第6話 妖女五歌仙(ようじょごかせん)

 なんで私はこんなところにいるのだろうか。


 娃瑙姫は、四人の女性と円を描くようにして座っていた。

 これから、前代未聞の勝負が行われようとしている。



 娃瑙姫のもとに文が届いたのは、十日ほど前のことだった。

 差し出し人は、とある女御(にょうご)に仕える女房で、まったく面識のない人物だった。

 日を決めて数人の女性を交えて会いたい、と書かれていた。

 そこはかとなく、言われた通り来ないと承知しないぞ、みたいな脅迫めいた含みの文面だった。

 父に相談すると、その相手は女房衆のなかでも大きな力を持っているらしい。だから言われた通り行ってこいと命じられた。少々、納得いかない。

 何度か文のやり取りをして、日取りが決まった。梅雨が明けて午月(ごつき:太陽暦七月)の二十一日のことである。

 牛車に揺られて行く道すがら、かなり気が重かった。何をするのか、されるのか、結局今日この日まで何も知らされていないのである。

 腹に巻かれた夕顔の胴体の鱗を、かりかりと爪で軽く引っ掻いた。

 本来ならきちんと正装して、失礼のないように『普通に』行くべきところ、いつもの自分の流儀を貫き通しているのは無言の抗議のつもりである。

 『へびとかげの君』と呼ばれる自分を呼ぶなら、これくらい予想しているだろう。翠とかげの藤壺も膝に乗せている。彼は落ち着きなくきょろきょろとしていた。


「姫さま。別に危ないことはないかと思いますが、なんとなくきな臭いです」


 沙羅が忠告っぽいことを言い出した。意外なことだ。

 それについては娃瑙も薄々勘づいている。だがどうしようもない。出たとこ勝負だ。

 なんの、こっちには師匠ゆずりの妖術がある。夕顔もいるし、沙羅もいる。

 そう考えれば、少しは緊張もほぐれるというものだった。



 白条通りから宮中へ入る手前で右折し、榊間(さかきま)と呼ばれる高級住宅街に入った。

 ここには上流貴族の屋敷がその豪華さと贅を競うかのようにして並んでいる。

 とある家の中庭には、陶磁器でできた太い塔が建てられ、どういう原理でか断続的に水が吹き出て宙に虹を架けている。最新の技術は、いつだって人より先に手に入れたい。そんな虚栄心が透けて見えるようだ。

 とか言って、舞い散る水と光の動きに目を奪われたのは否めない。

 別の家には豪華な飾りつけをされた牛車の車体が、何台も何台もこれ見よがしに整列して並べてある。

 漆塗りの金襴緞子。釘を使わない宮大工の技術で造られた特注品。二台を縦に連結したみたいな長大なもの(内部はさぞかし広くて快適だろう)。そんなに牛車ばかり沢山いるのか、と疑問に思う。一台くれ、と思ってもみたり。

 また大陸や南蛮から連れてこられた珍妙な獣が飼われている家もあった。

 黄色地に黒の縞の入った、ろくろ首かと訝しがるくらい首の長い馬(?)。背に小山のような大きな瘤を二つ持つベロをべろべろさせる牛。短い牙と長く太い触手が頭から生えた巨体の獏(バク)。これだけ揃えるには金が相当かかったはずだ。少々、やり過ぎの感がある。

 これについてはしかし、娃瑙も人のことはとやかく言えなかったりする。蛇やとかげの類いは金に糸目を付けず手に入れているからだ。

 娃瑙姫の乗る牛車は、そういった屋敷のなかの一つへと入っていった。



 屋敷付きの侍女に案内されて、かなり広めの十畳ほどの部屋に通されると、そこには見慣れた親友の顔があった。


「あ、納言ちゃん~」


 羞天姫であった。波打つ金髪をふさふさ、ゆらゆら、こっちへ小走りにやって来る。


「羞天ちゃんも呼ばれてたのいぇ~い」

「そうなの、いえ~い」


 互いの扇子をぱしんぱしんと叩き合い、片方の手でハイタッチ。

 親友同士のお決まりの挨拶。

 いつどこであっても、かまわず行う。たとえ初めて来る誰かの屋敷でも。


「まだほかのひと、来てないみたい。でもよかったぁ、だって知らないひとばっかりだと心細いもん。納言ちゃん来るのずっと待ってたんだよ」

「え、羞天ちゃん。私が来るの知ってたの? 私は羞天ちゃんも呼ばれてたの、たった今知ったところなんだけど」

「そんなの、前もって調べとくに決まってるじゃん」


 あぅ。それもそうだ。

 非はないのに、思わず沙羅を見て咎めるような顔をしてしまった。


「姫さま、気が利かず申し訳ありませんでした……でございますでありますですます」


 必要以上に丁寧な語尾を重ねられた。こういうのを慇懃無礼という。異国生まれの彼女に教えてやろうかと思ったが、やめた。

 夕顔の頭を撫でながら、娃瑙姫は座った。肩には藤壺がしがみついている。

 羞天もそれにならって対面に座り込んだ。娃瑙が正座なのに対し、羞天はぺたりと両足を外側に崩して女の子座りである。


「ねえ、羞天ちゃん、ほかに誰が来るの? 教えてくれない?」

「うん、いいよ。あのね、すごいよ」


 羞天の『すごい』は大抵、少し盛ってある。話半分に聞いておくべきだ。

 だが、それは今回に限って大きな間違いであった。確かにすごい面子であったのである。


「ほかに三人来ることになってるんだけど、まず一人目は、かの大力士、甲斐雪遠(かい・ゆきとお)の妹君、摩利姫(まりひめ)!」

「げっ」


 それは娃瑙姫も聞いたことがある。とんでもない逸話がある人物だ。

 あるとき摩利姫が住む甲斐家の屋敷に強盗が押し入って、彼女を人質にして立て籠るという事件が発生した。

 強盗の男はたった一人だったが、困ったことに妖術使いだった。ずんぐりした虎のような化け物を操り、多くの家々を襲っては金品を強奪している凶悪犯であった。

 強盗は摩利姫を仰向けに寝かして化け物に上から押さえつけさせ、大刀を姫の胸元に突きつけていた。こうなっては検非違使たちも手出しできない。

 固唾を飲んで見守っていた屋敷の従者たちは、いずれ姫が陵辱されるか殺されるのではないかと気が気ではなかったらしい。

 が、そんな事態にはついぞならなかった。摩利姫は自分に突きつけられた大刀の刃を、掌でこするようにしてメリメリと潰していったのである。

 厚手の鋼でできた刀が素手でなまくらにされていく様子を、強盗はいったいどんな気持ちで見ていたであろうか。

 きっと目が点になって、頭は真っ白になっていたに違いない。

 さらに姫は太い腕で押さえつける化け物をそっと下から抱きかかえると、優しげにふんわりと抱擁(ハグ)した。

 術により具現化した化け物は、風船のようにはじけて陰の気へと返っていった。

 そして摩利姫はおもむろに起き上がると、あわてる強盗からなまくらになった刀を取り上げて飴細工のようにぐにゃりとひん曲げ、恐怖で完全に脱力した強盗の片足をつかんで右へ左へブンブン振り回したのち、庭先へぽいっと投げ捨てたのだった。

