第3話 山村
「おい、この子供はなんだ?」
「あぁ、こいつも売りたいんだが…」
「悪いがこんな痩せっぽちじゃ、鉱山にも繋げねぇ。それにこんなに指があかぎれまみれじゃ、洗濯女にもなりゃしねぇよ」
奴隷商人の隊商の近くでそんな会話が行われていた。
話をして居る者のうち、一人は土まみれの服を着た少女を傍らに置いた小太りの男。もう一人は腰に短剣を提げた男で、身なりは普通だったがどことなく、山賊のような残忍そうな感じを思わせる雰囲気を纏っていた。
「始末に困ってんだよ…な、銅貨一枚で良いから」
「だめだ、使い道が無いもん買う余裕は無いんでね」
奴隷商人の隊商の馬車は、罪人を運ぶ護送車に似ているが、それは外観だけで、鉄格子の窓の中は手枷と足に鉄球を付けられた男女が無造作に入れられているのみであり、護送車のように座らせておくための座席もなく、乱雑に扱われているのが一目で見てとれる作りとなっている。
その馬車に今まさに乗ろうとしている女が、振り向いた。
手には手枷を付けられている女は、先ほど奴隷商人に売られた女である。
「元気でね……!」
振り向いた女はそんな事を言った。次の瞬間、少女は駆け出した。
が、その少女の首根っこを小太りの男が掴み、すぐに傍らに引き戻される。
「ドティアナ、忘れろ。あの女が今月の利息を払えりゃ、こんな事にはならなかった。お前がこんな風になったのもあの女のせいなんだぜ?」
「違っ…!」
少女の肩に手を置き、耳元に囁くように話す小太りの男に、女は抗議の声をあげようとする。
だが、その刹那、小太りの男は鋭い言葉を投げ掛けた。
「何が違うんだ。俺の土地を耕す権利を与える代わりに、月々、賃代を払う。それが、契約のはずだ。賃代が上がっても、残る決断をしたのはお前とお前の亭主だ。何が違うって言うんだよ?」
決して、声を荒げずに小太りの男は冷淡に言った。
「亭主が金山に身売りして作った金で、賃代を払えば良かったってのに、夜逃げまがいの事をしでかしたのはお前だ。契約を違えるとどうなるか…他のもんに見せ付ける機会が出来たと思っとくよ…」
「ほら、行くぞ!」
女は後ろから奴隷商人の一人に押されて、馬車の中に倒れ込んでしまい、そのまま馬車の扉が閉められてしまった。
「じゃ、それじゃあ行くぜ」
「あぁ、また人を売る時は連絡する」
「おう!頼んだぜ」
短剣を提げた男が立ち去ると、小太りの男は少女に目線を落とした。
「金にゃあならねぇか…なら、仕方ねぇな」
品定めするように、少女を見つめた男は、そう呟くと、少女の手を乱暴に引いた。
少女は特に抵抗する気配を見せず、ただ、されるがままに連れられていく。
「お前は奴隷にも成れねぇんだ。ま、時期が来るまで俺の家で働いてもらう。しっかりやれよ」
男は吐き捨てるように、何の情もなくそう言った。
山村は収穫祭の準備で大忙しだった。
収穫をするのは男の仕事、村の飾りつけやら食事の準備やらをするのは女の役目だった。
豊穣を司る女神に今年の恵みに感謝し、来年の恵みを祈る儀式的な側面を持つこの収穫祭だが、今年はある問題を抱えていた。
「ほんと、一苦労。飾りつけ何てしたところで、女神様は見てくれる訳ぇ?」
「この葉っぱも畑の肥やしに使えるってのにねぇ…」
女達はそう言いながら、年長者の家で集まって飾りを作っていた。
女達が作っている飾りは、針葉樹が落とした枝葉を幾つか纏めて束にして作るもので、村中の家の前に立て掛けておく事で、悪魔が家の中に入る事を封じるという魔除けの効果もあるとされるものだ。
「こら、そんな事を言うもんじゃないよ。女神様のお陰で今年は豊作だったんだからねぇ」
年長者である腰の曲がった老婆が、軽口を叩いた若い女をたしなめる。
「馬鹿にしちゃあならねぇよ?神様っちゅうのは粗雑にすると、何をするか分からんもんだからのぉ」
「はいはい…」
「分かってるけどさぁ……作るの難しいんだよ……あっ、イッテ…」
「あんた、血ぃ出てるじゃない!」
「葉っぱの近くを持つから…!幹とくっついてた方持ちなさいって言ったでしょ!」
「あれ、包帯はどこやったかな…」
家の中は騒がしく、女の声が絶えなかった。
だが、こんな話をして居る一方で、村の顔役(かおやく)達は真剣な話をしていた。
