神なる日記 【KAC2024】

水乃流

新たなるページ

「影が薄い」


 他人が彼女を表す時、必ず冒頭にこの言葉がある。庄司冴子は、そんな女性だ。彼女のことを知るものは、名前負けしているというが、本人は名前を気に入っている。その名前が漫画好きの両親が、好きな漫画の登場人物からとったものだとしても。

 それに彼女自身は影が薄いとまでは思っていない。引っ込み思案で恥ずかしがり屋なだけで普通の女の子だと思っている。あと、人と話すことが苦手で、人の前に出ると極端に上がってしまうくらい。


 その日、彼女は母方の実家にいた。先日亡くなった祖母の形見分け(という名の整理お手伝い)でやってきたのだ。彼女は、祖母が好きだった。祖母もおとなしい冴子をよくかわいがっていた。昔は、母が帰省するたびに、本を読んでくれた。さまざまなことを、祖母から教わった。そんな彼女を懐かしみながら、彼女は祖母の本棚を整理していた。大半の蔵書は地元の図書館や学校に寄付する予定だ。何冊かは形見としてもらってもいいと言われている。

 祖母を思い出しながら、本をひとつひとつ本棚から取りだし、寄付に出すものをより分けていった。

「これ、読んでもらったなぁ……これも……これも」

 少し黴の臭いが混じった紙の臭い。祖母の部屋でひとり、冴子は黙々と作業に没頭していた。他の親族は、それぞれ別の作業に取りかかっている。なにしろ田舎の広い屋敷なのだ。

「あ、これ好きだった本だ。懐かしいなぁ」

 一冊の古びた本を手に取ると、パラパラとめくってみる。本の間から、ハラリと1枚の紙片が畳の上に落ちた。本のが古くなって、剥がれ落ちてしまったのか? 冴子は、落ちた紙に手を伸ばし拾い上げようとした。だが、彼女が触れた途端、その紙は光る粒子になって消えてしまった。

「あれ?」

 見間違えたかとも思ったが、確かに紙の感触があった。


     ※


 自分自身の変化に気が付いたのは、その日の夜、親族たちとの夕食の時だった。誰かが喋る度に、冴子の視界に色が弾けるようになったのだ。何か聞こえる度に、パチンパチンと泡が弾けるように色が舞う。何が起きているのか、彼女は混乱したが、誰かに相談するような勇気はでなかった。

 次の日、会社を休んで眼科で調べてもらったが……。

「特に異常はないですね。網膜も問題ないですし、角膜に曇りもありませんよ」

 眼科医の言葉は、白かった。


     ※


 少しずつ分かってきたことがある。簡単に言えば、言葉に色がついて見えるようになったのだ。その色が、その言葉を発したときの感情や裏の意味を表していることにも気が付いた。真っ赤なウソというが、嘘の色は真っ赤というよりドス黒い赤だ。下心あるときはピンク色、怒りとか感情が高ぶっている時には黒、というように。

 こんなにも、人に裏表があるものかと、冴子はどんどん人間不信に陥っていった。なるべく人目につかないように、生きるようになった。

 それなのに、数日前から誰かの視線を感じるようになった。誰かはわからない、けれど観られていることは分かる。

「言葉だったら、色でわかるのに」

 声が聞こえれば、色で相手の考えがある程度読めるはずだ。とはいえ、会う勇気はないのだが。


     ※


『ページの保有者よ。そのページを差し出せ、さもなくば死を』

 突き出されたナイフを避けることができたのは、赤色が混じった漆黒が見えたからだ。周りに人気がなくなったから、警戒していたこともある。

「ありゃ、避けられちゃいましたか」

 襲撃者は、細身の若者だった。メガネの奥で残忍な瞳が光っている。

「な、何をするんですか!」

「いや、分かっているでしょ?」

 襲撃者の言うように、すでに冴子は理解していた。日記の保有者が近距離で遭遇すると、日記の与える能力――権能とそのが頭の中に流れ込んできたのだ。彼女に発現した「言葉が色になって見える力」そのの源が、祖母の部屋で彼女が触れた途端に消えた紙であることを。その紙が遙か古代の勇者が残した日記の一部であり、消えたのではなく冴子の中に取り込まれたこと、そして目の前の男が、同じように日記を取り込んでいることを。

「君の能力が何か教えてくれないかな? 日記の保持者ってことは分かるけど、能力まではわからないから。ま、聞かなくても君を殺して取り込めば判ることだけどね」

 日記の保有者は、他の保有者が判る。そして、相手を殺せばその能力を自分のものにできる。

「ボクとしては、大人しく殺されてくれると助かるけど」

「そ、そんなの、いやです!」

「やっぱ武器って苦手なんだよねぇ、ボク」

 色は、白。本当のことを言っている。

「得意なのはさ、素手で絞め殺すことなんだよ。苦しむことになるけど、ごめんね」

 やはり、白。それに喜びの黄色が混じっている。襲撃者の腕が冴子の首に伸びる。


『ページの保有者よ。そのページを差し出せ、さもなくば死を』

「ぎゃぁぁぁっ!」

 悲鳴は綺麗なオレンジ色に見えた。胸から刀身を生やした男を観ながら、冴子はそんなことを考えていた。

「冴子さん、大丈夫?」

 影から出てきた女が、冴子に声を掛けてきた。

「はい。大丈夫です、真子さん」

 彼女の名前は、桐谷真子。日記保有者の集団、『紙片同盟』のリーダーだ。数日前、冴子は彼女たち紙片同盟と接触していた。真子たちは、日記保有者同士で争うことは不毛であると考え、他人を殺して日記を集めようとする人間たちに対抗している組織だった。真子は冴子に迫る危機を知らせ、そして助けてくれたのだった。

 冴子が真子と話している最中に、どさりと重い音を立てて若い男が倒れた。その背後には、腕が剣になっている中年男性が立っていた。

「“怪力”ですか。私以外の人にやらせた方がよかったのでは? 真子さん」

「剣に力、最高の組み合わせじゃないですか。それに、ナイフ持っていたから、剣関連の権能だと思ったんです」

 いつの間にか、男性の腕は普通に戻っていた。

「また慣れるまで大変じゃないですか。やだなぁ」

 彼の言葉の色を観て、本気で言っていることだと冴子は気付いた。

「そういわずに、訓練には付き合いますよ。さて」

 真子が冴子に手を差し出した。

「『紙片同盟』にようこそ、庄司冴子さん」

「はい、よろしくお願いします」


 こうして庄司冴子は同盟の一員となり、やがて組織の幹部になっていくのだが、それは別のお話である。

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