 力など入れている様子はなく、涼しげに軽~くやっていたらしい。これがうら若い女性の所業とは。まったく驚異的な腕力であった。

 力士である兄、雪遠はこの事件の最中、まったく妹の心配をしなかったと言う。妹姫の神懸かった怪力を知っていたからである。

 彼曰く、「可愛くて強いなんて俺の妹、最高ォッ」と。


「なんでそんな人が呼ばれてるのよ」

「わかんない。けど、どうも五歌仙に選ばれた人みたいね。それじゃあ次いくよっ。二人目は愛する男とその愛人を恐怖のどん底に叩き落とした、曰く付きの女、宮須内侍(みやすないし)!」

「げげっ」


 宮須内侍。その名前自体が、都の怪談(ホラー)であった。

 彼女はとある色男(プレーボーイ)の寵愛を受け、その人に身も心も捧げた。しかし一夫多妻であった頃のことである。相手の色男はまた別の女性を愛するようになり、宮須のもとには滅多に赴かなくなった。

 宮須はもともと情の深い女だったらしい。だがそれは反転すると、執念深い女となる。

 嫉妬、悲しみ、嘆き。そして、怒り。ない交ぜになった負の感情はついに彼女の魂を生霊と変え、距離を無視して男のもとへ現れたのだ。

 その夜、男が通う女の屋敷に、身の毛もよだつ絶叫がこだました。

 深夜というのに、周囲十里の家々に明かりが灯り、念仏を唱える声が道々を埋め、寝ている赤子からもう大きな子供まで寝しょんべんを垂れ流し、犬や猫、鼠に雀といった小動物たちは天敵に追われるように我先にと逃げ去った。

 一夜明け、近くに住む者が恐る恐る屋敷に入ると、そこには白目をむいて口から泡を蟹みたいにぶくぶくさせている人で溢れかえっていた。

 当の男とその愛する女は、髪や服が壁や天井に縫い付けられてぶら下がっていた。

 二人はアヘ顔にも似た抜け作顔を晒し、涎を垂らして放心状態だった。しばらく他人の呼びかけにもまったく答えられなかったとか。

 醜態、と呼ぶにこれ以上ない見本だと噂になった。憑り殺されずに済んだのが不思議なくらいである。

 そんなことをした女性が、この屋敷に呼ばれたと羞天は語るのだ。娃瑙は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 沙羅のほうを見ると、我関せずといった感じである。くるくると肩あたりで切り揃えた銀髪をいじくっていた。


「なんでまた、そんなひとが……。そう言えば羞天ちゃん、さっき五歌仙とか言ってなかった? それどういうこと?」

「え、納言ちゃん、『歌仙番付』見てないの? 今年のもう出たのよ」


 『歌仙』、というのは、もとは和歌の上手な詠み手を指すものだった。

 もちろん今でもそうだ。娃瑙の父、桜井夏野は優れた歌人として三十六歌仙に選ばれるという名誉を得ている。

 しかし、いつしか歌仙という言葉は一人歩きし、今や何かの項目(カテゴリー)でくくった人たちを指すようになった。

 例えば、美女八歌仙とか、和琴十二歌仙とか、蹴鞠二十二歌仙とか、美丈夫六歌仙とか、歌謡舞踏少女四十八歌仙とか、肥満貴族四歌仙とか、口説かれたくない男十歌仙とか、寝たくない男十歌仙とか、嫌いな男十歌仙とか、そんな感じだ。

 そして最新の歌仙番付で、新たな項目が追加されていた。

 名付けて、『妖女五歌仙』!

