第4話

淡い間接照明が照らす長い廊下には僕ら2人だけの足音がやけに響いていた。物音どころか気配すら感じない空間は、まるでこの暗闇の中に取り残されてしまったかのような錯覚に陥ってしまう。僕らはその感覚を誤魔化すかのように、雑談を交わしながら歩き続けた。

仕事場を出てからしばらく真っ直ぐに歩みを進めれば、次第に大きな絵画が見えてくる。古びた額縁の中には、柔らかく微笑む幼い少女の姿が実に美しく描かれているが、詳細なことは何も知らなかった。どちらかといえば鑑賞用というより、レストランへ向かう目印として認識している。


「この少女は一体何者なのだろう」

「……残念ながら存じ上げません」

「そう、君でも知らないことがあるのだね」

「申し訳ありません」

「いや、謝ることではないさ」

「そうでしょうか」

「あぁ、僕はただ、素敵な絵画なのに、こんな場所に飾っていては勿体ない気がするなと思ってね」

「えぇ…ですが、この絵画が無いとレストランへ辿り着くのが困難になります」

「はは、それは困るなぁ」


僕らは少女の絵画をゆっくりと通り過ぎ、三つ目の廊下を右に曲がった。そこから再び歩みを進め突き当たりを左に曲がれば、薄暗い空間の中に精巧な装飾が施された館内レストラン専用エレベーターが姿を現す。

まるで迷路のように入り組む複雑な通路と、ほぼ暗闇の視界で構成されたこの廊下は、慣れたとはいえ実に難解で恐ろしい場所だと思いつつ、僕はローザと共にエレベーターへ乗り込んだ。


「今日はサンドウィッチだったかな」

「はい」

「久しぶりに食べるよ」

「ふふ、今日はピクニックですからね」

「それは楽しみだ」


エレベーター内は品のあるライトで照らされており、揺れもほとんど感じない。そのお陰でローザは相変わらずピシッと隙のない姿で佇み、美しい切れ長の瞳で現在地を示す点滅をじっと見つめていた。アンドロイドとはいえ、常に一切の油断を感じさせない彼女に思わず関心してしまう。


「君はいつも完璧だね」

「そうでしょうか」

「時にだらけてしまったりはしないのかい?」

「だらける…あまりそういった経験はありません」

「それは凄いなあ」

「私はアンドロイドですから」

「アンドロイドだって偶にはシステムエラーくらい付きものだろう」

「では、『偶にシステムエラーを起こす』とシステムに組み込んでもらいましょう」

「それは面白い」


そんなくだらない会話を楽しんでいると、到着を知らせる柔らかなベル音と共にエレベーターの扉がゆっくりと開いた。一歩外へ踏み出せば、途端に視界はレストランの上品な内装に包まれる。ゆるやかなBGMが優雅に流れる煌びやかな空間は、ランチというよりディナーの雰囲気を醸し出していた。


「お待ちしておりました」

「あぁ、宜しくね」

「お席までご案内いたします」

「ありがとう」


僕らの到着を待っていたのか、笑顔を浮かべたレストランスタッフが何処からかすぐに現れて席まで案内をした。ホールでは別のスタッフ達が既にテキパキと準備に取り掛かっており、その無駄の無い動きに思わず感嘆してしまう。


「レストランでピクニックとは面白い」

「今日は透き通るような快晴ですから」

「それは素晴らしいね、ここは窓のひとつも無いからこの目で見られないのが残念だよ」

「ふふ、この分厚い天井を何層も抜けた先に広がっていますわ」

「そうだね、ちなみにその光景を見た経験は?」

「いいえ、私は空を見たことがありません」

「そう」

「えぇ残念ながら…ここは窓のひとつもありませんから」

「はは、いつか見られるといいね」

「その時は一緒に見て下さいますか」

「勿論、喜んで」


そんなたわいの無い話をしていると、奥から数人のスタッフ達が大袈裟な皿に美しく盛られたサンドウィッチを運んできた。そこには当然のように付け合わせや前菜なども用意されており、肝心なサンドウィッチの具材は、高級ステーキやローストビーフ、スモークサーモンにキャビアなどピクニックのラインナップにしては些か豪華過ぎていて思わず笑ってしまう。


「これは凄い」

「美味しそうですね」

「一応、聞いてもいいかい」

「はい」

「ピクニックをした経験は?」

「ありませんわ」

「そうだと思った」

「ふふ、ここは空が遠いものですから」


僕は毎日こうして彼女と食事を楽しみながら、昼の穏やかな時間を過ごしていた。誰かと共にする食事はより一層美味しく感じるものだと、最近やっと気が付いたように思う。

早速用意されたサンドウィッチを口に運べば、充分過ぎるボリュームと上品な味わいを一度に楽しめ、ピクニックと言うには程遠い非常に贅沢な一品となっていた。


「そういえば、ここのスタッフもアンドロイドだったかな」

「ええ、調理に特化したタイプが主となって従事しています」

「そう、色んなアンドロイドがいるんだね」

「彼らは大方のレシピを全てシステム登録していますから、失敗は無いでしょう」

「…そう」

「如何致しましたか?」

「いや、素晴らしいなと思ってね」


そう微笑めば、奥からスタッフが食後のデザートを運んできた。まるで宝石のようにキラキラと光沢を放つデザートが置かれ、思わず感嘆の声をあげてから口に運べば、上品な甘さが口いっぱいに広がっていく。


