第6話
次に目を開けたとき時刻は既に早朝を指していた。やってしまったと後悔するのも無論これが初めてではない。
「(まだ少し早いな…)」
とはいえ二度寝は危険だと判断した僕は怠さの残る身体を起こし、普段よりゆっくりと身支度を開始した。そして余った時間はコーヒーを飲みながら、昨日と同様ニュースを読んで時間を潰す。モニターにずらりと行儀良く並ぶ記事の見出しを惰性で眺めれていれば、再度眠気に襲われ思わず欠伸が出た。そんななか、ふととある記事が目に留まる。
「(…クローン化実験の記事だ…)」
どこかで聞いた理解し難い実験の進捗記事。知らない研究者の全く不明な実験だが、想像すら困難なその実験内容には以前から妙に惹きつけられていた。僕はすぐさまモニターをタップし、記事の詳細を表示する。
「(…被験者の影響について、)」
そこには実験中である被験者の身体的影響について経過報告がまとめられていた。クローン化した際に体力面での欠落を確認。頻回に疲労感を与え若干の鬱状態が垣間見えるが、日常生活には支障なしと書かれている。また、記憶の欠如についても問題視されており、今後の改善点や更なる実験へのアプローチなど小難しい内容がつらつらと記述されていた。
「(…相変わらずよく分からない内容だ)」
その記事を読み終えた頃、ちょうど定刻になった僕は部屋を後にした。いつも通りの廊下を歩き、専用エレベーターで下の階へ向かう。現在地を示す壁の点滅をぼーっと見つめていると、気が緩んでいるせいか途中でまた欠伸が出そうになった。
「(…今日こそはきちんとベッドで寝よう)」
自業自得で疲れの残る身体に、これまで何度もしてきた意味のない決意表明をする。そして同時に、きっとまた同じ失敗をするのだろうと、自分自身を嘲笑した。どうやら僕の人生は失敗も含めて同じ事の繰り返しらしい。
そんな風に嫌気が差すほどの退屈な日々へ皮肉を唱えていると、あっという間に目的階へ到着した。扉が開けば相変わらず暗く長い廊下が続いており、変わり映えのしない視界に溜息を一つ吐いてから歩みを進める。重厚な扉で仕切られた仕事場へ足を踏み入れ席に着けば、またカツカツという音を立てながら昨日と全く変わらないローザが姿を現した。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日の天気は雨で、風も強いようです」
「そう、ここは窓のひとつも無いから分からなかった」
「気温も例年に比べ低いようです」
「はは、そう言われると不思議と肌寒く感じるものだね」
「ええ、では今日のランチは温かなスープをご用意しましょうか」
「それは名案だ」
そう言って笑顔を浮かべれば、ローザも答えるように微笑み、すぐさま調理担当へ通信を開始する。殺伐とした日々の中、こうして彼女とたわいの無い会話を楽しむ何気ない時間は、存外僕の心を軽くしていた。
「そうだ、明日は君が食べたいものをオーダーしてみてはどうかな」
「私ですか?」
「そう、いつも僕に付き合わせてしまっているからね」
「ふふ、私は結構ですわ」
「どうして?」
「私はアンドロイドですから、機械は食に関して要望はありません」
「…そう」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
僕は無礼を働いたのではないかと少し焦燥したが、予想に反してローザは優しく柔らかな笑みを浮かべていた。その反応を目にし、彼女の寛容さにはこれまで何度も助けられたなと、今回もほっと胸を撫で下ろす。ならばせめて彼女が困らないよう、明日の朝はどんな話をしてランチを提案して貰おうかと、気の早すぎる考えを巡らせた。
「本日も宜しくお願い致します」
「こちらこそ、宜しく」
僕はそう言って目前に置かれたソートを起動し、まるで流れ作業のように罪人達の情報を確認した。どうやら今日は昨日より少し件数が多いようで、内心うんざりしてしまう。
「では、はじめようか」
「はい」
そういうとローザはいつもと同じように軽く頭を下げてから、暗闇へ消えていった。カツカツと響く彼女の足音を耳にしながら、僕はふっと息を吐く。
「(…また一日が始まった)」
まるで秒針のように繰り返される日々に飽き飽きする。暗闇に染まる視界、扉の開く重低音、増える不揃いな足音、そして姿を現す看守と罪人。僕はモニターの人物と相違ないことを確認し、それから数分間は罪人の訴えを右から左に聞き流す。そして最後に「何か言っておきたいことはあるか」と彼らへ問うのだ。毎日、同じような言動をまるで義務であるかのように今日も遂行する。それはつまり、それから逸脱することは許されないということを意味していた。
「(まるで牢屋だな)」
