第20話 末摘花3 年も暮れて

 藤式部

 「えーーーー、

 大分女房達の間でもざわついているようで。

 最初にこの物語を発表した時は、小さなつぼねの中で、数人の女房の前で披露しただけで、そんな大きな騒ぎにもなってませんでしたが、今は思いもしない大きな反響に驚くばかりです。

 ただことわっておきますが、この話は何天皇の時代というものでもない、全くの架空の時代、架空の朝廷で起きた話で、今の現実の宮中とは何の関係もありません。

 ナギコもスミコも特定の誰をモデルにしたとかそういうこともありません。

 ナギコは常陸宮親王の娘で王族の娘で、少納言ではありませんし、まして清原家とは何の関係もありません。

 スミコも命婦で、特定の女房の誰かということはありません。こういう人って、普通にいるでしょ?

 とにかく、そういうことで今日も物語の続きをします。」


 「式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、」

 「帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、」

 「式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、」

 「帰れ、帰れ、帰れ、」

 「式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部、」

 「何かアンチがいつの間にか湧いてきてるけど。」

 「聞きたくないなら来なけりゃいいのに。」

 「わざわざ妨害に来るとか、迷惑。」




 そうこうしているうちに年も暮れてゆきました。


 内裏の宿泊所にいるときに、大輔の命婦スミコがやってきました。


 これといった恋愛感情のない間柄なので気兼ねも要らず、むしろ冗談などを言い合いながら髪を結ってもらったりして傍で仕えさせていたので、仕事のないときでも言いたいことのあるときにはこうしてやってくるのです。


 「ちょっと変なことがあって、報告しないのもどうかと悩んじゃってぇ。」

とにっこり笑って話し出そうとするので、

 「何なんだよ、俺には遠慮せずに言ってくれよ。」

と言えば、

 「どうしよっかなー。

 自分の悩みだったら遠慮なく真っ先に言うんだけどぉ、

 これはちょっと言いにくいことでぇ‥‥。」

と妙にじらすあたり、「また、いつもそうやって男を誘ってるんだろっ」などと憎まれ口の一つも言いたくなります。


 「宮家からの手紙何だけどぉ‥‥。」

と言って手紙を取り出します。


 「だったら何で隠しておくんだよ。」

と言って受け取るのですが、胸はどきどき気はそぞろです。


 厚ぼったい陸奥紙みちのくにがみは上等だけど色気には乏しく、それに香ばかり深く焚き込めてます。

 やけにきっちりとした字で書き上げてます。

 歌の方も、


 《唐衣君の心が辛いので

 袂はこんな濡れ続くだけ》


 思わず首をかしげてると、時代のかかった重そうな衣装ケースの包みを持ってきました。


 「これを見たら、きっと痛いと思うんじゃないかなぁ。

 だけど、元旦の晴れ着にといってわざわざ贈ってきてくれたものを、なまじっか返すわけにもいかないしぃ。

 勝手にしまい込んじゃっても、あの人も気持ちに反することになるからぁ、見せてからにしようかなって。」

と言うので、

 「勝手に仕舞い込まれちゃったりしたら、きびしいな。

 着物を巻いたり干したりする人がいない身には、その気持ちは嬉しいし。」

とは言いながらも、それ以上は言いません。


 「それにしてもひでえ歌だな。

 これは本当に自分で作ったんだろうな。

 あの侍従イソシコがいたら、しっかり添削しているだろうに。

 他に和歌を指導できる人もいなさそうだし。」

と開いた口が塞がらない様子です。


 苦労してやっとのことでこしらえた歌だということを思うと、

 「まったく、畏れ多いというのはこういうのを言うのだろうな。」

と言って微笑むのを見て、命婦スミコは顔を赤らめました。


 淡い紅だから着ることの許された 「ゆるし色」なのに、時を経てすっかり変色して許されない濃色になってしまった直衣のうしは、表も裏も同じ色で同じ織り方で、いかにも愚直な感じが至る所ににじみ出てます。


