第3話 #今日の夕ご飯は海鮮丼希望②
あまりにも緊迫感がないそれを訝しみながら通路の向こうを覗いた。
――そこにある光景から目をそらして盛んに瞬き、もう一度、通路をのぞき込む。
地面に座り込む三人の姿。その横に転がる丸い物体は浮遊カメラだろう。
オーガ種は褐色の肌をしているのが通常であるが、毒々しい紫色の肌をしている。無造作に転がる頭部はちょうど救助者を向いていて、濁った赤い眼が見える。棍棒が転がっていることから、オーガ種の中でも雄にあたるオーグルの変異個体であると判別がいた。
その傍ら。淡黄色に輝く魔石を掲げながら、くるくると小柄な少女が回っていた。
やはり見間違いではなかったらしい。
緊張感の欠片もない行動に眉間にしわを寄せた。
ダンジョン内で叫ぶのは自殺行為にも等しい。万が一、周囲の魔物が寄ってきたとしても上層だから対処は可能だが、愚行であることにかわりはない。
清巳は辺りの気配を探った。周囲に魔物の気配がない。近づいてくる個体もない。それを念入りに確認してからゆっくりと通路に姿を見せた。
少女は両手に包んだ魔石に頬ずりに忙しいらしく、気づく様子はない。
足音を立てて近づいた。
勢いよく振り返った三人の、強張っていた表情に更なる緊張が走った。
少年の片腹の服は破れいて血液が染みついている。ただ、そこに在るべきはずの傷は見当たらない。少女二人も、変異種から逃げてきたにしては不自然なまでに傷がなかった。オーグルのしたいと踊る少女の向こう、地面に点々と残る血痕から見ても、少年の者であるとは想像にたやすいのだが、ここまで綺麗さっぱり傷を癒やせる魔法薬はかなり珍しい。
命に別状はなさそうなので、清巳は踊り狂う少女に声を掛けた。
「ちょっといいか」
「ぴっ⁉」
鳥のような悲鳴が上がった。声の主である少女は先程の緩みきった表情から一転して、引き攣った顔で硬直している。
年の頃は弟くらい、十代前半に見える。肩につかないほどの短い髪。夜空のような闇色の瞳には警戒が滲んでいる。シャツとデニム素材のパンツで、ウエストポーチを身に着けているだけの軽装。左手の示指に嵌めている指輪は緩いのか、関節に引っかかって留まっている。首元の紐の先はシャツの中に丁寧に収められていた。
稀に肉弾戦を得手とし、得物を持たない人もいる。だが、倒れているオーグルの首と胴体が綺麗に切り離されている。得物を持たないタイプではないようだが、ダンジョン内で武器を手放すのは命を粗末にしているも同然。――なのだが、推定Cランクの個体を一撃で倒せるのならば恐らく問題はないだろう。
「その」
用件を告げるよりも早く、彼女は身を翻しその姿を消した。
風が頬を撫で、髪が揺れる。
清巳は目を見開いた。
驚愕に浸ること数秒。我に返って辺りの気配に気をこらすが、すでに三人の気配以外、なにも感じられなかった。
「きえた……?」
茫然とした呟きを聞き止めて、清巳は三人を改めて振り返った。
「義務として尋ねるが、どういう状況だ?」
「お、俺たちと勝負しろ!」
清巳の言葉に我に返った顔で立ち上がった三人は、敵意に満ちた視線ととも各々の武器を構えた。
予想範囲内の面倒ごとに、清巳は洞窟の天井を仰いだ。
少年少女が身に着ける腕輪は透明感がなくくすんだ赤紫色の魔石――純度の低いルビーの玉環だ。間違いなく日本ダンジョン連盟所属の探索者である。
連盟は『力こそ全て』という理念のもと、ダンジョンの撲滅を掲げる探索者組織だ。文字通り、力による序列を重んじており、連盟に所属する探索者にとって救助対象となることは不名誉という風潮さえある。救助要請の多くは、今ごろは配信をする探索者が多いため視聴者の通報によるものだ。一応、自己申告も可能だが、負け犬扱いされたくないと自ら要請しない者が多い。
彼らも視聴者による通報だったのだろう。救助対象となったことについて納得がいかないと、救助者に要救助者が決闘を申し込むのはよくある話だ。
派閥が同じ探索者ならばその道理は通る。派閥が同じならば。
清巳はため息を飲み込み、ようよう口を開いた。
「まず所属を確認しろ。研究機構所属の探索者に喧嘩を売るな」
清巳は空間収納から取り出した水晶の腕輪を、はめ込まれた鉱石を握って隠しながら顔の横で掲げて見せてた。
研究機構、とはその名の通りダンジョンの調査研究を目的に政府主体で構築された研究機関である。魔物や植物の生態や魔鉱物の鉱床の分布、魔力の源たる魔素濃度の変化によるダンジョン内環境への影響など、研究内容は多岐に亘る。
ダンジョン撲滅を掲げる連盟と、ダンジョンは神からの試練であるため適切な管理を掲げる協会と異なり、研究機構はあくまでダンジョンに関する研究調査が目的である。そのため、思想の違いから対立する協会と連盟という二大探索者組織とは中立の立場にあった。
