第7話 未確認飛行鼎(みかくにんひこう・かなえ)
天爛の都のすぐ北、梓紗(あずさ)の国に、古くから奇妙な伝承があった。
夜、空を大きな鼎(かなえ)が飛び回るというのである。
鼎というのは、金属製の大きな鍋のことを指す。まるい縄文土器みたいな形に、にょきっと足が三本ついている。
これに似た形の不思議な物体が、空を飛ぶらしい。
梓紗の国で以前より伝説となっていたこの『空飛ぶ鼎』が、天爛の都でも確認されるようになったのはつい最近のことであった。
旺月(おうづき:太陽暦八月)の中旬、夏真っ盛りのことである。
娃瑙は簀子の縁側に出て、かき氷を食べていた。横には沙羅もいる。
氷は冬の間に氷室で保存されていた貴重なものである。
これに甘蔓のシロップをかけて食べる。こんな時代からかき氷はあったのだ。
娃瑙たちが食べているかき氷にはいちごも乗っけてあった。
夏にはこれ以上ない贅沢だ。
蘇を無理矢理口に入れられた一件から、沙羅は雇い主の薦める食べ物を断らなくなった。
実は甘い物は嫌いじゃないのだと思う。
こうして夏の夜、星を見上げ、虫の声を聞きながら、かき氷を食べる。
しかもひとりではないのが、いい。
ふたり、特に声を交わすわけでもなく、しゃりしゃりと氷を崩しながら夏の夜の風情を楽しんだ。
大蛇の夕顔も肩に頭をもたげ、心地よさそうにしている。
とかげの藤壺は膝の上である。
と、夜空に、なにかが光った。
はじめ、流れ星かと思った。だが違うようだ。それは強い光ではなく、定期的に明滅している。まるで大きな蛍が集団で飛んでいるように見えた。
それが、巨大な物体に宿る灯火であることが分かって、娃瑙と沙羅はまさに仰天した。
「か、鼎だ」
「鼎で、ございますね」
噂の空飛ぶ鼎が娃瑙たちの目の前を飛んでいた。大きく見えるが、かなり遠くにあるようだ。
「おぉ~~~い」
「あ、なにをやっていますですか、姫さま」
娃瑙姫にしてみれば、好奇心から手を振ったに過ぎない。
沙羅にはそれが不用心に映ったようだ。
別に、特別な意図があったわけではないし、何かを期待していたわけでもない。
ところが娃瑙姫の予想に反して、まるで手招きされるように空飛ぶ鼎はこちらに向かって進んできた。
まったく音もせず、その鼎はふわふわと右へ、左へとたゆたい、ゆっくりと娃瑙の住む家、桜井家の邸宅に近づいてくる。
「姫さま、なんだかやばい気がします」
「うん、私も」
灯火を点々と灯した巨大な鼎は、とうとう桜井家の邸宅の上空にやってきて。
そして――、
落ちた。
めきめきっと屋根と柱がきしんで折れ、慌てて娃瑙は縁側からジャンプして逃げた。だが鼎は庭先のほうへ傾いてくる。
沙羅がとっさに娃瑙の腰に両手を回し、担ぎ上げて走った。大音響と大量の土ぼこりを巻き上げて、鼎はようやく止まった。
なんということでしょっ! おうちが!
「ほれ見たことですかっ」
「え、わ、私のせい?」
屋敷から使用人たちが飛び出てくる。母も出てきた。
幸い、庭先へ傾いたことで屋敷は完全に潰されずに済んだようだ。怪我人も出ていない様子である。
「こ、これ、よく見ると鼎じゃないわね」
よく似た形ではある。だが、細かなデザインや光沢が別物だと語る。
外壁には縄文とはまた違った不可思議な紋様。その紋様に沿って流れる蛍光。青銅に似ているが柔らそうにも思える質感。ついている足も四本で、真っ直ぐではなくねこ足になっている。
家々の者が見守るなか、巨大な鼎に扉が浮き出て、ぷしゅーっと空気を抜く音を立てて開いた。そこから妙にひょろ長い人影が出てくる。
娃瑙は神経を張り巡らせた。だが、異界の空気は感じられない。
じゃあ、これは現のものなの? それであれは一体何者?
体のラインだけは人間そっくりだが、全身、新緑の若葉のように青色をしている。
頭とおぼしき箇所には、ドングリに似た黒い目ん玉(?)が二つ付いている。
その者は娃瑙姫に向かって、しゅたっと手を挙げて話しかけてきた。
「ゆーほー。こんばんわ」
「ゆ、ゆ? ゆーほぉ……?」
ゆーほー、とはなんだ?