「子山羊が駄目なら、今年の供物は鶏というのはどうだろう?」
「駄目だ。女神様は、小鳥はお好きだが、大きいのはお嫌いだろう」
「じゃあ、子牛は?」
「子牛を出せるか!わざわざ殺せってのか!難産だったんだぞ!」
村全体はお祭りをやるというので、高揚感が高まっている。
しかし、今年は例年通りに子山羊が産まれず、供物に捧げられるものがないのだ。
一応、秋になる直前まで粘って試行錯誤を繰り返したのだが、山羊は子を為す事はなかった。
そのため、今になって村長の家で話し合いをしているのである。
「やっぱり、山羊じゃなきゃ駄目だ。隣村から買うってのはどうだ?」
顎髭を伸ばした老人がそう提案する。
「駄目だ。その事に貸し付けて、何を言われるか分かったもんじゃない」
老人の提案に、無精髭の初老の男に反対された。
村同士の物理的距離は近くとも、心理的距離は遠い。自分達の事は自分達でやる。村の顔役達にはその精神が骨身に染み渡っていた。
「猪はどうだ?狩人に頼めば…」
「あのヘボ、兎一匹殺せた試しが無いじゃないか!馬鹿な事言わないでくれ」
「じゃあ、どうするんだよ!供物無しで行くのか?」
「いや、それは不味い。怒りを買う事になる」
「じゃあ、何か…何か無いのかよ!」
最年少の男がそう苛立ちをあらわにして叫ぶ。
会議は踊る。されど進まず。
そんな煮え切らない鍋の中、一人沈黙を守る男が居た。
少女を売ろうとしていた小太りの男である。
男は期を伺っていたのだ。自分の提案が通るであろう時を待っていたのだ。
代案が出尽くし、にっちもさっちも行かなくなった今の状況こそ、男にとって好機であった。
「皆さん、そう家畜に拘る事もないのでは?」
万事休すと言った雰囲気を、男の声は打ち破った。
「と、言うと…?」
「人を供物とするのはいかがかな?」
村の顔役達の表情が一瞬にして変わった。
「ひ、人を…!」
「そ、それは…さすがに……」
「いや……そりゃ、昔はあったかもしれんが……」
顔役達は否定的な意見を口にするが、小太りの男はそれを冷静に言葉を続ける。
「いえ、皆さんが思っているような者ではありません。実は私の農場で賃代を払わず、逃げ出そうとした者が出ましてね。男は家族を置いて逃げ出し、女と子供も逃げようとしたようですが、寸でのところで捕まえました。女の方は人買いに売りましたが、子供の方が残ってましてね……」
淡々と、小太りの男は話しをする。
まるで、何でもない事を口にするかのように、普通であり、何らおかしなところは無いとでも言うかのように、淀み無く、小太りの男は言ってのけた。
「な、なるほど…」
「それで、その娘が始末に困っていると…」
「確かに、それなら供物に相応しいが……」
顔役達は小太りの男の話で、供物に少女を捧げる事に肯定的になったようだ。
こうも、顔役達の心中が変わったのには、元々、収穫祭が口減らしの儀式であった事に由来していた。
収穫の時期を迎えた際に、まだ労働力としては事足りない子供や普段の行いが悪いものや、怠け者、浮浪者などが選ばれ、供物として捧げられていたのだ。
時代が進んだとは言え、そういった伝統は一部の地域では残っていたし、収穫という祝い事を前に、目につく者を供物という名目で殺しておく……そういう価値観が文化としてこの地の住民に骨身に染みていたのである。
そのため、顔役達の心情の変化は充分に予想できるものであった。
「トライト、それで、その娘は今どこに?」
「はい、私の自宅です」
「なら、話は早い。収穫祭まで、トライトに預かってもらうというのはどうかな?供物が人間ならそれ相応の準備も必要となるし、早めに事にかかりたい」
村長がそう提案する。
「それで良い」
「枝集めてこないとな」
「異議は無い。女達にも伝えとく」
その提案に反対の声は出なかった。
当時の山村の文化として、弱みは見せない。団結する。役立たずは置いていく。というものがあった。
顔役達を含め、村の人間達にはこの精神が身に付いていた。
そして、この決定の裏で
トライトという名の小太りの男である。
この男の思惑通りに事は進んだ。後は何事も無ければ、収穫祭と共に、“厄介払い”が行われる。
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