カンタベリー・コラールより 詩的散文

春成 源貴

 

 満月の夜。

 秋とはいえ、夜ともなれば空気は冷たい。

 大聖堂には大勢の人が集まっているが、ざわめきもなく、ただ静寂が立ちこめていた。本来は真っ暗なはずの聖堂の中は、たくさんの燭台に灯りが灯され、たくさんの影がゆらゆらと陽炎のように揺れている。

 大きな入り口の正面には、女神の姿をした大きな彫刻が置かれていて、慈愛に満ちたまなざしを向けている。

 入口から入って来た人々は、木製の簡素なベンチに腰掛けたり、石の床にひざまずき、時を待っていた。

 やがて、司教の証である赤いマントを羽織った老人を先頭に、数人の修道士と修道女が、女神の彫刻の前に現れた。さらに、聖堂の脇にある小さな木製の扉からは、聖歌隊の衣装を着けた数人の男女と、楽器を持った人々が粛々と続く。さらに一人は彫刻の後ろの方へと姿を消した。

 先ほどまで静粛ではあるが、どこか緩やかさのあった空気が、この人々の登場により、一気に緊張感を持った雰囲気に変わった。もっとも、張り詰めたような嫌なものではなく、厳粛な神々しささえある空気だ。

 聖堂中央の祭壇に立った司教の一団は、しばらく壁の時計を気にしていたが、お互いがうなずき合う。一歩前に出た司教は、右手の錫杖を高々と掲げる。それを合図に一斉に燭台の炎が吹き消され、聖堂は闇に包まれる。

 同時に、厳かなオルガンの音が鳴り響き、各々が手に持った楽器の演奏を始める。

 小さいが分厚い和音の渦が、ゆっくりと聖堂の中を震わせ始めた。

 「最初に光りあれ」と仰った神のための和音に、聖歌隊の美しい祈りの歌声が被さる。

 ひんやりとしていた空気が動きはじめ、聖堂の中の人々の頬を撫で、髪がそよぐ。

 やがて暗闇になれ始めた人々の目には、解放された扉や、明かり取りが落とす、月光の青白い光がくっきりと浮かび上がる。

 音楽は徐々にボルテージを上げ、人々と、司教や神に仕える人たちの祈りと、歌声が大きくなる。

 歌声は、天井の高い聖堂の空間をぐるぐると巡り、木霊し、響き続ける。

 司教が錫杖を目の前の祭壇の聖水の壺に浸すと、熱気がさらに広がる。けれども、その錫杖を振り、人々の頭上に聖水が振りかけられると、少しだけ熱気は落ち着く。

 聖水の雫は弧を描いて飛び、彫刻に降りかかり、人々に降りかかる。錫杖は何度も聖水に満たされながら大きく振られた。

 やがて、満ちて大きくなった月が空に昇った時、天井の巨大なステンドグラスから満月の明かりが射し込む。

 錫杖を振る手が止まり、再び大きな声での祈りの合唱が始まる。

 楽器の奏でる和音は、さらに一段階大きく広がり、人々の心と聖堂を揺らした。

 ステンドグラスを透過した青白い光は、極彩色に彩られ、最初は彫刻へ、そして、人々へ頭上から降りかかる。赤、青、黄、白、緑。ありとあらゆる光の渦が、人々の視界を満たし、輝かしい金属の音色が聴覚を満たす。

 月の女神の優しく柔らかい光は、さらに温かみを増し、人々に降り注ぐ。小さな埃や、人々の吐く白い吐息が反射して、鮮やかに輝く星のように視界の中をキラキラと舞う。

 やがて、月は傾きはじめ、再び光が陰ると共に極彩色の世界は薄れてゆき、音楽も、祈りの声も、静けさを纏う。熱狂的な光の渦が落ち着きをみせ、元の厳かな空気が戻り始める。

 音楽は最初の和音に帰結し、祈りの声と歌声は波を消して、心の中での静かな祈りへ帰っていく。

 しばらくしてすべての音が消え、光は遙か彼方へ去って行った。余韻だけが、聖堂の空間に木霊する。

 司祭の一団と演奏者達は、再び扉の外へと姿を消し、人々は彫刻に見守られながら、聖堂を後にす

る。

 まもなく日が昇り、新しい一日が始まる。

 女神は、優しい眼差しで人々を見守り続ける。

 時間は静かに流れ、日常は静かにうつろっていく。

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カンタベリー・コラールより 詩的散文 春成 源貴 @Yotarou2019

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