第14話 若紫2 北山の僧都(下)

 左大臣みちなが

 「源氏物語の写本の数はもう四十くらいあるらしい。

 それとともに、式部への貢ぎ物もあって、相当稼いでるようだな。」

 右大弁ゆきなり

 「調査してますが、輝く日の宮の巻もかなりの数発見されてます。

 若い女房が多いので、年老いたお局様に見つけ次第取り上げるように言っておきました。」

 左大臣みちなが

 「燃やすってわけだな。無修正の空蝉の旧版も出回ってる。

 若い女房がこういうのを読みたがるのもわからないではないし、気が引けるが。」

 右大弁ゆきなり

 「お局様に任せるといいでしょう。

 年寄りは若い者に嫉妬するもんです。

 特に男にモテる女にはね。

 若い者にこんなものを読ませるとは不道徳なって、そういう運動を煽ってみてはいかがかと。

 それも表向きはこういう強引な密通がまかり通ると女房の地位が軽視される、女房の地位の向上という理由を付けて。」

 左大臣みちなが

 「さすがだな。

 実方さねかた中将を嵌めて追い出しただけのことはある。」

 右大弁ゆきなり

 「心外な。

 そんなことは一切してませんよ。」


 「なんか最近、古い写本に年寄りがうるさいんだけど。」

 「また書き写せばいいだけよ。」

 「さすがに幼女相手にああいった描写はないだろうし、掻い潜るにはいいかも。」

 「あっ、式部さんだ。始まるよ。」

 「式部、式部、式部、式部、式部、式部、式部‥‥」


 藤式部

 「では北山の僧都の続き。」




 確かに、なかなかうまい具合に他とは違う趣向を凝らしていて、山にある草木も植えなおされていました。


 月もない時期なので、鑓水やりみずにかがり火を灯し、燈篭にも火が灯ってました。


 南の表庭はこざっぱりと整えられています。


 どこかで焚いている香の匂いがそこはかとなく漂い、名のあるお香の匂いに満たされた中に、源氏の君ミツアキラ御衣おんぞに炊き込めた香りがまったく別のものなので、中にいる人もどんな人が来たのかと張り詰めた様子です。


 僧都ギョウウンはこの世の無常についていろいろと語り、死後の世界のことなどを説いて聞かせます。


 源氏の君は自分の犯した罪が恐くなり、どうにもならないことで心がいっぱいで、生きている限りこのことで思い悩まなくてはならないのか。


 まして、死んだ後もとんでもないことになるんだとずっと思い続け、こんな山寺にでも住んだ方がいいのかと思うものの、昼に見た幼女の面影が気がかりで恋しくなり、

 「ここに籠っている女は誰なんだ?

 夢で見て、そこを訪れて聞いてみたかったんだ。

 今それがここだと思い当たったんだ。」

と言えば僧都は笑い出して、

 「それはまた唐突に夢の話なぞ。

 聞いてみても、そんな期待するほどのものではありませんよ。

 今は亡き按察使あぜちの大納言は、だいぶ前にお亡くなりになられたので、ご存じないかもしれません。

 その妻は、この私めの妹なんです。

 その按察使の亡くなられた後、世を捨てたのですが、このごろ病気がちになりまして、そのため京に登ることもなく、このお寺を頼って隠棲しているだけです。」

と言いました。


 「その大納言に娘がいたと聞いたのだが。

 別に変な意味ではなく、真面目に聞いているんだ。」

と当てずっぽうで言えば、

 「女の子が一人いました。

 お亡くなりになって既に十年ばかりになりますか。

 今は亡き大納言、内裏に出仕させようとして、これ以上にないくらいに純粋培養して育てたのですが、なかなか思うとおりにならないうちに大納言がお亡くなりになり、ただこの尼君一人お世話していたのですが、一体誰が手引きしたのか兵部卿ひょうぶきょうの宮がこっそり通ってきて懇ろの仲になったのですが、本来の妻である人がなかなか放っておけなかったようで、穏やかではないことも多くて、いつも思い悩んでばかりいて、ついには亡くなってしまいました。

 病は気からというのを目の当たりにした思いです。」

などと答えました。


 ならばその娘の子だと納得しました。


 皇子の血を引く者だから、あの人に似通った所があるのだろうと、ますます愛しく思えて、生まれながらの品性も高くて引き寄せられるものがあり、無理に自分を高貴に見せようとするようなわざとらしさもなく、あんな子といい仲になって、思いのままにいろいろ教え込んで育成してやろうと、源氏の君はあれこれ妄想するのでした。