「最近お疲れのようですが問題はないですか?」

「あぁ、そういえばなんだか急に疲れやすくなった気がするね」

「お身体に何か気になる点はありますか?」

「うーん、病気とかは…特に無いかな」

「では業務内容について改善すべき点などは?」

「はは、大丈夫だよ」

「しかし…」

「心配してくれてありがとう」


僕もとうとう疲れやすい年齢に差し掛かったのかな、だなんて冗談を言い不安気なローザへ笑ってみせた。とはいえ実際、僕の言葉に嘘はなく特別何かがあった訳ではない。日々を過ごすうち、なんとなく気怠くなってしまい、自ずと溜息も増えてしまっていた。


「(…なにが理想だ)」


僕は日頃の行いを振り返り、堪らず自己嫌悪した。まるで同業者の模範であるような評価を受けておいて、一番身近な彼女に気を使わせるとは実に情けない。

僕は少し落ち込んだ空気を一新する為、綺麗になった皿を見つめた。


「どれも美味しかったなぁ」

「そうですね」

「ピクニックというよりは…フルコースのディナーのようだったよ」

「ふふ、高貴なピクニックとなりました」

「今度は広々とした青空の下で出来るといいね」

「ええ、その時はご一緒しても?」

「勿論」


さて、そろそろ戻ろうかと僕はローザへ声をかけ席を立った。するとその様子に感付いたのか担当シェフがわざわざ挨拶をしに来たので、ご馳走様と礼を伝える。そしてその後も続々と現れるスタッフ達の見送りに答えながら、僕らはここへ来た時と同様にエレベーターへ乗り、口の中に残る甘美な余韻に浸りながらレストランを出た。


「彼らの料理はいつ食べても絶品ばかりだね」

「えぇ、システムには一流とされる料理人達のレシピが数千万通り登録されています」

「そう」

「システム通りに動く彼等に失敗はありません」

「……そっか」

「如何されましたか?」

「いや…ただ、いつか一シェフである彼の料理を食べてみたいなと思ってね」

「本日の料理は彼が作ったものですが」

「うん…でも僕らが食べた彼の料理は、いわば世界の何処かに存在する料理人の代行ってことだよね」

「えぇ」

「そう考えると、彼の意志が反映されていない料理は彼の料理と言えないように思うんだ」

「そう…ですか」

「あ、間違ってもアンドロイドの在り方に意見している訳ではないよ」

「はい」

「ただ僕は、いつか彼が自由に料理を作れる日がくると良いなと…そう思ったんだ」


そう言って笑いかければ、ローザは何処か悲しそうに笑みを溢す。僕はその表情に内心驚いたが、ちょうどエレベーター内に到着を知らせるベル音が響いたので、タイミングを失い口を開けなかった。

エレベーターから降りた僕達は来た道を辿るように暗くて長い廊下をひたすらに歩く。ローザが見せた先程の表情が脳内をぐるぐると回っていたが、僕は蓋をするように考えるのを無理矢理やめた。しばらく無言で歩き続ければ途中で少女の絵画が現れる。それはつまり、仕事場へはもう直ぐだという事を示唆していた。


「…大丈夫かい?」

「何がでしょう?」

「君のことだよ」

「私ですか?」

「さっき悲しそうな顔をしていたから」

「そう…でしょうか」

「うん」

「それは…大変申し訳ありません」

「はは、謝る必要は無いよ」

「いえ、お気を遣わせてしまいました」

「僕の方こそ、何か気に障った事をしてしまっていたなら申し訳ないね」

「いえ、そのような事実はありません」

「そっか…なら良かった」


そう言って笑顔を見せれば、ローザもそれに応えるように微笑んだ。それから間も無くして現れた重厚な扉に僕らは歩み寄り、素早くロックを解除して扉を開ける。見慣れた暗闇に包まれながら馴染みのある大袈裟なイスに腰を下ろせば、それを合図とするかのようにローザがソートを置いた。


「さて、はじめようか」


そう言うとローザはカツカツと足音を立てながら暗闇へ消えていく。こうして日々同じ事が繰り返えされていくのだ。持論だが、その単調さは集中力や記憶力を意図せずに欠落させるのでは無いかと考える。現に僕は、今日最初に対面したジャンの顔を上手く思い出せないのだから。

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