記憶の日記

@motors981

#1 昭和62年

冬のある日、友達数人と小学校の校庭で三角ベースをしている。

場所は東校庭の体育館の近く。

この小学校には校庭が東西に2つある。

その境目にはポプラやイチョウの木が植えられていて、円錐形をしたコンクリート製の巨大な滑り台もそこにあった。カラフルな塗装は全体に薄汚れて、ところどころ剥げ落ちていた。滑り台の土台には直径1メートルくらいのトンネルが貫通していて、校庭の中でひときわ存在感があるシンボル的な存在だった。

東校庭のさらに東、敷地の一番東側に体育館がある。

体育館の前には石碑があった。そこだけ木々に囲まれていて、少し特別感がある空間になっている。小学校の卒業生が有名な童謡の作者らしく、その歌詞を刻んだ歌碑がある。

体育館と石碑は校庭よりも少し高い位置にあり、その段差は数段の石段になっていた。その石段にランドセルを乱雑に置いて僕たちは三角ベースに興じていた。

西日が眩しい。

ボールを蹴るときは西を向くことになり、葉が全て落ちた大きなポプラの木と太陽が重なっているのが見える。遠くにはオレンジに染まった空と子持山の稜線がはっきりと見える。

あの日の日付がはっきりしない。

そもそも昭和62年だったどうかも定かではない。小学5年生のときなのか、6年生だったのかが、どうもはっきりしない。

西日が眩しくて、寒い日だったのは覚えてる。

誰かが雪虫が飛んでるのを見て、「今日雪が降るんじゃね?」とか言ってたのはあの日だったか。

小学生の頃は毎年のように雪がどっさり降った。

体育の授業が近くにある公園での雪遊びになるのをとても楽しみにしていた。

登校時にはソリにミニスキーやランドセルを乗せて、家から引いていく。

学校に行くのがあれほど楽しみな日はなかった。

あのときの校庭にはまだ雪が積もってなかったから、12月の上旬あたりだったのだろうか。

三角ベースのメンツに誰がいたのか、はっきりとは思い出せない。普段は遊ばないようなメンツが揃ってた気がする。

自分はクラスの下位カーストに属していた。上位カーストの人達とは仲が悪いわけではないが、会うのは学校内だけで、放課後に一緒に遊ぶというのは珍しいことだった。

全部で5〜6人はいた気がする。

試合形式の三角ベースだったから、3対3だとしても6人以上はいたと思う。

キヨちゃん、シノちゃん、コウちゃん、トマちゃん、あとは誰かいたかな、

だめだ思い出せない。双子のイトちゃん兄弟はいたっけ。どうだろう。はっきりしない。

サッカーボールがキレイな新品だったのは覚えてる。

あれはたしかコウちゃんが家から持ってきたものだ。

その日、コウちゃんはネットにいれたサッカーボールをポンポン蹴りながら登校してきた。

そうか、その新しいサッカーボールが上位カーストの誰かの目につき、普段は遊ばないメンツたちと一緒に三角ベースをすることになったんだっけ。

コウちゃんはイジメられていた。

特定の誰かにじゃなくて、同級生のほとんどからイジメられてた。

学校中の同学年の誰もが、女子すらコウちゃんを下に見てバカにしていた。

コウちゃんの家はとにかく貧しかった。

家は愛宕神社の隣だったか。いや、神社の隣は駄菓子屋か?そうなると駄菓子屋と製麺所の間のあたりかも。木造の家は見るからに傾いていて、壁板の隙間から土間が見えるような、ボロボロの家だったのを覚えてる。家の隣には裏の飲み屋街に通じる小径があって、そこは酔っ払い達の抜け道となっていた。いつもゲロやゴミが散乱しているような最悪の抜け道だった。

駄菓子屋の近くということもあり、子供たちの間でコウちゃんが住むボロい家は有名だった。

そういえば父親は一度も見たことがない。いつも疲れてる感じの、割烹着を着た母親が小さな子を連れてたような気がする。幼稚園生くららいだったか、あの子はコウちゃんの年の離れた弟だったのか?