 そこに、娃瑙姫は筆頭一位で名があがっていたのであった。

 もう、これ以上言うことがあるかっというほどに、娃瑙にとっては不名誉なものだった。

 後ろで侍女がくすっと嗤うのが、ぎり聞こえる。くっそお。


「ええ~、うそでしょう、羞天ちゃん……」

「残念ながら、ほんと。今言った人たちも入ってる。あと、あたしもね」


 羞天姫も入っているのか、とそれは驚きを禁じ得なかった。

 彼女は別段、妖女ではないだろうに。

 自分と付き合っているから世間にそう思われてしまったのかも知れない。なんだか彼女に悪いと思った。

 でも羞天姫はあまり気にしている様子は見られない。天然だからだろうか。


「さて、じゃ、最後の一人。いっくよお。わずか八才にして天に愛された道士、燕角行者(えんかく・ぎょうじゃ)!」

「げげげっ」


 最後は紛れもない、大人物だった。

 女童(めわらべ)のときにはすでに孔雀明王の五大守護法を習得していたという、都きっての超天才。

 前世の記憶を持って生まれ、若くして数十年分の知識と経験をその身に宿しているのだと、まことしやかに言われている。

 真偽の程は、定かではない。あまり人前に出ないのだ。

 絶えず修行に励み、必要とされれば山から降りて宮中の貴族に助言を行っているらしい。

 娃瑙が聞いたところでは、その姿は意外と愛らしいとのことだが。


「そんなひと差し置いて、私は一位になってたのね」

「まあ、納言ちゃん、有名だし。最近、色々と異界絡みの事件を解決して、宮中の覚えめでたいしね。友人としてあたしも鼻が高いわあ」

「うがああ……」


 頭を抱える娃瑙の後ろで、またぷくくっと笑い声がしたのだった。



 するるっ、と。

 襖がスライドした。急に部屋に光が入り込んで眩しい。目元に手をやり、庇を作る。

 そこに一人の人間の影(シルエット)が立っていた。

 紅梅の単衣に、黒く長い髪。ほのかに荷葉(かよう)の香が漂ってくる。

 形容からしても女性に相違なかろう。だがどこか異様だ。

 女性にしては大柄すぎるのだ。

 娃瑙姫は、いや羞天姫も、あんぐりと口を開けてその女性を見ていた。


「あ、あの。はじめ……まして……」


 女性が挨拶をしている。


「あ、あの……」

「はっ!」


 いけないっ、びっくりしすぎて返事が遅れてしまった。


「は、はじめまして。私、桜井家の長女、娃瑙と申します」

「あたしは、椿家三女、羞天です」


 目の前の女性が、部屋の中に入ってきた。大きすぎて、梁に頭をぶつけそうになり、かがんで入った。入ったところでゆっくりと顔を上げる。

 そこで娃瑙は初めてはっきりと彼女の顔を見た。

 ……美人だあ。

 それが嘘偽りない感想だった。

 この人が、摩利姫に間違いない。

 顔も姿も優れていると聞いたが、怪力の印象が強くて今の今まで忘れていた。まさか、こんな見目麗しいおひとだとは。

 真ん中分けの黒髪。細い眉。ふっくらした頬。整った顎の線。ちょっと垂れ目なのもいい。羞天姫も見蕩れて隣で「ほえ~」とかつぶやいている。


「あの……、わたくし、甲斐家の長女、摩利と言います……。よろしくお願いいたします」


 深々と彼女は頭を下げた。下げても頭が娃瑙の目の高さまでしか降りないほど背が高い。

 そして大きいのは背だけではなかった。

 胸が、ハンパではないのだ。

 単衣に収まりきらず、真珠色の胸の谷間を惜しげもなく晒していた。あの媚子もここまで大きくはない。

 また夏で暑いのは分かるが、貴族の女性と思えないほど薄着の単重(ひとえがさね)である。それが見る人に胸を強く印象づけるのに一役買っている。

 だけど何故かいやらしく感じない、はしたなくない。これが普通です、といった感じの、堂々たる立ち姿であった。

 性的象徴(セックスシンボル)というよりも、母性を感じさせるおっぱいである。


「あ、あの……お胸ばかり、そんな見ないでくださいまし……」


 そしてそう、それでいて楚々としているのだ。可憐な美しさを秘めていた。言葉遣いも逸話とは真逆の、おとなしげな性格を思わせる。


「あなたが、刀を素手で潰したひと?」


 羞天が不躾に質問した。摩利姫は気を悪くした様子もないく、「はい」とか細く答えた。


「ところで、娃瑙姫さま、ほんとに蛇を連れてらっしゃるのですね」

「ええ、夕顔って言います。こっちのとかげは藤壺。可愛い可愛い私のこどもたちですよ」

「まあ。えっとでも……間違ってたらごめんなさい。たしか蛇って手とか足とか生えていないと思い込んでいたの。その夕顔さんは、本当に蛇なのかしら……」

「もちろ」


 沙羅が遮るようにぼそっと「ながい、とかげです」と言ったのが聞こえた。

 娃瑙姫、顔を半分ゆがめて苦笑い。摩利姫、きょとん。

 沙羅め~。調子に乗んじゃないわよぉ。


「あ、あたし、美味しいお茶持ってきたの。飲みながらほかの人たちを待ちましょ?」


 羞天が場を取り繕うようにして言った。



 三人無言で座って見合っていると、また来客があった。

 丁寧にお辞儀をし、部屋に入るその姿は、摩利姫とは対照的な線の細い女性だった。

 単衣は萌黄の匂(グラデーション)、表着は同系色の青を着込んでいる。

 娃瑙姫は一目でこの人物が、都の生ける怪談、宮須内侍であると確信できた。

 何を考えているか読み取れない、暗い無味な表情。眠そうな瞳。どこか険のある、への字に結ばれた口元。どれをとっても普通じゃあない。ぴったりと頭に抑えつけるように櫛と髪留めで整えられた黒髪は、整いすぎてかえって人間味を感じさせなかった。

 彼女は抑揚のない声色で挨拶を始めた。


「初めまして、皆様。お初にお目にかかります。あたくし、宮中で女官をしております。通称、宮須内侍と呼ばれております。皆様には『生霊女』と言ったほうが通じますでしょうか。ともあれ」

 暗い、何の感情も窺えない顔から一転、花が咲くようにぱあっと笑顔を見せた。


「よろしく、お願いいたします」


 その急激な変化に、娃瑙たちは背筋が凍るほどの恐怖を感じた。

 沙羅でさえ、後ろでごくりと生唾を飲んだ。

 羞天がおずおずとお茶の湯のみを宮須内侍に薦める。カチカチと音が鳴るのはきっと持つ手が震えているからだろう。


「あ、そんなに怖がらないでくださいな。大丈夫です。今日はおくすりを飲んで気分は安定していますから」


 羞天の艶めかしい桜色の唇から、小さく「ひぃっ」と悲鳴が漏れた。異界の妖怪相手に友達になるような女が、心底怯えていた。

 しかし羞天はいつまでも物怖じするような女ではなかった。

 茶を勧め、自分も茶を飲み、落ち着いたところで、羞天は宮須に対して宮仕えのことなどを積極的に聞き始めた。

 宮須内侍は、印象よりも柔和でよく喋った。むしろ摩利姫のほうが寡黙であった。


「羞天姫さまは、宮仕えに興味がおありですか?」

「おおありですよお。だって、公任さまとか、素敵な殿方に出会える機会が格段に増えるじゃないですかあ」


 目を星のように瞬き輝かせ、両手を組んでどこかの宙を見つめて言った。その視線の先には公任さまとかいう男性を始め、まだ見ぬ将来の恋人たちとの妄想絵巻が映っているのであろう。

 羞天の頭には、多分そんだけしかない……とはちょっと言い過ぎか。

「宮須さんは今、恋人はいらっしゃるんですかあ」

 目を剥いて娃瑙は羞天を見た。首がぎゅんっとすごい速さで羞天のほうへ曲がった。

 摩利姫も、沙羅も、顔の血色がすうーっと白くなった。

 あ、あほかっ。羞天ちゃん、あんたあほなの?