どうやら話のできる者のようだが、これは挨拶なのだろうか。
「今は夜、だからこんばんわ、であってるか。どうだ」
「どうだって、まああってるけど。あんた誰よ。家どうしてくれんの」
青色の人型は手を下ろし、黙った。
悩んでいるような雰囲気が伝わってくる。
「まずはあやまる。すみました。もうしわけない。じぶん、この国のものでない。ことばおかしいのはゆるすこと。なんとなくで、わかってほしい」
「うん? まあ、大体分かるけど。あ、すみましたではなく、すみませんが正しいの」
視界の奥で、母が娘に声をかけようとしてはやめ、思いとどまり、また声をかけようとして手を伸ばすのが見える。使用人たちは立ち尽くして、壊れた屋敷や巨大な鼎を阿呆面下げて見ているだけであった。
警戒心を解かず、気を漲らせているのは沙羅だけである。
腰の二刀に手をかけていつでも抜けるようにしている。口のまわりに甘蔓のシロップがちょっと付いているのがなんとも締まらない。
「じぶん、あんた、呼ばれたから来た」
「へっ?」
「手を振って、ご用向き、なに?」
沙羅が刀の柄で、背中をごりごりしてくる。何も言わなくとも責めているのが伝わってくる。
やっぱ、私が呼んだから来たんだあ……。言い返せない。
「あんた、むかし、うちの品買った。記録ある。また買ってくれるのか」
「え、まさかあ。それは人違いでしょ」
「ほんと。これでもあきんど。客だいじだろ」
大事だろ、って。言葉が変なせいで、会話に微妙に違和感がある。
いやいや、そうじゃない!
前、何か、このひとから、私が、買った?
娃瑙姫は刹那の間に、可能性を模索した。
……『近濃海』での出来事が思い浮かぶ。
娃瑙は、この件についての会話を即座に切り上げるのが賢明だと判断した。
「べ、べつに、用なんかないわよ! それより家!」
ずびしっと、半壊状態の母屋を指さした。
「どうしてくれんのよ!?」
「ごめんなすって。じぶん、あれ動かすの、おいしくない。もうしわけない気持ちで、むねがいっぱい。でも、なおしたいの、むり。お金ない」
ふたたび、青い人型は考える様子を見せた。宙を見上げて、両手をだらりと下げて、ドングリの目玉を瞬きもせずにしばらく立っていた。
「ひとつ、考え、てーあん? ある。のってほしい」
娃瑙姫はそのてーあん(提案)というものを、一刻ほど時間をかけて詳細に聞いた。
彼の言うことには、こうだ。
彼は、遠い遠いところから来たそうだ。巨大な鼎は、空を飛ぶ神仙の乗り物。
商いをするためにこの国へやって来たが、つい最近大掛かりな詐欺に遭い、貴重な品をいくつも騙し取られたらしい。お金がないのもそのせいだという。
声の端々から察するに、なんとなくこの国の人間を小馬鹿にしているような感触があった。きっとそれが騙される隙を産んだのだろう。
彼は騙し取られた品を取り返したい、と言った。
そしてそれは、ひいては娃瑙姫たちにもメリットがあるはずだと言うのである。
騙し取った連中の素性は分からないが、問題は取られた『品』がどれも危険なものであることだ。
青色の彼は自分を騙した者たちを、いわゆる裏世界の連中と見ていた。
奪った品を何に使うか、推して知るべし。
悪い予感しかしないのである。
「じぶん、あきんどのチリ、ある。わるいことに使われたくない」
できれば全部回収したい。無理なら処分もやむなし。それも早急に。
協力してくれれば、取り返した品々をばらして売りさばき、金を作って渡す。それで家を直せばいいと、そう言うのだ。
是非もない。娃瑙姫は好奇心もあってこれを承諾した。
沙羅と家人たちは大層心配げであったのだが。
屋敷内や近所が騒ぎになっているので、ひとまず彼には一旦、鼎に乗って帰ってもらうことにした(いつもはどこに停泊させているんだろう?)。
ちなみに彼の故郷だが、聞かれるとやおら夜の空を指差し、「あっち」と言った。
それは天の運行で言うところの、『斗宿(としゅく)』という星座(現在の射手座方面)であった。どうやら、彼は星の客のようである。
また、彼の名前はどうしても聞き取れなかったので、娃瑙は青色をした彼のことを、冬も葉を落とさず色を保っていることから『翌桧(あすなろ)の方』と呼ぶことにした。
翌日の夜、日が完全に落ちてから屋敷の門を叩く者がいた。
『翌桧の方』であった。
「ゆーほー。こんばんわ」
「ゆーほぅ。あは……なにその格好」
なんと律儀にも徒歩でいらしたのだ。直衣を着て烏帽子を被れば、それなりに都風に見えてしまうからおかしい。
ともあれ今夜は作戦会議である。
娃瑙の部屋で、沙羅と三人並んで座る。もちろん、夕顔と藤壺も同席。一種、異様な光景であった。
『翌桧の方』は陶器のようなもので出来た薄い板を持っており、そこに取られた品々を映像として映し出した。
娃瑙は似たような術を師の黎明から見せられたことがあるが、どうもこれは術とは違うようだ。おそらく複雑な工芸品といったところだろう。
彼が商品として扱うのはいずれも生き物ばかりだった。それも怪奇専門書『嶺界紀(りょうがいき)』に載るほどの魔物ばかり。これらはすべて異界から流れて住み着いたとされている。
この星の客は、こういった異界の魔物の類いを捕獲・解体して販売する、いわゆる闇の仲買人(ブローカー)だったのである。
取られた『品』は全部で五つ。
回収するには、欺し取った相手を突き止めて確保しなければいけない。しかし『翌桧の方』が調べても、その相手は巧妙に痕跡を消していて情報が途切れてしまったらしい。
ただ、渡した『商品』を現に裂け目を作って連れて行ったことから、仲間に妖術師がいることだけは間違いないようだ。
娃瑙は考えた。
これらの魔物は、どれも角とか皮などが高く売れる。
買った奴らは活動資金にでもするつもりだろうか? それもいいが、わざわざ生きている『個体』を買ったのだ。何か、別の思惑がある気がする。
天啓のように、『近濃海』の件が頭をよぎった(自身の罪悪感もあったからだが)。
まさか、あのときみたいに、魔物の恐怖を都の民に与えるつもりでは?