コウちゃんは服もボロボロで、ズボンの膝部分には別の布が縫い付けてあり、見るたび漫画みたいな見た目だなと思っていた。まだらに刈られた坊主頭と痩せた体、いくらイジメられてもへこたれない性格。全ての要素がイジメのターゲットにふさわしいスペックとなっていた。

子供は残酷だ。上位カーストの子たちは、ことあるごとにコウちゃんを馬鹿にして、貧乏だのバイキンだの、酷い悪口を投げかけ、ときには暴力を振るっていた。でもコウちゃんのメンタルは強かった。そのたびに怒ってやり返してた記憶がある。へこたれずに下位カーストの僕たちとは普通に接してた。本人が全くへこたれてないので、誰もコウちゃんを慰めたりすることもなく、本人も先生にチクったりすることはなかった。でも今思い出してみても、あれは相当なイジメだった。自分だったら耐えられずに登校拒否になるようなレベルのイジメが毎日繰り返されていた。日常すぎて感覚が麻痺していた。現代では洒落にならないようや悪口や暴力が繰り返されてたけど、それが毎日だと皆が麻痺する。コウちゃん本人も平気な顔をしてた。今考えれば、平気なわけない。どんなメンタルであの毎日を耐えていたんだろう。勉強はできなかったが発達障害の類いではなかったと思う。正義感の強い委員長でさえ、そのイジメを止めることはなかった。コウちゃんへのイジメはそれくらい日常に溶け込んでいた。

とにかくあの真新しいサッカーボールはコウちゃんの宝物だったような気がする。

そうだ、あの日の朝、教室に入ってきたときサッカーボールについて聞いたら、父親から誕生日プレゼントに貰ったと言っていた。満面の笑顔でそう答えるコウちゃんのサッカーボールを上位カーストの誰かが奪って、からかってたっけ。

当時、子供たちの間では誰かが新品のキレイなものを持ってきたら皆で汚す、という文化というか風習があった。新品の上履きを履いてくれば皆で踏んだし、新品の消しゴムを持ってくれば、皆で使って角を丸くした。それはイジメではなく、誰もがそうしてた。やられた方も怒るようなことじゃなかった。あれは自分の周りだけの出来事だったのか、クラス全員、学校全体での風習だったのか、定かではない。

そうか、それでその新品のサッカーボールを汚してやろうと誰かが言い出して、放課後にいつもと違う、上位カーストのメンツと三角ベースをすることになったのか。

言い出したのはサッカークラブに通う誰かだったと思う。そうなるとイトちゃん兄弟のどちらかな。シノちゃんもサッカーをやってた気がする。

三角ベースを始めて、攻守交代を何回かしたあと。だれかが思いっきり蹴ったボールが右に大きく逸れて、上の段にある石碑の方へ飛んでいった。体育館前の歌碑の周りに木々がある方向。大きな弧を描き緑の奥へとボールは消えていった。コウちゃんはあのとき攻守のどちらだっただろう。ともかく皆でボールの飛んでいった方向に行き、ボールを探すことになった。

ボールの飛んでいく方向は皆が見ていたし、それほど深い緑でもない。ボールはすぐに見つかると思っていた。だが、いくら探しても見つからない。

自分も歌碑の周りに生える木の根本を中心に、草をかき分けてボールを探した。大きな木も無いし、どこかに落ちているはずだ。次第に捜索範囲が広がっていき、敷地の端にある塀の近くやプールの方にまで行って探してるやつもいた。

