第11話「岩のように重たくなる足」③

 どれだけ経ったのか、聡子は急に自分の身体がぴくっと動くことでハッとした。その途端に、自分の右足が痛いことを、その痛みをもって思い出させられた。

(痛ッー、つぅー、イタタッ)

 痛む右足に黙って手を当てると、前に座っていた七色もその右足が痛むであろうことに気が付いているようだった。

(あれ、私、ヤバイ、寝ちゃってた?)

 聡子は慌てたが、七色は先ほどと同じで顔色一つ変えてはいないようだった。


「さあ、聡子さん」

 急に口を開いた七色は、立ち上がって、座っていた椅子を持ち上げ、テーブルの外側へと大きく移動させてから置き直し、座り直した。

(ここがベストポジションですね)

 テーブルの下に伸ばしている聡子の右足を静かに見ながら、七色はいくつかのことを尋ね始めた。


(さっきから私の言ってることに興味も無さそう、なのに、この人何なのかしら?)

 聡子はそう思いながらも尋ねられたことに答えていく。


「いつからですか? 痛み出したのは?」

「ええと、半年ほど前から…なんです」

「きっかけは、ありましたか?」

「知らない間に、急にです、そして少しずつひどくなっているんです」

「急にですか…」

「はい。何も運動やケガもしていないのに、ある時、急に痛み出したんです。最近では普通に歩くのも難しくなってきていて、昼も夜も急に、痛むんです。歩くのも難しくなってきていて、立っていても歩いてもいろんな角度から痛いんです。おかげで仕事も思うようにはうまくいきません。足が、特にこの右の膝がずうっと寒いような気がするんです。寒いっていうか…冷たく感じるんです。ふうっ。本当に困ってるんです」

 聡子は迷惑だと言わんばかりにため息をついた。


 聞いているのか聞いていないのか、聡子の言葉に対しての七色の反応はやはり無い。勝手に何かに納得したかのようにひとりで頷いて七色は続けて話し出すが、今度は質問では無かった。

「では、ゆっくりと何回か深呼吸をしてください。

 そして、右足の足の先から順々に上の方へ、脚の付け根の方までをゆっくり見ていきましょう。大丈夫、何かあれば見えて来ますよ。何が見えても大丈夫です。何か見えるものはありますか?」


 聡子は七色に言われるがままに、理由も無いがそれが出来そうな気もして、ひとつ目の深呼吸をした。三つ目の深呼吸の後、それから痛い右足のつま先の方からを見ることを始めてみた。しかしそこにはなんてこと無い普段と変わらない足先、つま先があるだけだった。

(なにもないじゃない…当たり前か…)

「変わりません。いつも通りです」


 七色は顔色一つ変えずに次の指示を出した。

「続けてください。ここでは何が起きても大丈夫です。ゆっくりとした呼吸を重ねていきましょう」


 言われたとおりに聡子は静かに呼吸を重ねていく。ゆっくりと吐いて、ゆっくりと吸っているうちに…本当にだんだんゆっくりになっていって…気が遠くなっていく。


「忘れていたことが…そろそろ帰ってきますよ。

 ゆっくりと足先から、脚の付け根の方へと…再び意識を向けてください」


 眠りに落ちそうだった聡子は呼び止められた気がした。

 半信半疑ながら、さらに右足のつま先から上の方へ、膝の方へと視線をゆっくり移動させていった。

 その最中、今度は自分の足が石のように段々固くなってきているように感じ始め、膝を中心にまるで岩のようになっていくように見えて来ていた。だんだん、それは、見れば見るほどに、より固く重くなっていくように感じられて、一気に怖くなった。


「お、重い。こわばってきているみたいな…、岩みたいで…何、これ…いやだ…」


「何があっても大丈夫です。もっと見続けましょう。ただただ、そこにあるものの姿がゆっくり、ゆっくり、そしてさらにはっきりと見えて来ますよ」


 七色にそう言われて、ここに何かあるのか? 

 そう思った聡子は、じーっと自分の右足と膝を見続けることにした。すると、目の前の足自体に変化は見られないままだったが、どこからか声のような何かの音のようなものが聞こえて来たような気がした。


「ゴッ…ギエ…ッ…ゼッ…」

(えっ、何の音なの?)

「ボッ…ウッ…デッ…」

(人の…うめき声…? いや、そうじゃない)


 するともっとわかりやすい音が、聡子には聞こえて来たような気がした。

(そう、だ、これは、人の…声、何か言っているんだ…)


「カ…エセ…」

「カエセ…」

「モトニモドセ…」


(なに… どこから… 聞こえるの?)


 起きていることを見ていた七色。

(変わりましたね、出て来ました)

 だが、現状を聡子自身に言ってもらうためにわざわざ尋ねる。

「どのような風景が…見えていますか?」


「これ、これは…声です。声が聞こえてきました」

「どんな声ですか?」

「カエ…セ、モトニ…モドセ…って」

「ゆっくり聞いてください、もっとはっきりと、わかってきます」

「カエセ、モトニモドセ、って…言っているように聞こえるんです。あ、これは、返せ、元に戻せ、っていうことなのかもしれません。でも、何のことだかわかりません」


「音に集中しましょう。風景がさらに変わります」

 そう七色が言うやいなや、聡子の目の前には、今まで目の前に無かった風景が急に広がり始めた。まるで色が変わったように場所を変えていった。


「これは、石、ううん、岩みたい。小さな塊、近寄ると人間のように見えるものがいます。ひいっ。ひゃあっ! お地蔵さんみたいな! それが私の右膝にぴったりくっついているんです。どっ、どうしたらいいんですか!」

「大丈夫ですよ。それでは、話を聞いてみましょうか? 話しかけてください。聞けそうですか?」

「は、はい。聞きたいので話かけてみます。それにしても重い、痛いっ…」


 それは確かにうめき声では無かった。重たい小さな塊が発している音は、長い間にそうなってしまったのだろうか。まるで岩のように固くなっているようだ。


(想いも言葉も固く凍ってしまった、の…ですね)

 七色はそう思った。


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