第9話 共される運命が一番楽か

完全に日が落ちた。

「時間だ。行くぞ」

あの後、家の中に戻った私は、ぼーっとして、闇の中に落ちて行く外の景色を眺めていた。

まさしく心ここにあらずといった様子の私の頭の中にはローブを纏った男に言われた言葉が浮かび続けていた。

『生きたいか?』

生きたくない。そういえば嘘になる。

だが、生きていたところで未来がない。私には行くべきところも行きたい場所もしたい事も何もない。

強いて言えば両親に会いたいが、それは天界でしか叶わぬ事だ。

(あの人は一体何者だったんだろう………)

何者であろうと、今はどうでも良い事。大事の前の小事でしか無かった。

トンッ

「おい、大丈夫か?」

肩を叩かれ、我に返った私が振り向くとそこには地主様が立っていた。

手には火をつけていない松明を持っている。儀式の最中、豊穣の女神様に祈りを捧げる時はいつも偉い人達は松明を持って辺りを照らしていた。

暗闇の中を照らし、行く者の道を示す松明は、導き手を表すとかで、村の偉い人達は自分達が村を導き手であるとの思いから持っているのだろう。

(思えば、この村は迷信というか、何かと意味を持たせようとするのような………)

ローブの男に出会って、影響でも受けたのだろう。私は子供ながらにそんな事に疑問を頭に浮かべるようになっていた。




地主様に連れられて、私は外に出ると、村の通路である畦道で待っている人達と合流した。

これは、生け贄と共に村の広場へと歩く一行で、神様達の居る天空に「今から儀式をやりますからね」と伝えるための行列である。

空から見れば松明の明かりが一つの線となって見えるから、神様達も分かりやすいだろうとの事である。

「さぁ、行くぞ」

地主様は列の先頭に立ち、歩き始めた。

列は生け贄を真ん中に、前後を偉い人達が二列で進む。私の前に地主様を入れて四人、後ろに二人だ。

村の通路の畦道も歩くのは今日が最後だ。血を出すといけないからと、私は布靴ではなく、木靴を履かされている。

足の裏にぴっちりと木の板がくっついて、その固さが十二分に感じられる。

本当にこんなもの、便利なのだろうか?確かに布靴は破けやすいが、木靴は木靴で、固くて歩く度に、足裏に木の板が食い込んでくる。

畦道が続く先は広場だ。

これまで通り、生け贄は村の広場で皆の前で殺される。

今まで、生け贄になっていた子山羊達がそうだったように、私も短剣で喉を切られて………

(あっけない人生だったな)

何かしたかと言われたら、特段何かをしたとは言えない日々だった。

ただ、毎日を生きていた。何の変哲もない毎日を、代わり映えしない毎日を、楽しさなんて感じない毎日を。

(幸せ………だったのだろうか……)

毎度、満足がいくものではなかったし、一日二食だったが、ご飯も毎日食べれていた。

両親は働き者だったし、毎日お休みのキスをしてくれた。

二人に挟まれて、温もりを感じながら、眠りについて、父か母に優しく起こされてご飯を食べて……………

(楽しんでいたのかな……私…?)

ふと、そんな疑問が頭の中に浮かんだ。

今の今まで考えてこなかった事ばかりが頭の中に浮かぶ。

なんだが、いつもと違う。いつもはこんな事考えない。思い付きもしない。

(じゃあ、何で今日はこんな事…………)

無意識に俯いていた顔を上げて、私は周りを見渡した。

前には地主様と偉い人の背中。後ろにも偉い人達のお腹。膨れている人も居るけれど、痩せ細っている人もいる。

偉い人であっても、満足に食べられない。ここはそういう土地なのだ。

じゃり、じゃり、じゃり、じゃり、じゃり、じゃり………

畦道を踏み締める音が、心なしか大きく耳元へと響く。

歩き慣れた畦道、何年も世代を越えて住まれたた家々、収穫が終わった後の刈られた麦……これら全ての光景はもう見れない。

私は死ぬのだ。

(そうか……死ぬ前だからこんなにも冷静に物事を考えられるのか……)

死んだら身体は冷たくなる。今、私の身体は時既に冷たくなりかけているのだ。

だから、こんなにも頭が冴えている。

死を受け入れられている。

だって、私は罪人の子。

穢れた身を浄化するためには、生け贄となってこの身を女神様に召されるのみだ。

(先に行って、待っているからね……)

広場へ続く畦道を、慣れぬ木靴で踏み締めながら、決して届かぬであろう二人に願った。





「ねぇ、何でドティアナが生け贄なの?」

「子山羊を捧げるんじゃないの?」

「今年は子山羊が産まれなかったんだ。代わりにドティアナを女神様に共する事で、僕らは来年も豊穣にありつけて、ドティアナは両親共々、その罪を赦してもらえる。良い事づくめじゃないか」