 「それは何とも悲しいことになってしまいました。

 せめて残された子供とかでもいれば。」

と、さっきの幼い子供が本当にその子なのか、もっとはっきりさせたくてそう問えば、

 「亡くなった頃にできた子がいました。

 それも女の子でした。

 そのことで悩みの種になってまして、尼君もすっかり年をとってしまい、これからどうなるのか大変心配なさってます。」

という答えでした。


 しめた、と思いました。

 「不審に思われるかもしれないが、その幼い子供を引き取りたいということで、尼君に聞いてくれないか。

 いろいろ思うこともあって‥‥、

 通うところもあるにはあるんだが、夫婦仲がどうもしっくり行かなくて、一人暮らしなもんで。

 まだそんな歳ではないので、まだ早すぎて失礼だと普通の人が思うみたいに思うわれちゃうかな。」

と言えば、

 「それは本来なら願ってもないご用命なのですが、何分まだほんの子供でして、ご冗談にもお見せすることは難しいと思いますが。

 そもそも女というものは人に大事に世話をされてやっと大人にもなれるというものでして、正式にはお取次ぎできません。

 あの祖母にあたる奥方と相談した上でお答えしましょう。」

と、引きつった顔しながら淡々と言うので、源氏の若さではすっかり気後れして、それ以上うまく言えません。


 「阿弥陀仏を祀ったお堂でのお勤めの時間になります。

 夜の最初の行をまだやってません。

 済ませてきます。」

と言ってお堂のほうへ行きました。


 源氏の君は気分がすぐれない上に雨も少し俄かに降り出して、山から下りてくる風が冷ややかに吹き、滝つぼの水量も増えたのか大きな音をたててます。


 やや眠たそうに聞こえる引声いんぜい阿弥陀経が途切れ途切れに寒々しく聞こえてくると、信心の薄い人でもこういう場所だと悲しくなります。


 ましていろいろ悩み事が多いとなると、目が冴えてしまいます。


 夜の最初のお勤めとはいいながらも、夜は結構ふけてきてます。


 尼君の寝所では起きている人の気配がはっきりとわかり、それとわからないようにしてはいるものの、数珠が脇息に当るたびに音を立てるのがかすかに聞こえてきて、妙に気になる時折衣がすれる音が奥ゆかしい感じがして、たいした距離もなくすぐそばなので、戸口の所に立ててある屏風の間を少しつまんで開くと、閉じた扇を手にぱちっと打ち付けて合図すれば、一瞬きょとんとした様子だったが無視するわけにもいかず、座ったまま膝で歩いてこちらに来る人がいるようです。


