世界の異物

市野花音

第1話

 色のない廃墟の中をカスミは歩いていた。辺り一面、灰色の瓦礫の世界。踏みしめるのは、かつて建物であったもの。曇天の空の隙間から降りた光が割れたガラスに反射して眩しく、カスミは黒い瞳を逸らした。

 目指しているのは、先日病気で亡くなったオボロから聞いた色のある花が咲くという丘であった。オボロは、この世界に色が溢れていた時代を知っていて、再びその世界を取り戻すことを夢見ていた。

 けれど、オボロも周りと同じ白い髪に黒い瞳を持ち灰色の服を着ていた。結局、オボロでも世界には敵わなかったのだ。

 オボロでも勝てなかった相手に、自分は勝てるとは思えない。カスミはオボロにいつも負けていた。足の速さ、身長、腕相撲。勝てたのは歌の上手さぐらいだ。

 そんな自分が何故危険を冒してまで色のある花を目指しているのだろうか。答えは灰色の街にいても出ない。だから、丘の方を目指して歩むしかない。

 やがて市街地を抜けると、荒野にでた。ごつごつとした大岩、遠くにぽつぽつと見える廃墟、灰色の草が生える灰色の地面。

 初めて出た荒野だが、街と印象は変わらない。うら淋しくて静かで、生きていると強く感じるものが一切ない。

 いや、街にはオボロがいたか。オボロだけは、生き生きとして、外に行った後にうるさく見たものを聞いてもいないのに話してきていた。丘の花もその一種だった

 やがて、奴らが襲ってきた。灰色の獣の群れを一瞥すると、腰に差した軍刀を抜いた。オボロには到底敵わないが、中型を簡単にあしらえる程の実力は兼ね備えている。

 すべての獣を倒し終えると、獣は既に灰になっていた。灰の化け物、だと先生は言っていた。灰が集まって獣になり、倒せば灰に戻るのだと。

 灰を灰みたいな地面に埋めると、再び歩き出す。灰を埋めるようには言われていないが、オボロは「まいそう」だと言いやっていたのでカスミもやる。この事を知っているのは自分だけだから、自分がやらなければ「まいそう」が無くなりそうだった。

 途中、何度か襲われたが、いずれも難なく倒すことができた。

 そうして、オボロから聞いた地が近づいていく。

 「ああ、あれか」

 それは遠目からでも分かるこの世界の異物だった。そこだけが世界から切り離され、まさしく別の世界であった。

 色のある花は木に咲く花だった。風に吹かれて零れ落ちる花弁は柔らかく薄く、指先に乗るほど小さい。一つの花に五枚の花弁があり、木の枝の先に溢れんばかりにたくさんの花を咲かせている。この花の名前を、桜。色の名は、薄紅色。もしくは、桜色。

 色のことを教えてくれたのは、オボロだけだった。

 丘を登り切り、桜の木の下に立つ。桜の天蓋に守られた世界に、カスミひとりきり。

 「言われた通り、持ってきたよ、オボロ」

 カスミがポケットから取り出したのは、オボロだった灰が入った小瓶だ。カスミは小瓶から灰を優しく取り出すと、土に埋めていく。

 桜の下に遺灰を埋めて欲しいとオボロが言ったのは、カスミがオボロ以外の唯一の「にんげん」だったからだろう。先生はそれをアンドロイドの製作者であり色吸いの厄災の時より滅びの危機にある生物だと説明した。オボロとカスミは、桜と同じ、この世界の異物だった。

 「まいそう」を終えると、カスミはオボロの近くに寝転がった。

 桜の花が視界いっぱいに広がる。優しい匂いに包まれる。

 穏やかな時間に、桜とカスミがいた。

 オボロが死んでからカスミの心は荒れていた。オボロのいない世界でどうやって生きればいいか分からない。

 アンドロイドたちはカスミとオボロを育ててはくれたが、基本的には冷たかった。色吸いの厄災で「にんげん」を滅ぼしたのはアンドロイドで、先生たちにとって「にんげん」にしか倒せない灰色の獣を倒す道具でしかないのだから。そんな中、カスミに優しくし、意味もなく話しかけてくれたのはオボロだけだった。

 けれど覚悟が決まってからは心は嘘のように穏やかになった。

 カスミは軍刀を抜くとまっすぐ喉に突き立てた。カスミが忌み嫌い、でも、オボロと自分をつなぐものでもある血が舞う。

 桜がこの世界で色を持っているのは、自分みたいな生き残りの血を吸ったからなのだろうか、とカスミは思った。


 曇天の空の下、残る色は桜と鮮血。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の異物 市野花音 @yuuzirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