第11話 夕顔3 荒屋敷の一夜

 日が高くなった頃、目を覚まし、格子を自分の手で引き上げて開けました。


 庭はすっかり荒れ果てて人の気配はなく、あたりの広い景色をざっと見渡したところ、木立は年月を経て不気味なほど荒れ果ててました。


 近くにある草木なども特に見るべきものはなく、どれもこれも秋の野原に普通に生えているものなのですが、池も草に埋もれてどこか人を寄せ付けないような恐ろしげな所となってました。


 別棟の方に詰所があって、管理人が住んでいるようなのですが、ここからは離れてます。


 「人を寄せ付けないような恐ろしげな所みたいですね。

 だがこの私を見たなら鬼だって許してくれるでしょう。」

となだめます。


 そうは言いながらも扇で顔を隠して魔除けにしてたりするのですが、女がそれを嫌そうに思っているようなので、確かにわずかな隔たりであってもこういう状況には相応しくないと思いなおし、


 「夕露に紐解く花は玉鉾たまぼこ

     導きと見た、何ていう縁だ


 露の光はいかがですか。」

と歌って流し目を送ると、


 「輝くと見た夕顔の上の露

     黄昏時の錯覚でしょう」


とさらっとかわしたのを、面白いと思ったようです。


 源氏の君ミツアキラのいかにもお気楽にふるまう様は異常とも言え、こういった場には恐ろしく不釣合いにすら思えます。


 「今までずっとお互い名前を隠してきたけど、ここで名を明かそうかと思う。

 あなたも今ここで名乗っていただきたい。

 なんか不安でしょうがない。」

とお願いしては見るものの、

 「さすらいの海女あまの身ですから。」

とあくまで隠し通そうという様子でべったりと寄り添ってました。


 「そうだな、この私は藻に住むワレカラのようなもので、我から蒔いた種だったな。」

などと恨み言を言う一方で、他愛のないお喋りに興じながら時は過ぎていきました。


 惟光コレミツがようやく源氏のいるところを探し当てて、酒のつまみのナッツ類を持ってきました。


 右近が何を言うかと、惟光コレミツはさすがに今まで自分のことであるかのようにだまして、源氏の君に引き合わせたのはまずかったと思い、いつまでも近くに控えているわけにも行きません。


 源氏の君がこんなにまでして捜し歩いたりしたのもおかしなことだが、やはりそれだけの人だったのかな、と思いめぐらしてはみるものの、自分がさっさとものにしてしまえばよかった所を源氏の君に譲ってしまったのはちょっと人が良すぎたかな、と我ながらあきれる所でした。


 女の方は、いつもとはまったく違う静かな夕暮れの空を眺めて、奥の方は暗くて薄気味悪いと思ってか、端っこの簾を上げて寄り添って寝ました。


 夕暮れの光に照らされたお互いの姿を見合っては、女もこうなってしまったことを思ってもみなかったことでなんか怪しいなと思いながらも、これまでの幾多の悲しみをしばし忘れてほんの少し心を開いてゆく様子がいじらしくもあります。


 ずっと源氏の君の横に寄り添って過ごしながら、何かをとても恐れているようにしているのが、幼げで痛々しいかぎりです。


 源氏の君は格子をあわただしく降ろし、大殿油おおとなぶらを灯し、

 「私のことはすっかり洗いざらいお話しました次第で、それでもなお、あなたが心のうちにしまいこんだものをお話にならないのは残念です。」

と不満をもらします。


 御門は自分のことを探してらっしゃるに違いないが、みんなどこを探しているかと気にはなるし、その一方では不埒にも、六条御息所タカキコがどんなにやきもきしていることか、恨まれてしまうのは苦しいがしょうがない、とそっち方面のこともとにかく気がかりでした。


 そんなことなど知らぬげな目の前の人を哀れに思う一方で、御息所タカキコのあまりに心深く思いつめて、見ていて痛々しいありさまを少しどうにかしてやらなくてはと、ついつい比べてしまうのでした。


