『スポットライト:金の微笑みと黒い涙』

星川亮司

【KAC20247 色】『スポットライト:金の微笑みと黒い涙』

「ついに、私はこの夢のステージ日本フォーラムに立てたんだ」


 眼前に広がる黄金に輝くサイリウムの海。まるで、夜空の星々が地上に降ってきたかのようにキラキラと眩しい。


 最前列のかぶりつきの場所に、回りのファンとは一線を画す、頭の先から足の先までHIKARI一色でまとめた熱狂的なファンが一人いたが、おおむね、観客の熱気は、ヒカリの目を、鼻を、耳を、呼吸を、肌を心地よく刺激した。


 しかし、ステージに立つヒカリの胸中は、喜びと不安が入り混じっていた。たった一人で、これだけ、たくさんの人の期待に応えるだけのパフォーマンスができるのか怖かった。


 ヒカリの胸中とは裏腹に、観客はHIKARIのロゴをつづったタオルを振り熱狂し、ヒカリの顔のウチワが踊った。


 気づいたら、スタンドはヒカリと一体となり最高潮をむかえた。


「みんな、ありがとう!」

 

 スポットライトを一身に浴びるアイドルのヒカリは、1万人のファンの人気を全身で受け止め、黄金の輝きと呼ばれる微笑みを返して、バックヤードへ降りた。



「ヒカリ、お疲れ様。まずは、渥美屋あつみやのイチゴ大福食べちゃって」


 と、スポットライトの当たらないバックヤードで、長いつやのある黒髪のマネージャーのひとみが出迎えた。


「瞳、最近、私のあつかい雑になってない?」


 ヒカリは最近の瞳の態度が、明らかに二人の間に一線を引いて距離を開けているように感じて淋しかった。


 瞳は、シャープなフォックスフレームの眼鏡の反射で目の奥を隠し、口角だけあげて大人びた静かな口調で答えた。


「そんなことない。私は、キッズ時代の葛飾ダンススクールからの親友よね。たとえ、アイドルとマネージャーの関係になっても友情は変わらないわ。少し、ヒカリより大人になったけど」


 ヒカリと瞳は、キッズの頃から同じ葛飾ダンススクールに通っていた。二人の実力は瞳の方がヒカリよりいつも少し上で、引け目すら感じていた。


 それが、どういうわけか二人でデビューが決まった翌日に、事務所の意向で、瞳は、アイドルからマネージャーとして就職することになった。


 ヒカリが事務所の人間にいくら理由を尋ねても、瞳はおろか、誰もまともに、答えようとはせず、いつも答えをはぐらかす。


 それでも、ヒカリは、キッズの頃からの大親友の瞳がそばに居てくれることが、アイドルを続ける上で大きな心の支えだった。だから、ヒカルは、時折、子供の頃のように瞳と一緒に遊びたくなる。


「ホント、瞳、大人みたいに冷たくなった。offの日に、全然、私と遊んでくれないじゃん。こないだも昔みたいに『ハムスターランド』へ、一緒に行く約束してたのに、急に仕事の打ち合わせが入ったってドタキャンするんだもん。私、約束通りスクール時代と同じ、ハムたんパーカーと、ピンクのマスクと、ハートのサングラスで、1時間前から噴水の前で、楽しみに待ってたんだから」


 と、ヒカリは西洋人形のような可愛らしい金髪のクラゲヘアーで、ねたように口をとがらせた。


「いつまでも子供のようなこと、言ってんじゃないわよ。次は、日本ドームが決まったんだから、その打ち合わせで仕方ないでしょう」


 ヒカリは目を丸くして奇声きせいを上げた。


「ええっ! 次は、日本ドームなの‼ 私にはまだ早い。心の準備が出来てない」


 瞳は、眼鏡をクイッとあげて、笑顔を消して答えた。


「だから、ヒカリは子供だって言うの! アイドルは人気に火が付くまでが大変だけど、一度、人気に火が付けば遊ぶ時間はもうない。次のステージへの階段がつづくの」


 ヒカリは瞳のスーツの袖を、子供のように揺すって甘えた。


「えー、やだー、私には、瞳と一緒に遊ぶ時間が必要だもん」


 瞳は、甘えてくるヒカリの手をわずらわしそうに払いのけた。


「もう、私たちは子供じゃないのよ。それより、ヒカリ! ハムスターランドで、OT(てぃーおー)(TOP OTA の略)に、プライベート写真撮られたでしょう。また、SNSに上がってたわよ。アイドルは人気商売なんだから、注意して遊びなさい! どれだけ私がヒカリを守……」


