たとえば人生という名のキャンバスがあったとする

嬉野K

キミの色

「たとえば人生という名のキャンバスがあったとする」


 大学のゼミの最中、先生は突然そんな事を言い始めた。


 突然キャンバスを持ち出してきたので何をするのかと思ったら、変な話を始めてしまった。


「人格と形容しても良い。個性と呼んでも良いし、性格や特性、才能と呼んでも良い。そんなキャンバスがあったとする」


 真っ白なキャンバスを先生は設置する。


 ……いったい何の話なのだろう。このゼミは私しか学生がいないので、私に話しかけられているのは確実なんだが……


「大抵のキャンバスは、最初は白色で埋め尽くされてる。多少汚れてたり、大きかったり小さかったり、イビツな形だったり……手の届かない位置にあったり、もしかしたら複数あったりするかもしれない」


 個性や特性、才能というキャンバス。その持って生まれた状態。


「このキャンバスに、キミなら最初になにを描く?」

「私、ですか……」

「そりゃそうさ。キミ以外にこの部屋に学生はいない」


 そうだけども。

 

 ……キャンバスに最初になにを描くか……


「……なにも思いつきません……」

「そうだね。そんなこともある。じゃあ……私が最初に描いてみよう」


 言って、先生はキャンバスにリンゴの絵を描いた。赤色だけで構成された、雑なリンゴだった。


「……リンゴ、好きなんですか?」

「そんな好きでもないかな。ただ、なんとなく描いた」じゃあしょうがない。「次に何を描く?」

「……じゃあ、ゴリラで」

「良いねぇ……」


 先生はキャンバスに緑色の文字で『ゴリラ』と書いた。カタカナで書くんかい、というツッコミは飲み込んだ。緑色で書いた理由もわからなかった。


「こんな感じで、ドンドン描いていこう。意味のあるものじゃなくても良い。ただただ塗りつぶしたり四角形を書いたり、思うままに筆を動かすだけで良い」


 ということなので、私たちは2人でキャンバスにラクガキを始めた。


 思うままに適当に。本当になんの意味もない図形も完成した。たまに思いついたバナナとか、キリンを書こうとして失敗した謎の怪物などが並んでいた。


 そうしているうちに、


「……もう描く場所がありませんけど……」


 キャンバスはいっぱいになっていた。これ以上は何も描けない。


「そうだね。だいたい……このあたりで物心がついてくる。人間でいうと3歳くらいかな?」その頃のことなんて覚えていない。「最初は好きに詰め込めた。キャンバスはまだまだ余裕があって、好きなように夢を描けた」


 ムダなことでも何でも詰め込めた。だってまだ空っぽだったから。


 先生は筆を置いて、


「このあたりから、人によっては選ばないといけなくなる。次に描きたいものを表現するには……」

「……なにかを、塗りつぶさないといけない」

「そういうこと」先生はイスに座って、「さらになにかを描くとしたら、どこにどうやって描く?」


 このいっぱいになったキャンバスのどこに描くか。


 迷った末に、


「……ここ、ですかね」


 キリンを描こうとして失敗した怪物を塗りつぶして、今度は馬を描いてみた。キリンの失敗を活かして、少しうまく描けた気がした。


 でも……


「……色が混じって、描きづらいです……」


 キリンの黄色が馬に混じってしまった。これじゃさらなる怪物が生み出されただけだ。


「そうだね。最初より技術は上がってうまくかけたかもしれないけど、今までの絵の具が邪魔をする」自分の使った色が邪魔なのだ。「その絵の具ってのは……今までに身に着けた悪いクセかもしれない。知識かもしれないし常識かもしれないし、友達かもしれない」

「……自分の積み上げてきたものが、自分の邪魔をするんですか……?」

「そういうこともあるし、他人に勝手にキャンバスを塗られることもあるのさ」


 私が首を傾げると、先生が続けた。


「このキャンバスはキミと、私が塗った。その結果としてキミのキャンバスはスペースを失ったわけだ」それはそう。リンゴを消したいな、と思った。「しかも……絵の具だって私が用意したものだ。キミは選びたい色が手元になかったこともあるだろう」


 言われてみれば……青系の色がない気がした。一番近くて緑だろうか。


「まぁ混ぜれば解決するかもしれないけれど……最初から持っている人間よりは手間と時間、工夫がいる。でも結局は持ってる絵の具で勝負するしかない」


 持っている絵の具、か……


 このへんで疑問をぶつけてみる。


「……もしも私が……何も塗りつぶさない、って選択をしていたらどうなってたんですか?」

「私が勝手に塗りつぶしていたよ。人生というキャンバスをキープすることなんて不可能だからね」いつか誰かが私のキャンバスを塗りつぶして踏みにじる。「それは悪意かもしれないし、善意かもしれない。この絵を素晴らしいものにしてあげようとする好意かもしれない。その結果として絵は良くなる可能性もあるだろう。でも……」