 想い人とその相手を生霊で社会的に殺したことは知ってるはずではないか。思いっ切り地雷だよ。どうするのよ、これっ。

 天然の羞天は、あれ? という顔で娃瑙を振り返った。本当に気付いてないの、あんた。

 宮須が淡々と答えた。


「今は残念ながら恋人と言えるひとはおりません。でも恋をあきらめたわけではないです」


 ふうぅ~っと、羞天を除く全員から安堵の溜息が漏れた。よかった、怒ってないみたい。


「恋は」


 宮須内侍の声が急に低くなった。


「嬉しいこともあれば、……悲しいこともあります」


 やおら、ぐっと宮須は左手を上に向けて拳を握った。


「でも、いつか魂の半身を、必ずや見つけて! あたくしは幸せになってみせます!」


 おお~っとみんなの口から歓声が上がった。ぱらぱらと拍手が起こった。

 娃瑙はひとまず安心した。ただ、あとで羞天にはよぉく言って聞かせなければなるまい。


「でも万一、半身となった殿方があたくしを捨てたら、四肢をばらばらに引き裂いて祐善寺の水路閣に放り込んでやります!」


 ぴしっ。

 宮須を除く全員の動きが、金縛りにでも会ったが如く固まった。



 四人が座って最後のひとりを待っていると、縹(はなだ)色の袿姿の童女が入ってきた。

 見た目、男の子のようにも見える。屋敷付きの子であろうか。

 その童女は全員の前に進み、きちんと正座して座るとあどけない顔を上げて見せた。

 ぐるりと四人の女の顔を順番に見ていく。途中、娃瑙を見るときだけ、ぎろっと睨まれたような気がした。

 あれ? あんな小さな子に嫌われる覚えはないんだけど。


「これで全員、おあちゅまりですね。では、これから皆様方との懇親会を、開催ちたいとおもいましゅ」


 舌っ足らずの口ぶりと、大人びた話し方がちぐはぐでなんだか可愛らしい。


「え? いやまだもうひとり来てないわよ」

「それにあなたが仕切るの?」


 娃瑙、羞天、宮須、沙羅が、その童女を注視した。


「申ち遅れまちた。あたちは燕角。『行者』という肩書きを乗せられることもありましゅ」

「えっ、えええっ!!」

「しゅいません、実は主催者の女房は今日、来られないそうでしゅ。代わりにあたちが取り仕切るように頼まれまちた。皆さんに、ちょっとちた提案があるそうでちゅ。ここではなんですので縁側に出てお話ちましょう」



 この屋敷、望月家の数ある邸宅の一つらしい。

 望月家は三高家の一角を担い、かつては並ぶものなしの強い政治力を持った家系であった。だが数年前の政変で権力の中枢から追いやられてしまい、今はやや落ち目になっている。この望月家の当主こそが、夜禮黎明が言っていた『むーむー』こと望月宗像、元太政大臣である。

 黎明はいったいどんなグチに付き合わされているのやら。

 ともあれ、この屋敷は豪華だった。

 煌びやかというよりは慎ましやかな、控えめな美を内包している。

 広い縁側は朱色に塗られた木組みで、香裳川から引いた運河の上にせり出していた。おかげで風が涼しく、快適である。そばに植えられた柳も風情があっていい。

 そこで五人の妖女たちが日傘のもと、茶と菓子を頬張りながらお喋りに興じていた。

 しかし、あらためて見るとすごい面子だ。都ではほかにいない金髪碧眼の羞天姫が、霞んで見える。蛇が絡みついている娃瑙姫も、このなかでは普通の女子のように振る舞えた。

 しばらく歓談したあと、再び燕角行者が話を切り出した。

 ここでようやく娃瑙たちは、何故自分たちがこの場に呼ばれたのかを知ることになった。


 勝負をしろ、というのである。


 都で噂の妖女五歌仙。誰が一番すごいのか、それを決めるようにとのお達しであった。

 馬鹿馬鹿しいと思いきや、本当にそれは馬鹿馬鹿しい適当さだった。

 勝負はそれぞれ当事者が決めてよい。勝敗もまた然り。

 つまりクソ真面目に勝負をするのではなく、きゃっきゃうふふと遊びながら勝負事をして楽しんで頂戴ね、ということなのだろう。

 なにゆえ宮中の女房がそんなことを我々に言い出すのか。まったく意味不明である。わざわざ望月家の邸宅を使うのも分からない。

 ひょっとして本当の主催者は望月家の人間なのだろうか。


「勝負の方法は、みなさんにお任せで。五人いるので総当たりで勝負ちて、一番勝ちの多い人が優勝となりましゅね。優勝者には望月家から賞品も用意されているそうでちゅよ」


 わ~いと素直に喜んだのは羞天だけだった。



 かくして、前代未聞の妖女対決の火蓋が切って落とされた。

 娃瑙姫の第一戦の相手は、摩利姫である。

 摩利姫は女性ながら角力(すもう)を勝負の内容とした。さすが力士の妹である。

 屋敷の中庭に、棒きれで線を引いただけの即席の土俵を書いた。

 その昔は女性の力士も実在した。力女と言ったらしい。摩利姫がもし深窓の令嬢でなければ、立派な力女になっていたやも知れぬ。

 その摩利姫は、土俵の真ん中で無防備にただつっ立っていた。


「無理だって、荒事なんてやったことないし、大体摩利さんに敵うわけないじゃない!」

「なにを、ごちゃごちゃと」


 尻込みして後ろずさる娃瑙の背中を、沙羅はぐいぐいと押している。


「いやいや、いやだって。怪我したくないもん」

「手加減してくださいますよ、きっと」

「夕顔だっていないし」

「蛇巻き付けて角力とる人がどこにいますか」

「わ、私、不戦敗っ。それでいいっ」

「摩利姫さま、待っておられますよ。失礼でしょうが」


 沙羅は片足を娃瑙の背中に当てた。


「いいから、さっさと」

「沙羅ちゃん、なにをっ!?」


 どーん、と蹴り飛ばした。


「ふああああああっ!」


 あ、あんの侍女! 不届き者ぉっ! 雇い主を足蹴にしおったぁっ!!

 たたらを踏んで土俵内に入るや、摩利のふくよかな胸に頭から突っ込んでしまった。

 むにゅっ、と顔が胸の谷間にめり込む。やわらかく、それでいて弾けるような感触。


「ご、ごへんまはい」


 謝った声が変にくぐもった。

 出ようともがくと一層めり込んで顔が抜けない。しっかり嵌まり込んで、両のほっぺが摩利の体温でじっとりと温かい。


「あの……実はですね……」

「す、すひまへん。ひま、ろきますはら」

「表向き、掌で刀を潰したことになっているのですが……本当は、御乳で挟んで潰したのです」


 ………………え?


 ぞぞぞっ! うなじの毛が総毛立った。


「御乳はわたくしの武器でもあり、鎧でもあるのです。では、失礼します」


 摩利姫は娃瑙姫の両脇に手を差し込み、勢いよく後ろへ反り返った。


「そーれっ」


 妙に軽い掛け声とともに、天高く放り投げられる。


「『乳挟み襷反り(ちちはさみ・たすきぞり)』! わたくしの得意技です」

「ひぎゃあああっ!」


 娃瑙は、土俵の真上に伸びる梨の木の枝に単衣の襟が引っかかって、ぷらりん、とぶら下がる形になった。

 そしてそのまま落ちてこない……。

 沙羅が困惑気味に摩利姫に話しかける。


「これは、どう判定したらよいでしょう」

「そう……ですね。たしかに膝から上が土に着いたわけではないですし、かと言って土俵から外へ出たとも言い難いです」


 まあでもやっぱり負けでしょう、と二人で勝手に話をつけた。


「おーろーしーてー」


 娃瑙姫は照る照る坊主のように、為す術なく木の枝にぶら下がっているしかなかった。



 第二戦の相手は、宮須内侍だった。

 今度は自分が得意な分野で勝負しようかと思っていた。最初に言い出せなかったのは、彼女の持つそこはかとなくおどろおどろしい雰囲気(オーラ)に圧倒されていたからかも知れない。