 と、言いかけて、瞳は口をつぐんだ。


 瞳にそう言われたヒカリは、口を胡桃くるみふくらませた小リスのような顔をして、口を尖らせた。


「ホント、むかつくOT! アイツどうやって私のプライベートの行動まで把握できるんだろう。もうストーカーと同じよ」


 ヒカリの不満を聞いた瞳は、眼鏡の奥が笑ってない。


「ヒカリ、とにかく、次は日本ドームなんだからプライベートの行動も気をつけなさい」


 と、言い終えると薄っすらと口角を上げた。




 ヒカリの実家は、東京の下町、浅草あさくさ柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんの門前町の老舗しにせ団子屋だんごや「渥美屋」だ。


 父は「フテーン」とか言って全国各地の祭りを回ってかせぐテキ屋らしい。母は、遺影いえいでしか見たことがないが、鹿児島かごしま女性ひとで、明るく開放的かいほうてきな性格だったそうだ。


 二人の出会いは、東京へ出て売れない歌手をしていた母の出演する劇場に、歌を聞きに行った父が、一目で気に入り、母の地方巡業先までフーテン家業をいいことに追っかけまわしたようだ。


 母は、最初は、父が堅気かたぎの仕事じゃないことを嫌っていたが、あまりにしつこく付け回すものだから、最後には根負けして歌手を辞め、結婚し二人で渥美屋を継いだ。


 だが、母は、ヒカリを生んだ後、産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなってしまった。


 そうなると、父はフーテンだ。突然、店を放り出して、生まれて間もないヒカリを妹の千恵子に預けて、また、旅の空へ出た。それでも、たまに、フラッと帰ってきて姿を見せるが、また、すぐに旅に出てしまう。


 父がそんなだから、ヒカリには、両親がいないようなものだった。


 祖父が亡くなるときに「渥美屋」を、飛び出した父に代わって、子供のない優しい叔母の千恵子と、その夫で菓子職人のぎん夫婦に、実の子のように可愛がられて育った。


 ヒカリは表向きのイメージを守るため、公式にはフェイクの居住地として港区ヒルズだと偽っている。


 実際の自宅は、人情深い下町を離れがたく「渥美屋」の近所のマンションを借り、時折、この叔母夫婦を実の両親のようにしたって訪ねている。


 フェイクの港区ヒルズには、瞳が住み、ヒカリが浅草で暮らしているのは所属事務所も知らない親友の二人だけの秘密だ。


 パシャリ!


 ヒカリがいつものように、キャップとサングラスとマスクをして、お忍びで「渥美屋」を訪ねた帰り、いきなり写真を撮られた。


「ドゥフフ、ヒカリ殿。いくら姿を隠しても、それがしの目にはその輝きは隠し切れぬでござりまするぞ!」


 と、鼻息の荒い男が、クイっと平成おじさんと呼ばれた昔の総理大臣のようなチタンのセミオートフレーム眼鏡を光らせた。


それがし、四六時中ヒカリ殿のSNSに張り付いて、『おはよう』から、お昼を何を食べたか、誰と遊んだか、好きな物は何か、『おやすみ』を聞くまで寝ないし事ゆえ、ヒカリ殿のプライベートと身辺は安全・安心にござりまするぞ」


 と、まだ、春先の陽気の3月下旬だと言うのに、男がプンと香ばしく臭う汗を漂わせて、自慢げに語るものだから、ヒカリは震えた。


 ヒカリは、喉元まで、「お前は、警備してるつもりかもだが、ストーカーだ!」と言ってやりたいが、ここは言葉をグッと飲み込んだ。


 それもそのはず、男は、額にはHIKARIのネームが入ったハチマキを巻き、服は突き出した腹が見えるほどの巨漢きょかんながらHIKARIのネームが入ったTシャツを着ている。短い足にストレートのケミカルウォッシュのジーンズを履き、なおさら、短足に見えるようにすそを二つ折に折りにしている。靴は見たことないメーカーだが、手書きの金色のマジックでHIKARIのネームを入れている。頭の先から足の先まで、HIKARI一色でそろえた熱狂的なファンだ。