だが、いくら探してもボールは見つからない。

そうこうしているうちに夕日の影はどんどん伸び、日が沈みそうな時間になってきた。気温はますます下がり、雪がちらついてきていた。

もうコウちゃん以外はまともに探していない。誰もが諦めムードになっていて、あちこちでダラダラとうろついているだけの状態になった。

ボールが無くては三角ベースどころではなく、次第に自然解散のような雰囲気となり、数人が帰り始めた。度々「じゃあねー」という声が遠くから聞こえる。

最後まで残ったのはコウちゃんと自分。あんなに眩しかった夕日もいつしか山裾に沈み。あたりはすっかり薄暗くなっていた。

自分は石碑の北側、体育館寄りの木々の間を探していた。コウちゃんの姿はここからは見えないが、まだどこかで必死に探しているだろう。勝手に帰るのも申し訳なく思い、そろそろ一言声をかけて自分も帰ろうという気持ちになっていた。

そんなとき、体育館前にある側溝が目に入った。どこにでもよくあるその側溝は体育館正面と平行に横切っていて、扉の前の人が渡るところだけ、数メートルにわたり鉄の蓋がされていた。その他の場所には蓋がない状態。それを見て、ふとひらめいた。あの側溝にボールが転がって入って、ちょうど蓋の下に隠れてるのではないか、と。側溝の大きさちょうどサッカーボールより一回り大きいくらいだ。あり得ない話ではない。

これはもう見つけたようなものだ。意気揚々と体育館前まで行き、かがみ込むと、鉄の蓋と側溝の縁に手を置き、頭だけ側溝の中に入れて暗い穴の中を覗き込んだ。

奥の方になにかがある。薄暗くてよく見えない。が、反対側が見えるわけではなく、ちょうど蓋がされた部分の中央付近に丸くて黒いものが見える。だがそれは明らかにボールではない。真っ黒だしまん丸でもない。何だあれは。だんだんと目が慣れてくる。暗闇の中にあるものの正体を確認しようと、必死で目を凝らす。

「頭だ」人の後頭部がそこにあった。髪の毛が全体を覆っていて、先端が地面につくほどの長髪。モップのように縮れた髪の毛はゴミまみれで艶がない。頭の隙間からは反対側の明かりがかすかに見える。あれは明らかに人の頭部だ。なぜそんなものがこんなところにあるんだ。あまりの出来事に心臓のドキドキが止まらない。側溝から頭を出して立ち上がると、今見たものについて考えを巡らせる。どうせマネキンのような作り物だろう。誰かのイタズラに違いない。ゴミとして出た人形の頭部を誰かが穴の中に転がしたに違いない。きっとそうだ。

ひとつ確認しなくてはならない。こちらから見て後頭部ということは、反対から見たらどうなっているのか。向こうの穴から見たら人形の頭を正面を見ることになる。こちらからは逆光だったが、向こう側から覗けば、よりはっきりと見えるはずだ。マネキンとはいえあまり見たいものではないが。

だめだ、好奇心には勝てない。人形の顔を見てみたい。意を決して蓋の反対側に回り、先ほどと同じように蓋と側溝の縁に手をついて、側溝のなに頭を入れる。

すぐに分かった。人形、ではないよなこれは。

とてもリアルな人間の顔がそこにはあった。血の気のない薄汚れたグレーの肌。目は閉じているが今にも開きそうなリアルさ。頭の毛は上の方まで剃られている。

無精髭といい肌の質感といい、本物にしか見えない。これはどう見ても落ち武者の生首だ。

目が離せなくなり、しばらく、その生首を隅々までじっくりと観察していた。が、いよいよ体勢がきつくなってきた。両手に力を入れ、よいしょっと側溝から出る。

生首だよな。間違いない。はっきりと見た。

もう一度反対側に回り、覗き込む。さっき見た後頭部がそこにあった。どうやら見間違いではない。怖い、よりも面白いという感情が湧き出てくる。すごいものを発見した。これは大ニュースになるぞ。どうやって皆に知らせよう。というか、信じて貰えるだろうか。でも生首はたしかにそこにある。何度も確認した。突然消えることもないだろう。