 一糸の乱れもなく髪をぴしりと頭の線に沿って流し付け、仄暗い目で娃瑙のことを見ている。心の内を見透かさんとする目である。端正な顔付きは、冷淡にも見えた。

 これがさっきのように突然笑ったりするのだから恐い。人が変わって見える。

 娃瑙は宮須の目力に負けて、そろ~っと後ろを向いた。

 そう言えば、ほかの女性たちはどうしているのだろうか。

 摩利姫は燕角行者と蹴鞠をして遊んでいる。あれが二人の勝負なのだろうか。ひとり余った羞天は座りながら肩肘をつき、何か思索を練っているようだ。

 一応沙羅も見てみたが、夕顔にエサの蛙なんかを与えている。


「娃瑙姫さま、あなたさまのお噂はかねがね聞いております。なんでも蛇やとかげを自由に操れるとか。勝負の内容ですが、それを踏まえてこういうのはどうでしょう」


 よそ見をしている内に、先に提案をされてしまった。

 宮須内侍の案は、遠くにある物をこの場から動かずに取ってくる、というものだった。


「い、いいですよ。それで。でも、私は眷属に行かせればいいとして、宮須さんはどうするんですか」

「どうするも何も、生霊を飛ばせばいいのです。正確には魂魄遊離の術と言うらしいです。今日は体調もいいですし、うまくできると思います」


 宮須内侍は半目をぱちりと閉じると、一回大きく深呼吸した。


 ごぼり、ぐばあっ。


 何か迫り上がってくる音が、宮須の喉元から聞こえたかと思うと、口を割って白く濁ったものが大量に湧き出てきた。


「ひいっ」


 それは口を通り越し、鼻から、さらに目から、耳からもこぼれてきた。

 ぐぼぼぼ、にゅるっ、がぽっ、ぐしゅり。

 顔面の穴という穴から、白濁したゼラチン質の得体の知れないものが吹きこぼれている。


「んぎゃあああああーっ!」


 娃瑙は初めて知った。

 人間、本当に恐怖したときは、体が動かないのだということを。

 『へびとかげの君』のくせに、さながら蛇に睨まれた蛙のようであった。

 宮須内侍から吹き出た白いぐにょぐよした物質は、不定形のままふわりと宙に浮き、ゆっくりと宮須内侍そのひとの形に変化していった。


「うまくいきました。あらあら、生霊は初めてご覧になりますか」


 喋ったのは宮須本体ではなく、こぼれ出た生霊のほうだった。

 彼女は腰を抜かしている娃瑙の前で、庭の砂に指で絵を描いた。絵はどうやら都の簡単な地図のようである。

 この生霊というのは単なる幽霊とは違い、人や物体に直接影響を与えることができる。喋れもするし、触れもする。物理的にこの世に存在しているのだ。

 宮須のエクトプラズム、もとい生霊は地図の一ヶ所を指さした。


「ここの屋敷にある百合の花を一輪、取ってくることにしましょう。それでいかが?」

「わ、わかりましたあ」


 娃瑙は翠とかげの藤壺を抱え、その額に右手を置いた。『虫繰り』の一つで眷属と感覚を共有する技である。

 これは眷属によって向き不向きがあるようで、最終階層まで契約した夕顔でもあまり上手くいかない。藤壺が一番向いていた。

 娃瑙は藤壺の額に右手を置いたまま、珠詞(たまことば)を唱えた。これ自体に意味はなく、あらかじめ決めた契約遂行の合図である。


「これで私も準備できました」

「では、始めましょう」


 宮須内侍の生霊は、傍目には生きている人間そのものであった。だが、音もなくすーっと歩き、やがて靄のように消えた。

 娃瑙は焦った。とかげの藤壺はそんなに動きは速くない。

 ふと見ると、宮須の本体はくたっと前屈みに倒れ込んで、まるで疲れて昼寝しているようでもある。「うふふ、○△さまぁ……」と寝言のように呟いていた。その寝顔は正直ちょっと気持ち悪い。

 娃瑙は一心に念じ、藤壺を走らせた。大きなとかげであるが、小道や家の屋根などを進めばほぼ直線距離で目的地まで行けるはずだ。

 意識を集中していると突然、後ろで「きゃっ」と声がした。

 何かと思えば、驚くべきことに摩利姫が土俵の上で尻餅をついている。

 あの怪力無双の摩利姫が、である。しかも相手は二回りどころか三回りも小柄な羞天姫だった。しかし状況が妙だ。

 なぜ角力なのに、勝った羞天は摩利の真後ろに立っているのか。


「ああ、参りました。慢心しておりました」

「うっはーい。勝ったぁ~」

「うおい、ちょっと待てい。羞天ちゃん」


 親友から勝利の余韻に水を差され、羞天は、ん? とリスかウサギのようなつぶらな瞳をぱちくりさせた。

 その所々跳ねた金髪のなかに、ギョロっとした目玉が二つある。


「羞天ちゃん、その子、連れてきてたの」

「うん、前に納言ちゃんにもらった『雲居』ちゃん」

「まさか、それ」

「うん。だって、ふつうにやったって勝てるわけないしぃー」


 負けた摩利姫は、大きすぎる胸に翻弄され、右へ左へとよろけながら立ち上がった。お尻についた砂を手で払う動作だけでも胸がたゆんたゆんと波打った。


「びっくりしました。ハッケヨイで急に羞天さんの姿が消えたかと思えば、あちこちから粘っこいものが体に触れてくるので気持ち悪くって……。手で払ったらそれを狙ったかのように後ろから膝をこづかれてしまって」


 羞天が「こうよ」と言って、腰に両手を当て、足を揃えてかくっと膝を曲げてみせた。

 つまるところ、膝かっくんである。


「それはまあ、いいわ。作戦勝ちということで。摩利さんも納得してるならね。でも、私が聞きたいのはそういうことじゃないの」


 どうして姿を消したりできるのか。雲居は今やただ珍しいだけの異国のとかげだ。羞天はこの子の能力は使えないはず。ところが羞天はこともなげにこう、言ったのだ。


「ね、納言ちゃん、聞いて聞いて? あたしね、ときどき、この子と気持ちが通じ合うの。そしたらね、なんかぐるう~って全天見渡せるし、姿を景色に溶け込ませることができるの。それにね、手の届かないところにある物もベロで取ってもらえて、とっても便利!」


 め、目眩がする。これはさっき、たった今自分が藤壺にかけた技とおんなじではないか。自力でこの術を習得したというのか?

 しゅ、羞天ちゃん。あなた……、おそろしい子っ!

