第5話
レストランから戻り、果たしてどのくらい時間が経過しただろうか。暴言を吐く者や暴れ回る者、また転生を許可され歓喜する者もいたが、こうして振り返ると特別印象に残っている者はいなかった。
「(はぁ…疲れたな…)」
僕は背もたれに寄りかかり、上を向いて目を瞑る。それから身体の力を抜くように息を吐き、やっと次の人物で今日は終わりだ、そう意気込んでモニターに表示された人物をタップした。
「……子供?」
「そのようですね」
「画像が暗くて表情がよく見えないけれど…恐らく男の子かな」
「個人データはありませんか?」
「性別どころか名前から罪状まで空欄だけど」
「データ出力のミスでしょうか…申し訳ありません」
「大丈夫だよ、事前データがないのなら聞けばいい」
「ありがとうございます」
ローザは頭を軽く下げ、いつもと同じ様にすぐさま暗闇へ消えていく。それから少しして、扉の開く音が微かに響き渡った。彼女と違う足音、今回は子供ということもあって看守の足音だけがよく聞こえてくる。じっと耳を澄ませてみれば、徐々に近付いてはいるものの、いつもより時間がかかっていた。子供の歩幅に合わせているのだろうと、僕はスポットライトに照らされる簡素なイスを見つめながら、到着をじっと待つ。しばらくしてやっと姿を現した看守の横には、幼い少年が俯いたまま立ち尽くしていた。
「名を名乗れ」
「………」
「おい!早くしろ!」
まるで固まっているかのように口を開かない少年の様子に、看守は舌打ちを交えながら苛つく。そしてしまいには乱暴に声を荒げ、その小さな身体を激しく揺さぶり、力任せに押し飛ばした。当然、少年の華奢な身体はその勢いのまま、いとも簡単に後方へと倒される。だがその間も少年は一切顔をあげることなく、じっと俯いたままだった。
「落ち着きなさい」
「しかし!」
「君の行った行為は不当な暴力行為だ」
「なっ、そんなつもりは!」
「このまま続ければ厳罰な処分に値する」
「っ…」
「分かるね」
「…はい」
「全く、君たちはどうしてこうもすぐ怒るかな」
「…も、申し訳ありません」
「後は私が対処する、君は持ち場に戻りなさい」
「はい」
看守は最後に座り込んだままの少年を睨みつけてから僕に深々と頭を下げ、わざとらしくドスドスと足音をたてて暗闇へ消えていった。
僕はその態度に溜息を吐きながら、少年へ目線を戻す。その顔は相変わらず下を向いたままだった。
「イスに座りなさい」
「………」
僕がそう指示すると少年は黙って立ち上がり、そっとイスに腰かけた。耳は聞こえている、つまり黙っているのは何らかの事情で言葉を発せないからか、それとも話したくないという黙秘権か。
「こんにちは」
「………」
「君の名前を教えてくれるかい」
「………」
「では君の年齢は?10歳より上かな、それとも下かな」
「………」
「君はここに来る前、何をしていたか覚えているかな」
「………」
「なるほど、話したくないか」
少年は僕の質問に一切動じず、一度もこちらを見ようとしない。もし言葉が発せないのであれば、首を振るなど幾らでも動作で意思表示できるはず。それをしないということは、意図的に口を閉ざしている…つまり話したくないという一つの答えだ。ボサボサの髪に汚れた服で、じっと俯き微動だにしない少年。僕は何でも良いから少しでも情報を得たいと思ったが、下を見つめたままのせいで少年の表情すらまともに確認できない。
「…分かった、話したくないのなら今日のところはそれでいい」
「………」
「君はまだ子供だから譲歩するよ」
「………」
「だが、明日は答えてもらう」
「………」
「まずは名前と年齢からだ」
「………」
「いいね」
僕は席を立ち、暗闇のなか少年の元へ近寄って、弱々しく震えるその小さな肩にそっと触れた。それからローザへ目配せをして、先程の看守とは別の看守を呼ぶよう伝える。しばらくすると、突然の命令にひどく慌てた様子の看守が汗を滲ませながら走ってきた。僕は息を乱している看守に、突然悪いねと声をかけ、少年の勾留を伝える。すると看守はすかさず少年と目線を合わせるようにしゃがみ込み、優しく声をかけイスから立ち上がるよう促した。僕はその様子に、先程の看守へ、君たちはすぐ怒ると一纏めに叱責したことを思わず後悔する。皆、心ある人間だ。感性や感情のコントロールは人それぞれであるのに。
「(アンドロイドならまだしも、な)」
そんなことを思いながら彼らを見つめていると、少年は看守の言葉に小さく頷いて立ち上がり、ゆっくりと暗闇へ消えて行った。
「……さてと、今日は終わりかな」
「はい、お疲れ様でございます」
「君もお疲れ様」
僕は頭を下げて見送るローザに別れを告げ、暗闇に染まる仕事場を出た。そして間接照明が淡く灯る廊下を歩き、レストランとは別の専用エレベーターで上層階を目指す。柔らかな色合いのライトが灯るエレベーター内で、ゆったりと流れる美しいBGMに耳を傾けながら、僕は目的階に到着するまで、そっと目を瞑った。
