第7話

何処か埃っぽいその進路は次第に電球の切れた間接照明が増えていき、当然ながら視界の暗闇はどんどん深まっていった。

僕は気味の悪い雰囲気に負けぬよう歩みを進め、破損している電球のガラス片を踏み締める。それからしばらく歩き続け、ようやく現れた蜘蛛の巣付きのエレベーターに、僕は溜息を吐いて乗り込んだ。傷や凹みがそのまま残され全体的に薄汚れているこのエレベーターは、いつもの自室行き専用では無い。故に上の階行きのボタンは無く、選択肢は下の階のみだ。僕は印字の取れかかっている地下行きボタンを押し、ガタガタと異音を立てるエレベーター内でゆっくりと目を瞑った。どうしてこんなにも少年に固執するのか、その理由は自分でも分からない。でもモヤモヤと渦巻くこの気持ちが僕を突き動かし、とある場所へと導いて離さなかった。


「(…少年は、何を隠しているのだろうか)」


あらゆる可能性が詰まった未来の全てを、自ら放棄しているようなあの雰囲気が頭から離れない。失望し無気力と化した少年は、まるで何かを見透かしているようだった。


「(少年の希望を奪ったものは何だろうか)」


しばらくすると、薄汚れた狭い空間に到着を知らせる掠れたベル音が響く。そしてその直後、急ブレーキをかけたかのような大きな揺れに僕は思わず倒れそうになった。ガタガタと音をたてながら開く扉の向こう側を見ながら、その粗雑な造りに僕は堪らず溜息を吐いてしまう。


「(きちんとメンテナンスは施行されているのか…)」


普段使用している専用エレベーターとの品質落差にここの管理体制を疑ってしまうが、自分以外の仕事に口出しするつもりもないので、グッと言葉を飲み込んだ。そして少し痛めた首をさすりつつエレベーター内から出れば、僕に気付いた複数人の看守達が驚きながら慌てた様子で頭を下げる。


「ごっご苦労様です!」

「あぁ、君達もお疲れ様」

「一体どうされたのですか?」

「少し野暮用でね」


邪魔するよ、と笑顔を浮かべて声をかければ、看守達は緊張した面持ちで返事をし再び頭を下げる。ここは勾留者達がそれぞれ与えられた小部屋に入り、至極最低限の生活を送っている拘禁棟だ。薄暗く埃っぽい空間の中、ずらりと等間隔に並ぶ各部屋の室内は、レーザーや監視端末などの装置によって終始監視されている。また、その扉には小窓が付いており、その前を規則的に監視型アンドロイドや看守達が見回っていた。その隙のない監視体制に、ここから逃げ出すのはまず無理だろうと感心しながら、僕は中央の廊下をスタスタと歩く。少年が収監されている部屋は、唯一手にしている情報でもあった。僕はまるでその頼みの綱に縋るよう、すれ違う看守達が驚くのを横目に歩みを進めて目的の部屋を目指す。


「(……ここか…)」


切望から早まる足に体力を奪われつつも一心不乱に歩みを進めれば、突如として仰々しい扉の前に辿り着いた。僕は上がる息を整え、ゆっくりとその扉を開く。すると水を打ったように静まり返る通路が暗闇の向こうまで伸びていた。寒色の照明が点々と設置される中、僕はこの異様な空間にどこか恐怖を覚えながら足を踏み出した。


「(………なんだ、ここは…)」


通路には幾つもの透明な部屋が並んでいて、まるでショーケースのように室内が外から見えるようになっていた。僕は視線を左右に移しながら、騒つく心を押さえ付けゆっくりと歩みを進める。室内には、ぐったりと項垂れたまま座り込んでいる者や意識を失い倒れ込んでいる者などが、数多のコードやモニターに繋がれていた。僕は理解し難いその異常な光景に酷く息が詰まるような気がして、一度立ち止まり目を瞑って深く息を吐く。


「(…この場所の何処かに…少年が、)」


何故だか脳裏に焼き付いて離れない少年の姿に、僕自身も理解が追いつかないまま、閉じた瞳をゆっくり開いてとにかく歩みを進める。左右に視線を配り、まるでコードから生気を奪われているような存在を目にしては、心のどこかで少年の姿が現れないことを祈っている自分がいた。


