#2 平成17年

関越道の下り、埼玉県北部にあるサービスエリア。

12月某日。この時期の帰省は積雪が心配だったが、出発前に調べたところ、実家までの道に雪はなく、天候も夜までは崩れないとのことだった。

日帰りの予定だし、今日のところは大丈夫だろう。

実家に帰るときはこのサービスエリアに寄ってお土産を買うのが定番だった。

彼女は勤め先の駅にあるデパートで小洒落たお菓子とかを買ってきたらしい。

彼女にしたら彼氏の両親に初めて挨拶に行くという一大イベント。気を使って少し高級な手土産を持っていくという気遣いは当然か

「結婚しようと思ってる彼女を連れて帰る」と母親に電話したときはかなり驚いていた。それと同時にとても嬉しそうでもあった。父親にいたっては、最初、冗談だと思って信じてなかったらしい。

お土産はバームクーヘンと野沢菜でいいか。

いつも通り、自分の食べたいものを適当に選び、それを実家への土産にする。祖母へのお土産は狭山茶がいいかな。昔ながらの茶筒に入ったタイプ。以前、買っていったとき喜んでたし、お土産にはちょうどいいだろう。

会計を済ませ、あと一時間程度で到着する旨を実家に電話しておく。

ふと見ると、彼女はまだ土産物コーナーを物色している。

一服してから行くか。

喫煙所に行ってくることを彼女に伝え、途中、コーヒールンバが流れる自販機で紙コップ入りのコーヒーを買ってから喫煙所へ向かう。

大勢の人が出入りしているトイレの前あたりに差し掛かったとき、ふと、今までいた売店の方を振り返ると、彼女が誰かと話しているのが見えた。

誰だろう。多くの買い物客に阻まれてよく見えない。相手は中年の女性のように見える。

こんな場所で知り合いに会うわけないし、とくに揉めてる様子でもない。道でも尋ねられてるのかとも思ったが、サービスエリアでそれはないだろう。

そんなことを考えていると、二人の姿はいつの間にか人混みの影に隠れて見えなくなった。見間違いかな…。

トイレのある建物からは少し離れた、敷地の端にある喫煙所。周辺の観光案内を記した大きな看板の近くに灰皿が置いてあり、その周辺で数人がタバコをふかしていた。自分もその一団に加わりタバコに火を付ける。

風は冷たいが暖かい日差しが降りそそぎ、それほど寒くはない。

タバコをふかしながら、車が忙しく出入りしている駐車場をぼんやりと眺めていた。

喫煙所の近くにはバイクを停めるスペースかあり、様々なタイプのオートバイが停まっていて、その持ち主であろう人たちがたむろしている。

今日は日曜日、観光なのか帰省なのか、サービスエリアは様々な人達で賑わっていた。

後席の窓から白い犬が顔を出している車が目の前を通り過ぎる。

平和だな。

冬とはいえ、暖かい日差し。家族連れで賑わう日曜日のサービスエリア。犬を乗せた車。ツーリングに向かうライダー達。彼女を連れての帰省。そのどれもが平和の象徴のように感じられ、ふと、不安がこみ上げてくる。

昔からそうだ。平和を一度に摂取しすぎると、ふいに現実感がなくなり、急に全てが作り物のように感じることがある。

こんな平和がいつまでも長続きするはずがなく、どうせ不幸へと反転するはずだ、という不安。

この感覚は、経験則なのか妄想なのか、はたまた単なる気のせいなのか。深く考えたことはなかったが、平和が濃い場所でたまに起こることがあった。

理由もなくどこからか沸き起こる根拠のない不安。かと言って、いつも何も起こらない。今回も単なる気のせいだろう。

そんなことを考えながら、ふと駐車場の方に目を向けると、少し離れたところに停まっている白い車の横に立つ女性がこちらをジッと見ていることに気がついた。

あれはさっき、土産物店で彼女と話していた女性ではないだろうか。こちらの視線にあちらも気がついたのか、すぐに目をそらし、運転席に乗り込むと急ぐように車を発進させ、本線へ合流する方向へ出ていった。

あれは誰だ?。全く見覚えがない。あとで彼女に聞いてみるか。

平和で不安な喫煙タイムを終え、土産物店に戻り彼女と合流した。

「そろそろ行こうか」

彼女は追加で何かお土産を買ったようだ。手に持ったレジ袋から赤い箱が透けていた。

「美味しそうだっから買ってみた」

どうやらここのサービスエリアで名物のアップルパイを追加したらしい。

笑顔でそう答える彼女を見て、なぜか、さっき見た女性のことを聞いてはいけない気がした。何か嫌な予感がする。聞いてしまったら不安が現実になるような。

それから1時間あまり車を走らせ、何事もなく実家に着いた。

周囲を山に囲まれた、のどかな地方都市。台地の上にあるその町は、子供時代を過ごしていた頃の賑わいはすっかり無くなり、郊外の大型店に客を取られた昔ながらの商店街はシャッター街になっていた。

実家はその商店街の外れにあった。

近くにある街一番の大きな建物。かつて大手スーパーと第3セクターが興したそのビルは、スーパーが数年前に撤退し、紆余曲折あった後に、改修して市役所となっていた。立体駐車場が道路を挟んで併設され、歩行者用の渡り廊下で結ばれている。そこだけ見ると田舎には似つかわしくない、随分と立派な市役所だ。