これではどちらが罪人の所業を強いられているのか分からないなと、無意識に天井を見上げる。吸い込まれそうな暗闇に覆われる先を見つめながら、この向こうに広がっている空はどんな具合だろうか、風は、植物は、動物は、人々は、一体どんなふうに世界を彩っているのだろうか、知り得る事のないそれらに僕は想いを馳せた。
「(数多の生命体によって構成されている世界は、一体どんな色でどれほどの音がするのだろうか…)」
気が付けば、まるでキャンバスへ描くようにあれこれと想像を膨らませていた。残念ながら過去のデータや資料をもとに得た知識しか持ち合わせていないが、それだけでも充分美しい情景が浮かんでくる。ふと、もしこの目に焼き付けることができるのであれば、だなんて考えが過り僕はハッとして払拭するように頭を振った。
「(…ここは窓のひとつも無いから不可能だろう)」
そうやって自分自身に何度も言い聞かせ、諦めにも似た無駄な思考だと溜息を吐き、グッと目を瞑ってから目前の罪人に視線を送った。しおらしく涙を流しながら、まるで悲劇の主人公のように僕へ転生を懇願するその罪人は、気に食わないという理由で数人を殺し、金に困ると盗難や強盗を繰り返し、通報者の家族へ嫌がらせをして精神崩壊まで追い詰めた挙句、その逃亡中に盗んだ車で事故を起こし命を落としている。僕はその汚い涙に軽蔑しながら、迷うことなく転生を却下した。すると罪人は先程までの涙が嘘のように、憎いという表情でこちらを睨みつけ声を荒げていた。
それから数時間が経過し、凝りで痛む首を回しながら、果たして今日はどれほどの命と相対しただろうかとぼんやり考える。いつものように朝から罪人の言い訳を聞き流し、途中でローザと昼休憩を挟んでから再び業務へ取り掛かって、ふと気が付けば、いつの間にか時計の時刻はこうして夜を示しているのだ。そう、今日もうんざりする程に過ごしてきた過去の1日と同じ1日で、きっと明日も今日と同じようにあっという間に時間が流れていく。
「次の案件で終了です」
「そう」
「お疲れのようですが…首が痛みますか」
「え、あぁ、大丈夫だよ」
「対処療法等が必要でしたら仰って下さい」
「ありがとう」
彼女の観察力に感服しながら、さて次はどんな罪人かとモニターを確認する。画面上にずらりと並ぶ憎たらしい表情に嫌気が差す中、次の案件として通知されているのは昨日の少年だった。そうか、今日は少年から名前と年齢を聞く約束をしていたのだったな、とまるで意味を成さない顔画像を見つめながら振り返る。
僕は姿勢を正し一呼吸置いてから、はじめようかとローザへ声をかけた。それからいつも通りカツカツという均一な彼女の足音を聞いていると、しばらくして簡素なイスの元に少年がやってくる。暗闇の中でスポットライトを当てられている少年は、相変わらず俯いたまま表情すら見せずにじっと立ち尽くしていた。
「こんばんは、昨晩はよく眠れたかな」
「………」
「昨日の約束は覚えているよね」
「………」
「君の名前と年齢、まずはそこから教えて欲しい」
「………」
「答えられないかい?」
「………」
「では、君の家族構成はどうだったかな」
「………」
「なら、お気に入りの場所や趣味はあったかい」
「………」
僕は少年しか知らない答えを一つでも導くため、幾らか質問を変えて話しかけた。その執拗とも思える質問の裏側には、何でも良いから少年の声を聞きたい、その一心が詰め込まれている。だが、その想いは届くことなく、少年は一切の反応を見せないまま、終始俯いて僕の問いに口を閉ざしていた。
「黙っていても何も変わらないよ」
「………」
「僕も脅すようなことはしたくないんだ」
「………」
「………」
「………」
「…はは、君も中々頑固だな」
「………」
「でも悪いけど、僕も頑固な性分でね」
話さないなら仕方ない、かと言って結論を出さなくて良いという訳でもない。故に、これから先どれだけ時間が掛かったとしても少年に口を割らせるつもりだ。僕は一先ず今日も勾留指示を出し、少年を退席させる。指示のまま看守に連れられ暗闇へと消える少年は、長い前髪を揺らしながら力無く項垂れていた。
「なかなか口を開きませんね」
「そうだね」
「このまま勾留を続けていても無意味では」
「でも話さないものは仕方ないから」
「少し痛みを覚えさせるのはどうでしょう」
「僕に彼の胸ぐらでも掴めって言うのかい」
「いえ、そういう訳では」
「悪いけど乱暴なことはしたくないんだ、それに手を挙げる行為は禁じられている」
「はい、申し訳ありません」
「構わないよ」
本日分の業務を終了した僕はソートの接続を切ってから、いつも通りローザに別れを告げる。そしてお疲れ様と労いの声をかけてから仕事場を出て、普段とは別の廊下へ歩みを進めた。
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