広場に近づくと、村人達の話し声が聞こえてきた。

様々な声の中でも一際、子供とその親の声が私の耳に良く届く。

今年は人間が生け贄なのもあって、皆緊張でもしているのか、ざわざわと騒がしく、前の年よりもうるさく聞こえた。

(いや……私が緊張して、敏感になってるのもあるのか………)

広場には、村の何人かの男達が松明を持って周囲を照らし、一本の畦道からやってくる私達を待っていた。

村人達は時既に、皆広場に集まっているようで、後は生け贄の到着を待つのみのようだった。

「ねぇ、どうしてドティアナは罪人なの?何をしたの?」

「ドティアナのお父さんとお母さんが、耕せと言われた土地を捨てて逃げようとしたんだよ。山で誓いを破るという事はとってもいけない事なんだ。ただでさえ、一歩踏み込めば何が起こるかも分からない山の中で味方まで信じれないとなると、皆困ってしまう。だから、誓いを破る者には罪人として罰しなければならないんだ」

私の罪について疑問を口にする子供を、父親が優しく諭す。

「でも、誓いを破ったのはドティアナのお父さんとお母さんなんでしょ?なら、ドティアナは関係ないじゃない」

「良いかい。ドティアナ自身が罪を犯していないからといって、誓いを破った事を赦す事は出来ない。誰かがその罪を背負って、罰を受けなければ収まりが付かないんだ。だから、両親の罪を背負って、ドティアナが生け贄になったんだよ」

子供は純粋だな。と私は子供ながらに思ってしまう。

広場で立ち尽くしながら、儀式が始まるのを待つ大人達はそわそわして緊張しつつも、内心、寒いとか、早く終わってくれとか、そんな事を思っている者も居ると言うのに。

(心配しないで。もう、思い残す事もないから)

村人達が作る人垣で、見えないその姿にそう思いつつ、背筋を冷や汗が滑り落ちていくのを感じた。

今さらになって、死ぬのが怖くなった?そんな事を言ったところでどうにもならない。

そんな事は分かっているだろうに、どうして………?

列の先頭が広場の中に入った。

このまま皆の前に行って、儀式が始まる。

「でも………ドティアナを生け贄にするなんて………可哀想……」

「滅多な事を言うものじゃない。罪は誰かが背負わなければならないんだ。ドティアナが背負わないなら、その子供が。その子供が背負わないならまたその子供が。今のドティアナと同じように背負わなくてはいけないんだ」

「でも………」

「仕方の無い事なんだよぉ…誓いを破りし者を置いておく訳にはいかん。かといって、捨て置き、死して聖鳥に乗れず、悪鬼にも拾われなければ、悪霊となり、我らに牙を向くだろう。そうなってからでは遅いのだ……」

親子の会話に老婆の声が混ざる。

聞いた事がある声だ。でも、名前は思い出せない。いや、もう思い出す意味もない。

ふと、村人達の方を向くと、いくつもの視線とぶつかった。

私の方を見て、哀しんでいるような、何かを願っているような顔をしている。

死人に何を祈ると言うのだ?

無事に天界に行けるようにとか?それとも、生け贄を捧げたんだから、来年も豊作でありますようにとか?

(どっちでも良い。そんな事……)

そんな事は考えるだけ無駄だった。

だが、村人達の目を見てからだろうか。なぜだか、私の胸の鼓動が段々と早くなっている。

はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……

緊張か?それとも恐怖?でも、そんなのどうでも良い。

もう決めた事だ。天界に行けると信じて、そこで両親と再開できると信じて、私は生け贄と捧げられるだけだ。

そう思う度、お腹の辺りがどんどん冷たくなっていく。

まるで、そこに空洞でもあるかのように風が吹きすさび、私の身体を冷やしていく。

(あぁ……死に近づいているんだ………だからこんなにも……寒いんだ……)

私はそう思い込む事にした。

本当は、死ぬのが恐くて、怖くて、堪らなくて、今にも逃げ出してしまいたい。

でも、そんな事は出来ない。

お母さんにだって村を出て行く事は出来なかった。

それなのに、私に出来るはずはない。

生け贄の列は広場に集まった村人達の前に来ると、小さなテーブルくらいの足場に

生けを立たせた。

村人達が固唾を飲んで見守る中、村長が告げた。

「これより、供物召送くもつしょうそうの儀を始める!」

歓声は上がらなかった。

例年通り、いつもと同じの沈黙だ。

冷たい静寂の中で、女神様への祈祷が始まった。

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