生きたままの魔物を、あちこちに解き放って……。
娃瑙の頭のなかで、二つの話が結び付いた。
もしかしたら、犯人は同じかもしれない。
だとすれば今度は近くの国とかではないだろう。一度は『近濃海』で失敗しているのだ。
おそらく、次は都の近辺、最悪、都の中に魔物が解き放たれることになる。
天爛の都への無差別攻撃だ。
ひいてはそこを治める政権への間接的な攻撃となる。
「こ、これは、私たちだけで話す問題じゃないわね」
娃瑙姫は、その日のうちに師の黎明と媚子に文を出した。
師匠には魔物に対する案を請うため、媚子には彼女の夫であり幼馴染みの伊周の手を借りるためである(直接伊周に文を出さないところがいじらしい)。
妻から話を聞いた伊周はすぐさま桜井家の屋敷に飛んできた。心配でもしてくれるかと思えば、なんだか楽しそうな表情である。
伊周は娃瑙姫と顔を会わせるなり、とんでもないことを口にした。
「お前、最近通ってくる男がいるらしいな。どんなやつだ。なんて名だ?」
にっこりほほえんで、夕顔に甘噛みさせた。
大丈夫。毒牙はたたんであるから。
「お、おま、違うのか?」
「違う」
「夜中に男がこの屋敷に入っていくのを見たという人がいるぞ」
それは間違ってないが、とんだ誤解だ。
形式的には男が女のもとに三日通って結婚、ということになっている。
まさかもう一回『翌桧の方』と会ったら、世間的に結婚扱いになるのか。んな、阿呆な。
「違うから。今から説明する。あんたも関係あるから」
伊周は検非違使を束ねる役職にある。都の安全を護る立場である。
そしてその日の夜、再び『翌桧の方』はやって来た。
「ゆーほー」
「ゆーほ……、あのこれって言わなくちゃだめ?」
伊周とは初顔会わせとなる。彼はかなり驚いていたが、それで突拍子も無い話も信じてもらえたし、妙な誤解も解けた。
おちゃらけた雰囲気はそれまでになり、ここからは真面目な会話となった。
「娃瑙は少し考え過ぎだ。もし本当にそうなったら街中で魔物と戦うことになる」
「考え過ぎならそれでいいけどさ、来るときは十中八九、現を割っていきなり現れるわよ。最初っから都のド真ん中に出ることを想定したほうがいいんじゃないの?」
「しかし姫さま、五体いっぺんに出てきたら人手が足りません」
師の黎明は忙しいのか面倒なのか、識神だけを送ってよこしてきた。
挨拶に行ったときにも会った童子姿の識神である。
「主さまは、妖女五歌仙の面子を集めてはどうかと申しております」
「いやぁ、無理よ」
それは自分も考えた。
「みんな、いいとこの姫だったり女官だったりするのよ。それに女の人はねえ、普通は人前に顔を見せないものなの。都の通りとかで魔物と戦ったら、ほかの人に顔見られちゃうわよ」
くすくすくす。
沙羅が笑いを押し殺している。娃瑙がこんな『常識的な』ことを言うのがおかしいのだ。
「あ、いや、だ、だから! 私みたいに、魔物相手に大立ち回りするような方たちじゃないの。燕角は別だけどさ、でもあいつ、滅多に山から下りてこないし」
「燕角さまには、主さまのほうから手伝いを依頼しておいた、とのことですが」
「え」
「あと、内侍のお仕事がある宮須さまは無理として、羞天姫さまと摩利姫さまは娃瑙姫さまが声をかければきっと来てくださるのではと、主さまは申しておりました」
えー、燕角行者にはもう言っちゃったのかぁ。
一番頼みづらい人に話がついているなら、一応ダメ元でふたりにも文を送っておこうか。
でも燕角とは仲が悪いはずの師匠が、どうやって頼んだんだろ?
