第12話 慣習

「なっ……」

「血っ、血が……!」

老いぼれと小太りが驚きの声をあげる。

老いぼれは右手に握る短剣を見て、わなわなと震え出した。

「血、血がない……!どっ…どういう……」

二人の慌てぶりを見て、村人達にも動揺が広がった。

驚きのあまりを口元を覆う者、事態が飲み込めずにきょろきょろと周りの顔を見渡す者、呼吸を荒くして、じっと少女を見つめる者、周りと何が起きたと疑問をぶつけ、動揺を隠しきれない者、不安にかられ、ぶつぶつと祈りの言葉を発し続ける者などが居たが、少女の身体に駆け寄る者も居た。

「おい!死んでるのか!しっかり、切ったのか!村長!」

「きっ、切った……確かに切った!」

「じゃあ、これは何なんだ!血一つ出ていないぞ!」

老いぼれは弁明空しく、駆け寄った者達の一人がうつぶせに倒れた少女の身体を乱暴に掴み、顔を引き揚げる。

「たっ、確かに切った!間違いない!な、グレイブ、見ていたろ…?」

村長がすがるような目で小太りを見つめる。

小太りは信じられないといった様子で動揺し、身体を固まらせながらも、それに応えて口を開く。

「あ…あぁ……確かに…血飛沫が……み、見えてないのか?!皆……!」

「村長の背中しか見えてねぇよ!」

「首切ったんだよな?なら、血溜ちだまり出来るんじゃないの?」

「そもそも、傷がねぇ。ほんとに切ったのか?もしかして、怖じ気づいたとかねぇよなぁ?」

「待てよ、切ったんだろ?でも、傷がない。もしかして、女神様が要らないって生命を助けてやったんじゃ……?」

少女の身体の前で村の人間達が口々に疑念を口をする。

その声は次第に言い争う声となり、口汚く罵り合う叫びとなって、村中に響いた。

(本当に何が起こったか分かっていないのだろう。まぁ、新人ごときに理解できる事ではないが)

「あのな!生け贄が毎年必要で、それを用意したってのに要らねぇて?!そんな事ある訳ねぇだろ!」

「でもそれ以外考えられるか?女神様が慈悲をお与えになったんだよ!」

「違うだろ?ぜってぇ村長が怖じ気づいたに決まってる!なぁ、そうだろじじい!」

「なっ…わ、儂はしかと、この手で……」

「信じられっか!」

「待て待て、私は村長が首を切るのを見たぞ!私が証人だ!」

「じゃあ、やっぱり、女神様が慈悲を……」

「それは無いんじゃない?もしそうなら、こいつが生け贄になった時点で止めさせるっしょ。なんか、雷とか降らして怒りを伝えてくるっていうかさー」

「あっ、あのさっ、たっ、たぶん、女神様が今年は生け贄要らねぇって言ってじゃねぇかな?!だからよ、もう、ギシギシ終わりにしてさ、飲み直そうぜ?な……?」

その口喧嘩にも似た口論をしていた者達の動きが、一人の若造の言葉によって止まった。

いや、止まってしまったと言うだろう。

何人もの人間の目がぎょろりと、若造の方へと向いた。

「おめぇ、何言ってんだ?」

「馬鹿じゃねぇの?」

口喧嘩をしていた双方が若造を方を見て、蔑むように睨み付ける。

「それはならん!生け贄を捧げねば、来年は飢饉や疫病が流行るやもしれぬし、あらぬ災厄を呼び寄せるやもしれんのだぞ?!」

村長が若造の方を振り向いて、声を荒げる。

「生け贄無しってのは…いけねぇな」

「飢饉は御免だ。疫病もな」

「女神様に楯突いてどうするって言うんだよ!」

「来年もこの土地で生きていくためには仕方ねぇ」

「んだ。悪いが、この子には死んでもらわにゃ」

口々に生け贄の必要性を説く村人達に、若造は尚も喰い下がった。

「でっ、でもよ…村長は確かに切ったんだろ?グレイブさんだって見てた!て事は女神様が今年は生け贄は要らねぇって事を伝えたって事じゃねぇのかな………?」

怪訝な目が若造に降り注ぐ。

村全体の意思に、たった一人だけ背く事を説く若造は、様々な視線を浴びていた。

今にも殴りかかろうと両の拳を握り締め、憎悪にたぎる目を向ける者達の目、若造の言葉に賛意はあるが、そうする事で周りからの攻撃に怯えるうようよとした意思の弱い者達の目、同意はしつつも、仕方の無い事だと割り切っている者達の諭すような目、やらねばならない事だと訴えかける者達の目、目、目、目、目、目、目、目が若造に刺す。

だが、若造はそれに怯えつつも、口を開いた。

「ほ、ほら……女神様が加護を、お、お与えになったんじゃねぇの?それで切られてもすぐ回復した的な……だからさ、女神様はドティアナの生命を救われたんじゃねぇのか?それ意思に反して生け贄にするだなんて、それこそ……」

