第5話 焼ける空が終われば

遠くの方で笑い声が聞こえる気がした。

皆、お酒飲んで、ごちそう食べて、踊って、騒いで……楽しんでるのかな……

朝からずっと、私の耳にはそんなはしゃぐような叫びにも似た歓喜の声が微かではあるが届いていた。

(まぁ、私はそれに加わる事は出来ないんだけどね…)

私はそう思いながら、ため息をつく。

「何ため息ついてるんだい!ため息つきたいのはこっちだよ!ほら、手を上げて!腕が通らないだろう?!」

地主様の奥方がそう言って、私の腕を掴んで上げる。

「全く、要領の悪い子だねぇ…」

ぶつくさと文句を言いながら、奥方は私に白い衣装を被せるように着せた。

くるぶしまですっぽりと隠れてしまうほどの長い丈の生地に、木にぶら下がるつたのような袖。

我ながら、何だが変な格好だった。

私が腕を上げたりして、衣装のあちこちを見ていると、頭に何かが被せられる感覚がする。

少し顔を上げて、目を上にやってみると、そこには真っ白いとんがり帽子があった。

「動くんじゃないよ!衣装に傷付けたら承知しないからね!」

ぴしゃりと奥方は私に叫ぶ。

曰く、生け贄のために作られた衣装を汚したり、ほつれさせたりでもしたら、神様の不興を買うとの事で、細心の注意を払っているのだそう。

(これから……死ぬんだなぁ………)

私は今更ながらにそんな事を考えた。

死ぬって、どんな感じだろうか。痛いのだろうか、苦しいのだろうか、それとも、何も感じないのだろうか。

死んだら、天界にある楽園に行ってたくさんごちそうが食べられると聞いた事がある。

しかし、そうなるのは聖鳥せいちょうに乗って、天界へ行った者達のみで、悪鬼に連れ去られてしまった者達は、地獄で永遠に毒湯どくゆを飲まなければならないと言う。

私は一体どちらへ行くのだろう。

(女神様への供物だから天界に行けるかなぁ…でも行ったら行ったで、今度は女神様の機嫌を損ねて地獄に落とされちゃうかもしれないし…)

どっちにしろ、死んだらまたどこかへ行くだけなのだから、どこかが私の事を受け入れてくれる。

そうであるなら独りぼっちでは無いし、寂しくはないだろう。

だが、欲を言うなら家族皆同じところが良い。

一人地獄で、他は天界なんていうのも嫌だし、一人天界で他は地獄なんてのもごめんだ。

辛くても良いから皆一緒に居たい。

(お父さん……今どこに居るんだろう……)

お父さんが消えた日から私を取り巻く全ての環境が変わった。

あの日の夜遅く、お母さんに起こされて、焦げ茶色の頭巾を被らされ、手を引かれて村を出て……その後すぐに私達は捕まった。

待ち伏せをされていたのだ。

お父さんが居なくなった事を地主様は分かっていたのだ。そして、お母さんが村を出て逃げて行く事も………

良くは分からないが、小作人であるお父さんとお母さんが、小作地を捨てて逃げるのは大罪らしい。

お母さんは売り払われてしまって、私は供物として捧げられる事になった。

お母さんが連れていかれて、もう会えなくなるというのに、何故だが涙が出なかった。

悲しくなかった訳ではない。

でも、それよりも何か別の感情が私の胸に渦巻いていた。

(あれは……何だったんだろう……)

その感情の名前を私は知らない。

でも、今なら思う。あの時無理にでも泣いていたら………

「お母さん!お母さん!」と叫びながら、走り出していたら………

最後に、私を熱く抱き締めてくれただろうか……

今となっては分からない。

(そうだ!天界に行けば分かる!雲の上から探せば良いんだ!)

私は瞬時に、そんな希望を頭の中に膨らませた。

もし、天界に行けたら、お父さんの事も、お母さんの事も見つけられる。そうしたら謝れる。あの時はごめんなさいって言える。私はここだよって言える。

そしたら…………

私は無意識に奥歯を噛み締めた。

目からは、今にも溢れんばかりの涙が貯まって、頬を伝って落ちてしまいそうになる。

うっ、ううっ……

私の泣きじゃくりそうな声に気づいたのか、すぐ傍にいた奥方が私を叱りつける。

「こら!何泣いてるの!衣装を汚すんじゃないとあれほど!もう!ほら!」

そう言うと、奥方は布を取り出して、私の鼻をもぐつもりとすら思えるように、強く、乱暴にぬぐう。

「良いかい!あんたが供物として完璧な形で捧げられるから、この村は来年も実りを得られるんだ!さもなきゃ、みぃ~んなっ、飢え死にだよ!あんたの家族は小作地を捨てて逃げたんだ!ほんとなら、お前も一緒に奴隷として売り飛ばされるところなんだよ!あいつらが買わなくたって、都へ行けば客はいくらでも居るからね!」

奥方は面倒くさい事をしてやってるんだからな、と言わんばかりにまくし立てる。

「そんなあんたを皆のための生け贄にしてやるってんだから、感謝して欲しいね!あんたのくだらない命一つで、あんたとあんたの家族の罪は消えるんだ!ありがたく思うんだね!分かったら泣くな!衣装を汚すんじゃないよ!全く…!」

奥方はそう私を叱り付けると、部屋を出ていった。

奥方の言った言葉を私は噛み締める。

全くもってその通りだ。私の親は契約違反をしたんだ。本当なら奴隷に落とされて死ぬまで働かされるのに、神様への生け贄に成れるんだ。

嬉しい事じゃないか。本当に嬉しい……喜ぶべき……

(そうだよ……ね…だって、私一人死ねば皆…皆…生きていられるんだもんな……)

皆。

そう、村の皆。一緒に遊んでくれた幼馴染み達に近所に住んでいるお兄さん。地主様に、髭を伸ばしている長老達や、問屋さん、木こりの棟梁に、小作人のおじさん、おばさん、その手伝いをしてる子供達、酒場の主人に、罠師わなし(基本的に罠を使って、獲物を捕らえる猟師の事)のおじいさん、自分で畑を持っているおじさん達にその奥さん達に毛皮職人のおじさん………皆のためになる………

(皆は私が死んで、泣いてくれるのかな…それとも、笑ってくれるのかな……)

ふと、私の頭にはそんな考えが浮かんでいた。

駄目だ、そんな事考えちゃ。結局、生け贄になるのは変わらないんだから。

(でも、もし、何も思ってくれなかったら……私も、お母さんみたいに…………)

そう思うとまた、目に涙が貯まってきた。

衣装に垂らさないように、手でごしごし目元をこすって、涙を手に塗りたくる。

しかし、これでは、何かの拍子に、袖が手首より上にくれば、濡れて汚れてしまう。

(そうだ!井戸の水で洗えば……)

私はそう思うと、長い衣装の丈を手で持って、家のドアへと駆けていった。

窓から差し込む光は、もう赤みがかっていた。

日が落ちかけている。後、数刻で儀式であった。

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