 娃瑙姫は悔しさと驚きを込めた表情で、片目をぴきーんと光らせた。



 宮須内侍の本体が、寝っ転がったままぴくぴくし始めた。何かと思いきや、涎を少し垂らしてにやついている。すごい恐い。

 じきに娃瑙姫にも現場の様子が見えてきた。どこの屋敷だろうか。門構えからして上流貴族のようだ。

 壁を爪でよじ登り、番犬を威嚇して退散させ、こっそり邸内へ侵入した。

 藤壺はかなり大きなとかげで翠色も鮮やかなので、人が来たら一発で分かってしまう。悲鳴でも上げられたら厄介だ。目指す百合の花は庭には生えておらず、奥まった部屋のなか、白磁の花瓶に活けてあった。

 部屋に入るとそこにはすでに宮須内侍(の生霊)もいた。

 だけど何故か花には目もくれず、畳まれた布団を眺めて息をはあはあしている。

 娃瑙は藤壺を通して彼女に語りかけてみた。


「宮須さん、宮須さん、何をなさっているのです?」

「え、え、ええ。これ、桐原業平(きりはらのなりひら)さまのお布団でございますよっ! こ、これが興奮せずにいられましょうかっ! はあはあ。あああ、業平さまあ~っ、お慕い申し上げておりますっ。業平さまなりひらさまなららりるれれろ」

「ちょ、ちょちょちょっ。落ち着いて、宮須さん、心を鎮めてっ」

「ふーはー、ふーはー。ああ……。またやってしまった。でも仕方ないです。恋はいつだって荒ぶる御霊。そうでしょう? 娃瑙さま」


 そうでしょう?

 そうでしょうって、同意を求められても困るんですよお。


「と、とにかく、さっさと百合の花を一輪頂いて帰りますよ」

「何をばかなっ」


 がばっ! と、さっきまで寝ていた宮須本体のほうが起き上がった。


「~~っ!!」


 娃瑙は悲鳴も出なかった。

 白目を剥いて、口からは涎が断続的に垂れている。その状態で本体のほうが直接、娃瑙姫と受け答えをし始めたのだ。

 その面体はあまりにひどく、正視できないほどであった。

 うう~、夢に出そう。今夜、眠れないよう……。


「は、花など、もはやどうでもよいのですっ! せっかく危険をおかしてまで入った業平さまのお屋敷。何か、何か業平さまの痕跡を残すものを持って帰らねば。そう、袴は、袴はありませんか。あ、あの箱などにありそう」

「だめえっ、落ち着いてえっ。お願いだから、宮須さん落ち着いてえええっ!」


 藤壺を操って宮須の生霊にぴょんと飛びかからせたが、するっと通り抜けてしまった。

 娃瑙の後ろから、したり顔で燕角行者が説明する。


「生霊はでちゅね、自分からは触れられるけど、ほかの人からは触れられないの」


 そんな理不尽な。


「み、宮須さん、そんな、袴なんてどうするんですか。ね、花だけにしましょう?」


 娃瑙姫はもはや、必死。

 花ひとつくらいならまだ許してもらえるかも知れないが、服までとるのは駄目だ。花だけでも泥棒になるかもしれないのに、それ以上はまずい。


「殿方の袴をどうするのかですって? そんなもの決まってるでしょう! こう、顔に押し当てて、くんかくんかするのですっ。どんなおくすりよりも夜、よくねむれます!」


 言い終えると、かくんと糸が切れたように倒れた。

 一部始終を眺めていた摩利姫が、宮須の本体に当て身を喰らわせたのだ。

 娃瑙姫の脳裏に浮かぶ遠くの景色では、宮須内侍の生霊が泡になって消えていくのが見えた。

 ……もう、あの屋敷に用はない。藤壺は帰還させよう。


「で、ええっと、勝敗は?」


 短く燕角が答える。


「引き分け」



 第三戦は、羞天姫だった。

 目を覚まして気付け代わりに濃いお茶を飲まされた宮須内侍も復帰した。

 彼女は「ご迷惑をおかけしました」と言うものの、ほんとに悪いとは思っていなさそうである。どうもこれは本気で危ないお方のようだ。

 涎まみれの口元もきっちり拭いて、乱れた髪もきれいに整えて元通りの頭ラインぴったし。表情だって、何もなかったかのようなすまし顔。

 気分の切り替えが早いのはいいのだが、平静からの変化が激し過ぎるから油断できない。

 さて、羞天が提案した勝負であるが……。


「ひとりひとり勝負するの面倒だから、全員でなにか遊んで決めない?」


 羞天姫はお遊戯(ゲーム)をしてその順位でお互いの勝敗を決めようと言うのだ。例えば、羞天が一位なら全員に勝利、二位なら一位以外に勝利、といった具合になる。


「ね、『古今東西』って知ってる? あのね、お題を決めて順繰りに答えていくの。答えられなかったら負け。勝負を早く決めたいから、待ったはなしにしよ」

「おもしろそうね」「あの、それで……いいですわ」「了解しました」「いいでしゅ」


 全員の同意が得られたところで、さっき燕角が蹴っていた鞠を手に取った。


「みんなで車座に座って、この鞠を回していくの。鞠を渡されたら、お題に答えるのよ。鞠を持って十秒で答えられなかったら負けね。回し方は、右回り。最初はあたしでいいかな? お題はどうする? みんな、なにかある?」

「羞天ちゃんの勝負だから、羞天ちゃんが考えたらいいよ」


 みな、娃瑙の言葉に賛同した。


「ありがと。じゃ、『古今東西』って掛け声したあと、お題を言うね。今はまだ内緒」


 羞天姫はふふっと笑った。雲居が肩につかまって長い尾を彼女の腕に巻き付けている。


「じゃ、円になって座って。用意はいーい? いっくよ~」


 羞天姫は、しゃんしゃんと手拍子を打った。


 こ、こん、とう、ざい!


「ひ・わ・い・な、ことば!」


 ん?


「あ、まちがえた。えっちなことば!」


 いや、羞天ちゃん、変わっとらんよっ!

 娃瑙は親友の顔を見た。真剣だった。え、ふざけてるわけじゃない!?


「沈子香(ちんすこう)っ!」

「うふふ……障子の穴」

「……お、おしくらまんじゅう」


 鞠は小気味良く、右回りに渡っていった。それに合わせて答えも上がる。

 鞠は娃瑙の手元に渡された。


「え、ちょっとちょっと!?」

「はあ~い。じゅう、きゅう、はち」


 なんなのこれ? なんなのぉっ?