後日、摩利からは被衣(かつぎ)をかぶれば大丈夫ですと返事が来た。羞天は雲居がいるから平気、とのこと。
どこで聞いたか宮須内侍からも文が届き、生霊の姿で良ければ加勢すると言ってきた。
これは、ちょっと胸が熱い展開になってきた。ついこの間知り合ったばかりの人たちと一緒に異界の魔物と戦い、この都を守るのだ。
伊周の部下たちが都を巡回して情報を集め、『翌桧の方』も独自の方法で調査を続けて数日――、未だ進展は見られなかった。
しかし、伊周の部下たちが夜の都を不審な男たちが徘徊しているのを見ていたし、また黎明も都の中や外で現が割れる小さな音を何度か聞いたらしかった。
何かが起ころうとしている予兆はあった。
事が生じたのは、娃瑙姫が空飛ぶ鼎と遭遇してからおよそ二十日ほど経った頃である。
明け方、薄い霧の立ち籠める早朝に、侍女の沙羅が庭をまわって直接娃瑙の寝所まで訪ねてきた。
「姫さま、惰眠をむさぼっている場合ではありません。黎明さまがいらっしゃってますよ。都の各所で現が割れる気配がすると仰ってます。おそらく例の『探し物』でしょう」
聞くなり目が覚めて飛び起きた。
門の近くで馬のいななきが聞こえる。急いで出ると、馬に乗っているのは伊周であった
「娃瑙! おまえの言ったとおりになったぞ! 魔物が出た! それも複数だ。都は大騒ぎになってる!」
門前には伊周のほかにも来訪者が三人いた。奇妙な面々だった。
直衣&烏帽子姿の『翌桧の方』と、師匠の夜禮黎明、そして縹色の袿姿をした小さな童女だ。
師匠は童女のほっぺたを左右からつねり上げ、童女は半泣きで師匠の膝に蹴りを繰り返している。
「けだもの、つかめなくていい。気にせず、いてまえ。やわいとこ、教えたようにやれ」
「悪いが俺の部下はまわせない。民の救出と避難で手一杯だ」
「いいわよ、べつに。魔物の相手は私たちがやれば」
師匠の黎明につねられていた童女、燕角が不敵に笑んだ。
「そうそう、あたちらだけでやるでしゅ。そのほうが足手まといがなくて、かえって楽でち。おーい黎明の弟子、なんでも泣いて鼻水垂らしながら黎明に頼みこんだらちいの」
「はぁい?」
「あたちへの依頼でしゅよ。気まずくて直に頼めんからって、そこまでして師匠に頼まんでもいいのに。けけけっ。こら黎明っ、ほっぺ痛いわ、いい加減にちろっ」
ひどっ、師匠、そういうふうに燕角に話したのねっ。
でもなんだかこの二人、仲良くケンカしてるって感じ。思ったほど険悪ではないのかも。
「もういいから、さっさと出掛けましょう」
魔物は複数だ。何人かで組んだほうがいいだろうと娃瑙は持ちかけてみた。
「そうだな。ばらばらになるのは危険だが、早く解決するのにはいい。事態は一刻を争う」
「んあ? 儂は行かんぞ。こう見えて忙しいのだ。今日は顔見せに来ただけだ。いくつか役立つことを占っとくから、あとはお前たちでやってくれ」
「勝手にしろでちゅ。はなっから、おめぇには期待してないでち。じゃあ、組み合わせは立場上、検非違使殿に決めていただきましゅか」
「いや、俺は五歌仙のことをよく知らんのです。そうだな、娃瑙、おまえ決めてくれ」
「えっ、わ、私? いいの? 分かったわ、んじゃあ」
燕角はやっぱり苦手だから、摩利さんと一緒に行ってもらおうかな。組み合わせも意外といいのでは。魔法使いと格闘家、といった感じ。
沙羅は羞天と何度か会っている。ほかの人よりとはうまくやれそうだ。羞天は天然そうに見えてその実、頭の回転が速く如才ない。直情型の沙羅を助けてやれる。それに雲居の姿を消す技はきっと役に立つだろう。
あと、えーっと、怖いから宮須もこの二人と行動させよう。
「黎明の弟子に決められるのは癪でしゅが、まあまあいい采配じゃないでちゅかね」
「それで……伊周、あんたとあたしが一緒ね」
妖術師の娃瑙姫と、剣技に優れた伊周。こっちは魔法使いと剣士といったところだ。
「べつにいいけど、でもなんで俺となんだ? 沙羅と行かないのか?」
――こんの、朴念仁が。
心中で毒づいて、娃瑙は勝手にむっとした。
「たまにはね、あんたと行きたいのよ」
黎明の占いによれば、北には燕角たち、南と西には娃瑙たち、東には沙羅たちが相性が良いという。方角は占いにおいて重要なファクターである。
さらに黎明は、天の運行と娃瑙たちと魔物それぞれの霊相を含めた複合占術を行った。