 すっかり呆れ果てたのか、先の手紙を広げては、隅っこに何やら思いついたことを書き付けているのを横から覗いてみると、


 《心引く色でもないし紅の花

     末摘花の袖をどうしよう》


それに続けて、

 「こんなに濃い色のハナだったとは。」

などと書いたものの、これはすぐに消しました。


 鼻の欠点の意味を込めているんだろうなと、そう言われてみれば時々月影に見るあの姿に思わず納得し、ひどいなと思いつつも笑ってしまいます。


 「紅ばなのひとえの衣薄くても

     腐らすような噂もなけりゃ


 男と女って難しいなぁ。」

と、いかにも手馴れたように歌を呟くのを聞いて、あの姫君も別に上手くはなくてもこれくらい通り一遍に出来たらいいのにな、とつくづく残念に思うのでした。


 ただでさえ身も千切れんばかりに悩んでいるだろうに、その上悪い噂が立ったりしたなら。


 人が何人かやってきたので、

 「早く隠せ。

 こんな着物を見られたら大変だ。」

とあわてて声を押し殺して言いました。


 「見せるわけないでしょ。

 私まで趣味を疑われちゃう。」

と恥ずかしさに耐えかねたかのように出て行きました。


 次の日、参内した源氏の君ミツアキラが清涼殿の女房の詰所の台盤所だいばんどころに立ち寄って、


 「それっ、昨日の返事だ。

 妙に気を持たせるようなことするんじゃないぞ。」

と言って手紙を投げていきました。


 女房たちは、

 「一体何なの?」

と興味津々です。


 ♪ただ梅の花の色のように、三笠の山の乙女を捨てて


と適当に口ずさんで出て行くと、命婦スミコにだけは、やけに受けてました。


 意味のわからなかった他の女房たちは、

 「何一人笑ってるの。」

と詰め寄りました。


 「何でもない。

 『たたらめの花のごと掻練かいねり好むや滅紫けしむらさき好むや』って唄があるでしょ。

 霜の降りた寒い朝に、表も裏も紅の色の掻練襲かいねりがさねを着たがる人のハナの色をちょっと思い出してね。

 あの鼻歌がちょっとおかしかったから。」

と言えば、

 「ありそうなことね。

 この中には、そんな赤い花はいないけど。」

 「左近の命婦や肥後の采女は今いないからね。」

など意味もわからぬまま、話がそれていきます。


 源氏の君ミツアキラからの返事が姫君ナギコの所に届くと、女房達が見に集ってきます。


 《会わなくて距離の生じた仲なのに

    重ねて袖にするというのか》


 白い紙にさっと書き付けただけのものでも、なかなか味があります。


 大晦日の夕方に、例の衣装ケースに「御料ごりょう」と書かれて、どこからか御衣おんぞ一式送られてきて、大輔の命婦スミコが持参しました。


 葡萄色えびぞめの織物の御衣、山吹色のものなどいろいろ入ってました。


 この前源氏の所に贈ったのは色合いが悪かったからなとわかってはいるものの、


 「これはもしや、紅の色は若いもんには重すぎたからかのう。」

と年寄り達はそういうことに決めたようです。


 「お歌の方も、こちらから送ったほうが言葉に無駄がなく、言いたいことがはっきりわかりますわね。」

 「返歌は、ただ面白ければいいというだけだわ。」

などと口々に言います。


 姫君ナギコも、並々ならぬ意気込みで詠み上げた作品だったので、物に書き付けて取っておいてました。


   *


 正月の数日間がすぎて、今年は男踏歌おとこどうかがあるというので、例によってあちこちで大きな音で音楽を演奏してもの騒がしいなか、寂しい所のことを哀れに思って、七日の節会せちえが終ったあと、夜に入ってから御門みかどの御前を退出し、桐壺の宿直所に俄かに泊まることにして、夜更けになるのを待って出かけました。


 以前よりは賑やかになった感じで、世間並みになった気がします。


 姫君ナギコも、少し円くなったような感じで接してくれてます。


 何とかして、まったく別人のように化ける日が来ないかな、などといつも思ってるようです。


 朝日の射す頃、もう少しここにいたいなと思いつつ帰ることにしました。


 東の妻戸を押し開ければ、向い側にある廊がこれ以上ないくらいに荒れ果てていたので、朝の陽射しが遮るものなく射し込んで、雪が少し降ったのか、その反射光にくっきりと部屋の中が映し出されます。


 直衣に着替えるのを見ながら、やや身を乗り出して横向きに寝そべるその髪がこぼれ出る感じがなかなか見事です。


 「生まれ変わった姿を見る時も来たか」と思って、格子を引き上げました。


 しかし、あの時見なくてもいいものを見てしまった、本当に笑っちゃうような失敗を思い出して、格子を完全に引き上げるのはやめて、脇息を手元に引いて寄りかかり、もみ上げのあたりの寝癖を直しました。


