第8話 #今日の夕ご飯は炒飯希望②

「………………一報を入れるか」


 浮遊カメラの追尾機能を一時的に切り、手動で道の向こうを映した。

 登録していない個体は自動的に探索マスコットキャラに自動変換される。姿や顔はわからないだろうが、あの独特な行動は依頼主ならばわかるだろう。たぶん。

 依頼主へ向けたメッセージを打つ。


  [なんだ? 踊ってる]

  [こけましたね]

  [捕獲ってこの子?]

  [魔物は睨まないであげて……ってまって変異個体の群れ⁉]


 視界の隅を流れるコメントから伝わる状況は間抜けとしか言い様がない。

 送信ボタンを押して、清巳は壁から背を話した。

 捕獲するとしても可能ならば穏便にいきたい。あの時は逃げられたが、なんとか会話を成り立たせたいところだ。


 ――どうやって。


 清巳は初めてその思考に思い至った。

 だが悩んでいる暇はない。逃げ出されたらまたやり直しになる。

 分岐を曲がり、姿を見せた清巳は恐る恐る声を掛けた。


「えーっと……ちょっといいか」

「ぴっ⁉」


 鳥のような鳴き声をあげて少女が飛び上がった。振り向いて凝視してくる闇色の瞳に浮かぶのは警戒だ。

 その気持ちはわかるが、依頼ゆえに引き下がることもできない。


「あ、えっと、悪い、驚かせたかったわけじゃ、あ」


 後ろにステップを踏んで飛び退いて、その勢い乗って身を翻し脱兎の如く逃走した。


「おー……見事に逃げられた……」


 急速に遠のく気配に清巳は小さく肩を落とす。

 探知魔法が使えたならばもう少し探しやすいのだが、生憎と清巳は魔法を使えない。

 事務的な会話以外で、自分から話しかけたのはいつ以来だろう。ここまで言葉が出てこないとは思わなかった。

 ちらりと地面に横たわる魔物を見下ろす。魔法と近距離を得意とする厄介な狼――魔狼の群れだ。紫の毛並も、地面に落ちる首に着いている赤い眼も、コメント通り変異個体だ。ご丁寧に魔物の核たる魔石だけはくりぬかれており、その他は全て投げ捨てられている。

 一個体ならばともかく、群れ全てが変異個体となると、ダンジョンの異変はかなり進行しているのかもしれない。

 頬の痒みを手の甲で拭って、清巳は顔を上げた。


「うん、正攻法は無理だな。障害物鬼ごっこ頑張るか」


  [【注意】ダンジョンは遊技場ではありません]


 視界の隅に見えた突っ込みは無視して、彼女を追いかけるべく走り出す。


[門限破ったら飯ねーから]


 ちょうど業間なのだろう。ぽつりと送られてきた弟のコメントに清巳は目を剥いた。


「えっ、帰る! 遅くなっても帰るから、後生だから残して!」


 その叫びに、返信はなかった。


「晩ご飯までに帰る絶対帰る、帰るったら帰る。でも知ってる、ああ言いながらちゃんと食べる物残しててくれてるんだよな。うんかわいい」


 呟きながら下へ続く道を駆け抜ける。洞窟だけが続いて旨みがない浅木地下ダンジョンをベースとしている探索者は少なく、パーティーとすれ違うことさえないため、さくさくと下へ行くことができた。


  [夕食かかってるから張り切ってるなー(棒)]

  [それでも惚気を忘れない、よっ、兄の鑑]

  [え、パーティーは? え? まさかないの? え?]

  [そこは突っ込まないお約束です]


 各階層で人の気配を探りながら来たのもあり、下層ボス部屋まで三時間がかかった。それに加え、中層上部と比較すると下層下部はほぼ変異個体に置き換わっている。

 魔素濃度測定器を取り出して地面に置いた。

 そびえ立つ扉を見上げて、清巳はため息を吐いた。


「今頃二人とも授業かあ。可愛いよなぁ。授業参観、弟教えてくれないの。行きたいのに。ちゃんと惚気は自重するって言ってるのにあえなく却下されて。そこもかわいいんだけど」


 下層の一階から降って、現在は十階。次からは深層と呼ばれ、これまでとは雰囲気が一転する。扉を見上げて清巳は腕を組んだ。


「捕獲対象はまた更に奥……ねえ……」


 行けないことはない。ただ、配信しながらでは、深層であることが詳らかになってしまう。それは少し都合が悪い。

 清巳はボス部屋に続く扉をじっとりと睨みつけた。

 彼女は逃走一辺倒。自分は彼女の姿を探しながらで速度は落ちていた。とはいえ、追いつけなかった。

 上には上がいることは理解している。ただ、探索者になって足下にも遠く及ばない現実を叩きつけられたのはこれで二度目だ。


「……………………………………………………癪だな」


 ぽつりと、清巳は呻いた。端末を確認するが、依頼者からの返信はまだない。

 この先に行くことは日常を崩すということ。佳弥からの依頼は、組織を通さない非正規なもの。依頼主自身も無理はしなくて良いと告げたくらいだ。

 チャンネル名に拡散禁止と掲げているが、清巳とて下手に話題になるような状況は回避したい。諦めるのが最善と分かってはいるが、癪なものは癪なのだ。

 自らの力の無さに対する不快感を胸の奥底に押し込める。

 腕の端末が小さく振動した。清巳は地面に置いた測定器を回収する。


「いや、無事に弟のごはんが食えると思えばあり。あぁいいながらも取っといてくれるけど、やっぱり一緒に食べるのがいいからな。かわいい弟とかわいい妹にの顔を見――」


 気持ちを落ち着かせようと弟妹のことを考え始めた思考は、着信音に遮られた。端末に表示された名前を確認して、すぅっと目をすがめながら応じた。


「どうも」

『にーちゃん、ほんまごめん。手が離せんくて。アホ逃げたんやね』


 逃げた。――逃げられた。それは事実だ。だが、改めて突きつけられると自分の驕りを自覚せざるを得ない。簡単に捕まえられるとは思ってはいなかった。ただ、ここまで追いつけないとは思いもしなかった。その事実が清巳の苛立ちと悔しさに拍車を掛ける。


「ものの見事にな」


 踵を返し、とん、と地面を蹴った。

 使用している浮遊カメラがついてこられるぎりぎりの速度で地上に続く道を進む。

 正面から突進してくる魔物がいた。体長が一メートル以上の一角兎アルミラージを、力のままに叩き斬り、無言で処理をする。

 素材の確保が終わるや否や再び駆け出した。


『……なんや、すまんなにーちゃん。苦労かけて』

「構わない。そういう依頼だしな」


 いつもより低い声が放たれた。


  [……なんか、おこ?]

  [こらっ、しー]


 こそこそするようにコメントも静まりかえる。

 下層九階へと続く昇り階段が見えた。


 ――からん。


 そのまま駆け上がろうとして、ふと足を留めた。カメラが数十メートル進みながら停止し、清巳の元へふよふよと戻ってくる。


 からん。

 からん、から、からん。

 から、からん。


 どこからか音が聞こえる。硬いものが転がるような音だ。

 清巳は進行方向を変えた。



 この音を、知っている。

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