占いの結果をちゃんと説明もせず、「これなら簡単に勝てるぞ」と無責任なせりふを言ったのち、都随一にして稀代の陰陽師は自ら編んだ折り鶴の識神に乗ってどっかへ飛んで行ってしまった。
燕角は摩利姫のいる甲斐家の屋敷へ、沙羅も羞天姫のいる椿家の屋敷へと走って行った。
残された娃瑙たちも出発することにする。娃瑙は伊周の乗る馬に二人乗りした。
「なあ、こういうの、ひさしぶりだな」
「ええ。あ、うん」
今日は夏日。灼くような日差しと、蒸すような湿気である。
娃瑙は少し薄着になり、伊周の背に密着してつかまった。媚子に少し、後ろめたい。
広い背中……。立派な男になりやがって。
ちなみに娃瑙は顔を隠してはいない。貴族の娘は顔を見せてはいけないという決まりがあるが、娃瑙はそんなこと意に介していない。見ず知らずの民に見られても全然平気。
「お前さあ、あの夜禮黎明の弟子なんだろ」
「まあね」
「頼りにしてるからな」
「う……」
言われて少し、頬が熱くなる。娃瑙は伊周の背に額を押しつけた。
ふたりが目指すのは南側だ。馬は白条通りを抜け、都の南の玄関とも言うべき『華星門(かせいもん)』に辿りついた。
門の下をくぐったのと同時に、いきなり地面がひび割れて砕けた。現が割れたのだ。
来るっ!
馬が泥に足を取られたように暴れて、伊周と娃瑙は地面に投げ出された。
したたかに腰を打ち、痛みをこらえながら起き上がると、周りにはどこかで見たような山の景色が広がっている。
これは……、幼いころに遊んだ山だ。
自分の手足を見ると、ずっと小さくなっている。体が童に戻っていた。
横を誰かがすり抜ける。
「待って、伊周!」
口からこぼれた名は、幼馴染みの男のものだ。
必死で走り、追いついて、体当たりをかます。怒った目をして伊周が振り返るが、口元は笑っていた。彼もまた童の姿である。
山の中の少し小高い場所で二人並んで、お弁当に持ってきたそばがきを食べた。
「泣くなよ」
「泣いてない」
泣いていた。ぐすぐすとしゃくり上げながら、弁当にかぶりついている。思い出したかのように目元を拭った。
昨日、産まれて八ヶ月になる弟が死んだ。この時代、こどもの死亡率は異常に高かった。伊周も去年、二才の妹を亡くしている。
「安心しろ。おれは死なない」
「うん。あんたは病気にもならなさそう」
「なんだよそれ」
伊周は先に食べ終わり、手を服でごしごし拭いて立ち上がった。
「生きてるおれたちだけでも、遊ぼうぜ。あいつらの分まで。思いっ切り」
「ふぐっ」
「泣くなって」
思い返せば、このときから一緒に遊ぶ時間が増えた気がする。彼は幼いなりに自分のことを心配してくれていたのかもしれない。
二人は手をつなぎ、そろって山のなかを走り出した。山はこどもにとって果てしなく広く、遊ぶネタは尽きなかった。
二人はそのまま思い出の山で遊んだ。木に登り、虫を採り、川で泳いだ。
幼い頃の、かけがえのない大切な思い出。
悲しいこともつらいことも全部吹き飛ばす、楽しいひととき。
ああ、いつまでも、こうして遊んでいたい……。
「いたっ」
不意に体を締め付けられ、悲鳴が出た。その瞬間、我に返る。
目の前に、大蛇の夕顔がいる。娃瑙に巻き付いているその胴体に、盛り上がった筋肉のすじが見える。少し力を込めているようだ。
辺り一面、びらびらした黄色の軟体に包まれていた。厚みのあるそのヒダは、粘液を絡ませて娃瑙の体をゆっくりと引き摺っている。
「しまった。思いっ切りひっかかってた」
娃瑙は魔物の作った幻に嵌められていたのだ。夕顔が絞めてくれたおかげで目が覚めた。
これはおそらく、『仏の御鉢貝(ほとけのみはちがい)』だ。
深山幽谷に生じ、形はシャコ貝に似る。大きく殻を開き、砂吐き管から人を惑わす妖気を発し、幾重にもなる厚いヒダで人を引きずり込む。身の中に璧(へき:宝石)を持つ。
頑丈そうな二枚の貝殻が、左右からトラバサミのように閉じてくるのが見える。あれに挟まれたら一巻の終わりだ。
「伊周ぁっ、どこにいんのよ!? 食べられちゃうわよっ」
娃瑙の足元で「おーい。ここだー」と返事がした。
「きゃっ、のぞかないでよ!」
「何をいまさら。こどもの頃には」
誤解を招く言葉を聞きかけて、状況も考えず娃瑙は伊周の頭を踵で踏んづけた。
「とにかく! 貝柱よ、貝柱を切って!」
「う、分かった。ちょっと待て」
伊周がびらびらの奥に刀を立てると、足下を払うように薙いだ。貝殻の閉じるのが少し緩んだ気がする。憶測で切ったにしてはきちんと目的のものに当たったようだ。