「(………………あの少年…)」
ふと脳内へ先程の状況が映像のように流れ出す。僕の目に映ったその姿は、様々な事実を背負い苦しんでいるように感じた。
まだ身体も小さく、自身の置かれている状況に理解が追いついていないような幼い少年。だがその一方で、この先起こり得るであろう出来事を察し、まるで恐怖するかのように肩を震わせ、弱々しく怯える少年にも見える。そしてなにより僕の元へ現れたということは、過ちを犯した「罪人」でもあるということだ。
「(少年は一体、どんな罪を犯したのだろうか…)」
そうやって疑問に疑問を重ね、ぐるぐると想像ばかりを巡らせていると、到着を告げる軽やかな音が鳴った。瞑ったままの瞳を開けば、扉の向こうに薄暗く静まり返った廊下が続く。僕はエレベーターを出て、申し訳程度の光を放つ照明に照らされながら、歩き慣れた廊下を進んだ。誰にもすれ違うことなく突き当たりの角を曲がれば、そこにはどこか温かみのある照明が一室の扉を照らしている。そう、この部屋が僕の自室なのだ。
「(今日はなんだか疲れた…早めに寝てしまおうか)」
僕は倦怠感を訴える自身の身体へ自問自答しながら、ジャケットの内ポケットにしまってある専用カードキーを取り出した。そして扉の傍らに備え付けられている読み取り機器にかざせば、空中へ浮かび上がるようにタッチパネルが表示される。僕はそこへやたらと長い暗証番号を入力した。
「(よくもまぁ…こんな手の込んだセキュリティを設置したもんだ)」
無事に暗証番号が承認されると次は指紋認証を行い、更には二つ目の暗証番号を入力、最後に顔認証を経て、やっと部屋のロックが解除される。警備強化のためとはいえ、この面倒な手順はどうにかならないものかと溜息を吐きながら、僕は部屋に入った。見慣れた室内は必要最低限の物しか置いていない、いわゆる生活感の無い部屋というやつだが、この殺風景な雰囲気が案外気に入っている。
「(さてと…)」
僕はジャケットを脱ぎ、首元を緩めながらソファに腰かけた。それから背もたれにだらしなく寄りかかり、まるで身体から空気が抜けるかのように深く息を吐けば、何とも言えない解放感に満たされていく。
「(…あの少年は…今頃なにを想っているのだろうか…)」
僕は心身共に脱力したような感覚のまま、個人用モニターを起動させ、時事ニュースを確認する。朝から晩まで缶詰め状態の僕にとっては、世間の話題も知れるうえ気晴らしにもなる一石二鳥の時間であった。
まず目に入ったのは政治家の汚職ニュース。数々の功績を残す有名政治家が裏切り行為をし、記事には暴かれたその一連の動向が記されていた。辞任に追い込まれるのは時間の問題だろう、とどこかの偉い有識者がコメントを寄せている。
「(そんなこと誰だって分かるさ)」
僕は心の中で有識者にそう悪態を吐いてから、次の記事に進んだ。そこには殺人事件のニュースが時系列ごとに細かく記されており、後半部分には他人事だからこそ言える世間のたらればが掲載されている。他には補足情報と言わんばかりに、犯人の人柄や経歴、周囲の人々からの印象などがつらつらと記述されていた。所詮は結果論だと、まるで意味を為さない数多の文字に思わず溜息が漏れる。
「(…空っぽの記事ばかりだ)」
僕はうんざりしながら殺人事件のニュースを閉じ、次の記事をタップした。その後も次々と記事画面をタップしては軽く読みという流れ作業を繰り返す。見出しと共に羅列された沢山の記事は、ポップなものや芸能人のスキャンダル、不可思議なものまでバリエーションに富んでおり、気分転換にはちょうど良かった。
「(未確認飛行物体の存在について…こっちは宇宙人の目撃情報か)」
世界には未だ解明されていない事例が星の数ほど存在する。そして、その謎に包まれた存在というものは人間の知的好奇心を大きく揺さぶり、時には調査へ駆り出させ、または実験や研究に没頭させるのだ。
例えば以前どこかで聞いた話だが、昨今では特定の人物をクローン化し、一定の時間軸ごとに管理することで、各個体がどのような影響を与えるのか実験が行われているらしい。研究者の考えることは些か特殊過ぎて理解できないが、その実験結果が果たしてどのような未来創造の架け橋となるのか。凡庸な僕には想像すら出来なかった。
「(…さて、と…そろそろ眠るか…)」
僕はモニターを消してから水を飲み、ぐっと伸びをする。ふぅと息を吐けば蓄積した疲労と睡魔にどっと襲われ、まるで鉛でも乗っているかのように身体が重くなった。こうなるとベッドへ移動するのも何だか億劫で、天井を見上げながら少し悩んだ結果、少しだけ…だなんて思いながらソファへそっと横になる。そして当然少しで済むはずがなく、僕の視界はあっという間に暗くなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます