第13話

「あなた、今までどこに行っていたの⁉」

「ぴっ」


 フロントに響いた叱責に静が小さく鳴いた。清巳も声がした方へ首を廻らせる。

 顔をベールで隠した女性が早足に近づいてきていた。身に着けている青と白の制服は協会のもの。

 清巳は僅かに目をすがめた。


 手にしている薄氷の杖には女性の手のひらよりも大きいクリスタルが輝く。ベールで顔は見えないが、協会でその杖を持つ人は一人だけだ。元金青パーティーの魔法担当、清山院せいざんいん麗華。彼女が得意とする氷の魔法は半径五メートルを一瞬にして凍らせることも可能だ。空間を凍らせるのは高度な技術であり、氷魔法においては随一の威力と能力を誇る。

 所属していたパーティーの解散と同時に引退して以降は、協会幹部の秘書をしている。

 東都は連盟の総本山とも言える都市であるため、協会所属の人間が足を踏み入れることはまずないが、研究機構が拠点を置く都市は目こぼしされる。逆もまたしかり。ここのところ続いているダンジョンの異変に関する話し合いでもあったのだろう。

 特に協会に籍を置く者ならば羨望を一身に集める存在だが、協会そのものへ強い不信感を抱いている清巳は会えてもまったく嬉しくもなんともない御仁である。できることならば視界にも入れたくない。


 清巳の背後で、まるで蜘蛛が巣を張り巡らせる様に薄い薄い殺気が広がる。ぞわぞわと悪寒が這うような居心地の悪さに、清巳も緊張を高めた。

 それに気づかないわけではないだろうに、その女性は申し訳なさそうに清巳に声を掛けた。


「申し訳ありません。彼女が迷惑かけました」


 そう告げて後ろに回り込んだ女性が静に手を伸ばす。

 その手を切り落とさんばかりに殺気を高めた静と彼女との間に割り込み、清巳はその手を掴んだ。

 ここで殺生沙汰は避けたい。


「いきなりなんだ。あなたから謝罪を受けるようなことはないはずだが」

「彼女は我が協会の探索者です。事故があって以降、音信不通だったのですが、保護して頂いて感謝致します。さあ、あなたのごかぞぶべっ」


 清巳が気づいた時にはすでに静は清山院の背後に回っていた。変わらず放たれている薄い殺気。巻き込まれまいと手を離し、二歩下がる。

 跳躍した静は身体を捻って回し蹴りを清山院の横っ面にたたき込んだ。

 秘書の身体は一直線に壁へと飛ぶ。豪快な音を立てて壁に突き刺さった。一瞬遅れて持ち主と同じく壁に叩きつけられた薄氷の杖が砕け、煌めきながら氷の残骸とクリスタルが床に転がる。

 しん、と一瞬にしてフロントに静寂がおりるなか、静は軽い身のこなしで着地し、満足げに笑った。


「ん、これでよし」


 頭を壁に埋めて四肢を投げ出している協会の女性はぴくりとも動かない。

 為す術もなく蹴り飛ばされた清山院を引いた目で眺め、清巳は小さく首を捻った。

 あれくらい、生きてる……はず。たぶん。見るからに為す術もなく食らったように見えるが、一応仮にも元金青ランクの一員が、まさかそんなことはあり得ないだろう。

 疑念を払拭し、目の前に立つ静に視線を戻した。


「なにもよくないぞ」


 静は不思議そうに首を傾けた。


「協会のしもべはつっかかってくるなら潰して良くて、連盟の脳筋はとりあえずぶん投げておけばいいんだよ。知らないの?」


 即座に違うと否定できなかった。いや、違うには違うのだが、それを彼女に教えた人の協会と連盟に対する心象に同意したい自分がいる。

 清巳は口を閉ざして明後日の方を向いた。


「何ごとだ!」


 破壊音を聞きつけておくから人がわさわさと人が出てくる中、真っ先に声を上げたのは研究機構東都支部の副部長、高垣律子だった。探索者上がりの職員で、右目に眼帯をしている。


「清山院⁉ なぜこのようなことになっているのだ、だれか説明せよ!」


 がたいの良い、青と白の衣装を纏った壮年の男性が怒りを滲ませながら叫んだ。清山院が秘書として使えている協会幹部で、名を冷泉れいせん巌雄いわおと言い、清山院のパーティーメンバーで盾師を務めていた人物である。