「TO(てぃーおー)! どうして、あんたがここに現れるのよ!」


「某は、ヒカリ殿が、好き好き大好き、世界で一番ア・イ・シ・テ・ルーゆえにござる」


 TOは、いきなりヒカリに口上こうじょうを述べた。



 読者の皆様は、アイドルオタク用語をご存じないかも知れないので、少し、解説しておこう。


 TO(てぃーおー)とは、TOP OTA の略称であるのは先に述べた。こいつはファンの間でも影響力のあるオタクで、ファン同士の交流の企画もすれば、もちろん、どの現場にも必ず参戦する。金も際限なく湯水のように使う熱狂的ファンだ。


 しかも、こいつは、ヒカリに出会うなり発したガチ恋の口上でもわかるように、いわゆるリアコをこじらせている。

(ガチ恋口上とは、真剣にアイドルに愛を伝える様で、リアコはリアルに恋してるの略だ)



 ヒカリは、アイドル活動の中で、TOのような熱狂的なリアコもいることは経験的に知っていた。


 一度、男性アイドルグループの人気メンバー祐天寺ゆうてんじ自由じゆうと映画で共演した。


 アイドルは、常にファンの注目と認知を引きつけるために、定期的なSNSの発信は必須だ。


 偶然、ヒカリと自由が同じタイミングでSNSにあげた画像に類似点が見つかり、自由の妄信的女性ファンから付き合っていると疑われ、女の嫉妬からくる酷い嫌がらせを受け炎上した過去がある。


 だから、ヒカリは、SNSにあげる画像や発言には人一倍、気をつけている。


 それに、炎上後はSNSへ発信する前に必ず、一旦、マネージャーでもある瞳を通す決まりになっている。


 しっかり者の瞳に限って、ヒカリのプライベートを漏らすようなミスはありえない。どうやってTOが、ヒカリの行動を知り得て、目の前に現れたのか疑問だった。


「TOさん、私がココに居るって、どうやってわかったの? ヒカリ知りたい♡」


 と、ヒカリは、甘えた営業スマイルで尋ねた。


 TOは、得意満面で答える。


「某は、推し事の傍ら、課金のために、副業でつまらない研究もしておりますゆえな」


 ヒカリは、首を傾げた。


「つまらない研究?」


 TOは、心底不満そうに、


「少し、ホンの少しだけにござるが、某、AIとシンギュラリティについて研究しておりまする」


 ヒカリは、言葉の意味がわからず尋ねた。


「シンギュラリティ?」


 TOは、ヒカリに興味を持たれたことは嬉しくも、自分の研究については全く興味なさそうに答えた。


「シンギュラリティとは、AIが人間を超える時。某の解釈では、愛を知る瞬間とでも申しましょうか……。まあ、某にとっては、ヒカリ殿と比べればつまらぬことにござる」


(ふ~ん、シンギュラリティが、愛ね……。)


 それよりも、TOは、ヒカリにスマホの画面を見せた。


 ”ヒカリは浅草に居る”


 投降者の名前は、Y.J


「Y.J……って、いったい誰?」


 TOは、キラリとチタンの眼鏡を光らせた。


「某の推理が正しければ、おそらく、鍵垢ながらY.Jとは、某とヒカリ殿の純愛に嫉妬した……、祐天寺自由ではないかと思いまする」


 と、TOは香ばしい推理をした。


 ヒカリと自由は映画で共演しただけで、ホントに恋愛関係の”レ”の字もない。自由の事務所のファンに、目を付けられたらしつこく嫌がらせされるだけで、こちらに全くメリットがない。それが、どうして、このタイミングで、TOの推理が正しければ、自由がこんな真似をするのかわからない。


 そもそも、自由とヒカリは、恋人でもあるまいし、行動を知っているはずがない。


 ヒカリの知らないところでいったい何が起こっているのだ。ヒカリの顔色が目に見えない恐怖で一瞬で青ざめた。


 TOが、ここぞとばかりにおとこらしい言葉を言い放った。


「祐天寺のストーキング行為、さぞ、不安でござろう。怖いでござろう。某が、祐天寺の狂気の毒牙から、この命を盾にして、守り抜いてみせますぞ!」


 と、TOは、まるで自分が中世ヨーロッパの伝説の騎士ランスロットが、愛しの王女の前にひざまずき、長い金髪を風になびかせて、ナイトの誓いを述べいるつもりのようだ。


 内心、ヒカリが「ホントに、怖いのは、お前だ!」と言ってやりたいのは言うまでもない。


 ヒカリが言葉を失って黙っていると、TOは、急に、モジモジしだして、奥歯に物が詰まったように言葉を継いだ。


「ヒカリ殿、心配召さるな。某とヒカリ殿の純愛に嫉妬し、SNS。しかも鍵垢でしか嫌がらせもできない情けない男、祐天寺自由のリークを見つけられたのは、世界中見渡しても、24時間365日。昼夜を問わず、ヒカル殿一番に、お推し事に励む某ぐらいにござろう」