 源氏の君がちょっと後に隠れ、

 「変ねぇ、空耳かなぁ。」

と思案しているのを聞くと、源氏の君の、

 「仏のお導きは闇をさまようとも決して間違うことのないものですね。」

と言う声がとても若くて高貴なので、それに答える声の調子もおそるおそるで、

 「どなた様のお導きかは存じませんが‥‥。」

と答えます。


「確かに、ぶしつけだと思われるのもごもっともですが、


 初草の若葉を見たら旅人の

     私の袖の露乾きません


と伝えてくれませんか。」

 「そうはいっても、このような言伝ことづてを受け取るべき人もいらっしゃらないのですが、一体誰にお伝えしたいのですか?」


 「この状況を考えれば自ずとわかることだと思いますが。」

と言われて、奥へ入っていって伝えます。


 「なによ、このちゃらい歌は‥‥。

 この人はあの子が色気づいているとでも思ってるのかしら。

 それに一体あの若草のことをどうして知ってるのよ。」

と怪しいことばかりで一瞬取り乱したものの、すぐに返歌をしなければ無風流だとも

いうので、


 「枕濡らす一夜ばかりの露なども

     深山の苔と比べ物には


 簡単に乾くようなものではありません。」

と伝えさせました。


 「こうした人づての和歌の贈答はしたことがなくて慣れてないんでね。

 形は整わなくても、事のついでに真面目に相談しなくてはいけないと思ったんだか。」

と言えば、尼君は、


 「何か勘違いをしてませんか。

 こんな高貴なお方を前にして、私なんぞ恥ずかしくて返事などできるものではありません。」

と言うので、

 「逢わないのも失礼では。」

と回りの声がします。

 「確かに、若いあなた達では気が引けるわね。

 真面目にとおっしゃるのなら勿体ない。」

と言って、座ったまま出てゆきます。


 「泊めてもらったついでのことで、ぶしつけで軽はずみなことと思われるかもしれないけど、自分としてはそんなに気持ちではないので、仏様も自ずと‥‥。」

という具合で、源氏の君もいかにも大人って感じの尼君の気迫に圧倒されて、なかなかうまく言い出せません。


 「確かに思いもかけないついでにこうまでおっしゃらせて、拝聴させていただくのも、何かの縁。」

と尼君は言います。


 「皇子の血を引きながらも悲しい境遇にあられると聞きまして、私を亡き母親の代わりと思っていただけないでしょうか。

 この私も生まれて物心もつかぬ年齢で母親に先立たれまして、人と違って心のよりどころないままに年月を重ねてきました。

 同じ境遇でいらっしゃるので兄妹にならせていただきたく、心から申し上げたくて、こうした機会もそうそうないので、どう思われようとかまわずにこうして申し上げているのです。」

 「大変嬉しく思わなくてはいけないお言葉ですが、何かお聞き違いになったことがあるのではないのかと憚られます。

 出家しておぼつかないこの身一つを頼りにする人ではありますが、まだまったく年端もいかないもので、まだまだ一人前と認められるようなところもないので、とてもその申し出を承知して受け止めることはできません。」

 「何もかも少なからずわかっていることなので、堅苦しくお考えにならないで、私の思う気持ちが並々ならないことをご理解いただきたい。」

とそう言ってはみるものの、見当違いのことを知らないで言っているのだと思って、色よい返事はありません。


 僧都もやってきたので、

 「それではこのように伝えるべきことは伝えましたので、後は良いお返事を期待してます。」

と言って、屏風を元通りの位置になおしました。


 暁の頃になり、法華三昧ほっけさんまい堂の懺法せんぼう(法華経の読経)の声が山降ろしに乗って聞こえてきて、いかにも有難く滝の音と響きあってました。


 源氏、

 「山おろし吹くあてもなく夢醒めて

     滝の音にも涙催す」

 

 僧都、

 「唐突に袖を濡らした滝の水

     澄んだ心を乱すでしょうか


 いつも聞き慣れているものですから。」


 明けてゆく空はもうもうと霞み、山の鳥たちはどこでとも知れずさえずりあってます。


 名も知らぬ草木の花々が色々散って混ざり合い、錦を敷いたように見え、鹿が同じ所をゆっくりと歩き回るのを珍しそうに眺め、病気で気分がわるかったのもすっかり紛れたようです。


 聖人は部屋から一歩も出れないけど、何とかして護身法ごしんぽうを行なってくれました。


 しわがれた声が抜けた歯の間から漏れて不明瞭になっていても、なかなか味わい深い老練な調子で陀羅尼の呪文を唱えてました。


 京よりお迎えに来た人たちもやってきて、病状が良くなったのを口々に喜び、内裏からの使いの者もいました。


 僧都ギョウウンはあまり世間で知られていないような酒の肴を、あれこれと谷の底まで掘りに行って準備してくれました。


 「千日籠りの誓いを立てていて、今年一年はまだここを離れられないため、送って行くことはできませんが、却って送って行かなかったことが煩悩になりそうです。」

などと言って、内裏に奉納する酒を持ってきました。


 「山水の美しさにすっかり見せられてしまいましたが、内裏の方でも心配なされているのももったいないことなので‥‥。

 今すぐにでも、この花の季節が終らないうちに来たいものです。


 宮中に戻って話そう山桜

     風吹く前に見に来るように」


と歌い上げる仕草も声音もいかにも美しく、


 「優曇華うどんげの花ついに見た心地して

     深山の桜目にも入らず


と歌を返すと、微笑んで、

 「三千年に一度咲く優曇華じゃあ、もう一度咲いて見せるのは難しいなあ。」

と言いました。


 聖人は盃を受け取って、


 「奥山の松の扉をたまに開けて

     まだ見ぬ花の顔をおがむか」


と涙をこぼして見つめます。


 聖人はお守りに独鈷どっこを源氏に渡しました。


 それを見た僧都ギョウウンは、聖徳太子が百済より賜ったというクリスタルと翡翠ひすいの玉を輪にした数珠を、まさにその賜った当時の異国風の箱に入れて、それを中の透けて見える薄絹の袋に入れて五葉松の枝につけて、さらに紺瑠璃色のガラスの壺にそれぞれ薬を詰めて藤や桜などにつけて、こういった場所に相応しい贈り物を渡しました。


