第10話 生きる意味と儀式の山場
「…貴方様の民、ナフベヤントの恵みを受ける者に平穏を与えたまえ。貴方様の民、ナフベヤントに住まう者に厄災を遠ざけたまえ。貴方様の民、ナフベヤントを生きる者に安息を与えたまえ…」
私の居る足場の前で、村長が祈祷を
収穫祭は豊穣を司る女神様に祈りを捧げると共に、平穏や安息を願う儀式でもある。
そして、生け贄を捧げて、女神様に召していただく事で、女神様とその民である村人達の関係は続くという訳である。
女神様に生け贄を捧げなかった不心得者の多い村もあったそうだが、その村には長年、飢饉が襲いかかり、流行り病が流行ったとの事なので、女神様に守ってもらわなければ、この土地では生きてはゆけないのだろう。
そう考えてみれば、私は尊い犠牲という訳だ。
私一人が死ねば、皆助かる。私だって、天界で両親に会えて幸せになれる。
誰も不利益を
「…貴方様の民たる父祖より受け継がれしこの地にて、生きる喜びをお与えになられる貴方様の恩恵により、今年も豊穣の恵みに預かる事になった事、心より謝意を
朗唱する村長の後ろから、村人達が固唾を飲んで見守り、それを囲むように生け贄の列を形作っていた偉い人達が松明を片手に広場を明るく照らす。
その灯火は風が吹いているという訳でもないのに、怪しく揺れる。
まるで、これで良いの?と問うてくるように見えるのは、私の錯覚だろうか。
(死なないで済むならそうするよ……けど、天界じゃなきゃもう会えないんだよ………)
小作人の子であり、罪人の子。それが私だ。
父は金と引き換えに鉱山に身を繋ぎ、母は奴隷として売られて行方知れず。再会など見込めるはずもない。
暴れたって、
もう、あの日々は戻らないのだ。
(お母さんが連れていかれる時……私ももっと暴れてたら何とか逃げ出せたのかな……?)
無理だ。こんなもの、答えはすぐに出る。
無理に決まってる。考えなくても分かる事だ。
じゃあ、村から逃げる時にもっと走れば良かった?
それも無駄だ。
子供の足じゃ、大人には敵わない。女の足と男の足では、男の方が早くて強靭なのは誰もが知っている事だ。
(じゃあ、全部が無駄だった?産まれてきた事も、お父さんとお母さんが結婚した事も、お父さんとお母さんが産まれてきた事も、全部全部、こんな終わり方なら無駄だったのかな……?)
そんな事を考えて、私は自分を
私は悪い子だ。そんな事を考えて。
お父さんとお母さんが産まれた事が無駄な訳が無いと言うのに。
でも、お父さんとお母さんはもう居ない。
私は一人で今から首を切られて死ぬ…………
普通にベッドの上で死ぬのならどんなに良かっただろう。だけど………
(こんな死に方………無駄だったじゃない……)
視界が歪む。目元に水滴が溜まっているのが分かる。
駄目だ。今泣いてしまっては衣装が汚れる。
頭の中でそう制止する声を押し退けて、私は嗚咽を漏らした。
「無駄だった……?違う………」
私の声に祈祷中の村長が顔をしかめた。
背後で松明を持っていた偉い人が、身動ぎしたようで、ほんの少しだが空が動いたのを感じる。
私の心は一瞬にして、虚しさで満たされてしまった。
否定したい。違うって言いたい。でも、その根拠が無い。
「違う……違う………違うんだ………」
生け贄は、泣こうが喚こうが生け贄だ。それは変わらない。
だが、子供の涙ほど、人々の心に作用するものは無い。村人の中からはこちらから顔を背けたり、憐れみの視線を向ける者が出てきた。
じゃり、じゃり……
後ろから近づいてくる足音がした。
「ドティアナ、静かにしろ。皆のために死ぬんだ。光栄に思え」
私の頬を
声の主がいる方を見なくても分かる。地主様だ。
「ドティアナ、今のお前の行動一つでこの村はどうとでも変わってしまうんだぞ。お前の態度一つで女神様からの不興を買うかもしれんのだ。しゃんとせんか。最期の時なのだぞ。有終の美を飾るのだ」
地主様が何かごちゃごちゃと声を発するが、私の耳は理解する事を拒絶していた。
今はそんな事はどうでも良かった。
虚しくて、悲しくて、怖くて、どうしたら良いか分からない。
うっ…うっ…うっうっ…ううぅっ……
私の目から大粒の涙がこぼれだした。
(私は……私は………どうしたら………)
このまま生け贄になるべきかと言われたら、それに
しかし、生きて何かするのだと言われたら、沈黙せざるを得ない。
だったら死んだ方がまし?目的がないなら、生きている意味はない?