「ただいま」

彼女を両親に紹介し、挨拶を済ましたあと、お茶を飲みながら買ってきたバームクーヘンと野沢菜をつまむ。

余程嬉しいのだろう。両親はずっと満面の笑みだ。

彼女は少し緊張しているように見える。どこで出会ったのか?本当にうちの子でいいのか?両親からの質問攻めに合いながら、当たり障りのない返答を気を使いながら返している。

これはさすがに助け舟を出さなくては。

「そのくらいでいいだろ、少し近くを散歩してくるよ」

このまま放っておいたら、両親の質問攻めは何時間でも終わりそうにない。

彼女を連れだし、近所を散歩がてら、近所を案内することにした。

「公園にでも行こうか」

かつて城下町だったこの町には城趾公園があった。特に何があるというわけではないが、家から近いし、散歩の目的地にはちょうどいいだろう。

公園まではゆっくり歩いて15分程。道中にある思い出の店や寺院などを彼女に案内しながら公園に向かう。

道路を走る車は多いが、相変わらず歩いてる人がほとんどいない。この町の人達は数百メートル離れたコンビニに行くのにも車に乗る。車の保有は一家に1台ではなく、1人1台があたりまえの地域。町中には車の走行音だけが響いていて、人の気配をあまり感じない不思議さがある。

しかし、家を出たときから視線を感じていた。どこからだろう。誰かが物陰から見てるような感覚がずっと続いている。何度か周囲を見回してみるが視線の正体はわからない。

「なに?どうしたの?」

不自然に周囲を見渡す自分に気が付いた彼女が、なにかあったのかと聞いてくる。

「いや別に、何でもない」

別にやましいことをしてるわけじゃない。彼女と散歩してるだけだ。近所の誰かが見ているにしろ放っておこう。

と思ったそのとき、通り沿いにある民家の2階の窓からこちらを見ている影を見つけた。家の中は暗く、顔までは見えないが、窓の端にうかぶシルエットがたしかにこちらを覗いている。気付かないふりをしながらその家の前を通り過ぎる。その間も二階の影はずっとこちらを見ているように見える。そして、その家の駐車場にはどこかで見たことがある白い軽自動車。この車はたしかあのときの…。彼女は気づいているのだろうか。二人は知り合いなのだろうか。そんな疑問が頭をかすめたが、触れたら平和を壊す気がして、何も気付かないふりをして通り過ぎた。

そこから少し歩くと、小学校の正門が見えてきた。

小学校の正門前の通りには、おもちゃ屋と肉屋。道のカドには派出所があったはず。肉屋でコロッケを買い、それを食べながら、おもちゃ屋の店先にあるゲーム機で游ぶ、というのが小学生当時のお決まリコースだった。流行りのプラモデルやエアガンの多くはここで購入した記憶がある。

おもちゃ屋の年老いた夫婦は代替わりし、現在は娘さんが店を切り盛りしてるようだ。何もかもがなつかしい。

おもちゃ屋の前を通り過ぎ、小学校の正門へ向かう。

校門を入ってすぐ藤棚と噴水。西側には滑り台。東側は広い校庭を挟んで、1段高い位置に体育館が見える。正面に見える校舎は建て替えたのだろうか、隨分ときれいなものに変わっていた。

休日の校庭は開放されていて、ときたま子供たちの笑い声が響いている。

「あれは何?」

彼女が体育館の前にある木々の間から見える石碑を指さしている。

「何かの歌碑だったかな、卒業生に童謡で有名な人がいたらしい」

「ふーん」

さして興味もない様子だが、すでにそちらの方向に歩き始めている。

南側の端にある鉄棒や登り棒の横を通り過ぎ、体育館前の石碑へと向かう。

(何か大切なことを忘れている)

頭にモヤがかかっているように、思考がまとまらない。懐かしさと同時に何かがフラッシュバックしそうになるが、結局は何も思い出せない。

そうこうしてるうちに石碑の前まで来た。

「知ってるよ、これ」

「おうまのおやこは なかよしこよしいつでもいっしょにぽっくりぽっくりあるく…♪」

彼女が石碑に書かれている童謡を歌い出した。

自分は、ふと、石碑から目を離して体育館の方に目を移す。

なぜか、体育館前にある側溝がとても気になる。なんだろう、この感覚は…。

体育館前の側溝には人が通るところにだけ錆びた鉄の蓋が渡してある。

側溝から目が離せない。

体が勝手に動き出す。

彼女を置いて、ひとり体育館の方に歩き出すと、体を屈めて蓋の端から側溝の中を覗き込んだ。

「生首だ…」

そう思った瞬間、重量が反転したかのような感覚に囚われた。洗濯機に放り込まれたような感覚。目が回り、もう自分の体がどうなってるのかわからない。落ちているのか飛んでいるのか、重力の方向が無茶苦茶だ。

数秒なのか数時間なのか、時間の感覚すらあやふやになりかけたそのとき、強い光に包まれて目を閉じた。

ゆっくり目を開けると、側溝の中の生首はまだそこにあった。

「おーい、あったかー?」

懐かしい声が響く。声の方を見ると石碑の裏からコウちゃんが歩いてくるのが見える。

そう、そこは昭和62年のあの日の放課後だった。

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記憶の日記 @motors981

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