 *


 宵も過ぎた頃、、少しうとうとしていると、源氏の君の枕元に大変美しい女性がいて、

 「私がこんなにお慕い申しているというのに、私のもとに来ようともせず、こんなパッとしない女を引っ張ってきてはさも大事に扱って、ほんと目障りで癪にさわること。」

と言って、この隣で寝ている人を揺り起こそうとするのが見えました。


 怪異に襲われたような感覚でびっくりすると、その途端に火も消えてしまいました。


 尋常ではないと思ったので太刀を引き抜いて枕元に置くと、右近を起こしました。


 右近もまた大変おびえている様子で、源氏の元に身を寄せました。


 「渡殿にいる管理人を起こして『紙燭をもってきてくれ』と言え。」

と命じれば、

 「どうやって行けばいいのよ、真っ暗なのに。」

と答えるので、

 「なんだよ、ガキだな。」

と吹いて、手を叩いて合図すれば、その音がこだまして何とも不気味です。


 誰もそれを聞いてやってこないので、夕顔の女君はぶるぶる震えながら取り乱した様子で、どうすればいいのと思うばかりです。


 汗がたらたら流れ落ちて、心ここにあらずです。


 「恐がりでパニックを起こしやすい性格だから、どんな風に思っていることか」

と右近も心配しています。


 本当にか弱いんだな、そういえば昼間もどこか焦点が定まらず空を見ていて気の毒な感じだったなと思って、

 「俺が人を呼んでくる。

 手を叩いてもこだまが答えるだけで、うざい。

 ちょっとこっちに。」

と言って右近を女君の方へ引き寄せて西側の扉の方に行き、戸を押し開けたところ、渡殿の火も消えてました。


 風が時折少し吹いていて人は少なく、使えている人は皆寝てました。


 あの下家司しもげいしの親族で下家司に仕えている若い男、源氏の君に仕えている童と随身だけがそこにいました。


 源氏の君が呼び寄せると、返事して起き上がったところで、

 「紙燭も持って来い。

 随身には魔除けに弓の弦を弾いて音を出し続けるように言ってくれ。

 人の気配がないからといって油断するな。

 惟光の朝臣が来てたんじゃなかったか。」

と尋ねれば、

 「来てたんすが、特に何も言ってなかったっすよ。

 朝方に迎えに来るというようなことを言ってて、お帰りになったっす。」

とのことです。


 そう返事をしたのはそういえば滝口の武者だったので、弓の弦を手馴れたように打ち鳴らし、「火の用心」などと言いながら、管理人の部屋の方に行ってしまいました。


 内裏のことを思い出して、名対面なだいめん(宿直者の点呼の儀式)は終ったのだろうか、滝口の武者の弓を鳴らして宿直室に戻って行くのはこんな時刻なのだろうな、と思いはせる程には、まだそんなに夜も更けていません。


 西の対の部屋に戻って、暗闇の中の様子を探ると、女君はさっきのまま横になっていて、右近は傍らにうつ伏せになってました。


 「これは一体何だ。

 狂ったようなおびえ方だ。

 荒れ果てた所には狐などの類のものが人を脅かそうとして、何やら恐がらせようとしてるのだろう。

 私がいるからには、そんなものを恐がることはない。」

と言って引き起こしました。


 「とにかくひどく気分が悪いので、こうしてうつ伏せになっているだけです。

 このお方のほうこそ大変なことになってます。」

と言えば、

 「そうだな。

 何でこんなことに。」

と言って、手探りで様子を見ると、息もしてません。


 引き動かしてみるものの、力なく意識もない様子で、ひどく精神的に未熟な人だったため憑物に魂を奪われたのだろうと思い、どうしていいのかわからない様子です。


 誰かが紙燭持ってきました。


 右近も動ける状態ではないので、近くの几帳を引き寄せて、

 「こっちまで持って来い。」

と命じます。


 寝室に立ち入るのは礼に反することなので、源氏のもとに近づくこともできず、遠慮からか敷居をまたぐことすらしません。


 「礼儀など気にしないで、とにかく持って来い。」

と言って、近くに来させて部屋の中を見れば、たださっきの枕元に夢に見たような風貌の女は、幻のようにふっと消えました。


 こんなことは昔話かなにかで聞いたことはあるけど、これは本当に不可解でおぞましいことなのですが、それでもこの人がどうなってしまのか胸騒ぎがして、我が身も返り見ず女君の上に臥し添って、「おい!」と起こそうとするけど、体は冷たくなり息は既に絶えてました。


 「どうすればいいんだ」と言っても、聞けるような、頼りになる人はいません。

 法師などいれば、こんな時は魔物を追っ払ってくれるのかもしれませんが。


 源氏の君も、こんなふうに強がってはみても、まだ若くてどうしていいかわからず、すでに取り返しのつかないことになってしまったのを見てどうすることもできず、ただ抱きしめて、