私は……私は………
ぐるぐると頭の中で思考が
どうしたら良いのか分からない。生きる目的もなければ、死ぬ事に意味も感じられない。
(私は本当にどうしたら……………)
私はどうしたら良いのか、良い考えは浮かばなかった。
その時、動揺と恐怖が渦巻き、希望が沸き出てこない頭の中で、刹那の憧憬が思い起こされた。
大好きな両親に挟まれて眠るベッドの上で、毎日、少しだけお話をする。
夕食では語りきれなかった事、良かった事、したい事、好きな事………色んな事を話した。
明かりの無い真っ暗闇の中で身を寄せあって眠りにつくあの瞬間が……人生で一番生を実感できた。
温もりに包まれ、この世のありとあらゆる恐怖から取り放たれた空間だった。
地主様の屋敷に来てからは、納屋で一人、眠りについていた。
寒くて、暖かみの無い納屋は、私にとって恐怖の対象だった。
早くベッドの中に戻りたい。そう何度願った事だろうか。
だが、もうその時は訪れない。
もう両親は居ないのだ。
全ては無駄だった。
ただ一つ、残るものは思い出という過去のみ。その過去すらも、覚えている人間が死ねば消えてなくなる。
誰も覚えていておいてくれなんかしない。
(あんまりだ……)
両親の存在も、私の存在も何の意味もない。こんな事で終わるのだ。なんとも、ちっぽけで取るに足らない人生であろうか。
(取るに足らない……?違う……)
取るに足らないなんて、皆そうじゃないか。勇者や魔法使いなんて一握りの人間で、そんな人達にはなれない。
でも、だからといって、それ以外の人達が要らないなんて事は無い。その人達の存在は決して無駄なんかじゃないはずだ。
両親も、そして私も、無駄なんかじゃない。
(私の思い出になんの価値も意味も無い訳がない!私の中じゃ、人生で最も重要な大切な時間だったんだ!)
そう思った時、私の涙腺は崩壊していた。
「違うんだ…無駄なんかじゃない…無駄なんかじゃ…………無駄にしちゃいけないんだ…!」
私はしゃくり上げながら、大粒の涙を流して、叫ぶ。
私の様子に、村人達からは驚きと動揺の声が上がった。
「私が無駄にしちゃいけないんだ!生きてたんだから!生きてたんだからぁ!お父さんもお母さんも生きていたんだから!無駄になんてさせちゃいけないんだぁぁ!!あぁぁぁ……!ああぁぁあ……!!」
大粒の涙がこぼれる。頬を伝って、顎から滴り落ちるであろうそれは、真っ白な衣装なんてすぐに汚してしまうだろう。
でも、そんな事が気にならないくらい、私は胸のすく思いがした。
私が生きる意味。それは、両親が生きた証をこの世界に残す事。私こそが二人が生きていた証。二人の人生が無駄じゃない事の証左なのだ。
でも、それと同時にやるせない思いが心の中に広がった。
(なんで………今なんだよ…!そんな事を思うのが……!!)
村長は女神様へ祈祷しながら、私をギロリと睨み付ける。
収穫祭の最後の、最も重要な儀式の山場とも言うべきところでこんな事を言い出すなんて煩わしいどころの話ではない。
村長は両手を握り合わせて、女神様の居る天界へと願いを伝えている。
その握り合わせた手が、後、何秒で腰の短剣を握るのだろう。
(まだ、まだ……死にたくない…!)
周囲に目を配り、私は咄嗟に逃げ道を探してしまった。
しかし、そんなものは無意味である事は言うまでも無い。
前には村長と村人達。側背には地主様と偉い人。
完全に囲まれているし、ここに居る全員の視線は私に注がれている。
泣きじゃくって叫んだせいで、村人達は私の事をさらに哀れに思い、顔を伏せる者、目を閉じて私の方を見ないようにする者、目を潤ませる者、私の叫びや姿に、女神様への侮辱であると憤慨し、怒りの声を上げる者、後ろめたそうに背を丸めて縮こまる者など、様々に態度を分かれさせた。
一か八か、村人達の中に飛び込めば、何とか逃げられるかもしれない。同情して逃がしてくれる者も居るだろう。
と、一瞬そんな思い付きが頭の中を掠めた。が、すぐにその考えは別の考えによって打ち砕かれた。
逃がす者あらば、追う者もあるだろう。憤慨している者や来年の豊穣のための生け贄を欲する者だって居る。
そういう者達が何人居るかは分からないが、決して少なくは無いだろう。村人達の中へ飛び込んでも、捕まって連れ戻される可能性が高い。
一体どうすれば…………
(というか、さっきまで死ぬ事に納得してたじゃんか!最初から抵抗して逃げてれば……!)
私は心中で憤るも、時既に遅しである。
「慈悲深き女神様、供物である者は罪人なれど、その罪人を赦したまえ。その者の魂天界へと導きたまえ。我ら、貴方様の民に来年も豊穣をもたらしたまえ…!」
村長はそういうと、腰の短剣を手に取った。
処刑の時間である。
私の居る足場に、村長が近づいてくる。
じゃり、じゃり、じゃり……
村長が歩く度に、広場の砂利を踏んで小さな音が鳴る。
私の死を告げる宣告の音だ。
私は恐怖にかられて、無意識のうちに
だが、その瞬間、後ろから地主様に腕を掴まれ、動きを封じられてしまった。
「死ぬんだ。皆のために、俺のために、そして、自分のためにな」
地主様がそんな言葉を
(うるさい!黙れ!)
私は心の中でそう叫びながらも、恐怖で頭がやられて、足が震えて動かなくなり、もはや、逃げるどころの話ではなくなっていた。
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