 詳しい説明は周囲に任せ、清巳は視線を戻し言い含めるように静に告げた。


「そういうのはダンジョン内だけにしておけ。こんな場所で手を出したら普通に紛争になるから」

「それの何がダメなの?」


 まっすぐに見上げる瞳はどこまでも純粋だった。それは善悪を知らない幼子のようで、清巳は腕を組んで考え込んだ。


「馬鹿者、いつまで呆けている! さっさと負傷者を救護室へ運べ! そこの受付二人は担架を持ってこい! そこの壁際の五人は清山院秘書を慎重に引き抜け! 他は瓦礫の撤去、一部始終を見ていたやつは代表して誰か説明に来い!」


 高垣の指示に我に返った者たちが慌ただしく動き出す。

 それを横目に捕らえながら清巳は思考を巡らせる。

 倫理道徳を説くべきか、あるいは政治的観点からの利益不利益を説くべきか。はたまた、単に巡り巡って迷惑だからやめてくれと言うべきか。

 回答する視点をどうするか悩む清巳に静は問いを重ねた。


「なんでダンジョン内じゃないとだめの? 理由がないなら、つっかかってきたのあれだし、別に潰しても問題ないよね?」

「逆に聞くが、なんで協会の使者を蹴り飛ばした」

「あの人間、私を捕獲しようとしてたから」

「捕獲?」


 一瞬、一ノ瀬の「捕獲や」と叫ぶ顔が浮かんだ。

 頭を振って思考を現実に引き戻す。


「協会所属の探索者……って言ってたが……それにしては確かに敵意が……」


 清山院が言ったように静が協会の探索者ならば、静の協会に対する言動はおかしい。協会に反する言動は封じられる。改めないならば懲罰が下る。そんな場所にも関わらず、反協会的発言をする静を協会に所属させているのは道理にそぐわない。

 それ以外にもなにか引っかかるものがある。だが、喉まで出かかっているのにその違和感は判然としない。


「ん」


 空間収納から取り出したのは、黒い石が埋め込まれた水晶の腕輪。――研究機構の探索者証だった。

 清巳が確認したのを見るやいなや静は速攻で空間収納に投げ収める。

 ようやく違和感の理由が分かった。チャンネル名の色は黒だった。協会所属ならば青、連盟なら赤とわかりやすく色分けされている。そこの色は登録した探索者証に紐付いているので、黒色でチャンネル名が表示されている彼女が協会所属であるわけがない。

 多重発行はできないため、静が複数所持しているというのもあり得ない。

 言いがかりをつけてきたのは協会の幹部秘書である以上、倫理も道徳も政治的観点も静には通用しないだろう。

 清巳はひとつ首を縦に振った。


「白昼堂々、もっともらしい言い分で誘拐宣言されたら、確かにぶっ飛ばすな」

「それが君たちの言い分か」


 事情を聞き終えたらしい冷泉の重々しい声とともに威圧が放たれた。重くなった空気が肩に乗る。


「ひ、ひぃぃっ!」


 震えながらフロアの人間が蹲った。悲鳴を上げて這うように逃げる者もいる。

 そこまで怯えるものだろうか、と思いながら清巳は気だるげに男を横目で睨みつけた。威圧が拙すぎて逆にこそばゆい。

 ため息をつくと、清巳は彼の威圧を上回る殺気を男に飛ばした。そわそわとした空気がなくなりすぐさま殺気を引っ込めて静に視線を戻す。

 彼女もまた平然とした顔でそこに立っていた。視界の隅で男が一歩足を引いたのが分かる。


「そのまえに逃げるなり上に報告するなりしろ、馬鹿者どもめ」


 やや血の気の引いた顔をしながら、毅然とした態度で高垣は二人に苦言を呈した。

 それを涼しい顔で受け流していると、静がくいっと服の裾を引っ張った。

 痺れを切らしたのか先程よりも機嫌のよろしくない顔をしている。


「なんでダンジョン内じゃないとだめなの」

「今回の場合、巡りに巡って俺の弟妹の生活に影響が出るのは俺が困るから」


 一応、連盟のお膝元ではあるため滅多なことにはならないが、協会の顰蹙を買えば当然報復が待っている。西都に行く予定は今後もないが、呼んでもいない客が来ることはある。


「蹴飛ばしたの私なのに?」

「半分当事者だからな。下手に他人を巻き込まないところと言ったら、ダンジョンだろ」

「むー……。つっかかってきたのあっちなのに」


 不承不承といわんばかりに薄く広がっていた殺気が消えた。

 政治うんぬんも倫理道徳も通用しなさそう、という推測は当たったらしい。他人に迷惑をかけない、という重要な教育が根付いているのは何よりである。


「二人ともその口を閉ざせ」


 叱責する高垣を、冷泉は底冷えするほど冷たい視線で射貫いた。


「我らへの敵対行為、みすみすと見過ごすわけにはいかん。このことは厳重に抗議させて貰う」

「じゃあ潰そう」


 冷泉の言葉に静が初めて反応を見せた。





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