 「生き返ってくれよ。

 俺をそんなひどい目に合わせないでくれ!」

と叫んでみても、既に体温はなく、魂の気配も消えうせていきます。


 右近の、それまでの気味悪いという感覚がすっかり吹っ飛んで狂ったように泣きじゃくる姿は、とても見てられません。


 その昔、藤原忠平ふじわらのただひらが紫宸殿に現われた鬼に対して、あくまで毅然とした態度で追いはらったことを思い出し、虚勢を張って、

 「まさかお亡くなりになることはありますまい。

 夜に大声を出せば皆びっくりする。

 静まれ!」

と泣くのをやめさせようとはするものの、自分もまたパニックを起こして呆然とするのみです。


 さっき紙燭持ってきた男を呼び寄せ、

 「ここに信じられないようなことだが、魔物に襲われて魂の抜けた人がいるんだ。

 すぐに惟光の朝臣のいる所に行って、急いでここへ来るように言うように伝えてくれ。

 惟光の兄の阿闍梨あざりがそこにいるんだったら、内密にここに来るように言え。

 例の尼君に何か聞かれてもびっくりしそうなことは言うな。

 こんな夜中に歩き回ることを許すような人ではない。」

 などと、しっかり指示を出しているようですが、胸が締め付けらるようで、あの人を空しく死なせてしまうなんてあってはならないと思うものの、周囲の雰囲気の禍々しさは例えようもありません。


 夜中も過ぎた頃でしょうか、風もやや強くなってきたのは。


 まして、松風の音がいかにも生い茂っているように聞こえて、聞いたこともないような鳥のかすれ声で鳴くと、これがフクロウなのかと源氏の君は思うのです。


 はっとして辺りを見回して思うに、どこもかしこも人の気配はなくてよそよそしく、人声もしません。


 「何でまたこんな何もない宿を確保しちゃったのかな」と後悔してもどうにもなりません。


 右近は呆然として源氏の君にひたと寄り添い、

 「これじゃぶるぶる震えて死んでしまう。

 この人もどうなっちゃうんだ」

と上の空で抱き寄せました。

 「俺一人が正気でもどうにもならないのか。」


 火はほのかに瞬いて、母屋とひさしを隔てる屏風の上の、いたるところ何かが潜んでいるような感じで、今にも物の怪がひしひしと足音を踏み鳴らして、背後に迫っているような気がしてなりません。


 「惟光う、早く来てくれよ。」

と思っても、いつもあちこちふらついてるから、探す人もあちこち訪ね歩いていて、世が明けるまでの長さはあたかも千の夜を過ごすかのようです。


   *


 ようやくはるか遠くの鶏の声が聞こえてくると、

 「何の因果で、こんな命がけの危険な目にあわなきゃいけないんだ。

 我ながら、こんなことで、抱いてはいけない分不相応の恋の報いとして、過去にも未来にも悪い見本にされてしまうのではないのか。

 隠そうにも、きっと世間の噂になって、宮中に知れ渡るだけでなく、世間の人が思っていることを京童たちがあれこれ面白おかしく言い立てるにちがいない。

 そんなこんなで笑いものにされちゃうんだろうな。」

と、取りとめもなく思うのでした。


 やっと惟光の朝臣が到着しました。


 夜中でも明け方でも源氏の君の命に従ってきたものの、今夜に限って近くにいなくて、呼んでも来なかったことにいらついてはいたものの、呼び入れて言おうとしてももはや手遅れで、結局何も言いませんでした。


 右近は惟光の大夫の声を聞くと、初めて会った時のことをふと思い出して涙ぐみます。

 源氏の君も涙をこらえきれずに、さっきまで自分一人強気に平静を装っていたけれども、惟光が来たのに一息つくと、悲しい出来事を今さら思い出したとばかりに、見るからに痛々しく止めどもなく泣き崩れました。