「貝柱は反対側にもう一つある。でかすぎて、こっからじゃ届かないぞ。どうする?」
「あんたの小刀、ちょっと貸して」
夕顔に命じて小刀を持たせた。こういうときこそ、手足があるのが役に立つ。
夕顔は長い体の利を存分に活かして、ずるりと貝のひだひだをすり抜けて進んでいった。
きちっ。という湿った音がしたあと、御鉢貝はばくっと開いてだらしなくひだを周りに垂らした。
すかさず、伊周が砂吐き管を切り払う。
「やっぱり無傷で回収できなかったな。『翌桧の方』、怒るかな」
「大丈夫じゃない? 無理なら処分するって言ってたわ。それより、あれ」
開ききった貝殻の、その最深部に黒い玉がある。
娃瑙が手にとってみると、光を全て吸い込むような漆黒をしていた。よく見ればその中心に、小さいがくっきりとした輝きが宿っている。
「これが、御鉢の黒真珠。思わず見入っちゃう」
「それが金になるのか。よし、まずは一体だ。気ぃ、抜くなよ」
次に向かったのは、都の西側にある堀だった。馬が使えなくなったので自分の足で走る。
堀に近づくと、水飛沫とともに何本もの水柱が立った。よく見ればそれは現の欠片だ。細かく砕けた現の欠片が舞い散っている。
堀から、たしっと灰色の獣が飛び出た。子馬ほどもある大きな齧歯類であった。
「わあ、かわいぃ……くない」
「あれが『ほねすみ』か」
『ほねすみ(火根住)』! それは木造建築が密集する街では極めて危険な魔物である。
灰から生じ、火を食べて成長して牛ほどにもなる。動くものを見つけると、火を発してぶつかってくる。身に危険が及ぶと、燃えている毛を皮ごと剥ぎ取って逃げる。
魔物はこちらが近寄るのを察したのか、背中の毛を逆立てて発火した。つるが伸びるようにして、辺り一面に炎が渦まく。それに伴って煤臭い黒煙もあがる。
そのまま轟々と燃えさかる炎をまとって、娃瑙のほうへと突進してきた。
危機が迫っているというのに、娃瑙は突然目眩がしてこめかみを押さえ、膝をついた。さっきの御鉢貝の妖気の影響がまだ残っていたのだ。
娃瑙はまた、こどもの頃のことを思い出していた。
昔、似たようなことがあったような。そうだ、あれも小さな童の頃……。
山の中で、娃瑙は伊周と熊に遭遇した。熊はその巨体に似合わず速く走る。そのときの熊も凄まじい勢いで突進をかましてきた。棘のある草や横に伸びる木の枝を硬い毛の鎧ではじきながら。その足音と鼻息は幼い娃瑙を怯えさせるのに十分過ぎた。
伊周が鉈を抜いて立ちふさがり、迫り来る熊の顔面を切った。
激突されて吹っ飛ぶ伊周。それを見て叫ぶ娃瑙。
熊は鼻と片目を切られ、血を流して逃げ去った。伊周は胸の骨を何本も折り、数日熱を出して寝込んだ。自分を守るために負った傷だった。
「娃瑙! あぶねえっ」
伊周の声が娃瑙を現実に引き戻した。
はっとした瞬間、伊周が横へ押し飛ばす。
彼は腰を落とし、右手を刀の柄にやわらかく添えて構えた。
そして魔物が間合いに入った瞬間、抜き打ちに切った。
同時に炎も断ち切られ、火の粉になって散る。ほねすみは伊周の後ろ、数歩のところまで進んでがくりと倒れた。ぶすぶすと黒煙を上げながら、まだ燃えている。
娃瑙は堀の水に、影が走るのを見逃さなかった。
「夕顔!」
この魔物は凶暴なくせに、危なくなると途端に臆病になって皮を脱いで逃げる。とかげの尻尾切りやイカのスミ吐きと同じで、体から出したものに敵が気を取られているうちに本体は逃げるという性質である。
つんつるてんの丸裸になったほねすみは、堀の水の中に潜んでいた。
そこをあっさり夕顔に見つかって絡み取られてしまい、ああ哀れ、ごくりと丸呑みにされてしまった。
「だ、だいじょうぶ? 伊周」
伊周の狩衣は左側が焦げている。袖はほとんど残っておらず、左腕にはできたばかりの火傷があった。顔にも煤がこびりついている。
「まあ、たいしたことはない」
にっと白い歯を見せて笑う。ほっとした。娃瑙はあらためて、自分のなかで伊周が占める大きさを認識した。
ただ単に幼い頃の思い出を共有しただけではない。悲しいことも、危険なことも、伊周とともに体験した。支えてくれたし、助けてくれた。
「あの毛皮、加工すると火織毛氈ってお宝になるんだろ。持っていきたいけどまだ熱いな」
「こ、伊周」
「あん?」
「……ありがと」
「ははっ、なに言ってんだよ、水くせえ」
彼はそう言って娃瑙の肩をばしっと叩いた。笑顔で返したかったけれど、どうしてかうつむいてしまった。
