第6話

「リヒターは何で旅をしてるの?」


 ロアに質問された。俺は少し考えてから、完結に答えた。


「俺は、自分がどこで生まれたかわからないんだ」


 十年前、俺はとある村で一度『死んだ』。


***


 少年は、屋根が半分落ちた廃屋に住み着いている。他に行く場所がないのだ。もともと両親と三人で暮らしていたが、両親は少年がまだ歩けないほど幼いころに魔物に食い殺されてしまった。


「おい、これをやる」


 村に住む大人の何人かが、時々食べ物を持ってきてくれた。それは鮮度が落ちた野菜だったり、保存期間ギリギリの保存食だったり、売れ残ったパンだったりと、辛うじて「残飯」ではないレベルのものだったが、少年はにこりと笑った。


「ありがとう!」


 少年はその大人の名前を知らない。村の雑用を手伝うなかで言葉を覚えたが、読み書きはできなかった。


 大人は馬に乗り、ゆったりと歩かせて帰って行った。少年はその背中を少しだけ見送ると、ナイフを掴んで家を飛び出し山へ入っていった。


 少し走ったところで、少年の前に兎が一羽、現れた。青白いような、緑がかったような、不思議な色味をした兎。


「ヤサイ~、来たよ!」


 少年は兎のことを「ヤサイ」と呼んだ。「ヤサイ」と呼ばれた兎は、当たり前のように返事をした。


「おお。リヒター。なんだか嬉しそうだな。良いことでもあったか」

「うん!大人が食べ物を持ってきてくれた!今日はお腹いっぱいになれる!」

「それはよかった」


 口が開いている様子はないが、兎とのコミュニケーションは成立していた。


「今日は何をするの、ヤサイ」

「儂の名前はもうヤサイで決まりなのだな。まぁ良い。今日も野兎を仕留めよう。何匹か近くにいるはずだ」

「わかった!」


 ヤサイに戦闘能力や狩猟能力はない。だが、不思議な力で周辺にいる動物や生き物や天気など、ありとあらゆることが察知できた。そして、兎に似つかわしくないほどの豊富な様々な知識を有していた。

 その知識や能力を生かして仕留めた兎を捌いて焼き、むさぼりながらリヒターが話し始めた。


「ねえヤサイ。昨日から僕のことを『リヒター』って呼んでくれるけど、それってどういう意味なの?」

「うん?お前の両親がお前のことをそう呼んでいたんだ」

「へえ。……僕のおとうさんとおかあさんって、どんな人だったんだろ」


 ヤサイは少しだけ黙った。ややあって、再び話し始めた。


「お前の両親は五年前に死んだ。魔物に食われた」

「うん。村長にも聞いた」

「そうだ。だが、両親が死んだのは魔物のせいだけではない」

「どういうこと?」

「お前の両親は流れ者でな。お前の住んでいる家に住み始めたのは良いが、村の義務である納税ができなかった。シカやイノシシを仕留めても村のものはよそ者からの肉を買わん。農業ができる土地も貸してやらんし、種や苗も貸さなかった。お前の両親はずっと村から迫害を受けていた。外から来た、というだけでな」

「ヤサイ、ノーゼイってなに?ノーギョーって?ハクガイ?」

「うーん。難しかったか。わかりやすく言うとな、村人たちはお前の両親のことが嫌いだったから、なんにも助けてやらなかったんだ」


 ヤサイの表情はわからない。抑揚もあまりない話し方で、怒っているのか悲しんでいるのかもわからない。


「でも、村の人は僕に食べ物をくれるよ」

「子供には罪はない、みたいなことを言っているんだ。でも、本当に心の底からお前に慈悲をかけるつもりなら、あんなボロボロの家に一人ぼっちで住まわせるわけがない」

「そうなのかな」

「そういうもんだ」


 リヒターは兎肉を食べ終わり一息つくと、鞄から本を取り出した。


「ヤサイ、また字、教えてよ」

「おお、良いぞ。今日は何を持ってきたんだ」

「えっと、これ!」

「『大魔術師ベルクラフトの旅』か、おお。良いセンスをしているな」


 本の表紙を掲げるリヒター。ボロボロの自宅には両親が残した品がいくつかあるが、その中の一冊が『大魔術師ベルクラフトの旅』。

 大魔術師ベルクラフトとは、百五十年前に実在した魔術師だ。世界各地を回って、それぞれの国や地域で魔術のレベルを上げていった。現代魔術の基礎はベルクラフトが作ったと言われており、今でも魔術学校に通うとベルクラフトの『基礎魔術理論』という本を使って勉強するのだ。


「儂が見えるということは魔力を操れるということだから、魔術理論を教える日が来るかもしれんからな。その前にベルクラフトについて学ぶ。うんうん、殊勝な心掛けだ」


 どこか嬉しそうにひとりで話すヤサイにつられて嬉しそうに笑うリヒター。

 やがて、ベルクラフトの旅の歴史を話しながら、字の勉強が始まった。



 

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