「それこそなんだ?!」

勇気を振り絞った若造に、怒りに震える老人が叫ぶ。その老人は先ほど、若造に殴りかかろうと、両の拳を握り締めていた者達の一人であった。

「それこそ、女神様の意思に反し、災厄を呼ぶとでも言いたいのか!」

「い、いや…俺は…」

「良いか!生け贄を捧げるは女神様への感謝!それなくして、我らがナフベヤントで生きてゆけるはずが無かろうて!それに、あの娘が女神様の加護を受けて守られておるならば、誰か代わりの者を選ばねばならん!同じくらいの歳の者をなぁっ…!」

村人達の間に激震が走った。

村人達、特に子を持つ者達にとって、こんな事は寝耳に水だ。無駄な食いぶちでもあり、誰も引き取り手の居ない子供が死ぬのならどうとも思わないが、我が子となれば話は違う。

子を持つ親達は子供の手を一層強く握り、中には背に隠す者まで現れた。

それを見た老人は目を細めて、若造を見つめた。

「ほらな。誰も自分の子を生け贄にはしたくはないんだ。あの子がなるしかない。それともお前がなるか?」

その言葉に若造はたじろいだ。

まだうら若き者にとって、死は心の底から忌避すべき事態である。

青き春は、それを生きる者にとって、生命というものが、何よりも尊いと感じる時代なのだ。

生きる喜びと死の恐怖に怯える多感な時期には、取り留めも無い考えが、頭の中を沸いては巡って沸いては巡ってを繰り返すのだ。

そして、そうしている時間にも生命のありがたみを噛み締めるものなのである。

それは例え自分よりも弱く、若い者の生命と天秤にかけても、差し出せるものではなく、若造の奮起もこれまでであった。

若造がうつ向き、黙りこくるのを見た老人は、村人達に聞こえるように言った。

「生け贄は例年通り捧げる!そうすれば、皆、自分の子を召されずに済む。そうであろう?!」

老人の言葉に、村人達は情勢を窺うような表情で老人を見つめ、事態を注視する。

老人は老いぼれに向き直った。

「村長、儀式を続けろ」

「しっ、しかし、切れるかどうか……」

「切れないなら、その時はその時。もういっぺんやってみて、それで切れぬという事になればまた考えれば良い。そうだろう?」

老人は共感を求めるように言う。

(ずるい言い方だ。逃げ道を提示しつつも、結局やらせる方向に持ってゆくとは………)

老いぼれは顔を下にやって、倒れている少女を見、次に小太りを見て、老人の方を見た。

「やろう。もし、駄目だったらその時は………」

老いぼれは村人達の方をちらりと見やった。その時は別の子供を選んで殺す。という事なのだろう。

先ほど短剣で切りつけて、血一つ出ないという事態を体験した老いぼれにとって、少女を殺すというのは不可能に近い事であるのだろう。

女神様の加護がかけられた存在。先ほどの状況からそうとしか考えられていないのだろう。

(また、切ろうとするならばこちらはそれは治すまで。だが、少女を助ければ、他が犠牲となる……か)

「それでは…もう一度供物召送の儀式を行う……女神様の元に我らが供物が届く事を祈ろう……」

老いぼれが村人達に対してそう言うと、小太りがまだ気を失っている少女の腕を掴み、引き揚げるように立ち上がらせた。

足は地面に着いてはいるものの、身体は糸が切れたかのように力無く垂れ下がり、首と頭が折れ曲がっているかのように垂れていた。

老いぼれは短剣を握り締め、少女の首を凝視する。

今度は切れるかどうか、萎んだ脳みそはその事で一杯だろう。

老いぼれの額には汗がにじみ、心臓の鼓動も高鳴っているのが分かる。

(さて…どうするか)

このまま首が切られる度に治しても良いが……それでは切りがない。

こいつらは生け贄無しには豊作は見込めないと思っているのだろう。だからここまで、この儀式の完遂に執着するのだ。

それは、老いぼれや老人、小太り以外の人間達も骨身に刻まれている事なのだろう。

こういった伝統と慣習にのっとった行事には完遂以外には歯止めというものを知らない。

幼い頃から見てきた事が、やってきた事が、自分の代で途絶えるのは何がなんでも避けたい。という心も透けて見えるが………

(それ以上に不作が怖いか……)

ナフベヤント山脈は決して土壌が良いとは言えない。山の斜辺にしがみついて生きているこの村の人間達にとっては、女神とやらにすがらなければ生きてはゆけない土地なのだ。

例え、それが無駄な験担げんかつぎでしか無くとも、自分達より高位及び上位の存在にかしづいてでも豊作を願いたいのだ。

(泥蔑賤民ヴェッヅレベーヅめ……子を殺すは蟲の思想だと言うのに……)

私ではそう思う心も、この者達の境遇を思えば致し方無しとも思う心もあった。

虐げられて居た者が、虐げる者となるように、時の流れと共に、人の立場も思いも移り変わるものだ。

徳ある者が非情に。冷酷なる者が、信心深く。時は全てを押し流す。

今だってそうだ。少女を殺さねば生きてはゆけないと考えている者達だって、かつては殺される子山羊を助けてやりたいと思った事もあるだろうに………

だが、そんな事を考えていても仕方はない。

過去は過去。今は今だ。

私は、小太りに掴み上げられている少女の身体に近づいてゆく老いぼれの背を見つめ、その背に隠れて見えなくなった少女の身体を感じた。






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