 と、TOは、無自覚に自分がストーカーだと告白する。さらに、たたみかけるように、ヒカリに、何かをおねだりするように、虫唾が走る言葉を継いだ。


「某、ヒカリ殿にも、某への素直な愛の気持ちを言葉にして欲しいでござる」


 ヒカリは、突然、鈍器で頭を殴られて気絶するかと思った。気に食わないが、ここでTOの機嫌を損ねたら、実家をSNSで拡散されるかも知れない。


 ヒカリは、覚悟を決めて、ぶりっ子でこう言い放った。


「ヒカリの好き好き大好きなTOさん、世界で一番ア・イ・シ・テ・ルー!」


 すると、TOは、口を尖らせて、不満げな表情を浮かべた。


「ヒカリ殿、気持ちは十分に伝わったでござるが、某、出来ればヒカリ殿のプリチーな顔面おかお拝見はいけんさせていただき、もう一度、言って欲しいでござる」


(「図に乗るな!」ヒカリは、何が悲しくてプライベートでまで興味のないTOに、無料で愛嬌を振りまかねばならないのだと、怒りと、むなしさが込み上げたが、下手にTOを刺激しげきして、機嫌を損ねることはできない。ここは、グッと気持ちを押し殺した)


 ヒカリは、TOの命じるまま不本意ではあるが、幸いにして人の気配も他にはないようだし、キャップとサングラスとマスクを外して、もう一度、今度こそ、とびきりのぶりっ子でこう言った。


「ヒカリの大、大、大好きな、TOさん、いつも、ありがとう。世界で一番ア・イ・シ・テ・ル♡」


 と、おまけに自分のくちびるにあてた指ハートを、TOのほっぺたにちょこんとつける大サービスまでした。


「ブヒヒ――――! ヒカリ殿~、ゾッコンLOVEにござるぞーーーーーー‼」


 と、叫び出さんばかりに有頂天うちょうてんだ。


 ヒカリは、ワザと言いにくそうにモジモジする素振りをして言った。


「あの~、TOさん。ヒカリ、TOさんだから言える大事なお願いがあるの」


 TOは、もはや、従順なヒカリの信者だ。


「何でも言って下され、愛するヒカリ殿のためならば、例え、火の中、水の中、どんなことでも命懸けで叶えて見せまするぞ!」


 ヒカリは、あごを引いて、上目遣いで止めを刺す。


「TOさん、ヒカリ、ココのお団子屋さん大好きなの、ダ・カ・ラ、ココで会ったこととお団子屋さんは二人だけのヒ・ミ・ツ♡」


 バッキュ――――ン!


 TOの背中から、天使の羽をつけたもう一人のTOが、昇天して行くように見えた。


「了解にござるヒカリ殿。某、この秘密は、二人が晴れて結婚するその時まで、絶対、誰にも言わ猿でござる」


「ホント、TOさん約束してくれる?」


「うんうん、モチのロンにござる」


「じゃ~あ、ヒカリと指切りして」


「ブヒヒヒー――――ン! ×100!」


 ヒカリにそう言われ、指切りしたTOの魂はもはや、極楽浄土ごくらくじょうど、もしくは天国にのぼって、もはや、心は遥か銀河系まで飛んで行った。


 その後は、ヒカリに言われるままTOは、素直に帰って行った。


 この場は、どうにか事なきを得たヒカリであったが、鍵垢かぎあかとはいえ、なぜ噂だけの恋人の祐天寺自由が、ヒカリを危険に合わせかねない居場所をSNSに発信したのか疑問だ。


 疑問ながらも、ヒカリはすぐに信頼する瞳の顔が浮かび、目の前を通りがかったタクシーに飛び乗った。




 その頃、瞳は、ヒカリのフェイクの住まいに居た。港区ヒルズのタワーマンションの広いリビングで、ヒカリと噂になった男性アイドルの祐天寺ゆうてんじ自由じゆうと肩を寄せ合って、ウォッカを瓶ごと回し飲みして飲んでいた。


「瞳さん、オレ、鍵垢で言われた通りに乗せたけど、何か意味あるの?」


 そう言われた瞳は、ニッ! と笑って「ナイショ!」と甘えて、自由に体を預けてしな垂れかかった。


 自由は、酒に酔った瞳を魅了するように髪をかき上げ、耳元でささやいた。


「ねえ、瞳さん。オレ、今の事務所から独立したいんだ。瞳さんの所なら、日本ドーム公演も控えた人気者のヒカリちゃんも居るし移籍しても、元の芸能事務所からの妨害もないはずなんだ。ねえ、頼むよ」


