第2話

僕は重厚な扉をそっと閉め、どこまでも埋め尽くされた暗闇を見つめる。仕事場と呼ぶには些か異様なこの空間は、上下左右全てを深い黒色で染め上げており、壁や天井が何処にあるのか、この場が広いのか狭いのか、そういった視覚によって得る情報を一切遮断していた。


「(窓のひとつでもあれば、この閉塞感も少しは緩和されるのだろうか)」


根拠のない中心部とされている場所には、やたら大袈裟で立派なデスクが小高い位置に設置され、対面の低い位置には質素なデザインのイスが置かれていた。そしてその場所だけが、まるで舞台上であるかのようにスポットライトで照らされている。

当然、客観視すれば異質な空間だが、僕にとっては見慣れたただの仕事場だ。勿論、階段や気を付けなければならない段差の場所は全て把握している。


僕はコツコツと足音を響かせながら暗闇の中を歩き、次第に現れる階段を上って、大袈裟なデザインが施された自身のデスクに向かった。そして人一人が座るには十分過ぎるサイズの立派なイスへ腰を下ろせば、暗闇から急に明るくなる視界に思わず目を細める。


「(この明るさにはずっと慣れないな)」


スポットライトの眩しさに襲われ、もう少し控えめな明るさにならないものかと軽く溜息を吐いた。そして視界を慣らすよう数回瞬きを繰り返して、やっと落ち着いてきた頃、遠くからカツカツと一定のリズムを刻む高い足音が響き渡り始める。


「(…まるで開始の合図のようだ)」


僕は毎日のように聞いているその足音が、今日もデスクのもとへ近付いてくるのを待った。背もたれに身を委ねて、しばらくリラックスしていれば、徐々に大きくなるその足音が途中から階段を上る音色に変わっていく。そして突如、暗闇から現れたのはピシッとスーツを着こなしハイヒールを履いた女性。彼女の名前はローザ、非常に優秀なアンドロイドの秘書である。


「おはようございます」

「おはよう」

「今日はとても良い天気ですね」

「そう、ここは窓のひとつも無いから分からなかった」

「今日は一日中晴天で、降水確率は0.5%です」

「それは凄い、ピクニック日和だね」

「えぇ、では今日のランチはサンドウィッチに致しますか?」

「それは名案だ」


僕がそう言うと彼女は上品に微笑みながら通信を開始し、すぐさま調理担当へオーダーをした。出勤したばかりでもう昼食のオーダーとは、何だか食い意地が張っているみたいで少し恥ずかしくなってしまう。だが彼女の厚意を指摘するのも違う気がして、僕はその気恥ずかしさを紛らわすためにせめてもと天井を見上げた。そして目線の先に広がる黒をじっと見つめてから、サンドウィッチを食べるには全く場違いだなと小さく嘲笑する。


「(………そうか、今日は晴天なのか)」


思い返せば僕に残っている空の記憶というものは、遠い昔…まだ子供の頃に味わった、たった一度の経験のみだ。小さな僕の視界いっぱいを埋め尽くす広くて自由な美しいあの空は、今でも色褪せず記憶に刻まれている。そして同時に、感情が溢れ出し堪らず息が詰まるような胸の苦しさが身体中を駆け巡り、不意に涙が滲んだ。


「(………どうして、僕は空を見たのだろうか)」


当時の経緯は残念ながら覚えていないが、確実であるのはその日以降、空など全く見ていないということ。日々に追われる余りあっという間に時間が過ぎ、気付いた頃にはこうして大人になっていた。そして現在の僕は、さしたる趣味や楽しみも無く、ただただ職務を全うする根っからの仕事人間と成り果てている。きっとこの先に用意されている未来は、この閉鎖的な暗闇の中でいつか訪れる終わりを待つばかりの寂れたものであろう。


「(…随分と味気ない人生だな)」


僕は自分自身を卑下し小さく嘲笑した。まだ若いとはいえ、着実に迫るその未来に今から嫌気が差す。

思い返せばふとした瞬間にいつも頭を過ぎるのは、恐らく明確な答えなど無い疑問だ。例えば、自分がいるこの場所は巨大な敷地を要している筈なのに、とてつもない窮屈感を抱えてしまうのは何故だろうか、などという馬鹿げたもの。


「(不安定な精神など不要であるのに…)」


答えの無い疑問など熟考するだけ無駄であると、僕の理性は主張する。だがその一方で、そんなくだらない言葉の羅列に脳が支配され、いとも簡単に思考を停止してしまう現実が僕を襲っていた。

天井を見つめる視界には漆黒が広がるばかりで空など一切見えもしないのに、何故だか曇天を見上げているような重い気持ちになってしまう。いっそのこと僕自身がこの黒に溶け込んでしまえたならどれ程楽であろうかと、またくだらないことを考えた。