「おーい、あったかー?」コウちゃんの声が響く。声の方を見ると石碑の裏からコウちゃんが歩いてくるのが見える。

「ないよー」と自分。コウちゃんは「そっか、」とうなだれている。

やばい、側溝の中を必死に覗いてたのをコウちゃんに見られたかも。

サッカーボールは無かったが、とんでもないものを見つけてしまった。これはコウちゃんにバレたくない。

「また明日探そうぜ。手伝うよ」

コウちゃんにそう言うと、暗くなってきたし雪も降ってきたから、今日はもう帰ろうと提案し、コウちゃんもそれに応じて二人で帰路についた。

二人の家は同じ方向だ。学校からは徒歩で15分ほどの距離。

すっかり日が落ち、いつの間にか雪が本格的に降りだしていた。

ボールを無くしたコウちゃんはひどく落ち込んでいた。父親から貰った誕生日プレゼントのサッカーボールを1日で失くしたら、それは辛いだろう。家に帰れば母親に叱られかもしれない。

コウちゃんのサッカーボールはもちろん大事だ。しかし今はそれどころじゃない。

どうしよう、コウちゃんに生首のことを話すか。いや、しかし、もっとあの大発見について最大の効果を得たい。親や先生に言うのは論外として、最初に言うべきはコウちゃんじゃない気がする。

どうすれば第一発見者としてヒーローになれるか。やっぱり上位カーストで比較的仲の良い誰かに話すか。でもそうすると、あいつらに手柄を取られそう。どうしよう。そんなことを考えながら、すっかり暗くなった道を二人で歩いていた。

「そういえば、側溝の中をずっと覗いてたけど、何かあったん?」

ふいにコウちゃんが聞いてきた。

「何も無いよ、暗くて奥まで良く見えなかった」

「ふーん」

コウちゃんごめん。嘘をついた。

本当はサッカーボールどころじゃない、大発見をしたんだ。今すぐコウちゃんに言いたい。明日まで誰にも言えないなんて我慢できるのか。

雪はますます激しくなり、本降りになっている。このままでは明日の朝までに数十センチは積もるだろう。

まてよ、雪が積もったら明日、側溝の中なんて覗けないぞ。寒い中、わざわざ雪を掘り起こすのなんて嫌だ。どうしよう。

「じゃあバイバイ」

コウちゃんの家の近くまで来た。

「バイバイ、また明日」

コウちゃんとは神社に向かう曲がり角で別れ、自分の家に向かった。

さてどうしよう。生首のことを誰に言おうか、言ったとして、側溝に雪がたっぷり積もっていたらどうなるか。カースト上位の奴らは「雪を掘ろう」と言い出すかもしれない。そうなると発見者はあいつらということにならないか?それは嫌だ。

最悪なのはあれがよくできたマネキンだった場合だ。すごい発見をした、あれは生首だと言い張って、皆で雪を掘り起こすことになったとする。それで出てきたのがただのゴミだったら目も当てられない。

やばい誰にも言えない。考えがいつまでも堂々巡りになって結論が出ない。

夕飯を食べ、テレビを見て風呂に入り、二階にある自分の部屋に行った。あとは寝るだけという時間になっても、結論は出なかった。外は今年初の大雪だ。チェーンを付けた車の走行音だけが夜の町に響いている。

うーんどうしよう。大人の誰かに相談しようか。

ジリリリリリリリ、ジリリリリリリリ、

階下で家の電話が鳴っている。

こんな時間になんだろう。時刻は10時を回っている。母親の話し声が少ししたあと、階段の下から大声で呼ばれる。

「コウちゃんのお母さんから電話よー」

なんだろう。こんなことは初めてのことだ。コウちゃんの母親とは面識があったが、ちゃんと話したことは無いし、家に上がったこともない。こんな時間にその母親からの電話というのはただごとではない。なんだか嫌な予感がしながら電話に出た。

「コウちゃんがまだ帰ってこないんだけど、何か知らない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の日記 @motors981

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る