、御門の妹との間の子として殊更大事に育てられたのだから、何一つ引けをとらないはずなのに。」

と思うのでした。


 品性という才能といい完璧で、何に関しても理想的にすべてを兼ね備えているという自負がありました。


 それで、色事まで張り合っているのもおかしなものです。


 それにしても騒々しいこと。


   *


 七月には藤壺の宮ヤスコが皇后になるとのことです。


 源氏の君ミツアキラ参議さんぎとなり、宰相さいしょうとして国政に携わることになりました。


 御門が譲位のことを考えるべき時が近づいていて、藤壺の宮ヤスコの若君を春宮坊にと思ってみても、後見人がいません。


 母方は皆皇族で、源氏のような臣籍に降下して国政に携わることのできる血筋ではないので、母宮をとりあえず不動の地位に付けておいて、布石にしようというものでした。


 弘徽殿の女御リューコがますます不安になるのも理由のあることでした。


 それでも、

「我が息子の御代が来るのはもうじきのことで、そうなれば皇太后の座はゆるぎない。

 うろたえるな。」

と言ってました。


 「確かに、二十年以上も皇太子の母として過ごしてきた女御リョーコを差し置いて、それを飛び越えて行くのは難しいことだ。」

と、例によって宮中の間でも疑問視する声がありました。


 藤壺の宮ヤスコが入内するときの夜のお供に、源氏ミナモト宰相の君ミツアキラも参列しました。


 同じ后とはいっても皇后の娘とあれば、その七光りに光り輝き、さらには帝の類なきご寵愛となれば、人々も別格扱いしました。


 まして、源氏の宰相ミツアキラの切ない心の内には、御輿の中にいるその人のことを思えば、ますます手の届かない所に行ってしまったような気持ちになり、心ここにあらずです。


 この気持ちつきない闇が包むのか

     あの娘は雲の上と思うと


とだけ独り呟くのが、何だかとても悲しそうです。


 皇子様が成長するにつれ、ますます源氏の君と瓜二つになってくるのを、藤壺の宮ヤスコ様は大変苦しく思うのですが、それを知る人もありません。


 確かに、どこをどう作りかえれば源氏の君に劣らない姿形で生まれてくることができるというのでしょうか。


 太陽と月のように、世間の人も同じ光だと思ってました。




 「今度は熟女。」

 「お子様からお年寄りまで、ヒカルの君は楽しめます。」

 「老若男女の恋人。」

 {卒塔婆小町?」

 「昔の人がモデルなら問題ないよね。」

 「ところで鄂州の女の声って?」

 「女は知らなくていいの。」

 「漢文検非違使が来るから?」

 「白楽天の『夜聞歌者卾州』。

 『琵琶行』ほどメジャーじゃないけど。」

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