そんな思考を遮断するかのように、暗い天井へ向いたままの視線を傍らのローザへ移せば、美しい瑠璃色の瞳と目線が交わる。そこで僕は揺らぐ精神を律するかのように、彼女へ答えの分かりきった質問を投げかけた。


「聞いてもいいかい?」

「はい」

「先程の天気についてだが、あの情報は君がその目で空を確かめたものかな」

「いえ、発信された気象情報から得たものです」

「そう」

「ええ、なにせここは窓のひとつも無いですから」

「ははは、それもそうだ」


そう自虐するかのように笑う僕へローザは優しく微笑むと、徐にデスクへ専用機器を置いた。幾つものアーチで構成されたその機器はソートと呼ばれ、彼女からのシグナルを受信すると瞬時にレーザーのような淡い光で僕を照らし、内蔵されているデータと照合を始める。数秒待ち無事完了すれば、まるで分子のような細かい物質が瞬く間に集結し、空中へモニターを構成するのだ。そしてそのモニターには、本日担当する命の事前情報として、人物名と顔画像などが数多く表示される。

僕はモニターの中で行儀良くずらりと並ぶ彼らを見て、そっと溜息を吐いた。


「今日も沢山いるね」

「はい」

「この映像を見ると、善人や悪人は別として、命というものはいとも簡単に日々失われていくのだと痛感するよ」

「ええ、ですが同時に誕生する命も多くあります」

「おや、君が希望的な意見を述べるとは珍しいね」

「いえ、希望というよりは…両者とも過去と未来を創造するのに必要な材料である、という紛れもない事実と言った方が正しいかと」

「ははは、実に君らしい持論だ」

「誤っているでしょうか」

「まさか、揺るぎない真理だと思うよ」


そう言いながら僕はモニターの中でじっとこちらを睨みつける一人目をタップした。


『ジャン(2070−2120) 満50歳

一般的な家庭に生まれるが、学生時代の度重なる素行不良が原因で両親から勘当。

その後、強盗・殺人を繰り返し何度も服役といった生活を数年間過ごした末、脱獄。

結果、逃亡中に走行していた列車に撥ねられ死亡。現在、転生希望で勾留中。

身体状態:アルコール依存、薬物中毒

精神状態:激昂型、不安定』



「(…この既往で転生を希望しているとは、)」


僕は情報を読んで、その厚かましさにうんざりする。僕らの仕事は、失われた命を評価し捌くことだ。生命が混沌とする世界には、どうしたって理不尽な死を遂げる命が数多く存在し、当然だがその命は人間以外にも植物やヒトを除く動物など多岐に渡る。

そんな数多の命の中、僕が担当しているものは最も欲深い『人間』であり、かつその中で過ちを犯した経験のある『罪人』であった。


「(……全くもって、呆れるな)」


ではどのようにして命を評価するのか。その判断材料とされているものは、いわゆる成績である。

例えば、死に至るまで歩んできた道のり、善行や悪行の比率、精神の高潔さなど生存時の言動全てに加え、現対象者を構成する心身状態も判断材料としてデータ化されるのだ。そして僕らはそのデータをもとに転生すべきか死を受け入れるべきかの最終決断を下す。その瞬間、失われた命の未来が創造されるか否かが決定するのだ。


「(……再考する必要性は、皆無)」


僕はモニターを見つめながら、溜息を一つ吐いた。月並みの持論ではあるが、やはり理不尽な仕打ちによって奪われた善人の命は転生を検討すべき案件であるし、私利私欲に塗れた傲慢な命はその運命を受け入れるべき案件であるように思う。例え結末にどんな理由があろうと、これまで歩んで来た生存時間を蔑ろにするべきではないというのが僕の理念だ。


「そういえば先程トップにお会いしました」

「珍しいね」

「えぇ、他支部のトップ達と会談があるそうで」

「そう」

「貴方のことを絶賛されていましたわ」

「絶賛?」

「仕事の正確性と対応力の高さ、加えてその朗らかなお人柄と清潔感のあるお姿、まさに理想だと仰っておりました」

「はは、理想ね…」


ローザのその言葉を聞き、廊下ですれ違った彼の姿が脳裏に浮かぶ。理想だと賞賛を受ける僕と、自責の念にかられ今にも押し潰されそうになっている彼。真摯な人間は果たしてどちらか。数字や見た目のその裏に存在するもの、そんなものはきっとお偉いさん達は見向きもしないのだろう。そう考えて堪らず嫌悪感を覚えた。


「嬉しくないのですか?」

「いや…もちろん嬉しいよ」

「私も嬉しいですわ」

「期待を裏切らぬよう頑張らないとね」


理想像を押し付けられ、酷く息が詰まるような感覚に襲われる。だがそれを悟られぬよう、僕は必死にこの汚れた感情や衝動を嘘で何度も塗り固め、まるで正義感の塊のような笑顔をローザに見せながら口を開くのだ。


「さて、そろそろ始めようか」

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