 源氏の君ミツアキラは、聖人はもとより、読経していた法師へのお布施、食料品など様々な物を都に使いを出して持ってこさせたため、その付近の林業従事者までもがそれなりのプレゼントを貰うこととなりました。


 治療のための誦経ずきょうをしてもらってから出発しようとしていると、僧都がやってきて、例の話を尼君にそのままするのですが、

 「とにかくも、今の時点では何とも返事しかねます。

 もし本気でおっしゃるのであれば、あと四、五年たってからならともかく‥‥。」

との返事で、

 「そうですか。」

と同じ答えの繰返しなので、期待はずれに終りました。


 手紙を僧都に使える小さい童に渡し、


 《夕間暮れほのかに花の色を見て

     今朝の霞みの発つも憂鬱》


 尼君の返歌は、


 《本当に花の辺りを去りがたいと

     霞んだ空の景色見てるのね》


といかにも高貴な由緒正しい書体でさらさらっと書いてありました。


 車に乗ろうとした時、左大臣イエカネ家の方から、どこへ行くとも言わずにお出かけになったということで、お迎えの使用人だけでなく、立派なお公家さん達までたくさんやってきました。


 頭の中将ナガミチ左中弁ナガヨシをはじめ、そのほかの左大臣家の公達も追いかけてきて、

 「こういうときのお供にはぜひとも呼んでほしかったのに、すっかり出遅れてしまった。」

と不満そうだし、

 「こんなやばいくらい咲いている花の下で、少しも足を止めずに帰ってしまうのも物足りないし。」

とも言っています。


 岩陰の苔の上に集って、盃を取り出します。


 落ちてくる水の様子からして、この辺りの有名な滝の下です。


 頭の中将ナガミチは懐から竜笛りゅうてきを取り出して澄んだ音色を奏でます。


 左中弁ナガヨシの君は扇をパーカッションの代わりにして、


 ♪豊浦とよらの寺の 西なるや


と『葛城』という催馬楽を歌い始めます。


 普通の人からすれば別世界の公達きんだちなのですが、源氏の君の、何だかひどく困ったことになったと、病気がぶり返したかのように岩に寄りかかる比類なき神々しいお姿を見るなら、何をやってもそっちに目がいきません。


 いつも篳篥ひちりきを吹いているお付きの者や、しょうの笛を持った風流人などもいます。


 僧都ギョウウンも自ら七弦琴を持ってきて、

 「ならば、ぜひ一曲弾いていただいて、どうせなら山の鳥も驚かしてやりましょう。」

と懇願されて、

 「病気なんだから勘弁してよ。」

と言ってはみるものの、結構気合の入った演奏をして、それを最後にみな出発しました。


 まだ物足りなくて別れを惜しみ、その他大勢の法師、童女もみんな涙ぐんでいます。


 まして家の中には年老いた尼君たちは、いまだかつてこのような姿の人を見たことがないので、

 「この世のものとも思えない。」

と言い合ってました。


 僧都も、

 「嗚呼、一体何の縁であのようなお方が、こんなに騒がしく煩わしいこの日本の末法の世に生れてきたのかとおもうと、何だかとても悲しくて‥‥。」

と言って目をこすって涙を拭いました。


 あの小さな姫君も、幼心に、

 「奇麗な人だね。」

と思い、

 「お父様よりもずーっと奇麗なんじゃないかな。」

などと言い出します。

 「だったら、あの人の子供になっちゃえば。」

と女房の一人が言うと、すぐにうなずいて、それがいいなんて思いました。


 雛人形を折っても絵を描いても、「源氏の君!」と言って作っては、奇麗な着物を着せて大切にしてました。




 「藤原のナガヨシが出世してた。前は蔵人の弁だった。」

 「そういえばあの『っす』の随身も滝口武者から従五位になってた。」

 「播磨の守の息子で明石にいたことがあって、それが六位の滝口武者になって、源氏の随身に登用されたらあの事件で、口留めの為に出世したというのは穿ちすぎだろうか。」

 「登場人物も次第に出世してゆくという物語になるのね。」

 

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