 ウォッカは、強い酒だ。瞳の目は、すっかり据わっている。


「ヒカリ⁈ あんた、ヒカリに、まだ、興味があるんじゃないでしょうね!」


「ひ、ひ、瞳さん、そんなはずあるわけないじゃないか」


 自由は明らかに狼狽ろうばいしている。


 瞳は、自由を問い詰める。


「あんた、歌番組でヒカリに並んで座った時、鍵垢のSNSのQRコードを渡したでしょう。幸い、ヒカリは、あんたに興味なくて、今回、私が使わせてもらったけど」


 自由は、口元だけの作り笑顔で、瞳の肩を抱いて引き寄せた。


「ビックリしたよ。まさか、ヒカリちゃんより美人の瞳さんが声をかけてくれるなんて、でも、オレは最初から、瞳さんと繋がりたかったんだ」


「フンッ!」瞳は、鼻で笑った。


 自由は、瞳に軽薄な心の内を見透かされたのを悟って、本音で尋ねた。


「でも、どうして、瞳さんは、表でヒカリちゃんと、あんなに仲がいいのに、裏では、そんなにヒカリちゃんを毛嫌いするんだい?」


「私は、怪我さえなければ、ヒカリの才能に嫉妬することも、裏方に回るようなこともなかったのよ!」


 と、言って瞳はウォッカの瓶を振り回した。


 自由は、慌てて、瞳からウォッカの瓶を奪い取りなだめるように言った。


「怒らないで、瞳さん。オレはホントの瞳さんの素晴らしさを知ってる」


「どこよ」


 自由は、瞳の手を恋人つなぎして、呟いた。


「すべてさ」


 瞳は、自由の言葉を疑って眉間を寄せた。


「んん? ホント、証明できる?」


 瞳は、自由を睨みつけながら唇を尖らせキスを要求した。


 自由は、悪酔わるよいした瞳のキスの要求に、優しく髪をかき上げ、手を頭の後ろへ回し、唇を引き寄せた。




 瞳と自由の唇と唇が、触れ合わんばかりのその時、


 ピンポーン!


 ピンポーン! ピンポーン! 


 何度も、インターフォンが鳴った。


 雰囲気ぶち壊しである。このインターフォンの連打に、瞳は、手で払うような煩わしい素振りをして、自分は再びウォッカの瓶を掴んで、自由にインターフォンに出るように促した。


 自由は、立ち上がって、インターフォンのカメラを見た。


 そこには、腕組みしたヒカリが立っていた。


 自由は、腰から崩れ落ちるように、尻もちをついて言葉が出ない。


 酒に酔った瞳が、自由の尻もちに怪訝けげんな表情を浮かべてめんどくさそうに言った。


「さっき頼んだフードデリバリーでしょう。あんた早く受け取んなさい」


 自由は、狼狽ろうばいして、明らかに震える声で返事をした。


「違うんだ……違うんだ……」


 ピンポーン!


 ピンポーン! ピンポーン!


 ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!


「ええい、うるさいデリバリーね。あんた酒に酔いつぶれて動けないなんて、まったく情けない男。私が自分で出るわよ!」


 そう言って、瞳はウォッカを片手に立ち上がって、自分でインターフォンのカメラを見た。


「ヒカリ……」


 その時、瞳の手に握られたウォッカの瓶が滑り落ちた。


 ガシャンッ!


 瓶が割れ、部屋にガラスの破片と、ウォッカのエタノールの消毒液のような臭いが広がった。


 慌てた自由が、どうしたものか、右往左往していると、瞳の酔いが一瞬で醒めたように冷静な声で言い放った。


「そのままでいいから、あんたは帰りなさい。事務所移籍の話は、また、今度考えましょう」


 自由は、瞳に、そう言われても、ガラスの破片が足の裏に突き立つような気がして一歩も動けない。


 瞳は、自由を切り捨てるようにスパッと厳しい声で言い捨てた。


「私は、これからヒカリと一対一の女の戦いがあるの! お前は帰れ‼」


 瞳はそう言い捨てると、ハンガーラックから自由のコートを引っ掴み、尻もち着いた自由に投げつけた。


 コートを投げつけられた自由は、狼狽しながらも立ち上がり、着の身着のまま、ガラスの破片とウォッカの水たまりを飛び越えて玄関口に立ち、振り返った。


「瞳さん、事務所移籍の件、本気で考えてよね!」


うるさい! このクズ男!」


 と、同じくハンガーラックに掛かっていた帽子を投げつけ、自由の背中を突き飛ばして追い出した。瞳は、閉めた扉にもたれ掛かって崩れ落ちた。




 港区ヒルズの一階ロビーで腕組みをし、イライラと指先で時間を刻むヒカリのスマートウォッチが震えた。瞳からのSMSの着信だ。


 ”今すぐ、下へ行く、二人で行きたいところがあるから、ヒカリはタクシーをつかまえてて”


