第9話 #今日の夕ご飯は炒飯希望③
『えっと……どうかしたん?』
取り憑かれたような心地にの清巳に、佳弥の言葉は届かない。
[どした?]
[また変異個体がいるとか言わないよな]
[ばか、フラグを立てるな]
端末が拾わないくらい遠い。けれども、人より優れた感覚が音を拾い上げられるほどには近い。
ダンジョン内では耳にしない音色を清巳が初めて聞いたのは、もう四年も前のことだ。
深層をひとりで攻略しようと無茶をした。なんとかボスを倒し、けれども満身創痍で出血も酷く、残っていた下級ポーションを口にしたところで倒れてしまった。
ふと意識を取り戻したとき、傍に誰かがいた。
――きやすめ……だけど……。
からんからんと澄んだ音を響かせて、幼い少女の声は訥々と言葉を紡いだ。
朦朧としながら寝て起きてを繰り返し、ようやく動けるようになったとき、傍にはもう誰もいなかった。
まるで夢のようだったと、今思い返しても思う。彼女を探したこともあったが、なんの手がかりもなかった。
今までは。
警戒しつつも、期待を隠せず早足になる。
分岐を一つ超えた。
からん。
からからん。
音はまだ続いている。
清巳は道の先から感じられる探し人の気配があった。思いもしない気配に、動かしていた足が重くなる。
[なんの音?]
ふたつめの分岐が近づいて、ようやく音を拾い上げたのだろう。コメントが動いた。
分岐の手前で足を留めた。そこに留まり続けている気配。音はまだ続いている。捨てきれない望みを抱きながら、慎重に顔を覗かせた。
飛び跳ねる袋型の魔物がいた。ダンジョンごとに生息する魔物は異なるが、共通して見られる魔物もいる。その一体が『
緩んでいる袋の口から飛び出た魔石が地面に落ちる。
からん。
から、からん。
少女は手を上に突き出したり、下ろしたりしながら、左右にちょこちょこ揺れ動いた。
上下運動しながら横飛びをする魔物。
からん。
からん。
――からん。
動いた拍子で袋から飛び出た魔石が地面を叩く。僅かに袋がしぼんだ。
少女は右手を口の前に並行にかざし、左手を腰に当てて、首を前後に動かしながら左右を往復する。
解けている袋の紐を器用に動かしながら少女の動きを真似するように、魔物が動く。
からん。
からん。
……。
からん。
少女は、脇を締めて左右に広げた手を羽のようにぱたぱたと動かしながら飛び跳ねた。
魔物は飛び跳ねて、解けている袋の口の紐を上下にぶんぶんと振り回した。
からん。
袋の口から飛び出した魔石が転がる。
無言で顔を引っ込めた。額を抑えてうな垂れる。
見てはいけないものを見てしまった気がする。同時に、美化している訳ではないが、思い出が穢されたような気がして落胆を隠せない。
端末に直接メッセージが届いた。
[このまま通話を繋げておくさかい、捕獲頼むな]
からん。
先ほどよりも音の間隔が広がっている。
清巳は思い出を胸の奥にしまい込み、意識を切り替える。彼女との間合いを詰めるために地面を蹴った。
――からん。
直後、彼女の体が沈んだ。宙に赤い一線が走る。しかし、腕を振り切った彼女の手に得物はなかった。
あの一瞬。空間収納から取り出して敵を切り裂いて得物を空間収納にしまう。ただそれだけのことだ。だが、使い手の限られる空間収納魔法を流れるように使えるあたり、屈指の魔法使いでもあるのだろう。
多才というにはあまりにも規格外だ。
魔物を倒してその場にしゃがみ込む彼女の背後に着地する。彼女はまだ反応しない。
「にゃはっ、ぴぃぃ⁉」
落ちている魔石を手にした彼女が勢いよく立ち上がったその瞬間に襟首を掴む。それからは本能だった。
反射的に体が動くのと、今まで沈黙を守っていた通話相手が叫ぶのは同時。
『ストップ、ストップや静! うちがその人に頼んでんねん!』
彼女の大声にかき消されるように金属音がめりこんだ。耳元で嫌な音もしたが、首を横一文字に斬られるよりかはましだ。
回転する勢いで捕獲の手から逃れると同時に、振るわれた刀身の赤い刀を金青の剣で受け止める形で静止すること三秒。
「宝石の人?」
静と呼ばれた少女は不思議そうに視線を滑らせた。
視線を彷徨わせながらも、少女に隙はない。
『あんたが今まさに真っ二つにしようとしとった兄ちゃんに通話を繋げてもろとるんや! 端末壊したやろ⁉』
「あ、そっか。……宝石の人の知り合い……」