 ほんの少し気持ちが静まると、

 「ここにとんでもない不可解な事件が起きて、悲惨という言葉では足りないくらいなんだ。

 こういう急を要する時には、お経を唱えるのが一番なので、それをしてもらったり、祈願などもしてもらおうと阿闍梨をあれするように頼んだのだが‥‥。」

と問いただすのですが、

 「昨日比叡山に戻られました。

 とにかく、何とも聞いたこともないようなことも起こるものですね。

 かねてから異常な心理になるようなことがあったのでしょうか。」


 「そんなことはなかった。」

と言って泣く様子は、子供じみていて何か可愛くもあり、見ている方も大変悲しくなり、惟光自身もまた大声で泣くのでした。


 こういう時に、年の功で世の中の酸いも甘いも噛み分けた人こそ、何かあった時には頼もしいのですが、どっちもどっちの若者同士でどうしようもないもので、

 「この屋敷の管理人などに知らせるのは、ちとまずいのでは。

 この人だけなら理解を示してくれるかもしれないが、どうしたって親族や何かにぽろっと漏らしてしまうこともあるでしょう。

 まず、この屋敷を出ましょう。」

と惟光は進言します。


 「でも、ここより人目につかない所なんてあるのか。」

 「なるほど、そう思うのもごもっとも。

 あの夕顔の君の家は、女房などが悲しみに耐えずに我を忘れて泣き騒いだりすると、隣近所皆すぐそばだから、苦情を言う人もたくさんいそうで、自然と何が起きたのか知られてしまうでしょうし、山寺ならまだこうしたことも、他の仏事なんかにまぎれてうまくごまかせるのでは」

とあれこれ考えて、

 「昔から知っている女房が尼さんをやっている東山の辺りに移すのがいいかと思います。

 この惟光が父の朝臣の乳母だった腰の曲がった老婆でそこに住んでます。

 あたりに人がたくさん住んではいるものの、大変閑静な所です。」

と言うので、世が白む頃、密かに車を呼び入れました。


 源氏の君はこの愛しき人を抱き上げることもできず、惟光が筵にくるんで車に乗せました。


 とても小さく、汚らわしさなど微塵もなく、可愛らしい死に顔です。


 きちっとくるんでなくて髪の毛がこぼれ出ると、目の前が真っ暗になり、直視もできないくらい悲しくなり、葬儀を最後まで見届けたいと願うのですが、

 「早く馬に乗って二条院へ帰った方がいいですよ。

 世間の人が目を覚まし、騒がしくなる前に。」

 そう言うと、右近を亡骸の脇の乗せて、源氏の君に馬を預けて、自分は袴の裾をくくって引き上げ、歩いて出発しました。


 それはどう考えても普通ではない変則的なお別れの仕方ですが、源氏の君が精神的にまいっていることを思えば、自分の悲しみも返り見ずに行くしかなく、それほど源氏はすっかり放心状態で、ここはどこ、私は誰というような様子で二条院に着きました。


 家の人たちは、

 「どこへ行ってたんですか。

 お体の具合の悪いようですが。」

などと言うのですが、帳台ちょうだい(寝所)の裏に入って胸を押さえながらあらためて思うに、

 「こんな苦しいのに何で一緒に行かなかったのだろうか。

 生き返ったらどう思うだろうか。

 見捨てられて離れ離れになったと、辛い思いをするのではないか。」

とありもしないことを考えては、胸に突き上げてくるものを感じました。


 頭痛がして、体にも熱があるような感じがしてひどく苦しく思い悩めば、

 「こんなにあっけないなんて、俺も同じようになるのかな。」

という思いにもかられます。


 日が高く昇っても起きてこないので、家の人たちは心配してお粥などを勧めるのですが、苦しくてひどく心細くなっている所に、内裏からの使者が来ました。


 昨日も御門がお探しになって、見つからなかったのでご不満の様子でした。


 左大臣イエカネの息子達も来てましたが、頭の中将ナガミチだけを、

 「立ったままでいいから、こちらに入りなさい。」

と言って招き入れ、御簾の内側で事情を説明しました。


 「俺の乳母だった人がこの五月の頃からか重い病気になって、それで出家して頭を丸め、戒律に従っていたら、その効果か治っていたんだけど、この頃また悪化して衰弱してたんだ。


 今一度会いに来てほしいと言うので、幼い頃から慣れ親しんできた人だけに今わの際に辛い思いをさせてはいけないと思って見舞いに行くと、その家の下人が病気になり、急に家から出す間もなく亡くなってしまったので、その穢れが恐くてすぐに運び出すのも憚られ、夕暮れを待ってやっと運び出した所だというのを聞いてしまったので、神事が行なわれる時期としては何とも不都合なのでご遠慮して内裏へは行かなかったんだ。


