第11話

僕はそこからの記憶がすっぽりと抜け落ちている。再び目を覚ました時、今度は薄暗く埃っぽい室内にいて、身体は随分と疲弊していた。ふらつく視界の中、近くにあった鏡を見ればボサボサの髪にヨレヨレのスーツ姿、身体は痩せていて目の下には暗い室内でも分かる程の隈が刻まれている。


「(……酷い姿だ…)」


ここは一体どこだろうか。僕は働かない脳を無理矢理に動かして、一先ず部屋から出ようと立ち上がる。そして鉛でも背負っているかのように重い身体を引きずりながら、やっとの思いで扉まで辿り着き、力の入らない手でドアノブを引いた。



コ…ツ…………コ…ツ…………


よろけながら部屋を出た僕は、弱々しい足音を立てながら暗く長い廊下を当てもなく歩く。


「(……誰も……いないのか……)」


自分の置かれている状況が全く不明なまま、僕は底知れない不安と共に無心で足を動かす。不安定な重心は自然と足取りをおぼつかなくし、揺れる視界の中で倒れないよう気を張るのが精一杯であった。



コツ…コツ…コツ…


部屋を出てからどれ程の時間が経っただろうか。ひたすらに歩いていると、向かい側から自分とは別の足音が聞こえてくる。単調に歩くそのスピードは僕よりも遥かに速く、どんどんと距離が縮まっていくのを感じた。一体何者であろうかと不安に思いながらも、ふと相手が間接照明を通り過ぎた際、微かに映し出されたその姿を見て、僕はすぐに同僚であると察知し安堵する。

すっと背筋を伸ばして歩く彼は仕事が出来る上に温和な人柄で、まさに理想と評価されるような人間であった。僕は壁に寄りかかりながら息を整え、暗く長い廊下に響く彼の均一な足音へ耳を傾ける。


「(…僕とは……正反対の人間だな…)」


そう自分を卑下しながら、再び辿々しく歩みを進めた。ふと彼へ視線を送れば、偶然目が合ったのか彼も僕に気が付いたようで、軽く手を挙げたあと微笑みながら近付いて来る。そんな心優しい彼へ僕は精一杯に応えるよう、ゆっくりと歩み寄り声をかけた。


「おはようございます」


今が朝かどうかなんて分からないが、とりあえず挨拶をして軽く頭を下げた。すると僕の弱々しい声を受けた彼は笑顔を見せながら少し心配そうに問いかける。


「おはよう、なんだか顔色が優れないようだけれど大丈夫かい?」


僕の手は酷く冷たく、まるで何かに怯えるかのように震えている。それは初めてでは無い、むしろずっと前からあったかのような震えだった。そして何故だか頭が重たく、ずっと眠たい感覚がある。もしかして今は朝ではなく夜なのだろうか。


ここは窓のひとつも無いから分からないや。

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閉ざされた空に闇をみる 藤雲 @fuzikumo

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