「(……もうすぐ行き止まりだ…)」


視線の先に行く手を塞ぐ壁が迫る中、僕は複雑な心境のまま一番奥の部屋を目指して歩みを進める。多方面から微かに聞こえてくるのは、謝罪や救済を求める消え入りそうなうわごとと、数多の無機質なモニター音。それらがまるで脳内にこびりつくように絶え間なく響き渡り、僕は堪らず耳を塞いでしまいたくなる。それでも一心不乱に少年を探しながら歩き続ければ、とうとう行き止まりの壁は目前となっていた。


「(…なんだ…あれは…)」


ふと壁の異変に気付き歩くスピードを落としてよく見ると、突き当たりの壁には大量の文字や図のような模様が隙間なくびっしりと刻まれていて、どこか気味が悪かった。僕はまるで暗号のように羅列したその文字が、一体何を示唆しているのか目を凝らして考える。そしてとある記事が不思議な力で引き寄せられたかのように突如頭の中へ浮かび上がった。


「……クローン化実験…」 


特定の人物をクローン化し一定の時間軸ごとに管理することで、各個体がどのような影響を与えるのか検証するという実験。壁にはそのプロセスが事細かく記されている。そして僕はその中で一点、記事で得た内容と決定的に違う部分があり衝撃を受けた。


「……アンドロイドへ…転生…」


詳細に記されたクローン化実験の真相に僕は戦慄する。特定の人物をクローン化し一定の時間軸ごとに管理する、という公の情報はあまりにも短絡的で、もはや隠蔽を疑ってしまうくらいにだ。


クローン化実験の真の目的。それは特定の人物をクローン化し、各個体を複数の時間軸別アンドロイドに転生させる事で不具合が生じるか否か、というものだった。つまり一人の人物から多くのアンドロイドを生成すること、それがクローン化実験の目的である。


初回実験の被験者は5歳の少女。当初は時間軸を分けずに複数のアンドロイドへ同じクローンを転生させていた。だがその結果、同一の思考を持つ各個体が衝突し、無惨にもアンドロイド同士で破壊し合ってしまったという。


「5歳の…少女…」


僕はふとレストランへ向かう道中に飾ってあった大きな絵画を思い出した。そこに描かれていたまだ幼く可愛らしい少女の姿。もしや彼女が初回実験の被験者なのだろうか。そしてこの凄惨な失敗を受け、まるで戒めのように描かれたのではないかと考えた途端、僕は胸が苦しくなる。


「…だから時間軸別のアンドロイドに転生させるのか」


各個体の時間軸を分けることで心身状態も変化するため、初回実験のような過ちは起きないと判断されたのであろう。だがその後、被験者を替え何度も繰り返された検証は、殆どが失敗に終わっていた。

そもそもクローン化を完璧に施行する成功率が著しく低く、当然そこをクリア出来なければアンドロイドへの転生は不可能である。そしてクローン化が失敗すれば、まるで使い捨てのように被験者の命が犠牲となるのだ。

故に実験の成功率を高めるため多くの被験者が必要となる。そしてその被験者選びを行っているのは、紛れもなく、


「…僕だ…」


残酷な事実に僕は恐怖する。つまりコードやモニターに繋がれ、まるで生気を奪われているかのように項垂れる彼らは、僕が生きて欲しいと転生を言い渡した者たちであるということだ。


「(…足が震える、異様に寒気がする…)」


僕は思わず吐き気を催したが、ぐっと堪えて深く呼吸を繰り返す。そして少年の姿を思い浮かべながら思考を巡らせれば、一つの可能性を見出すことが出来た。


「(…少年は、ここにいないのでは…)」


何故なら、僕はまだ少年に転生を言い渡していない。もし既に別の審導員にそう判断されていたなら仕方ないが、そもそも少年の担当は僕のはずだ。ならばこの空間にいるのは不可解である。


「(…よし、行こう)」


僕は歩みを進めて奥の部屋を目指した。そして右側の部屋を見て少年がいないことを確認してから、再度騒つく胸を落ち着かせるよう息をひとつ吐き、意を決して今度は視線を左に移す。


「(………どうして…)」


するとそこには青白い空間の片隅で、幾つものコードやモニターに繋がれたまま項垂れ力無く座り込む少年の姿があった。

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