第6話 山村の実情

ナフベヤント山脈、美しくも闇を抱えた忌み嫌われる古き土地。

ここに住まう者達は元は、山を神として信仰し、自然の中で生き、それと一体化する事を理想としていた。

だが、今は違う。

根本から全てが………

僅か数百年でここまで土地というのは様変わりし、地名の持つ意味すら逆さになるのだから、年月というもの程、得体の知れぬ者はない。

だが、それ以上に生命というものは奥が深い。

深すぎてどうにも全てを把握する事は出来ないが、摩訶不思議でとらえどころが無い。

しかし、一つだけ思う事がある。

決して自分のような存在が言えた口ではないが、思うのだ。

命とははかなく、そして、愚かであると……


「へえっへぇ!やっほい!やっほい!」

「かんぱぁ~い!!」

「うちの子、この間歩けるようになってさ~!」

「良いなぁ!可愛いだろうなぁ~!」

「お前ところも早く子供作れよ~!」

外の喧騒が俺の睡眠をった。

いつの間にか、カウンターに突っ伏して眠ってしまったらしい。

「おはようさん、もう皆やってるよ」

カウンターでコップを拭いていた酒場の主人が声をかけてきた。

「今は………昼時か?」

「まぁ、それくらいだな」

酒場には俺以外の客は居ない事は振り返らずとも分かっていた。昨日の酔客どもは、外でどんちゃん騒ぎの真っ最中だろう。

俺はカウンターに手をついて席を立ちながら、無意味な問答をした。

「代金は払ったよな?」

「あぁ」

こんな事、聞く必要は無い。

払っていなかったら、主人が言うだろうし、わざわざ自分から聞く必要は無い。

それなのに………

(駄目だな、俺は。永遠の時を得てもまだ、二度手間と無駄が嫌いとは…)

後腐れになるのはどうしても嫌だった。特に、もう二度と足を向ける事もないこんなところに、気がかりを残しておきたくはなかった。

ガガリンッ!

酒場のドアを開けて浴びる日差しは、強くそして暑いものだった。

山間部ともなれば、日の光は強くなる。地上に比べて、太陽に近くなっているからとも、山の神と太陽神、もしくは天空神が懇意であるとも言われているが、その真相は定かではない。

酒場の外にある大きな村の広場では大きな机が並べられ、大皿に豪華な食事と酒が振る舞われていた。

男も女も皆、一様に喜びに満ち溢れた様子で酒杯をあおり、へべれけ状態である。

昨日はあんな事になったのに、俺を見ても誰も気にも止めようとはしない。

(馬鹿どもめ……年に一度、ご馳走が食える日くらいにしか考えてないんだろ…)

俺は静かに、村人達への憎しみを募らせた。

自分自身のやっている事の意味が分からない者が、俺は昔から嫌いだった。

何でも出来ると思い込み、不都合は何も無い。そう思い込んだ者ほど話の具にもならない惨劇を引き起こすのだ。

そう思う俺はふと、視界の端に緑のものを捉えた。

それは、先日女達が作っていた飾りである。

(こんなもの、何の役に立つと言うのだ…)

こんなものを作るより、冒険者や魔法使いを雇った方が幾分もましである。

それに、実際、悪魔がやってくるとして、こんな山村に来るような奴は大抵、都市部の縄張り争いに破れた下級の者か、生まれて間もない幼体のどちらかだ。

幼体なら飾りに身体が触れて怪我でもすれば恐れをなして逃げるかもしれないが、所詮は枝をまとめただけの代物だ。

本気で身体を乗っ取ったり、魂を喰らいにきた奴を防げるはずがない。

(ま、例え冒険者や魔法使いを雇ったところで、幼体にも勝てるはずが無い。弱者は弱者なんだからな)

神頼みがこの世で一番やってはならない事である事を俺は知っている。

神だの、仏だの、そんなものに頼ってすがって助けてくれると思い込むその神経が分からない。

自分だけは助かる。自分だけは死なない。自分だけは違う。

そう思い込んで自分を守りたいのは分かる。俺だって、昔はそうだった。

今はそうではない。

自分がもし、万に一つでも特別な存在であったならば、自分の親族、仲間、親友、恩師、自分よりも才ある将来有望な者達………彼らに何の引け目があって、命を落とす事になったのか説明がつかない。