 どうしようもないくらい時代遅れの鏡台から、唐櫛匣からくしげ掻上かかげの箱を女房達が取り出して持ってきました。


 女ばかりの所に男性用の道具がおぼろげながらあるあたり、一応色気もあるのだなと面白く思いました。


 女の着ているものが今日は普通だと思ったのも、あの箱に入っていた贈り物をそのまま着ていたからでした。


 それにまったく気付かず、面白い模様なのでまちがえのない上着だけは変だなと思いました。


 「今年こそ、声を少し聞かせてくれないか。

 待ち望まれる鶯の声はさておき、ここらでイメチェンしてくれれば嬉しいな。」

と言えば、

 「さえずる春は。」

と震える声でやっとのことで口に出しました。


 「なるほど、『百千鳥ももちどりさえずる春は物ごとにあらたまるけど我は年取る』という『古今集』の詠み人知らずの歌か。

 俺も一つ歳を取ったってわけだ。」

と笑い出し、


 ♪忘れては夢かと思う思ったら

     雪踏み分けて君を見ようとは」


という在原業平の歌を口ずさみながら出て行くのを、姫君ナギコは見送っては力が抜けたように枕に寄りかかって寝ました。


 口を手で蔽っても、なおかつ横からあの末摘花(紅花)が色鮮やかに覗いてました。


 やはり見るに耐えないなと思いました。


 二条院に戻ると、紫の君のその未熟な姿がどうしようもなく可愛らしく、赤らんだ顔は本当はこんなふうに抱きしめてやりたいようなものなんだと思うに、無地の桜色の細長をふんわりと着こなして、無邪気に歩き回る姿がとにかく可愛くてしょうがないですね。


 昔かたぎの祖母の尼君のもとにいた頃はまだお歯黒をしてなかったものの、それも今ではしていて、眉毛もくっきりとして気品ある美しさも具わりました。


 「我ながら、何でこう苦しい男女の仲を渡り歩いてるのか。

 こんなにも心狂わせるようなものを見れるのだからそれで十分なのに。」

と思いつつ、いつものように一緒に雛遊びをしました。


 絵を描いて色を塗ります。


 どれもこれも面白そうに気ままに描き散らします。


 源氏の君ミツアキラも一緒になって描きます。


 髪の長い女を描いて鼻に紅をつけてみると、単なる画像だとはいえ、見るのも嫌なものになってしまいます。


 鏡台に映る自分の顔のいつもながらの美男振りを見ては、自分で自分の鼻に赤い絵の具を塗ってみると、こんな美男子なのに朱に交わればどうしても醜い顔になってしまうのでした。


 姫君はこれを見て大笑いです。


 「俺がこんな変な顔になったらどうする?」

と言うと、

 「だめーっ、そんなの。」

と、このまま取れなくなっちゃうんじゃないかと気が気でないようです。


 拭っても取れないふりをして、

 「どうしよう、もう白くならない。

 つい何も考えずに勢いでやっちゃったよ。

 禁中には何て報告すればいいんだ!」

と真顔で言えば、困ったような顔をして寄ってきて顔を拭くので、


 「『宇治大納言物語』の平中へいじゅうみたいに墨を塗ったりするなよ。

 赤い方がまだいい。」

と冗談言ったりする様子は、何とも愉快な兄妹のように見えます。


 うららかな陽射しを浴びて、いつしか木々の梢は霞み渡りおぼろげに見える中、梅もほんのりと姿を見せて微笑むかのような花を咲かせ、特別際立って見えます。


 正面の階隠はしがくしの下の紅梅は、いち早く咲く早咲きの梅で既に色づいてます。


 「赤らんだハナは不当に嫌われる

     梅の立ち枝は好まれるけど


 何だかなあ。」

と他人事ながら呻き声を漏らします。


 さて、このあとみんなどうなったでしょうか。




 藤式部

 「いや、これはあくまでフィクションで、ナギコは架空の人物で。

 だってあの清原の少納言の名前はナギコではないでしょ。

 それにそんなにお鼻が赤かったですか?」

 老女房

 「それでも、あれは少納言様のことだと世間で噂になっております。

 作り話とはいえ、人様を嘲笑するような物語は放置できません。」

 藤式部

 「いえいえ、みんな噂して笑っていても、ナギコという名で呼んで笑っているので、少納言のことではありません。

 みんな物語と現実との区別はついてます。

 あなた達は物語と現実の区別がつかないのですか?」

 老女房

 「物語と現実の区別なんて普通はつかないものですよ。

 だから、幼女をさらう物語などもってのほかで、世の男たちがみんなあれを真似たらゆゆしきことです。

 空蝉の凌辱も同じです。血気盛んな男が早速真似します。

 だいたいこんな嘘ばかりついて、噓つきは泥棒の始まりですよ。」

 藤式部

 「嘘と言いましたね。

 つまり現実との区別はついてるわけですね。

 物語と現実の区別がつかないなら、あの物語が『嘘』ってなんでわかるんですか?」

 老女房

 「何屁理屈言ってんの。

 頭悪いの?

 馬鹿なの?」


 「喧嘩ですの?

 『絶えて桜の』ですね。物語がなければ長閑なことでしょう。

 でも花は咲いてほしいわね。」

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