「って言うか、これまでの答えってありなの?」

「あり、じゃないかな。みんな嗜好(フェチ)をよく分かってるわあ」

「え、いや、えっちなことば、だよね。だったら、ほら、さあ」


 『蛍観音蕾開』で読んだ内容には、もっとすんごいことがいっぱい載っていた。

 いや、そうか。直接的なことなんて言えるわけがないのだ。だからみんな、あえて少し外して言ったのだ。


「えええっと、ああっ、なん」

「さーん、にー、いーち。ぶっぶー。納言ちゃん、負け~」



 全敗と言っても過言ではない、惨憺たる結果だった。

 優勝は望めなくとも、一勝くらいはしたい。純然たる思いで勝ちたい。

 しかし最終戦の相手は、燕角行者だ。正直、勝ち目は薄そうだ。


「娃瑙姫さま。見ていゆと、娃瑙姫さまはご自分で勝負の内容を決めてないようでちゅが。よろちければ、あたちとの勝負、好きな内容で良うございましゅよ」


 燕角は気を回してくれた。然もありなん。噂が真実なら、本来は遙かに年上の方である。


「お心遣いありがとうございます。でも私、こうなればいっそお相手の方が決めた方法で勝負をしたいと存じます」

「そうかえ。じゃあ、ほかの者たちと同じ、蹴鞠にちよう」


 蹴鞠とは、貴族の男たちに人気のスポーツだった。

 決められた範囲で、鞠を一定の高さ以上に空へ蹴り続ける。その回数を競ったりする。

 女性は普通、蹴鞠はしない。娃瑙は実は経験者なのだが、それはこどもの頃の話だ。

 燕角がこれを勝負に選んだのは意外と言えば意外だ。燕角は厳しい修行に身を置く修験者である。自分にとって有利な勝負なら、いくらでもあるはずなのだ。


「あたち、前世の記憶があるの。前世は男で、蹴鞠は得意だったのね」


 ああ、なるほど、と納得した。しかし本当に前世の記憶を保持しているのか。

 娃瑙は、燕角と蹴鞠をし始めた。燕角は動きやすいようにか、男の子用の童水干(わらわすいかん)に着替えている。

 本来多人数で行う蹴鞠だが、二人だけなので向かい合って行う。この場合、自分の陣地に鞠を落としたほうが負けである。幼女姿の燕角を相手していると、なんだか小さなこどもと遊んであげているような感覚になる。


「お、娃瑙さま、なかなかお上手でちゅね」

「小さい頃に、幼馴染みの男の子と一緒によくやったものです」


 幼馴染みの伊周。書や楽器、和歌より、体を動かすのが好きな男の子だった。

 ぽーん。ぽーん。

 鞠が宙を飛ぶ。放物線を描き、お互いの足元に落ち、それをまた蹴る。どちらもまだまだ落とす様子は見られなかった。

 何度リレーしただろうか。鞠を蹴りながら突然、燕角が追加の提案を出してきた。


「娃瑙さま、これでは勝負がつかないでしゅ。少々、乱暴に行きまちぇんか」

「と、言いますと?」

「こうちましょう。前栽(花壇)の外側に外れない限りなら、鞠をどこへ蹴ってもよし。思いっ切り蹴ってもよし。術もあり。先に鞠を落としたほうが負け」


 鞠を蹴り返す。ぽーん。また燕角は話す。


「術もですか? それは楽しそうです」


 鞠を蹴りつつ、娃瑙は夕顔を呼び寄せた。藤壺はさっき働いてもらったので休憩中。

 燕角が少し後ろに下がった。その手にはいつの間にか鳥の羽根を一枚持っている。先っちょに目玉のような紋様を持つ、美しく長い羽根。――孔雀の尾羽だ。

 鞠を娃瑙のほうへ蹴り上げるや、童女の仮面を脱ぎ捨てて鋭い形相で叫んだ。


「それじゃあ、遠慮なくいきまちゅよっ! 護法の一、いずちりみたり!! 地に縫い止められちまえっ!」


 孔雀の尾羽がぽおっと淡く光って消える。


「んなっ」


 突然、娃瑙の左足が地面に貼りついて離れなくなった。力を込めてもびくともしない。あわてて右足を伸ばして鞠を蹴る。

 それを軽く受けながら、燕角が再び孔雀の尾羽を取り出した。


「それ、もういっちょ!」

「ゆっ、夕顔っ!!」


 声に応じて、主の代わりに夕顔が尻尾で鞠を跳ね上げる。飛んでくる矢すらはたくのだから、これくらいは朝飯前である。

 しかし、娃瑙の左足が完全に地面にひっついて動かない。

 燕角は髪に挿した簪を引き抜いた。吉祥果(ザクロ)をかたどった血のように赤い簪だ。その簪をゆっくりと目の前で回し始める。


「まだまだでちゅよぉ、護法三、のうがれいれい、くらべいら!! 来たれよ、ねむけ、めまい、はきけ、いきぎれっ!」


 いきなり娃瑙は頭が朦朧としてきた。周りがぐるぐる動いて見える。全力で走ったあとのような息切れを感じる。どうやらたちの悪い術をかけられたようだ。

 うぷっと、口を押さえてしゃがみ込む。

 鞠は夕顔が尻尾で返したが、その動きにキレがない。燕角の術が夕顔にも効いているのか、はたまた自分と契約しているせいで不快な感覚が逆流したのか。


「あ、あのっ! ちょっと、本気すぎませんかぁっ!?」

「ええ、本気でち。そえが何か?」


 燕角は明らかに敵意を込めて鞠を蹴っている。初対面時に睨まれたのは気のせいではなかったのだ。なにがしか、娃瑙に対して思うところがあるようである。

 娃瑙は息切れで苦しくなってきた。目も疲れてきた。何もしないのに神経がすり減っていく。もはや鞠は夕顔が自分の判断で受け返していた。人間よりもこの術に耐性があるようで、まだしもまともに動けるようである。

 そうやって返す鞠を、燕角は娃瑙目がけてぶつけるように蹴ってくる。


「落としてちまえば、楽になりましゅよ~。あのでしゅねぇ、今だから言いまちゅけど、前世であたち、夜禮黎明と競い合ってたの」


 それは初耳だ。以前、黎明は『燕角のガキんちょ』によくちょっかいをかけられると言っていた。二人は前世から続く因縁の関係だったのだ。


「結局あいちゅに一度も勝てないまま死んでこんな童女に生まれ変わり、しかも少しずつ前世の記憶も薄くなっているのでしゅ。あたちのこの悔ちさ、分かりまちゅか? せめて、黎明の弟子に勝たなければ気が済みまちぇんっ! そういうことでちゅよっ!!」