 そしたら今日の明け方から風邪を引いたみたいで、頭ががんがん痛んで苦しくて、大変失礼なんだけど、こうして立ったまま聞いてもらうことになったんだ。」


 中将は、

 「だったら、御門にはそういうふうに言っといてあげるよ。

 昨日の夜も管弦の遊びに、畏れ多くも源氏の君をお探しになって、気分を害されていたんだ。」

と言うと、立ち去り際振り返って、

 「一体どんな穢れをもらっちまったんだ。

 今言ったこと、本当とは思えないな。」

と言うと、ぎくっとして、

 「そんなに細かくは言わなくていいから、ただ思いがけず穢れに触れてしまったというようなことを御門に報告しておいてくれ。

 面倒くさいことになる。」

と何でもないかのように言うけど、心の中では言いようもない悲しい出来事を思い出し、憂鬱になるばかりで、目を合わそうともしません。


 中将ナガミチは弟の蔵人の弁ナガヨシに命じて、こうしたことを真面目に御門に報告させました。


 左大臣イエカネの家にも、こんなことがあったので行くことができない、という旨のことを人に伝えさせました。


 日暮れになって惟光がやってきました。

 穢れがあると頭の中将ナガミチに語ったようなことを言って、来た人たちは皆立ったまま話を聞いただけで帰って行くので、そんなに人がいるわけでもありません。


 惟光を近くに呼んで、

 「どうだった。やっぱりだめだったか。」

と言っては、袖に顔を埋めて泣きました。


 惟光も泣きながら、

 「ご臨終ですと申し上げましょう。

 いつまでもずっと隠していてもどうしようもないので、明日なら日柄もよろしく、葬儀のことは年取った大変偉いお坊さんを知っているので、相談しておきました。」

とのことです。


 「一緒にいた女はどうした。」

と聞けば、

 「とても生きていけないんではないかという感じです。

 後を追わなくてはと錯乱して、今朝は谷にでも飛び込むのではないかという様子でした。

 家のみんなにも知らせなければ、と言うのですが、落ち着いて状況を考えてくれとだけ、一応言っておきました。」

と、語って聞かされるのですが、とても聞いていられなくなり、

 「俺だって憂鬱で、どうしていいのかわからないんだ。」

と言いました。


 「一体何をこれ以上お悩みになることがありましょうか。

 すべては成るべくして成ったことなのです。

 他人にばれてはいけないと思うのであれば、この惟光めが手足となってすべて何とかいたします。」

などと慰めます。


 「そうだな。

 みんなそう思うんだけど、浮ついた心のせいで人を死なせてしまったかのように非難されるのが一番辛い。

 君の妹の少将の命婦などにも言わないでくれ。

 まして尼君なんかにこんなこと知られて説教された日には、恥ずかしくってしょうがない。」

と口止めをしました。


 「他の坊主どもにも、みんな別のことをいい含めてある。」

と聞くと安心しました。


 その様子を耳にした女房などは、あやしい、何だろう、穢れがあるからとか言って内裏にも登らないし、その上こんなひそひそ話をしては泣いたりしてと、うすうす疑ってます。


 「手厚くやってくれ」

と葬儀の作法のことを言っても、

 「だからといって目立ったりしてもいけません。」

と言って立ち上がるが、それが悲しくてしょうがないので、

 「意味ないと思うかもしれないけど、もう一度だけでもあの亡骸を見ないことには気持ちがおさまらないので、馬で何とかしたい。」

と言うのを、何やらやっかいなことになったなとは思うものの、

 「そうお思いでしたらどういたしましょうか。

 早いところ行って、夜更けにならないうちに帰るといいでしょう。」

と答えれば、この頃のお忍びの時のために用意していた狩の装束に着がえて出発しました。


 目の前が真っ暗になるような心地で、目を覆いたくなるような出来事に耐え難ければ、こんな怪しげな所に行くにしても、あの恐ろしい目にあってすっかり懲りたことを思い出しては行くべきかどうか悩むけれど、それでも悲しさのやり場がなくて、何とか今のうちに亡骸を見ておかなくては、たとえ生まれ変わっても二度と見ることができないのではないか、と思ってぐっとこらえて、例によって惟光の大夫という随身を引き連れての出発です。


 道は果てしなく遠く感じられます。




 「これって当初からホラーではなくミステリーではないかって話題になったわね。」

 「実は密室殺人。」

 「源氏の君と右近がうろたえているうちに、首を絞めたとか。」

 「ナッツに毒が‥‥。」

 「惟光犯人説。自分の好きだった人が源氏にあっさり靡いてしまったのを恨んでの犯行。」

 「外部からの侵入者の線もある。」

 「六条御息所の刺客がいたという説。」

 「滝口の武者が実行犯。」

 「滝口の武者も密かに惚れてたとか。」

 「左大臣とトーコが黒幕で、源氏と息子の中将に女遊びを止めさせようとしてやったという説。」

 「弘徽殿女御の嫌がらせ説。」

 「今度の完全版で、そのうち犯人が明かされるのかしら。」

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