第2話 その2
子供のころ、わたしは虫が平気でした。コオロギを見つけては捕まえカゴに入れて飼い。アゲハ蝶は卵から孵らせて、成体にして外に逃がす。
そればかりかダンゴムシを捕まえて、ポケットに入れ、そのまま洗濯され、大量にダンゴムシが洗濯機の水に浮く、とゆうことをして母に怒られた記憶があります。
そんな幼少期でしたが、大人になるにつれ虫が大嫌いになってしまい、今では、狭いベランダの通路にセミが何食わぬ顔で、落ちていると、通路の隅に寄って、じりじりと横歩きし、それに気づいたセミは、足を蠢かせ、わたしに向き直ると、柔道家の組手をするように睨み合い、横切ろうとするとき、必ずセミはジジジっと鳴き飛んでゆき「ぎゃぁぁ」っと負けて叫ぶのが、わたしの夏の風物詩になっています。
そんなある日の出来事です。
あれは姉がヘルニアで入院していたころ。その日は、なかなか退院できない姉のために、お見舞いに行くことにしました。
入院している総合病院は街にひとつしかなく、わたしの家から車で5分ほどの場所にありました。
どちらかといえば田舎。程なく家々が立ち並び、憩いの場で散歩などできる池があり、少し行ったところには、地域特産の柿の木畑なんて物もありました。姉の入院する総合病院は、その先。
わたしはいつものように車に乗り込み、軽快に運転をします。
曲を聞きながら首を振り、のりのりで姉のもとへと向かう。
家々を超え、憩いの場の池が終わりに差し掛かり、信号を右折しなくてはいけません。ちょうど目の前に何台かの直進車が来たため、信号の真ん中で停止。
そこに奴が悪さをしに、やって来たのです。それは、静かに、唐突つな出来事でした。
すっす。と、突如として目の前に垂れてくる銀糸。にやりと笑ってるかのようにプラプラと揺れ、こちらを向く奴。目が合う。
直径3ミリほど。しかし、鼻に付きそうなほど間近に奴は私の前に現れた。細い八本の足を蠢かす。グロイ奴。
蜘蛛である。
「§€£¢℉℃π√⁈№µ」
声にならない悲鳴をわたしはあげました。
なによりも蜘蛛の嫌いなわたし。例え、こんな小さな生き物でも怖い。そのうえ奴の目がわかるほど近い。
わたしは咄嗟に、フッと息を吹きかけて払いました。
ええ、ええ、まあまあ。考えてみてください。
ブランコは人の動力によって振り子のように前後に動く。
前に行き、後に戻って来る。
そうです。吹きかけた息。蜘蛛は糸にぶら下がり、ブランコのように遠く前にゆられて離れて行く。
そこで、一瞬、わたしは落ち着いて……。
──なにやっとるんだぁぁぁ。戻って来るに決まってるじゃんか!!
青ざめました。このままでは、戻ってきた蜘蛛とわたしの顔がドッキングしてしまう。そんな超ど級の合体技などしたくもありません。
──阿呆か、わたし。阿呆か、わたし。
驚くことに、この蜘蛛が戻って来る3秒間に走馬灯のように色んな悲鳴を頭に浮かびました。その蜘蛛はスローモーションのように糸に揺られ、戻ってきた。
「ぎゃぁぁぁぁ」
わたしは必死で戻ってきた蜘蛛に、フッフッフッフッフッと息を細かく吹きかけました。まるで踊るように蜘蛛は目の前で操られ踊りまくりました。
そんなときに、信号が赤になりました。そうです。わたし、今、信号のど真ん中で右折するのを待っていた最中でした。
「£№✰*@€£¢√π℃℉」
声なき声を出す。このままでは交通事故になってしまう。車を発進させなくては。
と思いましたが、息を吹きかけてながら、同時にハンドルを回す行為はわたしにはてきません。ひとつのことしかできません。直進車が止まり………。
行くしかない!!
わたしはハンドルを握り右に回しました。目の前に、嬉しそうに蜘蛛が迫ってきた。
「ぎゃぁぁぁぁ」
わたしは首を斜め45度に曲げた。頭の中では、その蜘蛛のことで頭がいっぱいでした。
──奴はどこだ。今、奴はどこにいる。
すでに、蜘蛛が首にいるかもしれません。髪についてるかもしれません。
しかし、ハンドルを離すわけにはいきません。生憎、そこから病院までは直進。このまま病院に行くしかありません。わたしは首を45度に保ちながら車を走らせました。対向車線の車からは、なんだあの角度!! 鞭打ちか。やら、エクソシストか。なんて思われたに違いありません。
「最悪。ほんとに、最悪」
あらぬ方に首を曲げたまま、わたしは病院に到着しました。さっさっ、と駐車させ、降りる。肩を見て、クルマのガラスで首を確認する、いない。頭を確認する。いない。
「ヒィィィ」
肩になにかが。
「ゴミやんか!!」
糸くずでした。
どんなに探しても、あの蜘蛛は見つかりません。わたしは駐車場で、散々、探しました。
小さなゴミを蜘蛛と間違え、驚き、騒ぎながら、仮面ライダーポーズをしたり、おそ松くんのイヤミのように、しぇぇー。を披露して蜘蛛を探す。
その間に車に向かって杖をついているお年寄りの目線は奇異な者でした。
きっと、病棟の窓からも変な女が病院の駐車場で躍って奇声を発してると思われたかもしれません。
──ああああ。もう。なんなんだよう。
結局、蜘蛛は見つかりませんでした。しかし、あの数分間の恐怖体験は計り知れません。わたしのなかでは強烈に記憶に焼かれてしまいました。
──頼むで、2度とわたしの前に現れるな。蜘蛛。
そう思わずにはいられませんでした。
生き物と黒歴史 甘月鈴音 @suzu96
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