「最初の絵は、確実に崩れますね」

「そういうことさ。それも悪いこととは限らないけれどね」


 善意によって相手を傷つけることもある。

 悪意が人を救うことだってあるのかもしれない。


 さらに疑問をぶつける。


「新しいキャンバスを買うという選択肢はありますか?」

「もちろんあるよ。でも無限に買えるわけじゃない」そりゃそうだ。「それは金銭的な理由かもしれないし、肉体的な理由かもしれないし、精神的な理由かもしれない。とにかく……いつかキャンバスは足りなくなる。他人のを奪ったとしても、最終的にはどこかを塗りつぶすことになる」


 キャンバスには限りがある。

 人生には限りがある。

 才能には限りがある。

 個性には限りがある。


「さて話を戻そう」私のキャンバスに。「もっともっと塗りつぶしていってみようか。自分の心の赴くままに」


 そうしてまたラクガキを再開する。途中から先生も混じって、ひたすらにキャンバスを塗りつぶしていった。


 動物を描いてみたり言葉を書いてみたり、食べ物を描いてみたり……適当に塗りつぶしたり図形を描いたり。


 何度もやっているうちに、色の使い方がわかってきた気がする。今あるキャンバスを活かした動きができるようになってきた。もちろん画家レベルなんかには程遠いけれど。

 

 そして私がペガサスらしき何かを描いたときに、


「その絵は、キミにとって満足できるもの?」


 言われて自分の描いた謎の生物を観察する。


 イメージ通りとは言えない。色が混ざって、結局想像していた色とはかけ離れた色になった。画力だって高いわけじゃないし……下手くそと言っても差し支えない絵だ。


 この色は……なんだろう。なんと形容したらよいのだろう。赤っぽいけれど、全体的にくすんでいる。もう白なんてほとんど見えない状態でペガサスを描こうとしたのは失敗だったかもしれない。


 素直に答える、


「もっとうまく描きたい、って思います」

「そうか」先生は私の絵を見て、「それがキミの色なんだよ」

「私の、色」


 改めてキャンバスを見てみる。グチャグチャで取り留めのないキャンバス。


 でもちょっと……全体的に赤っぽい。そんなキャンバス。


「色が混ざって、もうイメージ通りになんて描けない。いろいろな常識とかしがらみとか、人種とか知り合いとか善とか悪とか……才能とか個性とかプライドとか。生まれたときはまったく持っていなかった、いろんなもんがキミの絵の完成を邪魔するだろう」


 最初は真っ白なキャンバスに描くことができた。


 でももう、それはできない。次のなにかを描こうと思ったら、今までの色が邪魔をする。


「その色こそがキミの人生なのさ」私の人生……「自分の意志と他人の横槍……いろんなものが積み重なったグチャグチャの色。それが人間の色」

「人間の色……」

「赤っぽいやつもいるかも知れないし、青っぽいやつもいるかも知れない。名前のついてない色のやつだっているだろう。それがその人の色なんだよ」


 人間の色。


 それが人生であり個性。その人だけが持っている色。


「さて……そのキャンバスを、さらに塗りつぶしていったらどうなる?」

「……最終的には……真っ黒になりますね」


 絵の具をすべて混ぜると黒になる……と聞くことが多い。だけれど灰色になるという説もある。実際に試したことはないのでわからない。


 問題なのは目に見える色じゃない。問題は……すべてを混ぜ合わせると全部同じ色になってしまうってことだ。


「真っ黒になったときがゲームオーバーさ」そこで先生は話をまとめる。「つまり何が言いたいかって言うとね……」

「……なんですか?」

「自分の色がわかんなくなる前に、行動しろって話さ」自分が自分であるうちに。「ボーっと生きてると、すぐにわかんなくなっちまう。まぁそれが悪いこととは限らんけどね」


 同じ色になるというのは社会に適応するということでもあるのだろう。


 自分の色と社会の色。どっちを重視するのかはその人が決めることだ。


「もしもキミが……何かを成し遂げたいと思っているのなら、さっさと行動することだ。そうしないと……気がついたときには自由に描けないよ」


 言われて、私はキャンバスを見た。


 ……これが私のキャンバス。無秩序で考えなしの色。


「果たしてキミの人生の色は、どんなものになるだろうか」


 ……私の人生の色。


 それはまだわからない。想像もできない。

 

 カラフルになるかもしれない。赤いかもしれないし青いかもしれない、まだ私の知らない色かもしれない。


 ……

 

 案外、もう真っ黒かもしれない。私に伸びしろや変化の兆しなんてないのかもしれない。


 それでも生きていかないといけないのだろう。人生はきっと……塗りつぶしたあとのほうが長い。


 果たして私の色ってのはどんな色になるだろうか。


 唯一言えることといえば……

 

 私の好きな色は黒である。

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