 着信から5分ほどすると、瞳がロビーに降りてきた。


 慌てて身形みなりを整えたのだろうか、長い髪を後ろで簡単にポニーテールで束ねて、いつものキッチリとしたスーツ姿にフォックスフレームの瞳ではない。かなり、ウォッカ臭くはあるが、それでもシャンとして、一緒にアイドルを目指したキッズ時代のように上着は白のTシャツ。下は黒のジャージに靴はヒップホップシューズだ。それに、ラフな防風ジャケットを羽織っている。


 ヒカリは、TOの見つけた鍵垢の主は、自由だと思っている。今すぐにでも瞳に報告して、何か対策を打ちたい。


 ボンッ!


 瞳は、突然、どっしりとした巾着袋きんちゃくぶくろを投げつけた。


「いきなり、なにすんの!」


「ヒカリ、あんたもそれに着替えなさい」


 ヒカリは巾着袋を確かめた。


 ”葛飾ダンススクール”


 ヒカリは、巾着袋をほどいて、中身を確かめると、瞳と同じ練習着に同じシューズが入っている。


「これ、葛飾ダンススクールの練習着じゃない」


 ヒカリが、意味が分からず呟くと、瞳は、いきなりヒカリの手を引いて、表へ待たせていたタクシーに押し込んだ。




 タクシーの後部座席に並んで座ったヒカリは、何度も瞳に話しかけようとするが一切返事をしない。ヒカリが諦めて黙ったのを見計らって、瞳が独り言のように話しだした。


「ヒカリ、私とあなたが初めて出会った日を憶えてる?」


 ヒカリは、自分勝手な瞳の物言いに不満げに口を尖らせながらも答えた。


「葛ダンのキッズの時でしょ。それが、どうしたの? そんなことより、瞳! 先に私の話を聞いてよ!」


 ヒカリの問いかけには、瞳は関心を示さず、また、自分勝手に話をつづける。


「私、ヒカリに何をやっても負けたことないから!」


 瞳に、そう言われたヒカリは、いきなり何を言い出すのだと困惑の表情を浮かべた。


「そんなの当たり前じゃない。瞳は私の憧れの、天才だもの」


 ヒカリの言葉に、瞳の眉間に皺が寄る。


「それが、気に食わないのよ」


 ヒカリは、瞳が何に腹を立てているのかさっぱりわからない。返って、TOの件もある。腹立たしいのは自分の方である。


 ヒカリが、言い返そうとした時、タクシーは、二人にとって懐かしい金町かなまち駅前の雑居ビルの二階、葛飾ダンススタジオの前で止まった。


 時刻は22時。スクールのレッスンが終わって恩師の春川はるかわまいが片づけをしている頃だ。まだ、灯りもついている。


 瞳は、ポケットから一万円札を荒っぽく取り出し、運転手に掴ませると「お釣りはいらないから」と言い捨てて、ヒカリの手を引いてダンススクールに入って行った。




 葛飾ダンススクールは、およそ30平米へいべい、20人も入れば満席のチェーン店のカフェぐらいの広さだ。窓の向かいの壁一面には全身を映す大鏡があり、左右の壁にはウィンドミルをはじめとするブレイクダンスの技の数々が、グラフィックアートで貼られている。照明は明るく部屋の中央にはスポットライトもある。