生き残った事、生き延びた事、力を得た事が、他より優れ、別格と称される程に秀でようとも、それが崩れ去るのは一瞬だ。

己を掴み、魂を引き剥がそうとする死の運命とも言うべき、必然から逃れられる者など居ないのだ。

ジャリッ

俺は酒場のドアの前から歩みを進めた。

村人達の発する喧騒は嫌でも耳に入ってくる。俺が知りたいと思おうと、思わざるとに関わらず、聞きたくもない言の葉を俺の耳は掴んでは鼓膜にほうる。

「いやぁ、今年も何事も無く収穫を迎えられて良かった!」

「あぁ、女神様万歳だ!」

「いやぁ、俺たち農民はこれだのみだからなぁ!不作だったら、ザッキャみたいに逃げ出すところだったぜ!」

「おいおい、それを言うなよ~!」

酒がだいぶ回っているのだろう、大声で大して意味の無い会話を繰り広げている。

至るところでギャハハと笑い声が起きれば、バンッバンッ、と机を叩いて笑い転げる者までいる始末だ。

「お前らぁ!そんな事言うでねえ!縁起でもねんだ!」

髭を伸ばした男がそう怒鳴り声をあげる。

「お前らもそうなりたくなきゃ、精一杯畑耕すんだなぁ!」

「うっせぇよ、じいさぁん!」

「天地が引っくり返ったって、誰が小作人になんざなるかよぉ!」

「あんなん、人生負け組だよなぁ!」

「ははは!言えてるぜ!」

ギャハハハハ!!

男達の下品な笑い声に、一部の者達は肩をすくめた。

俺はそんな声に耳を塞ぎたい気持ちを抑えながら、早歩きで道を急いだ。

(同じ立場だった者同士で蔑むとはな……)

そう。肩のすくめたのは、何を隠そう小作人達である。

自由に土地を持って、自由に土地を耕し、自由に作物を育て、売る事が出来る

所謂いわゆる、自作農、自由農民にとっては侮蔑の対象でしかない存在だ。

地主の小作人は、元は自作農や自由農民として、自らの好きなように作物を育てていた者達である。

そういった者達が、やれどこかで借金を作っただの、働き手の夫に逃げられただので、収入を失い、食べていく事が出来なくなったために、地主に自らの土地と自らの権利を売って、生活する事を余儀なくされた者達である。

もちろん、ただ土地を売るだけで新天地を目指すものも居る。

だが、土いじりしかしてこなかった農民が他で何が出来ると言うのだ。

先祖から受け継いだ土地がくなった今、自分を温かく受け入れてくれる土地はもう無い。

そうであるならば、いっそ、勝手の分かる土地で今まで通り土いじりをした方がまだ良い人生を送れる。そう判断した者達もまた、小作人に落ちるのである。

小作人に落ちた者達は、どうにかしてその脱却を目指すが、せっかくの労働力を地主がみすみす逃がす訳がない。

農具の貸し出し、農地を耕すための牛の貸し出し………何かにつけて金をむしりとり、一生手元に置いて逃がさないようにするのが一般的だ。

そして、小作人に落ちた当人が死んだ場合、小作人としての義務は子に受け継がれる。

男であろうが、女であろうが、それは関係無い。

必要なのは地主にとって、有用な金の成る木であるかという点のみである。

使えないと分かれば、農地は取り上げられ、小作人から晴れて、売春婦か、繁殖用奴隷か、

労役奴隷ろうえきどれいかという地獄の二者択一を迫られる。

逃亡を図った場合も問答無用で奴隷に落とされ、他の者への見せしめとされる。

だからこそ、土地を手放す事は自らの未来を自らの手で閉ざすような行為であり、それをした成れの果てを小作人達が蔑むのは当然と言える。

「まっ、今回はその小作人が居てくれて助かったぁ~!山羊の繁殖期が終わっちまった時はどうしようかと思ったわ~!」

「ほんとなぁ~!良かったわ、始末の困るガキが居て」

ギャリッ……

俺は足を止めた。

「ははっ!正義感の強い誰かさんはっ、生け贄にすんの止めよぉ~!何て言ってたけどなぁあ!!ははははははははははは!!!」

あっははははははははははははははははははははははははははは!!

村中に大きな笑い声が響いただろう。

その場に居る全ての人間が例外なく笑みを浮かべて口角をあげて口を四角にして笑っている。

その中には昨日、疑義ぎぎを呈したあの若者の姿もあった。

ばつが悪そうに、少し俯きながら笑う彼の様子を見ていれば、この村の体質が分かる。

誰か一人を犠牲にすれば全員が助かる。

だからこそ、その一人には死んでもらって、全員で生き延びよう。それがこの村の考えなのだ。

俺はその様子を憎悪をたたえた目で見つめた。

(いつまで笑っていられるかな?塵以下の糞どもめ……)

こんな光景は何度も目にしてきた。

助かるんだという安堵の目。自分が助かるためなら、誇りも財産も差し出すような、そんな意気地無し達が浮かべる笑み。

(あぁ、虫酸むしずが走る。どうしてくれようか……)

村ごと丸焼きか、それとも毒でじわじわ命を削ってやるのも良い。

俺は絶え間無く聞こえてくる喧騒の中、人知れず口角をあげた。

それは、村人の命など、指先を動かす事もなく葬り、手のひらで操る事が出来る。その確信がある者の、より上位で、より高位な存在が時折見せる、愉悦と、確定された結果を引き起こす事の喜びであった。

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