第10話 #今日の夕ご飯は炒飯希望④

 待てども待てども再起動しない彼女にしびれを切らし、緩慢に口を開いた。


「とりあえず、手、離してもらっていいか?」


 ゆるりと上げられた彼女の表情に、清巳は息を飲んだ。

 能面のような顔。魔宝石の話題に一喜一憂していたとは思えないほど、その表情からは感情を見て取れない。

 すっと視線を下げ、腕を辿るように再び顔を上げた静は、投げるように手を離した。

 その場で膝を折り曲げ、地面に転がる魔石を手に取る。ぽいぽいと後方へ投げる魔石が宙で消えた。背後に空間収納を展開しているのだろう。

 魔石を拾っては投げるのを淡々と繰り返す彼女を観察する。

 拗ねた。ふて腐れた。いじけた。どの言葉も、今の彼女にはどこかふさわしくない。強いて言うなら、こちらへの興味はもとから存在しない、と言うべきか。

 居心地の悪さに気まずさを抱えながら重い口を開いた


「さっきは驚かせて悪かった」


 返答はない。


「この前の件で確認したいことがあるんだけど」


 一瞥することさえなく、黙々と魔石の回収する。始めから聞こえていないかのような態度に目が据わる。

 端末の音声を切り、浮遊カメラを掴んで地面に向ける。

 ダンジョン配信は実名でしかできない。探索者証の名義でしかアナジテニアに登録できないからだ。だからといって、配信でフルネームを公表するのはリテラシーに関わる。いくら調べればわかるとしても。


「研究機構には俺から言っておくから、せめて名前だけでも……ああ、俺は伊地知清巳だ。お前は」


 反応の期待はしていなかった。それならそれで、そうと報告すればいい。

 そんな思いに反して彼女は振り返った。敵意や害意、侮蔑を含んだ顔ではなく、訝しげな顔で。


「いじち?」


 うろんに聞き返した彼女に、清巳も疑問を抱く。


「ああ。それがどうかしたか?」


 残っていた最期の魔石を空間収納に放り投げて静が立ち上がり、――背中を向けた。


  [踊る宝石袋ダンシングジュエリーバッグが出る階層をソロ……]

  [そこも突っ込まないお約束です]

  [いつもとおかしいから中層にも出てきたってことにしておくのが賢い]

  [ここは惚気と温度差を楽しむ所です。その他の些事には目を瞑りましょう]

  [えぇ……些事とは?]


 視界の隅をこそこそコメントが流れていくのを片目に、清巳はため息を飲み込んだ。

 会話にならない。相手にその気がない状態で成立させることは困難を極める。諦めよう。そう決めたとき、微かな息づかいを感じた。

 はっと顔を上げると静は背中を向けたまま佇んでいる。

 うなり声が隧道に響いた。

 清巳は剣を握り直し、道の奥、彼女の背中の先を見つめる。

 正面から来る魔物の気配は一つ。こちらを捕捉しているだろうに、歩いているのか移動はゆっくりである。

 背中を向けた時点で彼女は気づいていたのだろう。

 実力差に苦い思いを抱きながら清巳は声を掛けた。


「すごく失礼なお願いをしてもいいか」


 彼女がその気になっているのならば、反応がなかったとしても伝えておくのが誠意というもの。

 期待はせず言葉を続けようとした清巳は、しかし肩越しに顧みた彼女に言葉を失った。

 無言で見つめてくる瞳は続き促しているように見える。そう思うのは都合が良すぎるだろうか。

 理解できない彼女の身の変わりように戦々恐々としながら声をかけた。


「一応、中層っていうていで配信してるから、キマイラは更に都合が悪くてな。頼んでもいいか?」


 獣のうなり声に蛇が威嚇する音と山羊の鳴き声が重なり、隧道に反響する。

 見つめ合うこと三秒。彼女はなんの感慨もない様子で顔を背けた。


  [兄は弟妹が全てなので、それ以外は些事です]

  [珍しく鬼ごっこしてたけど、弟妹へのプレゼントを貰ったのが最大の理由  だから些事なんだよなあ]

  [兄だから。全てはその言葉が解決する]

  [聞いてみるんですが、弟妹チャンネルの頭についてる【拡散禁止】もそういう

   感じなんです?]