 娃瑙は聞いていた。ちゃんと。でも、酸欠で脳がくらくらして、あまり頭に入ってこなかった。唯一分かったのは、妙な敵愾(ライバル)心をぶつけられている、ということだ。

 転生してまで、気の長い話である。

 燕角が、ひときわ強く鞠を蹴った。鞠は天空を貫くように飛んでいき、空の色に溶けて消え、とうとう肉眼では見えなくなった。

 あの高さから落ちてくる鞠はかなり速いはず。今の自分と夕顔では到底、受けられないだろう。

 ……いや、あきらめちゃ、だめだ。

 娃瑙は大きく一回、深呼吸をした。負けられない。この勝負だけは負けられない。

 もはや自分だけでなく、師の夜禮黎明の名もかかっているのだ。


「まだやる気でちゅか? むだでしゅ、孔雀は蛇を喰らうのでち。そーれ、だめ押し! 護法の九! そだめとそてい、ひいらめら!! 我が身よ、飛行せよっ」


 今度は蓮華の花冠を懐から取り出して、頭の斜め横に括り付ける。

 飛行術!? 蹴鞠でそれは反則だろう。どこへ蹴っても追いつかれてしまうではないか。

 させるかぁっ。

 娃瑙は『虫繰り』の最後の階層、それをほんの触りだけ使ってみることにした。こそっと珠詞を唱える。

 娃瑙の胴体が蛇のようにぐにゃりと伸びた。

 重ね着した袿を次々と脱皮するように脱いで単衣一枚のままで伸び上がり、空へ飛び上がった燕角に抱きついた。

 「へぶっ」そのまま顔面から落ちる燕角。可愛らしい顔に土を付けて、変な声を上げる。


「な、なんで、動ける……ので……ちゅ……か……んんっ?」


 娃瑙の左足はいまだ地面にへばりついたままである。胴だけが異様に伸びていた。

 はっとして驚いた顔の燕角。してやったりと得意げな娃瑙。

 いけない、得意になってる場合じゃない。はやく解かないと。でも、あともう少しだけ。

 娃瑙は燕角に抱きついたまま、ぎっと目に力を込めて彼女のぱっちりした瞳をのぞき込んだ。その瞳には、自分の瞳が反射して映っている。

 爬虫類独特の、縦長に切れた目。見る者を射竦める、蛇の魔性の瞳である。

 「術を、解け」と命じると燕角の体がびくりと戦慄き、途端に娃瑙の気分は軽くなった。足も地からぺりっとはがれる。


「…………あっ、あああっ、しまったぁああっ」


 慌てふためく燕角。だが後の祭りである。

 珠詞を逆さに唱え、体の仕組みを元に戻す。一瞬だったから、まあ特に問題ないだろう。


「よおし、夕顔! きをつけぇっ!」


 間髪入れず娃瑙は夕顔の首にしがみついて、地面に対して垂直に立たせた。

 伸び上がる大蛇とともに、高所へ引き上げられる娃瑙。

 夕顔の全長はおよそ十二尺(約三メートル半)あり、尾を地面に支えて真っ直ぐ伸びれば、さながらそびえ立つ尖塔である。

 夕顔の頭の上に這い上がって空を見上げると、先ほど燕角によって天に上げられた鞠がちょうど落ちてくるところだった。

 好機・到・来!!


「いっくよーっ!」


 空中高くから加速をつけて、鞠を燕角目がけて蹴り飛ばしてやる。

 蹴鞠は一定の高さ以上、鞠が上がっていればいいのだ! 問題はない!

 こんな高くから蹴った鞠、様々な術を習得している燕角だってさすがに拾えまい。

 遠目でも燕角がたじろいでいるのが分かる。うふっ、ざまあ。


「せぇのっ!!」


 娃瑙は夕顔の頭に乗ったまま、逆立ちしてひっくり返った。

 袴の裾がめくれそうになって実にはしたない格好だが、今は気にしていられない。

 眩しい夏の陽光と重なり、娃瑙の足が黄金色にきらーんと光る。

 その格好で足を振ると、空中の鞠に的確に当たる。それは一筋の槍となって急角度で一気に地面へ突き刺さった。

 対応しにくいと思われる、高度からの急角度の蹴り。

 勝ったと確信した。

 それが油断となった。燕角は護法陣の障壁(バリア)を組んで、鞠を直前で跳ね返してきたのだ。


「倶縁果(ぐえんか:木瓜の実)の衣被香(えびこう)よ、力を貸し給え! 護法の四、のうもたらまや、くどきやうか!! 見えない壁となりて我を護れっ」


 予想外の反撃に娃瑙の対応が遅れる。


「ぐむっ!? むぎゃっ!!」


 ばむ、ばむっ!!

 鞠は唸りをあげて跳ね返り、娃瑙の頭に当たったあと何度か跳ね続けて……。

 あろう事か夕顔の口にばぐっと直入(ホールイン)した。


「ありゃっ?」

「いったぁ~。わわっ、夕顔?」


 ごくん、と鞠を呑み下す夕顔。


「あ、呑んだ」

「呑んじゃった……」


 遠くのほうで、ごーんと夕刻を示す寺の鐘の音が響いた。カナカナカナ~と比久良之(ひぐらし)の鳴き声も聞こえてきた。



 結局、勝負は引き分けになった。

 夕顔が呑んだ鞠は苦労して吐き出させた。

 吐かせる際にみんなが手伝ってくれたが、摩利姫は悪気なく「尻尾を持って振り回せば出るかも」と物騒なことを言い、宮須内侍は「蛇も指を喉の奥に入れて、げーってやれば吐くかしらん」とやや気になることを言っていた。

 ――ともあれ。妖女五歌仙の勝負はこれで終了した。

 信じられないことにこの面子で優勝したのは、羞天姫だった。

 屋敷仕えの侍女が持ってきた賞品は金一封と味気ないものであったが、羞天はこれで新しい香や櫛が買えると喜んでいた。

 娃瑙を含め、五人の女性は今日一日でそれなりに打ち解けていた。お互いまたの再会と再戦(おもに娃瑙と燕角)を約束し、それぞれの帰途についたのだった。



 ――その帰り道のこと。牛車に乗りながら娃瑙姫は考え事をしていた。


「私たちを招いた女房は何を考えて、あんなことさせたのかしらね」


 沙羅は横で一緒に乗って揺られている。

 御簾の隙間から指す西日に、銀色の睫毛が反射してとても綺麗だった。


「何事もなく済んで良かったではありませんか、姫さま」


 行きにキナ臭いと言われたのを思いだした。沙羅は今日一日ずっと警戒していたのだ。

 沙羅は、銀髪の先を自分の指ですうっと梳きながら姫のほうへ目をやった。


「ずっと、どなたかが見ていましたよ。やはりこの日のことは、何か意味があるようです」

「え、見てた? 誰が」


 全然気づかなかった。不覚。


「なんにせよ、これからはいっそう、お気をつけくださいませ」

「ふふっ。気をつけはするけど、じっとはしないわよ」

「まあ、そうおっしゃると思いました。なら、お好きにどうぞ。何があってもどこにいても、お守りしてさし上げます」

「あら、どうしたのお? 沙羅ちゃん。かわいいこと言ってくれちゃって」


 ぞんざいな扱いをするが(今日も足蹴にされた)、この侍女は自分のことを心底心配してくれて、そして守ると言ってくれる。頼もしいというより、嬉しいという想いが湧く。

 しかし本当に、今日は一体なんだったんだろうか。面白い一日ではあったけれど。

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