 一角には、生徒や卒業生のトロフィーなどが飾られ、まだ、中学生ぐらいの頃の瞳とヒカリが、参加したダンス大会優勝の写真もああった。


「あなたたち二人が揃って顔を出すなんて中学校卒業以来じゃない。いったいどうしたの?」


 毎日子供を相手に、自分が手本を見せるダンサーとしてもまだ現役の40歳手前の舞が、スクール時代のレッスン着で表れた瞳とヒカリに目を丸くして尋ねた。


 瞳は、すかっり素面しらふに戻って、目の奥に激しく燃え上がる炎を見せ、舞に言った。


「先生、今日は、ヒカリと真剣勝負しに来ました」


「勝負って何なのよ⁉」


 と、ヒカリは瞳の引っ張る手を振りほどいて尋ねた。


「ヒカリ、私は、もう一度、あなたと真剣にダンスの勝負がしたいの?」


 ヒカリには、突然、瞳が言い出した勝負の意味がわからない。


「おもしろいじゃない。私が育てた天才二人の勝負、10年ぶりに見せて欲しいわ。いいでしょヒカリ!」


 優しい顔した恩師の舞がそう言った。



 ヒカリと瞳が育ったダンススクールの明るい全体照明は落ち、スポットライトが照らされた。


 ヒップホップの心臓の鼓動こどうを刻むようなリズムと、アメリカのダウンタウンのどこか闇を感じさせるサウンドが響き渡る。


 ヒカリと瞳は、スポットライトのもとで交互に、技を披露ひろうする。


 ファンク、ソウル、R&Bのアクロバティックなオールドスクール。

 フロアーワーク、アイソレーション、ターンなど複雑な振り付けが特徴のニュースクール。

 優雅さと力強さを兼ね備えたジャズ。

 強いビートとアップテンポなリズムに乗せて、キレのある動きで、シャッフル、ランニングマン、トゥタッチなどのステップワークを見せるファンクを順番に演じて行く。


 ここまでのところ舞の見立てによると、現役アイドルのヒカリと、マネージャーで一線を離れて長くなる瞳の力は五分ごぶだ。


 そして、最後は、フリースタイルだ。ヒカリが現在いま、自分に出来る最高のダンスで演じきった。


 次は、瞳の番だ。瞳の目はメラメラ燃えている。


 オールド、ニュースクール、ジャズ、ファンクすべての技を出し尽くした瞳が、全身にスポットライトを浴びて立っていた。弾けるような汗の粒は、眩しく黄金に輝いている。


 瞳のダンスにヒカリは魅せられた。気づいたら今日の出来事をすべて忘れて、瞳に心からの拍手を送っていた。


 ウッ!


 瞳が、突然、嘔吐でももよおしたのか、廊下へ向かって駆け出した。心なしか、右足を引きずっている。


 ヒカリは、見逃さず、瞳に駆け寄ろうとした。


 すると、瞳は、手でヒカリを制して、


「酒に酔って、悪いことしたバチよ、気にしないで」


 と、廊下へ消えて行った。


 瞳のいないスポットライトの真ん中に、存在感の影を見せつけられた放心状態のヒカリがいた。


「ヒカリ、瞳のダンスは、最高でしょう」


 そう言って、舞が壁からヒカリと瞳がダンス大会で優勝した写真を持って来て、肩にそっと手をおいた。


「はい、先生、瞳のダンスは私なんかより何倍も美しい」


 舞は、寂しそうにヒカリに語り掛けた。


「そうね、瞳のダンスも、もしかしたら、歌も最高かもしれないわね」


 ヒカリは、疑問の表情を浮かべて舞に尋ねた。


「先生、瞳は、あんなにすごいのにどうして、私と一緒にアイドルになる夢を止めて裏方のマネージャーになったのですか?」


 舞は、顔をヒカリに向けて答えた。


「瞳はね、一度、踊ってしまえば、最低一か月は膝の痛みで踊れなくなるの。歌だけならまだしも、毎日のようにダンスのレッスンに週末のライブで踊り続けることは出来ないの。だから、アイドルになる夢を諦めたのよ」


 ヒカリは、駄々をこねる子供のように舞にすがりついた。


「先生、どうして、そんな大事なことを瞳も先生も私に教えてくれなかったんですか!」


 舞は、膝を折り、ヒカリに視線を合わせてさとすように言った。


「瞳が正直に伝えたら、ヒカリ、あなたはアイドルになる夢を本気で叶えたかしら?」


「それは……」


 ヒカリは、言葉が出なかった。


 舞は優しく、ヒカリを落ち着かせるように頭をなでながら、


「瞳はね。そういう子なの。あの子は素直じゃないから、自分の気持ちをうまく伝えられないの。それでも、おそらく、あの子は、あの子なりに、真剣にあなたのことを考えて苦しんでいたんじゃないかしら?」