あとから聞いた話では、娃瑙と伊周が二体の魔物を退治したのとほぼ同じ頃、ほかの二組も魔物と出会っていたとのことだった。
沙羅と羞天姫は、都の東側、『白浪門(はくろうもん)』の辺りで植物の魔物と遭遇した。
『子安葛(こやすかずら)』は、釣り鐘のような巨大な花だ。ほかの生き物をその大きな花弁で包み込んで、溶かし、再構築し、怪物として吐き出す。
すでに犬や牛などが怪物にされて町の中をうろついていた。
沙羅が二刀でそれら怪物どもを仕留めている間に、羞天は雲居の力で姿を消して安全に子安葛に近づくことができた。
だが子安葛は目や耳ではなく、空気の流れや葉擦れにより生き物の気配を察知する。怪物たちには気取られなくても、子安葛には簡単に見つかってしまった。
あやうく花弁に飲み込まれそうなところを生霊姿の宮須が割って入り、羞天の身代わりとなった。
生霊は自分からは触れられるが、外からは触れられないという性質を持つ。
宮須の生霊は何度も子安葛に触れては花弁に飲まれ、花弁からすり抜けてはまた触れて飲まれる。そうして盾となり囮となり、知性のない本能だけの植物を翻弄した。
その合間に羞天は鋏(はさみ)で次々と葉を落とし、茎に切れ目を入れていった。
効き目は地味に現れ、次第に子安葛は萎れていった。最後に沙羅が花弁の付け根を切って落とし、太い根元に切り口を入れて楔を打ち込んだ。
ちなみに花弁の奥には、どんな生き物も引き寄せる魔性の蜜が蓄えられており、これが香や薬品の原料となる。
燕角行者と摩利姫が都の北側、『印界門(いんかいもん)』付近にて遭遇したのは、美しい光沢を放つ『珠虫龍(たまむしりゅう)』だった。
見た目は細長い甲虫を巨大にしたものだが、これでも龍の一種と考えられている。
人間よりもはるかに大きく、羽をはばたかせれば突風のような風が生じる。外殻はラメを塗ったような煌めく青色で、そこに二本の滲むような赤い線が入っている。光の加減や角度によって微妙に見える色が変わり、いつまでも飽きない美しさがある。
はったりもなく純粋に強いこの魔物に、さしもの燕角も苦戦するかと思いきや、戦いはあっけなく終わったらしい。
空を高速で飛行するこの魔物の動きを燕角が護法術で押さえつけ、その隙に摩利姫は弓で矢を射かけた。
この矢は射殺すためのものではない。そもそも、ただの矢では珠虫龍の外殻に傷ひとつ付けられない。矢筈に紐が付いており、鉤縄のようにして目標を搦め取るための矢である。
棘を多く生やした足にうまく紐がひっかかり、摩利がそれを無造作に引っ張ると珠虫龍はズドンと空から落ちた。
民家の屋根に落ちて藻掻く珠虫龍に、摩利姫は虫の急所に当たる気門(腹の横にある呼吸器官)に攻撃を加えた。降り回される六本の足を紙一重で避けながら張り手を当てていくそのさまは、角力というよりもさながら舞のようだったという。
最後は燕角が浄化の護法術を用いて、この虫の形をした龍に止めを刺した。
珠虫龍の外殻は、死んだのちも形を崩さず残る。これは美術工芸品の素材になる。珠虫龍の個体数が極めて少ないうえかなり強いため、桁違いの値で取引される代物である。
こうして、天爛の都の平穏は取り戻された。
今回のことで異界の魔物に対する恐怖が貴族のみならず、民にも根付くこととなった。
倒した魔物から得られた宝は、『翌桧の方』が持ち去ってどこぞに売りさばいたようだ。彼は代金として受け取った金や銀の延べ棒を娃瑙に渡し、これが屋敷の修理代になった。
「一体だけ見つかっていないが、いいのか?」
「たぶん、でない。そう思う」
「黎明さまも同じ意見みたい。今は、現れないだろうって」
一抹の不安は残るが、ひとまず事件解決ということで良いだろうということになった。
「では、めいわくした。また会うこと。んじゃ」
「あ、待って。あのさ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なに。できるなら、おーけ」
「鼎に、乗せてくんない?」
興味があったのだ。アレに一度乗ってみたかった。
『翌桧の方』が夜闇に手を伸ばすと、空飛ぶ鼎が上空へ降りて来た。
底の部分から淡い光を発し、それに吸い上げられるようにして彼は鼎の中へ入っていく。
続いて娃瑙も、そして沙羅も一緒にぱわわわわと光に吸い上げられた。
鼎の中は奇想天外な場所だった。