納得はしたようだが、警戒を隠さない顔で彼女が刀を下ろした。
少なくとも命の危険はないと判断した清巳も倣って剣を下ろす。
魔石をしっかり片手に抱えたまま、すすす、と静は二メートルの距離をあけた。
なお収まらない殺気に清巳も警戒を続ける。
『その人睨むんは違うで。元はと言えばあんたが……あかんあかん、これは後。一回こっち
「この前行った」
『ならパープルダイヤは見んでええな』
「え⁉」
一瞬にして間合いを詰められた。思わず反応しそうになった右腕に意識をとられたすきに、端末のある左腕を掴まれた。
「ほんと? ほんとにパープルダイヤがあるの⁉」
掴んだ左腕が持ち上げられて、食いつくように少女が端末に顔を近づける。
先程とはうってかわった喜色に満ちた声。放っていた殺気はすでにない。
「魔宝石ダイヤの中でも稀にしかないあの魔宝石パープルダイヤ? 二一五六年にアンドレア=フィルスが世界で初めて魔宝石精の存在を報告した際に宿っていたと言われるあの? 別名魔宝石精の宿と呼ばれて人気が高すぎるうえ産出量が多くないから超希少なあの⁉」
[唐突なヲタクトークで草]
[魔宝石ヲタク、ここに爆誕!]
[完全に空気ですね]
[温度差が売りだからしゃーなし]
他人事のように笑うコメントに片目をすがめつつ、清巳は沈黙を守る。
『その。まあでも、手伝いに来たくない言うならしゃーないな』
「行く。行く、行く行く行く! 今から行けばいい⁉ 間に合う⁉」
見事、餌に釣られている少女をなんともいえない目で見つめた。
綺麗さっぱり存在を無視されているのは良いとしても、なにかが釈然としない。
『にーちゃんとやることを今日中に片付けて、にーちゃんの行ってよしという許可が下りたらええで』
聞き捨てならない佳弥の発言に、清巳は口を挟んだ。
「ちょっと待て飼い主」
やること、というのは研究機構への報告のことだ。名前と所属、使用したポーションの確認。救助の際に使用された薬の代金は、救助した者が所属する組織から本人たちに請求され、救助対応者へ分配される。だが、瀕死の状態を一瞬で回復させるほどの治療薬となると億は下らない。黒鉄の半人前探索者には不可能だが、そこが考慮されることはなく、請求は三親等以内の縁者にも累が及ぶ。
清巳とてそのことは把握している。ダンジョンの異変に関しては些細なことでも報告を義務づけられているため、この配信データも提出しなければならない。見なかったことにすることも可能だが、そんなことをしてあげる義理はないため、必要な情報はとる算段でいた。
だが、それはそれ。なぜ二度目ましての人間の手綱を自分が握らなければならない。
『生憎、飼うんはうちの手に余るんや。にーちゃんの方が年下の面倒見るの得意やろ?』
「弟妹と一緒にするな」
清巳の抗議をさっぱりと流して、佳弥は静に忠告した。
『静、そこのにーちゃんにさっきのことちゃんと謝りぃな』
「後ろに立つのが悪い」
敵意を隠そうともしない黒い瞳が見上げてくる。
それを受けて、清巳も挑発するように笑みを深めた。
「正面からだろうと、話しかけただけで逃げ出したやつがなにを言う」
なに言ってんだこいつ、と言わんばかりの懐疑に満ちた目を向けられた。
だから、なに言ってんだお前は、と同じ視線を向け返す。
記憶を長時間保持できない病でも持ってるのだろうか。
そんな憐れみを込めながら見つめれば、それが癪に障ったようで顔を歪めた。
佳弥が呆れを隠さない声で言った。
『あんたが端末壊さな、にーちゃんに頼む必要もなかったんや。したくないならしたくないでもええよ、無理してあんたに声かけるのやめるさかい』
「ごめんなさい」
嫌悪に満ちた表情をかき消した静が頭を下げた。実に欲望に忠実で素直である。
だからといって、はいそうですかいいですよ、と受け入れられるわけでもない。
「欲望だけの謝罪をもらってもな」
『ほな、来るならにーちゃんからちゃんと赦しを得て、やること片づけてから来てな』
「え⁉」
首を勢いよく上がった。ただ、端末を凝視するその表情まではよく見えない。
『ちゅーわけで、頼んだでにーちゃん』
「おい!」
制止の声も虚しく、通話が切れた。
[これは貧乏くじ引いたな]
清巳は硬直したまま動かない頭を見つめた。
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