 ヒカリは、舞を素直な目で見つめて、


「先生、私と瞳は、親友でしょう。正直に伝えてくれてもよかったのに……」


 舞は、首を振って、


「あの子は繊細だから、小さい頃から、周りの目を気にして、自分を偽って生きて来たの。だから、自分の本当の気持ちを伝えるのが怖いの」


 ヒカリは、真っすぐな目で、舞を見つめた。


「先生、私、これからどうすれば?」


「ヒカリ、もう、瞳や私に頼らず、そろそろ大人になって自分でどうするか考えなさい」


 舞は、そう言うとスポットライトの陽だまりを指差した。




 数か月後――。


 その時を、待つ真っ暗な巨大なステージと、今だ遅しと息を飲む黒山の観客の視線が日本ドームを埋め尽くしている。


 薄暗いバックヤードで、憑き物が取れたような優しい目をした瞳が、試合を待つボクサーのようにHIKARIと書いたタオルで顔を隠し集中するヒカリに、心配そうに「渥美屋」のイチゴ大福を手渡す。


 ヒカリは、瞳からイチゴ大福を受け取ると口に入れ、モグモグと噛み締めて味わう。


「もう、大丈夫? ヒカリ」


 と、瞳はストローを差したペットボトルの水を渡す。


 ヒカリは、ゴクゴクと喉を潤し、瞳に一言こういった。


「瞳、この先のステージは、私一人で昇る。もう、心配しないで、私も少しは大人になったから」


 日本ドームに、イントロダクションが鳴り響き、観客の興奮の歓声が起こる。ピタリと、イントロダクションが止まり、静寂が包んだ。


「Ladies and gentlemen.IT showtime.」

(皆様、ショーがはじまります)




 バックヤードのヒカリは、タオルを脱ぎ払い、瞳に言った。


「私、瞳の夢も背負ってあそこの真ん中に立つわ」


 と、ステージの真ん中を指差した。


 瞳は、大きく頷き、目を伏せて答えた。


「ヒカリ、その前に、一つあなたに謝ることがある。渥美屋に突然、TOが現われたでしょう。アイツが見つけた鍵垢のY.J、祐天寺自由に『ヒカリは浅草に居る』って書かせたのは実は、私なの」


 ヒカリは、ステージを見たまま返事をしない。


 瞳は、すべて話す覚悟を決めた。


「祐天寺自由は、自分の容姿になびくなら、ファンだけじゃなく利用できる女は平気で利用する男なの。だから、私は、ヒカリを守るため逆に利用してやったの。でも、私がヒカリを裏切ったのは事実。この日本ドームのステージが終わったらあなたのマネージャーも事務所も辞めるわ」


 すると、ヒカリは、一言、呟いた。


「瞳、それは、ダメ!」


「ヒカリ……」


 ヒカリは、そう言うと、視線を真っすぐ自分の昇るステージへ向けた。


「瞳、そんなトラブルは、アイドルだからもう覚悟はできている。そんな、ことより……」


 と、ヒカリは瞳に自分の背中を指差して叩くよう要求する。


 瞳は、嬉しそうに笑って、ヒカリの背中を三度叩いた。



 ヒカリは、自信にあふれた笑顔で答えた。


「ありがとう瞳! 日本ドームの階段を昇る私は、もう、今までの私じゃない。あのステージに立つのは生れ変わったシンギュラル・アイドルだから」


 瞳は、尋ねた。


「シンギュラル・アイドル?」


 ヒカリは黄金の笑顔で答えた。


「瞳、そこで、しっかり見守ってて、ステージで答えを魅せるから!」


 瞳は、眼鏡を外して、答えた。


「私の夢は任せた。ヒカリ、日本ドームで輝きなさい!」


 そう言って、ヒカリは、ステージを登る階段を一歩踏み出した。


「瞳、その前に、一つ約束して」


 ヒカリは、ピタリと歩みを止めて振り返った。


 瞳は、首を傾げ、不思議そうに問い返した。


「約束?」


 ヒカリは、そんなの決まってると言った表情で答えた。


「この後、ちゃんと、『ハムスターランド』に、一緒に行こうね!」


 瞳は、目を丸くした。


「ヒカリ、あんた、まだそんなこと!」


 ヒカリは、静かに首を振り、月をも照らす太陽のような笑顔で答えた。


「瞳、ホントに大事なのはそう言うことよ♡」


 そう言って、ヒカリは階段を昇った。




「みんな、さあ、行くよ! LET'S PARTYTIME!」

(最高の夜にしましょう!)


 会場のすべての視線とスポットライトが黄金の笑顔に集まった。



〈了〉


















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『スポットライト:金の微笑みと黒い涙』 星川亮司 @ryoji_hoshikawa

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