第27話 椅子に座れない男⑥

 不思議な出会いを経験した後すぐのある日、いつものようにベンチに座っている慎一のすぐ側に一人の先生が現れた。


「君、君がこのベンチに座ってばかりいるから、ここに他の人が座れないっていうことがわかりますか? 君は一人でこの場所を優先して、我が物顔をしているようだ」


 生活指導の先生から注意されたのだ。わざわざ現場に足を運んで、座っている慎一を前にして、言ったのだ。もう逃げ道など無い状態にされたように感じた。


「君のせいで、みんなが迷惑しているんだよ。わからないのか」

 と、そういわれた時の衝撃。持っていた本を読むための場所だったことを話す隙間も無かった。


「うろついてないでちゃんとしなさい。ここは勉強するところだ。休み時間には次の授業の準備をして、ちゃんと教室にいなさい」


 聞かれもしなかったが、もう、慎一は先生に何も言いたくも無かった。ただ黙って立ち上がり下を向いて唇を噛んでいた。


 だめ押しのように言って先生は去って行った。

「わかったね。皆で一緒に仲良く協力して分かち合う、それが大切なんだよ」


 冷徹な言葉にしか聞こえなかった。慎一の片方の手の拳に思い切り力が入っていた。もう片方の手にあった文庫本は握りつぶされるように変形していた。耐えて立ち尽くしていた。それが、その特別な場所との永遠のお別れの日になった。


 ちゃんとしていないお前のせいで他の誰もが来れなくなった、座れない、お前は座るな、と言われたのだ思った。わからないのか、という言葉がリフレインしていた。何もしていないのに、何も悪くなど無いはずなのに…。ちゃんとしてるか見られてる、また注意される、そこに居るなといわれる…、自分だけが…嫌がられ、見られてる。常にそう考えるようになった。


 しかし慎一が座らなくなった後も、そのベンチには変わりはなかった。そこには誰も座らない。誰も来ない。しかしもはや彼は座れない。


 慎一は教室の席にも座れなくなってしまった。休み時間には彷徨った。廊下より階段をうろついた。図書館の人気の無いコーナーに行った。あとは休みがちになり、最後は行かなくなってしまった。かろうじて卒業は出来た。


 ここにいる全員なのか、他のクラスの人たちもなのか、どの先生たちもなのか、自分のことをベンチにいた自分を迷惑だと思っていたのだろうか。そんな風に見られていたのだろうか。全員なのか、そうじゃなくてもわさをわざ声をあげて誰もそれを否定などしないから、結局は同じことだ。

 慎一にしてみたら、自分も皆と同じ立場なら、おそらくは薄っぺらい同じ対応をするだろうと思えていた。だからこそ皆への怒りや憎しみは無かった。きっと誰もが流されたのだ。ただ、先生に言われた言葉は刺さったままだった。正しそうな、あの表情、口元は忘れられなかった。



「あぁ、本当に、今の今まで思いだしたことなんて無いんですよ。どうしてなんですかね、今、こんなことを思い出すなんて。はは…は」

 苦笑いしながら、慎一は確かにあった自分の辛かった日々を思い出していた。


「あの後、結局、彼は家庭の都合ということで引越していきました、その騒ぎのすぐ後、そんなに時間を空けずに、知らない間に、です。もちろん何の話もしないままでした。ベンチの件についても…何でなんだよって思っていました。私は何もしていない、あいつに何もしてないはずなのに…何でどうして…って。私の中では、あいつがずっと犯人、だったんですね」


 思い出していくということが必要な時があることを七色は知っていた。

(シグナルが鳴っています…時が来たと…)


「その同級生の方が、犯人…だったということなの、でしょうか…」

 七色は、可能性について慎一に投げかけた。


 思い出していくことで、再びその出来事と出会っていく中で、忘れ去られていたところにまるで新しい血が通っていくように、その人の中で新しいカタチとなって蘇っていくことがある。それが起きる時は、新しい意味が誕生するということでもある。それはタイミングだ。新しいページが用意される、その時間ときが来ました、ということなのだ。


 慎一は直接的に答えるのでは無く、さらに昔の、二人の関係性について喋り始めた。


「家が近かったのもあって、小学校に入る前の小さい頃からよく一緒に遊んでいたんです。私たちは、偶然なんですが母親が居ませんでした。あいつの家は幼い頃に離婚していて一人、私は母が三歳位の時に病気で亡くなって一人、二人とも父子家庭だったんです。

 お互い父親は仕事で遅くまで居ないし、小学生の…高学年に入るくらいまでは一緒に居たことが多かったんですよ。特に話をするわけでもないのに、お互い不安を感じないというか、余計な緊張をしないでいられるっていうか…」


「でも、いつの間にか、あいつは、他の人たちと仲良くなっていって、それはよくいう悪い感じのする子たちが集まっていて、夜も集まってるような…。それで、自然と会わなくなっていったんです。置いて行かれたような、そんな気がしてました。私は気が弱いですけど、あいつはちょっと目立ってて偉そうにしたりすることも出来るようなやつでした。悪いヤツじゃないんですよ。それは私が、一番知っていたじゃないか…って思います。でも、嫌われちゃったんだよな。私があいつに何かしたという覚えは無いんですが…」


「その同級生の方、慎一さんとお誕生日が近いでしょうか?」

 

 二人の誕生日は、もしかしたら…と、七色は考えていた。


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