 一つの身体に二種類の頭を持つ獣が迫る。左に獅子、右に山羊。そして、威嚇するように、蛇がしゅーっと唸る。

 キマイラは魔物のランクづけでいうなら、Aランクの個体だ。通常ならば深層にいる個体で、地上で暴れよう者なら大地震や大津波などの大災害レベルで都市を複数破壊することも容易な魔法の威力を有している。

 踊る宝石袋も下層以下に出てくる魔物だが、そこはコメントにあった通り、異変で内部の生態系も変わりつつのあるのではないか、と対外的にはゴリ押すつもりである。

 六対の赤い瞳が死を宣告するように弧を描き、キマイラは泰然と隧道を歩く。自らを覇者と疑わない、強者の風格をもって近づいてくる。


「――いいよ、死なないなら」


 彼女との会話が成り立った。先程まで無視一辺倒、満点の敵意はどこにいった。

 奇妙な気色悪さを感じながら清巳は答えた。


「帰らなきゃ泣くやつがいるから、死ねない」


 しばしの沈黙の後、拗ねたような声で彼女は告げた。


「そう言っておっちゃん帰って来ないもん」

「縁起でもないこと言うな」


 清巳の声に獅子の咆哮が重なった。牙を剥いてキマイラが飛びかかる。前に伸ばされた鋭い爪は静に向けられている。

 その後ろ、キマイラの尾でもある蛇は短く鋭く鳴いた。拳大の火球が約十、清巳を目がけて放たれる。


  [そこは禁止なんだとしか思ってなかった]

  [俺もー]

  [そういうこと。やってることは上位探索者のそれだから]

  [と言うと?]


 着弾すれば丸焦げ必須。避ければ追尾してくるという探索者泣かせ仕様のそれに迷ったのは一瞬。清巳はいつものように剣を薙いだ。

 ぱきん。

 乾いた音が耳朶をつく。ふっと右手が軽くなる。

 切り裂かれた火球が威力を失い消失したのを確認してから視線を滑らせた。

 刀身の半分以上を失った剣。振るった勢いで飛んでいった切っ先が、隧道の壁に突き刺さっている。


「…………だよなあ……」


 肩を落として、戦況を確認すべく清巳は前を見た。

 獅子の手と首が地面に転がっている。切り落とした蛇の頭を踏み潰した静は、足掻く山羊の頭を無造作に切り落とした。

 赤子の手を捻るように容易にキマイラを、それも変異個体を片づけたその実力に疑いの余地はない。

 特有の魔力の揺らめきを持つ緋色の刀を携え、汚れ一つなく立つ姿を清巳は眩しそうに見つめた。

 逃げられるのは当然だ。自分では到底至れない高みに彼女はいる。武器頼みで力業に任せている自分が追いつける訳がない。


 ――緋緋色金の武器を扱う彼女との差は歴然だった。


 首をめぐらせた静がかたまった。手に持っている剣の半分と壁につき刺さる刀身の間を視線が揺れ動く。

 折れた原因に気づいたであろう。


「気にしなくていい。……いつかは、壊れるんだ」


 隧道の壁に突き刺さる刀身に寄り、浮遊カメラを脇に挟んで柄を持ちかえる。右手でそれを引き抜いた。

 地面に壊れた刀身と柄を置いた。


  [黄金ランクのパーティーのメディアに対する愚痴を見れば、ソロな兄の懸念も

   当然。追いかけ回されてすっぱ抜かれて、本人や家族が病むのはそこそこある

   話。病んで自死するのも良くある話]

  [ブラコンシスコンな兄がそれをよしとするわけがない。万が一でもそんなこと

   になったら東都が崩壊する方に一票]


 ダンジョン内で壊れた武器も、置いておけばやがて吸収されてなくなる。思い入れがないと言えば嘘になるが、現実を知った以上、手放すべきだと思った。

 そうでなければ、その剣さえあればできたのにと、過去の栄光に縋ってしまう。折るしかなかった自分の未熟さを棚に上げて驕るようなことはしたくない。

 地面に置いた金青の剣から目を離し、予備の鋼の剣を鞄から取り出した。


「用事と言ってもたいしたことじゃない。この前の救助活動でお前が使ったポーションを知りたい」


 静は訝しげな顔をした。しばし考え込んではっきりと告げる


「してない」

「先週の水曜日、上層に出た変異個体倒したのは君だろう」


 こてん、と首を傾けた。悩むように俯き、思い出すように天井を見上げる。


「…………イエロートルマリン?」


 首を僅かに傾けながら、自信なさげな声がぽつりと落ちた。

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