金属や陶器などでできた様々な調度品がびっしりと壁に埋め込んである。そのどれもが何の機能を持つのか全然思いつかない。娃瑙にとっては人外魔境に等しかった。
「すっっっっっっっっっっっごおおおおおおいっ!!」
狂喜する娃瑙だったが、『翌桧の方』は冷静にこれはまだ知るべきものではないと言った。
物事には段階があって、娃瑙たち都の人間はこれからゆっくりと時間をかけて到達したほうがいいというのが彼の考えだった。
「そのおかわり、行きたいとこ、連れてく。言ってれば?」
「ホント!? じゃあ、『翌桧の方』の故郷の星に行きたい!」
「ごめん。それすごい遠い。時間かかる。別のところ、言うとよし」
「ふ~ん、そうなんだ。ちょっと残念。それじゃあね~、南!! 倭からずっとずう~っと南に行って!!」
南は、沙羅の故郷がある。
鼎はまったくの無音で空を滑り出した。窓から見える下の景色が、みるみる小さく米粒のようになっていく。次第に窓には雲が同じ高さに見えるようになった。
「うわっ、なんちゅう速さよこれ」
あっという間に倭の国を通り過ぎ、海上に入る。水平線の向こう側には大陸が稜線を描いている。窓に顔をほとんど押しつけて、娃瑙は外の景色に見入っていた。
「あ」
沙羅がわずかに声をこぼした。
海の上に小さな島々が無数に見えてきた。どの島にも森林が輪郭ぎりぎりまで覆っている。森をちぎって海に散らしたかのようだ。
「あそこ? 沙羅ちゃんの故郷」
「……はい」
沙羅は複雑な表情だった。単に懐かしいだけではなさそうだ。
こんなに遠くから彼女は天爛の都まで来たのか。どういう理由があってだろう。娃瑙は敢えて、それ以上は触れないようにした。
「姫さま、今日は一日、伊周さまとご一緒でしたね。いかがでしたか」
「へ……、どういうこと?」
「うまくいきましたか、と聞いております。若い男女がふたりきり。仲は深まりましたか」
「ば、ばかばかっ、なに言ってんの沙羅ちゃんっ!」
顔が一瞬で熱くなる。湯気が出そうだった。
あれは各面子の相性なんかも考えてそう組んだのだ。他意はないのだ。そうなのだ。
などと考えつつ見透かされているなあとも思う。下心が全くなかったと言えば嘘になる。
沙羅は唇からはあっとため息を吐き、銀の睫毛を静かに下ろした。
「何もなかったのですか。おこちゃまな姫さまなら仕方ないかもしれません。それはそれとして、ご無事でなによりでした。お二人だけで魔物退治に行くなんて……。伊周さまの剣の腕前は知っておりましたが、それでも不安でした」
「ああ、それは……心配かけてごめん」
「結局取り越し苦労でしたが。二体も仕留めるとは、さすがです」
「あはは、いやいや」
「でも次からはちゃんと同行させてください。自分はあなたをお守りするためにいる、と以前申し上げたでしょう」
空飛ぶ鼎の窓、そこから眼下に広がる広い海と無数の島々を眺める。
自分を守るためにいる、と沙羅は言う。
きっと、沙羅はあそこへ帰る気はないのだろう。倭の国、天爛の都で一生を過ごすつもりなのだ。
「沙羅ちゃん、頼りにしてるからね。ありがと」
沙羅はなにも答えなかった。ただ、褐色の肌で分かりにくいが、ほんのりとほっぺや耳たぶに赤みが差しているように見えた。
一刻ほど空の散歩を楽しんだのち、鼎は天爛の都、娃瑙の桜井家の屋敷に戻ってきた。
「喜んでるようで、うれしい。こんどこそ、ばいばい。では、ゆーほー」
「はいはい。ゆーほー。じゃ、ね」
『翌桧の方』を乗せた空飛ぶ鼎は、夜の空を裂くようにじくざくに進んで、彼方へと消えていった。
「なんか、人騒がせなおひとだったわね」
――それからしばらく経って。
屋敷がそろそろ元に戻りつつあった頃に、娃瑙姫のところへ父が訪ねてきた。
へびやとかげが這いまわる年頃の娘の部屋に入るなり、父はこう切り出した。
「宮中からお前に要請があった」
「ええ~」
また異界絡みだろうか。もう妖怪変化はたくさん。と思いきや。
「宮中に出仕しなさい、とのことだ」
「え、えええっ?」
「光栄なことだ」
「ど、どういうことですか、お父さま」
父は誇らしげに言い放った。
「宮仕えだよ」
「ええええええっ!」
「見聞を、広めてきなさい」
「えええええええええええええええええええ~っ!?」
『え』、の口の形のまま、娃瑙姫はしばし叫び続けたのであった。
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