競争を良しとする探索者の世界だが、昔、研究機構に所属する探索者が他の組織内の探索者競争に巻き込まれ死傷する事件がいくつも生じていた。研究機構の探索者は現地調査とデータ収集、必要に応じて研究者の護衛も行う。当時、ダンジョン研究の第一人者である男の護衛がその競争に巻き込まれ、運悪く発生した魔物流出により研究者とその護衛の探索者は死亡した。ダンジョン研究者の中でも最先端を行く人物の死により、組織設立当初から研究調査を公開していた研究機構はその一切を秘匿。加えて、所属する生産師たちの作品も提供を止めた。
二大探索者組織にも研究者や生産師は少なからず存在した。だが、ダンジョン黎明期に有志が集まって組織化したという歴史をもつ研究機構の、情報技術の質は抜きん出ていた。それによりダンジョン探索において少なくない被害が出るようになり、また魔物の流出の予兆などの情報提供もされなくなったことで人的被害が拡大。それにより、協会と連盟は研究所属の研究者、探索者には不可侵という約定を結んだ。
今となっては、ダンジョンの研究調査に発展がないと言うことで落ち目と言われている研究機構だが、その約定は今日まで受け継がれている。一応。形骸化しているが。
協会はラリマー、研究機構は水晶、連盟はルビーと、組織によって探索者資格である腕輪の素材が異なるため判別は一目でつく。
ただ、探索者資格の所持義務はあっても装着義務はない。腕輪が水晶とわかると絡んでくる人も少なくないため、清巳のように腕輪を装着していない研究機構所属の探索者は多い。
「はっ、怖じ気づいたのかよ、年下相手に」
「問答する意志はなし、と。いいぞ、行って」
清巳は腕輪をポーチに収め、追い払うように手を振る。そして手にしたメモに文字を記しながら三人に背中を向けた。
相手にする価値もないと態度で示す清巳の背後で憤怒が立ち上る。
「のっ……、臆病者め!」
少年が憤怒の形相で吐き捨ながら駆け出し、大きく剣を振りかぶった。
少年に背中を向けたまま僅かに体を左にずらし、二本の指で刃を挟んで受け止める。手首を捻った。少年の手からすっぽりと抜けた剣を半回転させて左手で柄を掴み、少年に向き直る。
剣を振り下ろしたような姿勢のままぽかんとしている少年。そのこめかみに柄で軽く小突いた。
吹っ飛んだ少年は壁に叩きつけられ、なすすべもなく地面に倒れ込む。
「ケイくん⁉」
仲間の少女が悲鳴のような声で少年の名を呼んだ。ケイと呼ばれた少年は完全に意識を失っており、ぴくりとも動かない。
その傍に剣を放り投げてて清巳はオーグルの傍らに屈んだ。切り口から少しずつ流れ出ている血液を瓶で採取し、しっかりと密封する。
解体用のナイフでオーグルの皮と肉を一片回収し、保存用の薬液が入った瓶につけて密封する。
作業をしている間に三人は早々に立ち去っており、小瓶を腰のポーチに収めた清巳は疲れたように深々と息を吐き出した。
「弟と妹に会いたいなあ」
装着していたらしていたで、試練に立ち向かわない愚か者と蔑まれ、力は合っても使いこなす精神力を持たない臆病者と嗤われる。
いちいち相手にするのも面倒なので、装着しないほうが平穏なのである。そういう意味で、清巳のように腕輪を装着していない研究機構所属の探索者は多い。
「明日の夕飯は何にしようかな。ついでに食材を確保できるから肉料理ばっかりになってるけど、気分を変えて魚……でも今日海鮮丼リクエストしたから、順番で言うなら肉かなあ。それか焼き魚よりはフライ。食べ盛りな可愛い可愛い弟妹はなんでも喜んでくれるから悩むが、揚げ物はありか」
一人で呟きながらオーグルの皮膚を剥ぎ取り、肉の一部を切り落とし、素材保護材で包んでポーチに収める。代わりに取り出した魔素濃度測定器を地面に置いて紙に数値を書き付けていく。
しばらくして、その場で取れるだけの情報を確認し終えて清巳は耳元の端末に触れた。
先程から情報が全く更新されていないのである。本来、保護に対応を開始する時。保護が出来た時。討伐した時。それぞれ、対応した者が適時情報更新していく手筈になっている。
だが、救助要請画面に一つも変化はない。なんなら逃げた本人が戻って来ない。
一次通知から一定時間経過すれば二次通知が行われる。もう終わっているにも関わらず、周辺地域へ通知がいくことは避けなければならない。
それが成されていないと言うことは、細々とした後始末を押しつけられたということだ。たまに、そういう人間は所属問わず存在する。
「踏んだり蹴ったりだな」
清巳は苦々しい顔で保護完了と討伐済みの簡易通知を送信した。
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